弾くものは 琵琶

訳:弦楽器(で素敵なんわ)は琵琶でしょ・・・(そんなんきまってるやんかぁ!)

時代やさんで「細長」キャンペーン15000円
まってました!即予約~~~!


実は前年時代やさんのフェイスブックで桜の細長が本業撮影風景がアップされていたので、もしかしたら次のキャンペーンでは?と「ぜひ細長」!をとコメントしたばかりで超ラッキ~~~ってか?念力?情報収集って大切やねん。
来年で卒業の舞にはベストタイム~~~~~!
おそらくは細長体験はこれで終了
全部で4種類
のお色の細長を着ることが出来ました。

表白裏赤
表裏蘇芳
表桃裏赤
表山吹裏橙



細長は平安時代の女性装束の一つですが、実はどんな着物だったのか不明な装束

平安後期の装束解説書「満佐須計装束抄」には例の衣のあげ首なきなり
枕草子に「衣のなかに、細長はさもいひつべし。
という記述しかなくまったく詳細不明な装束ですが、装束店さんでは研究家も交えある程度の再現を行っておられます。
平安時代で「例の」とかいう表現だったようなので、平安貴族の間では説明しなくてもいいでしょ的な装束の立ち位置だったんでしょうが。下賜品や半公式装束のようだった・・・・微妙な表現

文学からも概ね
公家女子の晴れの装束と褻の装束の間の装束といえます。
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畳表層一畳分1枚・松にとまっている鳥・紙を持参し、明石の御方と玉鬘・朝顔斎院を再現しようと思います。
今回は時代やさんでしか出来ない白長袴の体験付きです。
平安時代の長袴は濃か緋色の袴なのですが、例外が白色と萱草色の長袴
白は邸を引っ越す際に着用したそうです。
緋は火と発音が同じ
緋(ひ)→火(ひ)

但し鎌倉時代にこのゲン担ぎの着用は廃れてしまい、現在では白長袴という色さえも長袴では見かけません。
他に凶事には萱草色(黄肌色という?)と言う色の長袴もあったそうです。

そして白長袴の二つ目の例外出産の時、妊婦それ以外のその場にいる全員が上から下まで白装束を着衣する時だけ履くのが白長袴の着用例です。

今回は明石の御方は時代やさんで裳の装着が出来ないので女楽の出席する前の予行演習をしているという場面を再現します。
かつ長袴が白色なので・・・・・・ちょっと変ですが、それはそれ・・・・大目に見てねぇ
六条院転居後・・・・・・?設定時期に無理が・・・・・・無理があるかな・・・・・・・無理だらけ!

では出発~~~阪急梅田から河原町行き桂経由嵐山行き時代やさんへGO
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朝のモーニングはシナモンロール

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あったかい日が多かったか嵐山ではぽつりぽつりと梅が咲いています。
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さざんかは終わりがけ
京町屋の1軒屋が時代やさんのスタジオです。

スタッフさんに案内されて2階の受付へ
撮影の打ち合わせをしてから前日に購入した堺一心堂さんの和菓子をおもたせで、お渡ししてから白小袖に着替えて1階の化粧室へ。
水化粧の始まり~~~真っ白白~~~平安時代から江戸時代貴族(公家・江戸時代には武家の女性も含む)は顔を真っ白にしていました。
白=美だったんですね。
でもその白粉には秘密が実はその材料に鉛を配合されていたんです。
鉛中毒により、胃腸病、脳病、神経麻痺を引き起こし場合によっては死に至ったんですね。
江戸時代の大奥では乳母は乳首にも白粉を塗っていたのでそりゃ将軍候補は病弱だったのも納得~~まあ今は平安時代の話ですよん。
まさに美は命がけだったんです。現在の白粉は概ね粉白粉は、カオリン、タルク、炭酸マグネシウム、酸化亜鉛、コーンスターチ、澱粉などを粉末状カの成分で出来ているのでOK
大分昔増上寺の改修工事に伴い、徳川家霊廟の御遺体を調査した事があってその時に歴代将軍の御台所、将軍生母や姫君達の体から鉛の成分がかなり多めに測定出来たという逸話があります。それくらいに鉛は体にたまるんですね。怖いです。

まず最初におことわり、以下添付の写真は各過去の平安装束体験の物を使用していますので!

晴れと褻の間の装束
公家女子細長姿


小袖を着て白袴

上から単(肌着)
赤色 文様・幸菱
平安時代のあお色は濃い緑をいいます。
これは現代でも青紅葉や青青したという表現に残っています。

五つ衣
萌黄色襲ね・梅紋

平安時代末期の院政時代(白河院から後白河院くらいまで)頃には三つ小袖・二つ小袖の着衣したと文献にあります。

打衣(平安時代の装束は萎装束だったので重ねる際に衣を整える為に装着した衣・叩いて光沢を出すのでこの名があるそうです)


袿(表着)
二陪織物
地紋織物の経(たて)糸と緯(ぬき)糸に、異なる色糸を使用して織りあげた織物
雲立涌 文様は?


