2017-02-15

舞皇妃・舞公主・林夫人参上!

台湾で中国大陸古代・近代王朝の貴婦人になるをテーマに台湾で変身~~~

①舞皇妃参上

中国古代王朝皇帝の妃

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皇帝に箏を演奏するために練習する皇妃
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皇帝の離宮で笛を演奏してなごませる皇妃

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この写真は夢工場で撮影しました。こちらはクオリティーの高い写真館で今回はキャンペーンなので比較的リーズナブルでした。


②舞公主・林夫人参上

今回は台中の霧峰林家に観光ついでに変身することにしました。
清朝末期の豪族林家の邸宅を改修し一部公開しています。貴重な建造物で撮影なんてなかなかない機会です。
霧峰林家は台湾で五大家族の一族、台北にも同じ林家の邸宅と庭が公開されています。しかしこちらは今工事中でほとんど拝観する事が出来ません。

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今日は清朝の王女(公主)様がご訪問で、夫人は朝からそわそわ
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まだかしら?
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まあ~~しかたないから準備をしないと
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でもおそいわ~~
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舞台の様子は大丈夫かしら~~~
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なんだか疲れたので中庭で休憩
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先に林家の様子を見に公主の側近が訪問挨拶する夫人
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問題のないことを説明している夫人
さていよいよ公主到着
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さあ公主さまと舞台へご案内
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豪華な林家でゆっくりと過ごす公主
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舞台を見て満足されています。

こちらも楽し~~~~

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genre : サブカル

2017-02-07

五位、六位などの、下襲の裾はさみて、笏のいと白き扇うち置きなどしてとかく行き違ひ


訳:五位・六位の位(中級から下流の間くらいの地位)のなぁ下襲の鋸(後ろに長く引いてる袖)を後ろに挟んでなぁ~~新品の笏となぁ扇を添えてんのに

続・八千代市立郷土博物館 平安装束体験



前回の蛮絵装束の体験で意外と男子装束いけるんじゃないかと思いチャレンジしようと
八千代市郷土博物館の平安装束体験に応募して無事当選しました。

汗衫体験が終了し今回は遠方からの参加という事で先生の御厚意で二着目の着装を許していただけました。ありがたやぁ~~

(2)武官束帯

なかなか体験出来ない武官束帯は四位以下の闕腋袍は動きやすい様に脇が縫われていません。文人に対して武官はその名の通り「軍事」に従事する官人です。古くは坂上田村麻呂が有名ですが、武官の所属する衛府官達は平安中期は戦がほぼなく戦う事がなくなってしまいます。
武官達は神楽舞や天皇・皇族の警護が主な従事になり、戦いとは無縁になってしまいます。

小袖





下襲

下襲の裾

半臂
脇が開いている状態なので中に着る胴着です。


闕腋袍と呼ばれ脇は縫いません。
着用して袍の上から腰の部位に革製のベルトである石帯を当てる。
袴は大口袴・表袴の2種類で大口を履き、その上に表袴を重ねて履きます。
冠も違い、柏夾と丸めて両サイドに緌がついています。

太刀

平緒

帖紙


大納言兼任以下の大将は弓と矢羽を入れた胡籙を持ちます。
この武官束帯の色は緋色なので五位の武官ですね。


桜の造花を取り付けてみました。

靴の沓
武官用の靴
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弓を持ち護衛に立ち親王さまが誕生して鳴弦の儀を行う。
本来この儀式は蔵人が行います。
が、弓を持つ武人が行うという想定で演じてみました。
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書を持つ
楽坐
足を組まずに足の裏と裏を密着させるように座ります
五位、六位などの、下襲の裾はさみて、笏のいと白き扇うち置きなどしてとかく行き違ひ、また、装束し、壺胡[竹/録](つぼやなぐひ)負ひたる随身の出で入りしたる、いとつきづきし

訳:五位・六位の位(中級から下流の間くらいの地位)のなぁ下襲の鋸(後ろに長く引いてる袖)を後ろに挟んでなぁ~~新品の笏となぁ扇を添えてんのに。めっちゃ行ったり来たりしてんのん。
あとなぁちゃんと正装してなぁ~~壺胡を背負ってんのがすごくらしい~~~やんかぁ~~~~
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桃と桜を持つ

大変貴重な装束体験をしていただけて八千代市立博物館の担当者様、装束指導をされている先生、装束班の学生さん達本当にありがとうございました。

最近よく思うのですが、自分がやりたいと要求ばかりでは、それがかなったとしても。
衣紋道の方にいやな思いをさせたり、陰で人に後ろ指をさされる事になったり誹謗中傷の的(自分ではなんでそんなにいわれのない事をいわれるのか?わからないそいわゆる空気の読めないという人だったりするものです。)になるものです。
願いを伝えそれに答えてくれたら感謝して、ダメな場合は潔く引く精神が大事なんだと思います。
今回の汗衫は中に五衣を着つけてもらえたらなと思いましたが、2着も体験させてもらえるので遠慮しました。
これは後日黒田装束店さんでお願いしようと思います。

感謝しお礼申し上げて博物館を後にします。

theme : *コスプレ*
genre : サブカル

2017-02-07

姫宮の御かたの童女に、裝束せさすべきよし

訳:内親王様(一条天皇と定子皇后の女一宮・脩子内親王)のお付きの童女達になァ~~ど~~~んな汗衫を着せさたらええんでしょうかァ~~~なぁ~

皇后定子が第二皇女・媄子内親王の出産の準備の為に平生昌邸に滞在していた時
なんの因果か長兄の伊周が左遷され、天皇の許しなしでひそかに帰京した時に道長に密告した生昌の屋敷で出産しなくてはならなくなりました。
皇后がお産の際には里内裏で出産するのが通常でしたが、この時里内裏は火災の為なく、自邸を里内裏として提供する者の現れず(この時すでに藤原道長が摂関政治の中枢に座していた。貴族達は落ち目の中関白家に恩を売ろうという者はいなかったので。)

兄惟仲が中宮大夫であったにもかかわらず、そくざに辞任し、めんどうな中宮の貢献の役目を弟生昌に押し付けました。
生昌はこの役目をいやいや引受、皇后が滞在する場所に四足の豪華な御門を立てなければいいけないのに、金がかかるからと中宮が通るところだけ門を大きくし後の門を小さく作っていました。
当然車が入らず中宮付きの女房達は普段の姿を人に見られるという恥ずかしい思いをしたと清少納言の枕草子に記述されています。

この里下がりの一大事が藤原行成は日記にこのように記述しています。
まず中宮定子が行啓するのを命じる上卿がいなかったんです。なんでか?藤原道長が公卿たちをつれて宇治の別荘へ遊覧してしまったからです。
困った藤原行成は天皇にこの事を奏上すると、天皇は急ぎ上卿を連れて行啓させるようにと命じます。
すると一人病と物忌で家に籠っていた藤原時光(藤中納言)が手を揚げようやく中宮の行啓が実現したのです。
権記より
この時に出産したのが一条天皇の第一男宮「敦康親王」でした。
こ皇子は天皇の第一親王でありながら、天皇の鐘愛され東宮にもと考えたものの道長の後見が得られないと行成に助言され、後に彰子が生んだ敦成親王(後一条天皇)を東宮に立てざあるをえなかったといいます。
御才(ざえ)いとかしこう、御心ばへもいとめでたうぞおはしましし
大鏡より
道長には警戒されましたが、その息子嫡男摂政頼通と親しく、相婿となり、一女嫄子女王は後朱雀天皇の中宮となり2内親王を授かります。
なお中宮(皇后)定子の生んだ親と王内親王の後継はなく中関白家の摂関政治は完全に終わりを告げました。

この後中宮定子は媄子内親王を出産した後、産熟熱で帰らる人となり鳥辺野南陵に土葬されました。

辞世の和歌
「夜もすがら契りし事を忘れずは こひむ涙の色ぞゆかしき」

武蔵国詣で今回は2月5日八千代市立郷土博物館さんで行われる「平安装束体験」に当選して参加しにきました。
毎年開催の催しの様でお手伝いは東京成徳大学大学平安装束班が着付けをされています。
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今回力を入れた小物はこの二つ
小物は薬玉、五色紐、髪紐、高杯、お菓子、桃桜の造花、ウィッグ
そして物忌みこの物忌みには鳥と蝶の絵を描きました。
綺陽研究所さんで「汗衫」を着た女子が似た物忌みを髪に飾っていたので不器用ながら再現してみました。

そして今回初めて日の目を見た高杯、ひな人形用の高杯を代用しています。

当日は関空第一ターミナル出発のジェットスターの早朝便出発やはりLCC便は助かります。


前回は「十二単衣」でしたが、
今回は本格的に童女になりきるために髪はあげまに結い髪紐を着けて初期の公家童女晴れの装束を体験します。

本当は千葉県立博物館大利根分室で行われる装束体験にいきたかったのですが、なんせ募集人数が少なくてはずれる危険性が大いにあるのでこちらの方が18組募集昨年も空きがあるという情報を聞いていますのでまあ安全と思い応募しました。
でも今回は1日だけなので応募が多かったそうです。

八千代市立郷土博物館は成田の方が近いのです。
京成本線特急 京成上野行に乗り勝田台駅で降りて、バスに乗り換え「博物館前」で降ります。
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八千代市立郷土博物館に到着です。
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玄関にひな人形が飾っていました。

化粧は機内ですませているので、髪形を待ち時間の中でセットしてゆきます。
両側の髪を二つに束ねて耳の上で○にして美豆良にします。
髪がたらないのでウィッグでつけたします。
髪の根元で組紐を結んでリボン結びにします。
そして物忌みを取り付けて髪に結びます。
待っていたら早稲田の装束研究会のメンバーの子も助っ人でいてた!
すごくひとなつっこい子で直垂を着てました。