細長山吹色
文様撫子
こちらは玉鬘の正月の衣装合わせで源氏が選んだ色「山吹色」で再現されています。
文様が撫子なのは玉鬘の母「夕顔の君」が源氏から撫子のようといわれたのに由来するのかな?
素敵~~~

以上の構成で出来上がり
玉鬘は10代ですから袿を少し控えめな色にしたつもりです。

下に畳表層をひかせてもらい前に琵琶、松の枝、重箱、扇を広げてもらいます。これでセッティングがOK

①明石の御方とは源氏物語に登場する源氏の妻の一人

二人の出会いの物語は源氏が朧月夜君と関係した事が右大臣(朧月夜君の父)朱雀帝(源氏の異母兄弟・朧月夜君を寵愛している)の生母(弘微殿皇太后)にばれた事で始まります。

父院が崩御して後見人がなくなった源氏は冷泉帝(源氏の実子・表向きは異母兄弟)への冷遇を危惧して、官位を返上して都を離れ須磨に隠棲した事がきっかけでした。
その際に明石入道という元受領と知りあい、源氏は明石で隠棲します。

明石入道は源氏の母の従兄妹(明石の君と源氏は又従兄妹にあたります)で自分の娘(明石の君)はいずれは高貴な人物の妻に、その間に誕生した女子が中宮になる定めを信じ、少将の地位を自ら返上して受領として過ごし蓄財を貯めていました。

桐壺の更衣の御腹の、源氏の光る君こそ、朝廷の御かしこまりにて、須磨の浦に ものしたまふなれ。 吾子の御宿世にて、 おぼえぬことのあるなり。いかでかかるついでに、 この君にをたてまつらむ」
え知りたまはじ。思ふ心ことなり。さる心をしたまへ。ついでして、ここにもおはしまさせむ」

罪に当たることは、唐土にも我が朝廷にも、かく世にすぐれ、 何ごとも人にことになりぬる人の、かならずあることなり。いかにものしたまふ君ぞ。 故母御息所は、おのが叔父にものしたまひし按察使大納言の娘なり。いとかうざくなる名をとりて、宮仕へに出だしたまへりしに、国王すぐれて時めかしたまふこと、並びなかりけるほどに、人の嫉み重くて亡せたまひにしかど、この君のとまりたまへる、いとめでたしかし。女は心高くつかふべきものなり。おのれ、かかる田舎人なりとて、思し捨てじ」

明石入道が源氏を婿に考えているのを正妻に語る場面

当時の貴族社会では財力が全ていくら高貴な身分に生まれても財力がなければ苦しい生活を強いられていました。
明石の入道はいずれ中宮を産む事になる娘の将来の為に財力を得る為、あえて受領という中流貴族へと歩ゆんだとのでした。

入道は亡院の息子源氏が須磨にいる事を知り、娘婿にという心ずもりで明石へ迎えます。
やがて源氏に娘を逢い引きさせ、二人は明石で逢瀬を重ね明石の君は源氏待望の女子を妊娠します。

そのころは、夜離れなく語らひたまふ。 六月ばかりより心苦しきけしきありて悩みけり
明石の君が妊娠します。

都では朱雀天皇が目の病に苦しみ、母后も病にふせってしまいます。
それを父院の怒りにふれたと考えた朱雀天皇は源氏を京へ召す事宣旨を下します。
朱雀天皇から京へ上る宣旨を受け源氏は上京、大納言に出世し息子冷泉帝が即位し宮廷での地位を固めてゆきます。

その一方明石の君は不安の中娘を出産します。

十六日になむ。女にて、たひらかにものしたまふ
明石の姫君誕生

その後明石の君は姫と共に都に近い大井川にあった母方の宮家の別荘を改築して住まい、娘明石の姫君を紫の上に託した後、源氏の君の六条院の冬の御殿に居住しました。

昔、 母君の御祖父、中務宮と聞こえけるが領じたまひける所、大堰川のわたりにありけるを、その御後、はかばかしうあひ継ぐ人もなくて、年ごろ荒れまどふを思ひ出でて、かの時より伝はりて 宿守のやうにてある人を呼び取りて語らふ。
忍びやかに、御前疎きは混ぜで、 御心づかひして渡りたまひぬ。たそかれ時におはし着きたり。狩の御衣に やつれたまへりしだに世に知らぬ心地せしを、まして、さる御心してひきつくろひたまへる御直衣姿、世になくなまめかしうまばゆき心地すれば、思ひむせべる心の闇も晴るるやうなり。
明石の君のために別荘を用意する入道

姫君は、何心もなく、 御車に乗らむことを急ぎたまふ。寄せたる所に、 母君みづから抱きて出でたまへり。片言の、声はいとうつくしうて、袖をとらへて、「 乗りたまへ」と引くも、いみじうおぼえて、
源氏の屋敷に引き取られる明石の君が姫君と別れる場面

大堰の御方は、「 かう方々の御移ろひ定まりて、数ならぬ人は、いつとなく紛らはさむ」と思して、 神無月になむ渡りたまひける。御しつらひ、ことのありさま劣らずして、 渡したてまつりたまふ。 姫君の御ためを思せば、おほかたの作法も、けぢめこよなからず、いとものものしくもてなさせたまへり。

源氏は明石の御方を六条院に向かえ、皆よりもあとに入る場面
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六条院入りした明石の御方
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明石の姫君への和歌をしたためる明石の御方
明石の姫君に贈る御用松に鶯の鳥の造り物を手にする明石の御方
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年月を松にひかれて経る人に今日鴬の初音聞かせよ音せぬ里の

姫君の御方に渡りたまへれば、童女、下仕へなど、御前の山の小松引き遊ぶ。若き人びとの心地ども、おきどころなく見ゆ。 北の御殿より、わざとがましくし集めたる鬚籠ども、破籠などたてまつれたまへり。 えならぬ五葉の枝に移る鴬も、 思ふ心あらむかし。