(1)初期汗衫(かざみ)童女・晴れの装束

汗衫とは本来単が(肌着)だった衣が表衣となって、更に長大化して公家童女の正装晴れの装束です。

円領(あげくび)、衽つき、闕腋、身二巾、袖二巾で身丈は後身曲尺1丈5尺、前身曲尺1丈2尺の長さがあります。
円領(あげくび)の汗衫を垂領(たれくび)に着け、汗衫の下は衵(あこめ・童女の表着)、五つ衣、打衣、単、白の表袴を、濃きの長い張袴の上にかさねて着付けれらていました。

平安時代初期から中期の着つけは不明ですが、現在は後期公家・装束家の「満佐須計装束抄」の姿でに再現される事が多いようです。

初期は公家男子の身なりに近く、髪もみずらを結い紐を結んで物忌の髪飾りをつけ、腰には石帯を装着していたそうですよ。

平安初期の晴れの装束実現可能か?
希望としては衵に五衣(いつつぎぬ)単、打衣と束帯につける石帯の装着が可能かどうか聞いてみる事にしました。

結果

この汗衫の特徴的な着付けはなんといっても足元です。
わざわざ濃き(紫色)長袴をはいてから上から表袴をはきます。
なんでも童女達はいろいろと貴人のお手伝いをしないといけないので動きやすくこの形式がとられたんではないでしょうか?
長袴は歩行には不向きですからね。子供はこけやすそうですし。

小袖
濃き長袴
表袴



そして

汗衫

特別にお願いして石帯を装着してもらえました。

後ろを向いてゆっくり前に向いてゆくと長い後ろ姿が印象に残りますね。
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中宮さんに唐菓子をお持ちする童女
平安時代の菓子は果物、揚げて甘葛の汁を甘味料して使用した唐菓子です。
今回は時間と準備に間に合わずほんまものの唐菓子はあきらめ、唐菓子の影響を受けて現在も菓子として食べられている物で代用しました。

煎餅
唐菓子が原型と言われ小麦粉や米の粉をこねて薄く成形し、油で焼いた菓子
奈良時代にはすでにあったといわれています。

フライパスタ
索餅に形状が似ていたので用意しました。サイズはもっと大きいそうです。
索餅は小麦粉を捏ねて茹でたものでやはり奈良時代までに伝えられたといわれています。

かりんとう
桃枝桃の枝に似ていなくもなく油で揚げているという理由で採用しました。
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折敷には大納言伊周さまから届いた薬玉を乗せて献上する童女
薬玉は端午の節句の際に贈られる邪気を払う飾り玉、中には香木を入れて周りを造花で飾り五色の紐をたらせた物です。
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桃と桜を眺めて春を楽しむ童女
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「竹取翁の物語」を夢中で読む童女
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中宮さんから下賜されたお菓子を食べながら
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薬玉を眺める童女

童女って・・・・・やばい厚かましい事この上ない!!!
でもたのしんじゃいました。

体験後、化粧を落として武蔵国・下総国詣でGO

theme : *コスプレ*
genre : サブカル

2017-01-29

「舞少納言の播磨国詣で」第四段

二ヶ月連続で播磨国詣で~~~

訪問予定になかった播磨国詣で今回締め切り直前で小野市新春十二単衣&束帯体験の募集があり、他にも予定しているし・・・・どうしようと思ったものの・・・・束帯って意外と有料体験所では高額なので・・・・
締め切りまじかだったので申しこんじゃいました。

29日をみごとGETできました!

まずは神戸経由なので寄り道してから小野市へ。
今日はかなりの早起きで早朝バスにも間に合わないの
ママチャリで最寄り駅までぶっ飛ばし~~~~

朝一風呂で体ほぐすぞ~~~お風呂!
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どこいくか散々悩みましたが、初鶴見緑地の「水春
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成分
ナトリウム ~塩化物温泉
溶存物質を含み、47℃は温泉にしては高温です。
効能
切り傷・やけど・神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・冷え性

上段は源泉かけ流し
炭酸泉、ミルキー風呂、ジェットバス、壺湯、寝湯、替わり湯いろいろ朝ぶろ最高~~~~

施設の情報は【こちら】
阪急梅田駅西宮北口経由今津線逆瀬川駅ちかのパンネル可成店へ。
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こちらの食パンは関西NO1舞的にはNO1
朝6時~開いているのも◎いろいろGET

お店の情報は【こちら】


小野市を目指します。

夙川から新開地経由小野へ。
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途中の駅でパンランチだよんN
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小野市好古館
ただいまビックひな祭り
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明治から昭和までのひな人形が飾られています。

新春十二単&束帯の着付体験

本来カップル向けですが、一人でも参加出来るので申し込みました。
小野市の歴史を紹介する施設です。
12月22日(木曜)までにハガキで結果が通知されるのですが、まァあたればラッキーくらいで思っていたので無事に体験出来て!
よかったです。