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と聞こえたまへるを、「げに、あはれ」と思し知る。言忌もえしあへたまはぬけしきなり。
この御返りは、みづから聞こえたまへ。初音惜しみたまふべき方にもあらずかし」
とて、御硯取りまかなひ、書かせたてまつりたまふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見たてまつる人だに、飽かず思ひきこゆる御ありさまを、今までおぼつかなき年月の隔たりにけるも、「 罪得がましう、心苦し」と思す。

ひき別れ年は経れども鴬の巣立ちし松の根を忘れめや

幼き御心にまかせて、くだくだしくぞあめる。
親子の名乗りをしない時の正月の和歌のやり取りの場面

梅の花 咲ける岡辺に家しあれば乏しくもあらず鶯の声

珍しや花のねぐらに木づたひて谷の古巣をとへる鶯



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こなたより、やがて北に通りて、明石の御方を見やりたまへば、はかばかしき家司だつ人なども見えず、馴れたる下仕ひどもぞ、草の中にまじりて歩く。童女など、をかしき衵姿うちとけて、心とどめ取り分き植ゑたまふ龍胆、朝顔のはひまじれる籬も、みな散り乱れたるを、 とかく引き出で尋ぬるなるべし。
もののあはれにおぼえけるままに、箏の琴を掻きまさぐりつつ、端近うゐたまへるに、御前駆追ふ声のしければ、うちとけ萎えばめる姿に、小袿ひき落として、けぢめ見せたる、 いといたし。端の方についゐたまひて、風の騷ぎばかりをとぶらひたまひて、つれなく立ち帰りたまふ、 心やましげなり。

おほかたに荻の葉過ぐる風の音も憂き身ひとつにしむ心地して」

野分(台風)の到来で明石の御方の冬の御殿にお見舞いにくる源氏と逢う場面

いとうつくしげに、雛のやうなる御ありさまを、夢の心地して見たてまつるにも、涙のみとどまらぬは、 一つものとぞ見えざりける。年ごろよろづに嘆き沈み、さまざま憂き身と思ひ屈しつる命も延べまほしう、はればれしきにつけて、まことに住吉の神もおろかならず思ひ知らる。

娘明石の姫君の入内時には私的な女房(ただの女房というのではなく女房達の長的な立場)として宮中へ入る。

親子の名乗りもすませ果たした後は他の妻達とは一歩引きます。

かかる御あたりに、明石はけ圧さるべきを、いとさしもあらず、 もてなしなどけしきばみ恥づかしく、心の底ゆかしきさまして、そこはかとなくあてになまめかしく見ゆ。

柳の織物の細長、萌黄にやあらむ、小袿着て、羅の裳のはかなげなる引きかけて、ことさら卑下したれど、けはひ、思ひなしも、心にくくあなづらはしからず。

この時の明石の御方の姿は細長の色は表が白、裏が青(現在の緑色)小袿は萌黄色、そして裳をつけています。

高麗の青地の錦の端さしたる茵に、まほにもゐで、琵琶をうち置きて、ただけしきばかり弾きかけて、たをやかに使ひなしたる撥のもてなし、音を聞くよりも、またありがたくなつかしくて、 五月待つ花橘、花も実も具しておし折れる薫りおぼゆ。


持参の琵琶は楽琵琶ではなく小ぶりな琵琶、しかも撥がなくキッチン用品で代用しています。
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朱雀院の五十賀を祝う為に女楽の予行演習している明石の御方

琵琶の御琴をただざまにもたせ給へり
訳(お顔を見られない様になぁ)宮さまが琵琶を立てるようになぁ~~~持ってはんねん。

細長 表黄色・裏蜜柑色
小袿 青丹色


三月の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなども、うららかにものおもしろく、 仏のおはすなる所のありさま、遠からず思ひやられて、ことなり。深き心もなき人さへ、罪を失ひつべし。 薪こる讃嘆の声も 、 そこら集ひたる響き、おどろおどろしきを、うち休みて 静まりたるほどだにあはれに思さるるを、 まして、このころとなりては、何ごとにつけても、心細くのみ思し知る。 明石の御方に、三の宮して、聞こえたまへる。

惜しからぬこの身ながらもかぎりとて
   薪尽きなむことの悲しさ

御返り、心細き筋は、後の聞こえも心後れたるわざにや、そこはかとなくぞあめる。
薪こる思ひは今日を初めにて
   この世に願ふ法ぞはるけき
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紫の上へ返歌を贈る明石の御方

とて、しばらくはこなたにおはすれば、明石の御方も渡りたまひて、心深げにしづまりたる御物語ども聞こえ交はしたまふ。
死期をさとった紫の上は源氏の薦めもあり法要を行い六条院で源氏縁の夫人達と最後の交流を行います。


二の条院とて、造り磨き、六条の院の春の御殿とて、 世にののしる玉の台も、 ただ一人の御末のためなりけり、と見えて、明石の御方は、あまたの宮たちの御後見をしつつ、扱ひきこえたまへり

孫の内親王や親王の後見役として宮中で過ごして安穏な宮中生活を送りました。



②玉鬘

頭中将(後の内大臣)と夕顔の間に出来た一人娘、内大臣の夢見で出てきた娘
家女房の右近を通じ初瀬詣でで再び瑠璃姫と巡りあう。
源氏物語中本名が出てくる女性で源氏は花散里の御方の養女として六条院へ向かい入れる。