下着から用意してくれているので手ぶらでGO!楽ですなぁ。
会場には金屏が飾っていてなんか田舎の結婚披露宴会場チックな感じはしますが・・・・・・そこは御愛嬌。

今回は十二単衣と束帯でまよいましたが、十二単衣が修理中で略式十二単衣との事、なので束帯もいいかも?
と思い束帯にしました。
京都や斎宮なんかでも体験出来ますが、料金が最低でも五千五百円~二万です。
交通費別なのでやはり束帯の方がお得???
散々悩んで~~~~~

平安時代臣下の最高格式のある男子装束
(1)昼(ひの)装束 束帯
936年藤原師輔の九条殿記が初見といわれ「論語・束帯して朝に立ち、賓客と言わせるべきである。」からきているとされ、平安初期に朝服を「束帯」といわれた装束です。

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今でいう下着

下着の上に着る衣
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下襲
元々汗衫であった物が変化して袍の下に着るようになった。
裾の長さも身分によって違い好きなだけ伸ばしていいものではありませんでした。


下襲の後ろ身を長く引く衣、長いほど身分の高さを表していました。


表着色や柄は身分によって細かい違いがありましたが、色に関しては摂関時代になると四位以上が黒色となります。

下は大口袴を履き、その上に表袴を重ねて履きます。
大口袴
表袴の下にはく。

表袴
これに・帯・石帯(ベルト)・笏・冠・刀・扇・帖紙を装着します。
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移動する際は後ろの鋸を帯にたたみます。
出来上がり~~~
①藤原行成になりきる

枕草子に良く出てくる「蔵人頭(頭辨)」と呼ばれているのがこの行成です。
彼は右少将・藤原義孝の長男で祖父は摂政経験者の伊尹、祖父の準養子として育ちますが、近親者の相次ぐ死で出世街道からはずれていまいます。
青年期は恵まれませんでしたが、源 高明(醍醐天皇の皇子・道長の妻の一人明子の父)の子俊賢が蔵人頭を退任する際に行成を後任に引きたてた事で一条天皇の蔵人頭(天皇の秘書長)として頭角を現します。

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桜を愛でる伊周

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清少納言にいたずらしようと文を書いている様子
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道長に請われ書を書く様子
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座り姿は平安時代男子貴族の礼法
楽坐(らくざ)
足を組まずに足の裏と裏を密着させるように座ります

②藤原伊周になりきる

中宮定子の同母兄、父関白道隆が逝去すると道長との政争に敗れ、長徳の変(花山院襲撃事件)を起こし大宰府へ左遷されました。
後に皇太后の恩赦により許されて上洛するも、すでに朝廷での実権は道長がおさえ、甥敦康親王も最終的には皇位につけず自身の謀反容疑も度々問題視され、失意のうちに病で37歳で逝去しました。


宮の御前に、内大臣の奉り給へりけるを、「これに何を書かまし。うへの御前には、史記といふ文を書かせ給へる」などの給はせしを、「枕にこそはし侍らめ」と申ししかば、「さば得よ」とて賜はせたりし

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天皇に中宮から届けられた若菜摘みの草を献上する。
跪居
物の受け渡しを行うときの坐法で、正坐のつま先を立てて両膝を床に着け、踵の上にお尻を乗せます。
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大納言に叙目される伊周
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内大臣に叙目される伊周
亀居「いわゆるおばあちゃん座り」
平安時代では除目の時など重要な儀式の作法だそうです。

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儀式の後一条天皇に和歌を催促され手に折敷に乗った雪の梅を眺めつつ詠んでいる様子
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薬玉を中宮定子に献上する伊周




観光の情報は【こちら】

この後甲陽園の「つまがり」さんへ駆け込んで気になる生ケーキをGETします。
ケーキをGETしたら夙川駅で途中下車してパンロードへ。
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「コンセントマーケット」さんと「ブランジュリーMIYANAGA」さんへ。

コンセントマーケットの情報は【こちら】
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帰宅後のおみやの数数

今回の発見!平安時代後期の唐衣の紐なんですが、自分なりに作った物があるんですが、なんとイメージのあった紐がひな人形にドンピシャ!!
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八千代市郷土博物館平安装束体験の抽選に当たれば
2月初め 武蔵国詣で近日アップ予定

3月中旬 黒田装束店 直衣・もしくは衣冠体験アップ予定

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genre : サブカル

2017-01-13

弾くものは 琵琶

訳:弦楽器(で素敵なんわ)は琵琶でしょ・・・(そんなんきまってるやんかぁ!)

時代やさんで「細長」キャンペーン15000円
まってました!即予約~~~!