十月にぞ渡りたまふ。
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六条院入りする玉鬘

御車三つばかりして、人の姿どもなど、右近あれば、田舎びず仕立てたり。殿よりぞ、綾、何くれとたてまつれたまへる。
その夜、やがて大臣の君渡りたまへり。昔、 光る源氏などいふ御名は、聞きわたりたてまつりしかど、 年ごろのうひうひしさに、さしも思ひきこえざりけるを、ほのかなる大殿油に、御几帳のほころびより はつかに見たてまつる、いとど恐ろしくさへぞ おぼゆるや

くもりなく赤き山吹(やまぶき)の花の細長は かのにしの對にたてまつれ給ふをうへは見ぬやうにておぼしあはす

ふと見えて、山吹にもてはやしたまへる御容貌など、いとはなやかに、 ここぞ曇れると見ゆるところなく、隈なく匂ひきらきらしく、見まほしきさまぞしたまへる。

三日の夜の御消息ども
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黒髭大将の妻となり心ならず三日夜の餅を食すゆうつな玉鬘

やうやう、こまやかなる御物語になりて、近き御脇息に寄りかかりて、すこしのぞきつつ、聞こえたまふ。 いとをかしげに面痩せ たまへるさまの、見まほしう、 らうたいことの添ひたまへるにつけても、「 よそに見放つも、あまりなる心のすさびぞかし」と 口惜し。

みつせ川渡らぬさきにいかでなほ涙の澪の泡と消えなむ

結婚後に源氏を迎える玉鬘が詠んだ和歌

なほ、 かの、ありがたかりし御心おきてを、かたがたにつけて思ひしみたまへる御ことぞ、 忘られざりける。
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黒髭大将邸で源氏を懐かしむ玉鬘

さすがに年齢的に玉鬘気取るのはどうかと・・・・・・。少なめにします・・・・・・・・。


③朝顔の斎院

朝顔斎院(桐壺院の弟宮の正妻腹姫君)は若い頃から源氏と親しく文を交わした従兄妹朱雀帝治世から賀茂斎院となり、父宮の死去で実家に戻った後、源氏に求婚されるも、拒ばみ結婚せずに出家した。

つれなさを昔に懲りぬ心こそ人のつらきに添へてつらけれ

あらためて何かは見えむ人のうへにかかりと聞きし心変はりを
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細長をはずして袿を軽く白小袖から外しぎみに源氏の求婚を断り退席する朝顔斎院
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時代やさんを大覚寺方面に行く右手にフレンチのお店があったのでそこでパンを購入する事にした。
元々東京にあったお店Le Bouchon Tournesol
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お店の情報は【こちら】
変身後は桂川ベリでパンランチ~~~~~
持参のコーヒーとサラダと共にパンヂュースのパン達~
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ん~~~もうひと頑張り~~~
腹パンの後は

時雨殿で平安装束を体験します。

藤原定家が百人一首を編纂した小倉山の麓に出来た小倉百人一首を紹介している施設です。

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平安時代装束体験
「狩衣」姿
狩衣はその名の通り、平安貴族の外出着または普段着
普段成人男子貴族達は直衣姿で頭に何を被るかでTPOを分けていました。
この狩衣はまさにカジュアル着です。



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歌仙人形
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夢舞台
百人一首の歌をテーマとして、歌が詠まれた時代を象徴する装束や調度品、生活風俗を4分の1のサイズで緻密に再現しています。


楽し詣での後はお土産あさり~~~楽しうれしの京草子良彌内の土井の志ば漬本舗さんレストラン嵐山でブラブラ~~~
楽し詣で完了

七日は、雪間の若菜青やかに摘み出でつつ

訳:1月7日(旧暦)は雪の間に顔を出してる若い青青した若い草を摘みながらなぁ~~~


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若菜摘みの籠・筆・雪の降り積もった梅・卯槌・鶯がとまっている松・文
さあどうゆうふうに使用するのか?

初詣が許される季節に伊勢を訪問します。
今回のいつきの宮歴史体験館で平安装束体験するにあたり、小物をお正月向けにセレクトしました。


初詣で

宮使いを終えて夜に電車で深夜近く伊勢市に到着しました。
駅から6分で今日の宿「風見荘」さんへ。
築80年以上の歴史を持つ旅館をオーナーさんが大改装されたレトロ&手作り感満載の宿です。
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明日は早朝にゆっくり伊勢内宮を参拝するために前泊しました。
女性専用の大部屋でベットだけ

お宿の情報は【こちら】


翌日朝起きて~~~
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今日は人日の節句この日に七種の草の汁に指を漬けてから爪を切ると一年風邪をひかないという縁起担ぎがあるそうです。
やってみました!
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お宿で家から持ち込んだ食材で朝食をクッキング

卵焼きを焼いて~~しゃけをチンして~~~
今日は1月7日そう「春の七草粥」を食べる日

お正月で食べまくった胃を休ませてあげるためとかよく聞きますが

そもそも1月7日は人日の節句

節句とは季節の変わり目3月3日・5月5日・7月7日・9月9日奇数月の数字が並ぶ日
季節の変わり目が大病しやすい事からその日に邪気を払うと無病息災でいられると考えられていました。
さてでも1月7日は奇数月ですが数字が揃うのは1月1日でしょ?で??何故7日?
そもそも節句の風習は中国大陸から入ってきました。この1月7日という日も古代中国大陸で
1日を鶏の日
2日を狗(犬)の日
3日を猪(豚)の日
4日を羊の日
5日を牛の日
6日を馬の日
と定めて占いを行いその日はこれらの動物を殺さない。
7日目に人を占う日(人日)とし、犯罪者に対する刑罰は行われなかったといいます。