実は前年時代やさんのフェイスブックで桜の細長が本業撮影風景がアップされていたので、もしかしたら次のキャンペーンでは?と「ぜひ細長」!をとコメントしたばかりで超ラッキ~~~ってか?念力?情報収集って大切やねん。
来年で卒業の舞にはベストタイム~~~~~!
おそらくは細長体験はこれで終了
全部で4種類
のお色の細長を着ることが出来ました。

表白裏赤
表裏蘇芳
表桃裏赤
表山吹裏橙



細長は平安時代の女性装束の一つですが、実はどんな着物だったのか不明な装束

平安後期の装束解説書「満佐須計装束抄」には例の衣のあげ首なきなり
枕草子に「衣のなかに、細長はさもいひつべし。
という記述しかなくまったく詳細不明な装束ですが、装束店さんでは研究家も交えある程度の再現を行っておられます。
平安時代で「例の」とかいう表現だったようなので、平安貴族の間では説明しなくてもいいでしょ的な装束の立ち位置だったんでしょうが。下賜品や半公式装束のようだった・・・・微妙な表現

文学からも概ね
公家女子の晴れの装束と褻の装束の間の装束といえます。
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畳表層一畳分1枚・松にとまっている鳥・紙を持参し、明石の御方と玉鬘・朝顔斎院を再現しようと思います。
今回は時代やさんでしか出来ない白長袴の体験付きです。
平安時代の長袴は濃か緋色の袴なのですが、例外が白色と萱草色の長袴
白は邸を引っ越す際に着用したそうです。
緋は火と発音が同じ
緋(ひ)→火(ひ)

但し鎌倉時代にこのゲン担ぎの着用は廃れてしまい、現在では白長袴という色さえも長袴では見かけません。
他に凶事には萱草色(黄肌色という?)と言う色の長袴もあったそうです。

そして白長袴の二つ目の例外出産の時、妊婦それ以外のその場にいる全員が上から下まで白装束を着衣する時だけ履くのが白長袴の着用例です。

今回は明石の御方は時代やさんで裳の装着が出来ないので女楽の出席する前の予行演習をしているという場面を再現します。
かつ長袴が白色なので・・・・・・ちょっと変ですが、それはそれ・・・・大目に見てねぇ
六条院転居後・・・・・・?設定時期に無理が・・・・・・無理があるかな・・・・・・・無理だらけ!

では出発~~~阪急梅田から河原町行き桂経由嵐山行き時代やさんへGO
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朝のモーニングはシナモンロール

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あったかい日が多かったか嵐山ではぽつりぽつりと梅が咲いています。
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さざんかは終わりがけ
京町屋の1軒屋が時代やさんのスタジオです。

スタッフさんに案内されて2階の受付へ
撮影の打ち合わせをしてから前日に購入した堺一心堂さんの和菓子をおもたせで、お渡ししてから白小袖に着替えて1階の化粧室へ。
水化粧の始まり~~~真っ白白~~~平安時代から江戸時代貴族(公家・江戸時代には武家の女性も含む)は顔を真っ白にしていました。
白=美だったんですね。
でもその白粉には秘密が実はその材料に鉛を配合されていたんです。
鉛中毒により、胃腸病、脳病、神経麻痺を引き起こし場合によっては死に至ったんですね。
江戸時代の大奥では乳母は乳首にも白粉を塗っていたのでそりゃ将軍候補は病弱だったのも納得~~まあ今は平安時代の話ですよん。
まさに美は命がけだったんです。現在の白粉は概ね粉白粉は、カオリン、タルク、炭酸マグネシウム、酸化亜鉛、コーンスターチ、澱粉などを粉末状カの成分で出来ているのでOK
大分昔増上寺の改修工事に伴い、徳川家霊廟の御遺体を調査した事があってその時に歴代将軍の御台所、将軍生母や姫君達の体から鉛の成分がかなり多めに測定出来たという逸話があります。それくらいに鉛は体にたまるんですね。怖いです。

まず最初におことわり、以下添付の写真は各過去の平安装束体験の物を使用していますので!

晴れと褻の間の装束
公家女子細長姿


小袖を着て白袴

上から単(肌着)
赤色 文様・幸菱
平安時代のあお色は濃い緑をいいます。
これは現代でも青紅葉や青青したという表現に残っています。

五つ衣
萌黄色襲ね・梅紋

平安時代末期の院政時代(白河院から後白河院くらいまで)頃には三つ小袖・二つ小袖の着衣したと文献にあります。

打衣(平安時代の装束は萎装束だったので重ねる際に衣を整える為に装着した衣・叩いて光沢を出すのでこの名があるそうです)


袿(表着)
二陪織物
地紋織物の経(たて)糸と緯(ぬき)糸に、異なる色糸を使用して織りあげた織物
雲立涌 文様は?


細長山吹色
文様撫子
こちらは玉鬘の正月の衣装合わせで源氏が選んだ色「山吹色」で再現されています。
文様が撫子なのは玉鬘の母「夕顔の君」が源氏から撫子のようといわれたのに由来するのかな?
素敵~~~

以上の構成で出来上がり
玉鬘は10代ですから袿を少し控えめな色にしたつもりです。

下に畳表層をひかせてもらい前に琵琶、松の枝、重箱、扇を広げてもらいます。これでセッティングがOK

①明石の御方とは源氏物語に登場する源氏の妻の一人

二人の出会いの物語は源氏が朧月夜君と関係した事が右大臣(朧月夜君の父)朱雀帝(源氏の異母兄弟・朧月夜君を寵愛している)の生母(弘微殿皇太后)にばれた事で始まります。

父院が崩御して後見人がなくなった源氏は冷泉帝(源氏の実子・表向きは異母兄弟)への冷遇を危惧して、官位を返上して都を離れ須磨に隠棲した事がきっかけでした。
その際に明石入道という元受領と知りあい、源氏は明石で隠棲します。

明石入道は源氏の母の従兄妹(明石の君と源氏は又従兄妹にあたります)で自分の娘(明石の君)はいずれは高貴な人物の妻に、その間に誕生した女子が中宮になる定めを信じ、少将の地位を自ら返上して受領として過ごし蓄財を貯めていました。

桐壺の更衣の御腹の、源氏の光る君こそ、朝廷の御かしこまりにて、須磨の浦に ものしたまふなれ。 吾子の御宿世にて、 おぼえぬことのあるなり。いかでかかるついでに、 この君にをたてまつらむ」
え知りたまはじ。思ふ心ことなり。さる心をしたまへ。ついでして、ここにもおはしまさせむ」

罪に当たることは、唐土にも我が朝廷にも、かく世にすぐれ、 何ごとも人にことになりぬる人の、かならずあることなり。いかにものしたまふ君ぞ。 故母御息所は、おのが叔父にものしたまひし按察使大納言の娘なり。いとかうざくなる名をとりて、宮仕へに出だしたまへりしに、国王すぐれて時めかしたまふこと、並びなかりけるほどに、人の嫉み重くて亡せたまひにしかど、この君のとまりたまへる、いとめでたしかし。女は心高くつかふべきものなり。おのれ、かかる田舎人なりとて、思し捨てじ」

明石入道が源氏を婿に考えているのを正妻に語る場面

当時の貴族社会では財力が全ていくら高貴な身分に生まれても財力がなければ苦しい生活を強いられていました。
明石の入道はいずれ中宮を産む事になる娘の将来の為に財力を得る為、あえて受領という中流貴族へと歩ゆんだとのでした。

入道は亡院の息子源氏が須磨にいる事を知り、娘婿にという心ずもりで明石へ迎えます。
やがて源氏に娘を逢い引きさせ、二人は明石で逢瀬を重ね明石の君は源氏待望の女子を妊娠します。

そのころは、夜離れなく語らひたまふ。 六月ばかりより心苦しきけしきありて悩みけり
明石の君が妊娠します。

都では朱雀天皇が目の病に苦しみ、母后も病にふせってしまいます。
それを父院の怒りにふれたと考えた朱雀天皇は源氏を京へ召す事宣旨を下します。
朱雀天皇から京へ上る宣旨を受け源氏は上京、大納言に出世し息子冷泉帝が即位し宮廷での地位を固めてゆきます。

その一方明石の君は不安の中娘を出産します。

十六日になむ。女にて、たひらかにものしたまふ
明石の姫君誕生

その後明石の君は姫と共に都に近い大井川にあった母方の宮家の別荘を改築して住まい、娘明石の姫君を紫の上に託した後、源氏の君の六条院の冬の御殿に居住しました。

昔、 母君の御祖父、中務宮と聞こえけるが領じたまひける所、大堰川のわたりにありけるを、その御後、はかばかしうあひ継ぐ人もなくて、年ごろ荒れまどふを思ひ出でて、かの時より伝はりて 宿守のやうにてある人を呼び取りて語らふ。
忍びやかに、御前疎きは混ぜで、 御心づかひして渡りたまひぬ。たそかれ時におはし着きたり。狩の御衣に やつれたまへりしだに世に知らぬ心地せしを、まして、さる御心してひきつくろひたまへる御直衣姿、世になくなまめかしうまばゆき心地すれば、思ひむせべる心の闇も晴るるやうなり。
明石の君のために別荘を用意する入道

姫君は、何心もなく、 御車に乗らむことを急ぎたまふ。寄せたる所に、 母君みづから抱きて出でたまへり。片言の、声はいとうつくしうて、袖をとらへて、「 乗りたまへ」と引くも、いみじうおぼえて、
源氏の屋敷に引き取られる明石の君が姫君と別れる場面

大堰の御方は、「 かう方々の御移ろひ定まりて、数ならぬ人は、いつとなく紛らはさむ」と思して、 神無月になむ渡りたまひける。御しつらひ、ことのありさま劣らずして、 渡したてまつりたまふ。 姫君の御ためを思せば、おほかたの作法も、けぢめこよなからず、いとものものしくもてなさせたまへり。