この日には邪気を払って1年間の無病息災を願うため7種類の野菜が入った 吸い物を飲む習わしはありました。
これが日本にはいり、 当時日本では年の初めに若菜を摘んで、新しい生命力をいただく「若菜摘み」という習慣と相まって七草を入れた吸い物を食べていました。
いつしかそれが粥に変わり、江戸時代新年江戸幕府の将軍が行事で食べ庶民にもひろまったといいます。

そうそうそれと1月の寒空でなぜ若菜摘み????
皆様この頃は旧暦そう新年は2月~3月くらいこの季節なら若菜摘み出来ますよね。

七草粥にいれる7種類の野菜
せり
なずな
ごぎょう
はこべら
ほとけのざ
すずな
すずしろ


昔はお正月で食べるお料理は栄養がかたよってましたから野菜で必要なミネラル栄養素も確保出来ます。
地域毎に入れる野菜も違うそうです。

お正月限定ルピシアの「春の七草茶」を使ってお粥にふりかけ~~~~家から持参したごはんのお共で頂きます

卵焼き&しゃけ&野菜の炒めたの

豆の佃煮&たくあん
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食後に伊勢内宮を参拝します。
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バスで伊勢内宮へ。
本来は外宮を参拝してから内宮を参拝するのが伊勢流この参拝の仕方はここ伊勢神宮だけ、通常は本宮を参拝してから別宮を参拝するのが作法
前回に外宮は参拝済みなので今回は内宮です。

ご存知皇室の祖神天照大神を祀るお社説明不要ですね。
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鳥居
日の出は8時10分頃
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宇治橋
五十鈴川が澄み切っていて綺麗です。
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さざんか
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神苑
寒すぎて霜がおりていました。
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御手洗川
五十鈴川で手を拭います。桂昌院が寄進した御手洗場
お手洗は御手洗いつまり身を清めるの語源からきています。決してトイレではないですよとても神聖な場所だったんですけどね。
本来は!
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鳥居を抜けて内宮は少し急斜面の階段をあがった先にあります。
撮影も下からだけ

今日は8時~昭和天皇祭遙拝という神事が行われます。

「新春のおよろこび申し上げます
日々穏やかに過ごせて感謝しています。」

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その後荒魂をお祀りする荒祭社
願い事とお賽銭はこちらで!
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五鈴川

いつもお伊勢さんにくると本当にいやされます。何故かなぁ???
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この後は「おかげ横丁」へ。
江戸時代の街並みが再現されてます。
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伊勢内宮の参拝を終えた後は斎宮いつきの宮歴史体験館へ。
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斎王
なにしに?平安装束体験!
この前の原笙会さんへの舞装束体験で意外と男子装束OK?と思い予定をいれました。
こちらは黒田装束店さんの直衣まちがいなし!しかも黒田さんよりもリーズナブル~~~
5500円になったとはいえ、写真3枚付き正絹製絶対いいに決まっています。

まだお正月なのでお正月」の展示が開催中

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屠蘇の生薬材料や鏡餅、七種粥などの紹介パネル
大凧や色鮮やかな凧の展示
各地方のしめ縄
しめ縄といってもたくさんあるんですね。

追儺
平安時代の大みそかの行事
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楽しんだ後は
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冠直衣

冠直衣は元々殿上人が宮中で夜勤する時の装束です。束帯はさすがに窮屈なので宿直装束が始まりです。
石帯・鋸・袴を脱ぎ、袴のかわりに指貫を履き頭に冠を被った姿を言います。
直衣ともいい頭に烏帽子をかぶれば貴族の普段着衣、天皇の許可があれば冠をかぶり参内出来た今でいうビジネススーツです。


朽葉色繁菱紋綾
いわゆる下着
一般的には白衣だそうで、女性は裾が長くそのままがば~~~と着ますが、男子装束は短く袴に納めます。


指貫いわゆるズボン
紫地白鳥だすき紋綾裏紫袷仕立
下袴
下にはく袴
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直衣
白 臥蝶の丸紋固地綾裏縹
公家の褻の装束、一番上に着る表着
天皇が許可した場合(雑袍聴許)には冠をかぶれば宮中に参内出来「衣冠」と呼ばれる。
さらに出衣といい衵を二枚重ねて表に少し見せる着付け方法も枕草子に出てきます。
また天皇のみきていた「御下げ直衣」という衣にありました。
通常直衣を折りたたむように着るのですが、そのままだらりと着用して袴も緋の長袴をつけます。
平安中期頃までははっきり着付け方は不明だそうですが、平安末期からは文献に出てきます。
現在では天皇陛下の即位式等限られた儀式の際にのみ着用されています。

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藤原行成をイメージして
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清少納言にいたずらをしかける行成

方脱ぎして舞う
本来は右ですが・・・・いっか!
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殿上人の直衣ぬぎたれて、扇やなにやと拍子にして、「つかさまされとしきなみぞたつ」といふ歌をうたひて

訳:殿上人(内裏で天皇の御座所に出入りできる身分の人)が上着の片袖を脱いでなあ~~扇なんかで拍子とりながら「出世するやん。波湧き立つやん」っていう歌を歌いながら

源氏物語初音より
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姫君の御方に渡りたまへれば、童女、下仕へなど、御前の山の小松引き遊ぶ。若き人びとの心地ども、おきどころなく見ゆ。 北の御殿より、わざとがましくし集めたる鬚籠ども、破籠などたてまつれたまへり。 えならぬ五葉の枝に移る鴬も、 思ふ心あらむかし
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年月を松にひかれて経る人に今日鴬の初音聞かせよ
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と聞こえたまへるを、「げに、あはれ」と思し知る。言忌もえしあへたまはぬけしきなり。「 この御返りは、みづから聞こえたまへ。初音惜しみたまふべき方にもあらずかし」
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明石の御方から届いた姫君宛ての和歌と松にとまった鶯を見ている源氏
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卯槌を手に
桃の木と五色の紐でつくったお守り
四角柱状に成形した桃の木の中心部に五色の組糸10筋を通してつくったもので柱にかけたり、腰につけたりして邪気を祓いました。
正月の最初の「卯の日」に、宮中に献上されたり贈り物にしたりされた物でした。
今ではまったくすたれてしまいましたね。
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七日の若菜を、人の六日にもてさわぎとりちらしなどするに、見も知らぬ草を、子供の持てきたるを、「何とか是をばいふ」といへど、頓にもいはず。「いざ」など此彼見合せて、「みみな草となんいふ」といふ者のあれば、「うべなりけり、聞かぬ顏なるは」など笑ふに又をかしげなる菊の生ひたるを持てきたれば、
つめどなほみみな草こそつれなけれあまたしあれば菊もまじれり
といはまほしけれど、聞き入るべくもあらず。

訳:旧暦1月7日の若菜摘みをする草を前日の6日に持ってきて騒いでとっちらかしてるところで、みたことない草を子供がみってきたのを。「なんて名前の草なん?」て聞くとなぁ
なんにもいいへんねん。「えぇぇ~~~~と・・・・。」皆顔を見合わせて????
「耳なし草いうんや」っていう子がいるから、「へえなるほどな。聞いてない(^v^)やわ。」って笑ってると、今度はめっちゃかわいい菊の生え出したんをもってきたから。「摘んでもなぁ・・・・・耳なし草って残念沢山あったら聞くのもあるけど」
っていいたかったけど・・・・。これかって耳にはいるんでもないし。
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時期外れですが薬玉を手に
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貝覆い
楽し詣で~~~~完了

晴れの装束と褻の装束の間に・・・・・

訳:(平安時代の)正装の装束と普段着の装束の狭間に・・・・・・

平安時代中期貴族の間で大流行した文学「枕草子」「源氏物語」「うつぼ物語」「落窪物語」「狭衣物語」「栄花物語」や当時の女性貴族達の日記「蜻蛉日記」「紫式部日記」などに文学も大きく花開きました。
頻繁に出てくる当時の女性貴族の衣装には十二単衣(正式には五衣唐衣装(もしくは女房装束・十二単衣))です。

しかし当時それ以外にも着用された衣装がありました。
今回はその中でも珍しい装束を体験する為に京へ!

まず平安装束体験所さんへ今回の為に用意した箏の準備もあり早めにお伺いします。

京都の平安装束でここと黒田装束店さんは絶対的聖地、ご自身で製作されてしかも着付けも出来寺社仏閣、博物館へも納めておられる本物装束店さんです。

今回で二度目
なんでも移転されるそうで、7月中旬で一旦体験所を閉じて来春に再開されるそうです。
その前に訪問をしました。絶対に再開されるという保証もないですから・・・・・・・

まずは入り口で女将にご挨拶
この方が装束を製作されています。舞は手が不器用なのでこういう仕事が出来る人は尊敬します。

今回は小袿を基本にその後その上から細長そして裳をつけての撮影をお願いしました。
料金的にはかなりアップしますが、これで垂髪と化粧込みですから意外と良心的かなと思います。
黒田装束店さんでは+◎万でしたから・・・・。まあでも3種類しかもどこでもできない物具装束でしたし大変満足でした。

箏の準備をして

体験シートに記入してから衣装を選びます。

五衣紅梅の匂い

表着二部向蝶織物赤色

単赤

打衣桃色
小袿は1枚で決まってます。青緑それに合う色目を選んでゆきます。

古式お化粧をしていただき、垂髪を装着していただきます。

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「五衣小袿長袴姿 晴れの装束と褻の装束の間の装束」

小袖、長袴を着付け単、五衣、打衣、表着、小袿を順に着つけてもらいます。

単はいわゆる下着で、平安時代は小袖を着ず、長袴も素肌に直接着ていました。
一番下に装着し、他の衣よりもおおぶりに作られています。これでその上に着る装束の汚れを防ぐ事が出来るのです。
しかも下着がちらりと見えるチラリズムもかねる一石二鳥

五衣は袿を五枚重ねた着物で、錦が輸入されなくなった当時素材よりも色柄でおしゃれを楽しみました。
季節毎にまた通年、行事などで使用する色目で女性のセンスがとわれました。
同色で下にいくほど白になる重ねを「○○の匂い」といい、最後の一枚を白だと「○○の薄様」といいました。
他にも松重、菖蒲、撫子、躑躅、紅葉、菊など季節にちなむ重ねをありました。

着物の色は禁色もあり全ての色を使用出来ない場合も多かったのでおしゃれも大変だったようです。

次に打衣を着つけてもらいます。
打衣はつやのある着物でおしゃれというよりも生地を整える意味合いの強い実用的な着物です。

表着
袿の一番上に着る着物です。
一番上なので身分に応じて二部織物といった高級織物で作られました。

さらに小袿を羽織ります。
錦の二部織物で織られた最高級品の着物です。
色は青緑色 二部織物向蝶亀甲紋

小袿は平安時代準正装衣装で日常かもしくは五衣唐衣裳衣装に変わる正装として女性の主が着用する衣装でした。
平安時代には表着より短く唐衣の代わりに着用したいわば準正装にもなる衣でした。

殿のうへは、裳のうへに小袿をぞ著給へる。 

この時には高階貴子は小袿に上から裳を着けている姿ですが、これは後日体験するとして!