源氏は明石の御方を六条院に向かえ、皆よりもあとに入る場面
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六条院入りした明石の御方
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明石の姫君への和歌をしたためる明石の御方
明石の姫君に贈る御用松に鶯の鳥の造り物を手にする明石の御方
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年月を松にひかれて経る人に今日鴬の初音聞かせよ音せぬ里の

姫君の御方に渡りたまへれば、童女、下仕へなど、御前の山の小松引き遊ぶ。若き人びとの心地ども、おきどころなく見ゆ。 北の御殿より、わざとがましくし集めたる鬚籠ども、破籠などたてまつれたまへり。 えならぬ五葉の枝に移る鴬も、 思ふ心あらむかし。


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と聞こえたまへるを、「げに、あはれ」と思し知る。言忌もえしあへたまはぬけしきなり。
この御返りは、みづから聞こえたまへ。初音惜しみたまふべき方にもあらずかし」
とて、御硯取りまかなひ、書かせたてまつりたまふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見たてまつる人だに、飽かず思ひきこゆる御ありさまを、今までおぼつかなき年月の隔たりにけるも、「 罪得がましう、心苦し」と思す。

ひき別れ年は経れども鴬の巣立ちし松の根を忘れめや

幼き御心にまかせて、くだくだしくぞあめる。
親子の名乗りをしない時の正月の和歌のやり取りの場面

梅の花 咲ける岡辺に家しあれば乏しくもあらず鶯の声

珍しや花のねぐらに木づたひて谷の古巣をとへる鶯



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こなたより、やがて北に通りて、明石の御方を見やりたまへば、はかばかしき家司だつ人なども見えず、馴れたる下仕ひどもぞ、草の中にまじりて歩く。童女など、をかしき衵姿うちとけて、心とどめ取り分き植ゑたまふ龍胆、朝顔のはひまじれる籬も、みな散り乱れたるを、 とかく引き出で尋ぬるなるべし。
もののあはれにおぼえけるままに、箏の琴を掻きまさぐりつつ、端近うゐたまへるに、御前駆追ふ声のしければ、うちとけ萎えばめる姿に、小袿ひき落として、けぢめ見せたる、 いといたし。端の方についゐたまひて、風の騷ぎばかりをとぶらひたまひて、つれなく立ち帰りたまふ、 心やましげなり。

おほかたに荻の葉過ぐる風の音も憂き身ひとつにしむ心地して」

野分(台風)の到来で明石の御方の冬の御殿にお見舞いにくる源氏と逢う場面

いとうつくしげに、雛のやうなる御ありさまを、夢の心地して見たてまつるにも、涙のみとどまらぬは、 一つものとぞ見えざりける。年ごろよろづに嘆き沈み、さまざま憂き身と思ひ屈しつる命も延べまほしう、はればれしきにつけて、まことに住吉の神もおろかならず思ひ知らる。

娘明石の姫君の入内時には私的な女房(ただの女房というのではなく女房達の長的な立場)として宮中へ入る。

親子の名乗りもすませ果たした後は他の妻達とは一歩引きます。

かかる御あたりに、明石はけ圧さるべきを、いとさしもあらず、 もてなしなどけしきばみ恥づかしく、心の底ゆかしきさまして、そこはかとなくあてになまめかしく見ゆ。

柳の織物の細長、萌黄にやあらむ、小袿着て、羅の裳のはかなげなる引きかけて、ことさら卑下したれど、けはひ、思ひなしも、心にくくあなづらはしからず。

この時の明石の御方の姿は細長の色は表が白、裏が青(現在の緑色)小袿は萌黄色、そして裳をつけています。

高麗の青地の錦の端さしたる茵に、まほにもゐで、琵琶をうち置きて、ただけしきばかり弾きかけて、たをやかに使ひなしたる撥のもてなし、音を聞くよりも、またありがたくなつかしくて、 五月待つ花橘、花も実も具しておし折れる薫りおぼゆ。


持参の琵琶は楽琵琶ではなく小ぶりな琵琶、しかも撥がなくキッチン用品で代用しています。
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朱雀院の五十賀を祝う為に女楽の予行演習している明石の御方

琵琶の御琴をただざまにもたせ給へり
訳(お顔を見られない様になぁ)宮さまが琵琶を立てるようになぁ~~~持ってはんねん。

細長 表黄色・裏蜜柑色
小袿 青丹色


三月の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなども、うららかにものおもしろく、 仏のおはすなる所のありさま、遠からず思ひやられて、ことなり。深き心もなき人さへ、罪を失ひつべし。 薪こる讃嘆の声も 、 そこら集ひたる響き、おどろおどろしきを、うち休みて 静まりたるほどだにあはれに思さるるを、 まして、このころとなりては、何ごとにつけても、心細くのみ思し知る。 明石の御方に、三の宮して、聞こえたまへる。