紅梅いとあまた、濃く薄くて、上に濃き綾の御衣、すこし赤き小袿、蘇枋の織物、萌黄の若やかなる固紋の御衣たてまつりて
枕草子より

もののあはれにおぼえけるままに、箏の琴を掻きまさぐりつつ、端近うゐたまへるに、御前駆追ふ声のしければ、うちとけ萎えばめる姿に、小袿ひき落として、けぢめ見せたる、 いといたし。 源氏物語野分

このころの花の色なる御小袿 胡蝶  源氏物語 胡蝶

萌黄にやあらむ、小袿着て 源氏物語 若菜下
などなど物語に登場しますが、概ね内輪の面会や祝い、宴会で着用されていたようです。

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細長姿 「院政時代の晴れの装束と褻の装束の間の装束」


この衣装は実はよくわからない衣装の一つです。というのも平安時代の絵巻でも画像がなくかろうじて文字による簡単な説明しかないからです。細くて長い物という表現しかないため細部はいまだ諸説あります。
年若の女性や少女の衣装とされることが多いものの37歳前後の女性も饗宴で着用した様子が源氏物語に出てきますので、必ずしもそうでもないようです。

小袖

長袴

三ツ小袖(本装束は五衣)

小袿

細長

桜の細長に、御髪は左右よりこぼれかかりて、 柳の糸のさましたり 源氏物語 若菜下 明石の女御
衣の中に細長は、さも言ひつべし。 枕草子より

女の装束どもあまた領に、細長どもも、ただあるにしたがひて、ただなる絹綾などとり具したまふ 源氏物語宿木

曇りなく赤きに、山吹の花の細長は、 かの西の対にたてまつれたまふ  源氏物語 玉鬘

桜の細長に、つややかなる掻練取り添へては、姫君の御料なり 同

濃き袿に、撫子とおぼしき細長、若苗色の小袿着たり。 源氏物語 宿木 浮舟

紅梅の御衣に、御髪のかかりはらはらときよらにて、火影の御姿、世になくうつくしげなるに、 紫の上は、葡萄染にやあらむ、色濃き小袿、薄蘇芳の細長に、御髪のたまれるほど、こちたくゆるるかに、大きさなどよきほどに、様体あらまほしく、 あたりに匂ひ満ちたる心地して、 花といはば桜に喩へても、なほものよりすぐれたるけはひ、ことにものしたまふ 。  源氏物語 若菜下
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「さて誰ぞ箏を弾いてたもれ」 と中宮が申し上げる。
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琴は、なほ若き方なれど、習ひたまふ盛りなれば、たどたどしからず、いとよくものに響きあひて、「 優になりにける御琴の音かな」と、大将聞きたまふ。拍子とりて 唱歌したまふ。院も、時々扇うち鳴らして、加へたまふ御声、 昔よりもいみじくおもしろく、すこしふつつかに、ものものしきけ添ひて聞こゆ。 大将も、声いとすぐれたまへる人にて、夜の静かになりゆくままに、言ふ限りなくなつかしき夜の御遊びなり。
                                                    源氏物語 若菜下女楽

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添ひ臥したる人は、琴の上に傾きかかりて、          源氏物語 宇治十帖 橋姫


「細長・小袿・裳付き姿 源氏物語若菜下女楽・明石の御方装束   
晴れの装束と褻の装束の間に」


小袿の下に裳を装着します。

そして細長をつけなおし、明石の御方
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柳の織物の細長、萌黄にやあらむ、小袿着て、羅の裳のはかなげなる引きかけて、ことさら卑下したれど、けはひ、思ひなしも、心にくくあなづらはしからず。 
明石の御方は明石の女御の生母ではありますが、明石の受領だった父いわば中流貴族出身でした。
他の女人よりも地位は下がります。よって自ら裳を装着する事で他の女人に敬意をはらっていたのです。

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もぬけの殻

お店の情報は【こちら】

壺装束などにはあらで、ただひきはこえたるが

訳:ちゃんとしたなぁ~旅装束なんかじゃないん。下の着物をちゃちゃっと織り込んでるだけのかっこう
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ホテルで朝食をいただいてバスで江刺BCからタクシーで!!!
江刺は奥州藤原氏初代清衡生誕の地であり、清衡が平泉へ移るまで暮らした縁の地です。