惜しからぬこの身ながらもかぎりとて
   薪尽きなむことの悲しさ

御返り、心細き筋は、後の聞こえも心後れたるわざにや、そこはかとなくぞあめる。
薪こる思ひは今日を初めにて
   この世に願ふ法ぞはるけき
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紫の上へ返歌を贈る明石の御方

とて、しばらくはこなたにおはすれば、明石の御方も渡りたまひて、心深げにしづまりたる御物語ども聞こえ交はしたまふ。
死期をさとった紫の上は源氏の薦めもあり法要を行い六条院で源氏縁の夫人達と最後の交流を行います。


二の条院とて、造り磨き、六条の院の春の御殿とて、 世にののしる玉の台も、 ただ一人の御末のためなりけり、と見えて、明石の御方は、あまたの宮たちの御後見をしつつ、扱ひきこえたまへり

孫の内親王や親王の後見役として宮中で過ごして安穏な宮中生活を送りました。



②玉鬘

頭中将(後の内大臣)と夕顔の間に出来た一人娘、内大臣の夢見で出てきた娘
家女房の右近を通じ初瀬詣でで再び瑠璃姫と巡りあう。
源氏物語中本名が出てくる女性で源氏は花散里の御方の養女として六条院へ向かい入れる。

十月にぞ渡りたまふ。
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六条院入りする玉鬘

御車三つばかりして、人の姿どもなど、右近あれば、田舎びず仕立てたり。殿よりぞ、綾、何くれとたてまつれたまへる。
その夜、やがて大臣の君渡りたまへり。昔、 光る源氏などいふ御名は、聞きわたりたてまつりしかど、 年ごろのうひうひしさに、さしも思ひきこえざりけるを、ほのかなる大殿油に、御几帳のほころびより はつかに見たてまつる、いとど恐ろしくさへぞ おぼゆるや

くもりなく赤き山吹(やまぶき)の花の細長は かのにしの對にたてまつれ給ふをうへは見ぬやうにておぼしあはす

ふと見えて、山吹にもてはやしたまへる御容貌など、いとはなやかに、 ここぞ曇れると見ゆるところなく、隈なく匂ひきらきらしく、見まほしきさまぞしたまへる。

三日の夜の御消息ども
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黒髭大将の妻となり心ならず三日夜の餅を食すゆうつな玉鬘

やうやう、こまやかなる御物語になりて、近き御脇息に寄りかかりて、すこしのぞきつつ、聞こえたまふ。 いとをかしげに面痩せ たまへるさまの、見まほしう、 らうたいことの添ひたまへるにつけても、「 よそに見放つも、あまりなる心のすさびぞかし」と 口惜し。

みつせ川渡らぬさきにいかでなほ涙の澪の泡と消えなむ

結婚後に源氏を迎える玉鬘が詠んだ和歌

なほ、 かの、ありがたかりし御心おきてを、かたがたにつけて思ひしみたまへる御ことぞ、 忘られざりける。
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黒髭大将邸で源氏を懐かしむ玉鬘

さすがに年齢的に玉鬘気取るのはどうかと・・・・・・。少なめにします・・・・・・・・。


③朝顔の斎院

朝顔斎院(桐壺院の弟宮の正妻腹姫君)は若い頃から源氏と親しく文を交わした従兄妹朱雀帝治世から賀茂斎院となり、父宮の死去で実家に戻った後、源氏に求婚されるも、拒ばみ結婚せずに出家した。

つれなさを昔に懲りぬ心こそ人のつらきに添へてつらけれ

あらためて何かは見えむ人のうへにかかりと聞きし心変はりを
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細長をはずして袿を軽く白小袖から外しぎみに源氏の求婚を断り退席する朝顔斎院
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時代やさんを大覚寺方面に行く右手にフレンチのお店があったのでそこでパンを購入する事にした。
元々東京にあったお店Le Bouchon Tournesol
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お店の情報は【こちら】
変身後は桂川ベリでパンランチ~~~~~
持参のコーヒーとサラダと共にパンヂュースのパン達~
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ん~~~もうひと頑張り~~~
腹パンの後は

時雨殿で平安装束を体験します。

藤原定家が百人一首を編纂した小倉山の麓に出来た小倉百人一首を紹介している施設です。

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平安時代装束体験
「狩衣」姿
狩衣はその名の通り、平安貴族の外出着または普段着
普段成人男子貴族達は直衣姿で頭に何を被るかでTPOを分けていました。
この狩衣はまさにカジュアル着です。



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歌仙人形
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夢舞台
百人一首の歌をテーマとして、歌が詠まれた時代を象徴する装束や調度品、生活風俗を4分の1のサイズで緻密に再現しています。


楽し詣での後はお土産あさり~~~楽しうれしの京草子良彌内の土井の志ば漬本舗さんレストラン嵐山でブラブラ~~~
楽し詣で完了

theme : *コスプレ*
genre : サブカル

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Author:mai syonagon
京都好き、歴史好き、ショッピング好き、温泉好き、グルメ好き。
凝り性な乙女座、A型、金星人、六白金星なわたしです。

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