えさし藤原の郷は平和都市平泉の構想を思案した地に建てられた奥州藤原氏時代の世界を再現したテーマーパークで時代ドラマや映画のロケ地としても使用されています。

最近だと「大河の平清盛」「陰陽師」「アテイル」なんか撮影されていました。
かなり忠実に再現出来ています。

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えさし藤原の郷

伽羅御所内で雰囲気もよくまさに奥州藤原時代にタイムスリップ出来ます。


奥州藤原氏は遠祖である藤原頼遠が、陸奥国に移住した事に始まります。
父親藤原正頼が従五位下だったので頼遠の家系は中流以下の貴族にすぎませんでした。

その子が豪族・安倍頼時の娘を娶って縁戚関係を結び、奥州にその地位を定着させてゆきます。
その間に出来たのが東北の奥州藤原氏の勢力を絶対的にした藤原 清衡です。
父なき後、後三年の役でその地位を確立した清衡が関白藤原忠実に金と献上品で事実上の奥州支配を容認し陸奥の押領使という役職を与えその支配を黙認していました。
東北に事実上の奥州藤原国を成立させます。

奥州藤原氏三代秀衡の居館を想定して再現しています。
平安時代寝殿造の様式で現在民間で再現された物では日本で唯一の建物です。
かなり忠実に再現されていてかなり本格的です。

この秀衡の時代に鞍馬山を逃亡した源氏の御曹司「源義経」を保護し養育した人物です。

当時平家を滅ぼし勢いずく源頼朝は奥州をも手にしようとします。
鎌倉との衝突を避けられないと考えた秀衡は文治3年(1187年)頼朝と対立して追われた義経を匿い、源頼朝の奥州討伐を危惧しながら死去します。

後を継いだ泰衡は文治4年(1188年)2月と10月に頼朝は朝廷に宣旨を出させて泰衡と基成に義経追討を要請を断り続ける事は困難として義経を襲撃し、義経と妻子彼の主従を自害に追い込みました。
しかし頼朝は奥州征伐を断行しついには文治5年9月3日に泰衡は頼朝軍に滅ぼされ斬罪されてしまいます。

ここに奥州藤原氏は滅亡しました。

今は昔の物語

伽羅御所で10時から有料十二単体験のために向います。
もちろん予約済みです。
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清衡の正室 北方平氏
その前に無料の袿を羽織り~~~平安気分~~

平安時代の遊びが体験できます。
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貝合わせ(貝覆い)

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基衡の正室 安倍氏(?)


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泰衡の正室 藤原 基成娘 
薬玉を手にします。
薬玉とは節句の日に贈られる厄除け的な飾り玉です。
丸い球体に造花を色どり、中にお香を入れて柱に吊るします。
藤原 基成娘は身分が他の当主の正室よりも身分が高いので小袿姿です。
大人用の袿に子供用の袿を羽織り代用しています。

藤原 基成は鳥羽院の近従で当時の関白の義理兄にあたります。
朝廷から陸奥守という実権のない国守に任じられますが、藤原基衡に重んじられ娘を正室に嫁がせます。
これはまさに青天の霹靂なぜなら奥州藤原氏はその姓に藤原と名乗るも都人からすると蛮族として激しい偏見を受けていました。
基成は外孫泰衡が源頼朝により滅亡させられると帰京して以後の消息は不明となります。
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秀衡の正室佐々木氏

十二単衣の着付けを前に装束をどれにしようかいろいろ悩みました。
色が良くても写真うつりや自分の顔色にあっているかとかいろいろ考えた後に季節に合った色合いで
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伽羅御所でも催された宴で舞を披露する舞姫
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伽羅御所でくつろぐ藤原秀衡室
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ありし日の無量光院が見えます。

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花籠を手に
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細殿でまったり
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部屋でくつろぐ
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清少納言の香炉峰の雪やいかならん
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これかれ、もの言ひ、笑ひなどするに、廂(ひさし)の柱に寄りかかりて、ものも言はでさぶらへば、「など、かうも音もせぬ。もの言へ。さうざうしきに」と、おほせらるれば、「ただ秋の月の心を見はべるなり」と申せば

訳:女房さんらは話をしたり笑っりしてんねんけどあたしは廂の間の柱に寄りかかって、だまってたんやけど、「だんで、そうだまっておんのん?淋しいやんか」いいはるねん。あたしは「ただ秋の月の情趣を見ていたんですよん」とお答えしたんやん。
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柱にもたれてまったりとしている舞少納言
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中宮さまに呼ばれて
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几帳に
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いろいろ撮影した後にお腹がすいたのでレストランで昼食を頂きます。お蕎麦にしました。

食後にゆっくりしてから、期間限定の「壺装束」の体験へ。
着物の裾をすぼめてもらいます。

市女笠を被り2時間をゆっくり散歩します。雨が心配ですが・・・・・・・・。と思っていたら始まる少し前に雨がやみ天気に!!!

御所車前
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御所車から降りる今奥州に到着した基成の夫人
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政庁
北側は8〜9世紀頃のまだ東北地方の全土が掌握されていない古い時代の様式で再現された官庁です。
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南側
朱塗りの建物は律令時代(12世紀)の政庁の再現
檜皮葺入母屋造正殿と脇殿は回廊で結び高床式の倉を築地塀と揚土塀が囲んでいます。
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鄙から上洛したが基成の夫人京見物願いを

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身分を隠して街中を歩く基成の夫人


伽羅御所
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反り橋を眺める

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釣殿
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江刺の館でくつろぐ

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観光の情報は【こちら】

舞少納言の「阿波国詣で」の巻き

舞少納言の阿波国詣で~~~

毎年4月は詣で月~~~季節が良いのでいつもの京草子、○○国詣でと盛り沢山に御紹介

今年は「十二単衣着装強化年」も相まって盛りだくさんな年となりました。

17日に開催される社の森でのイベントに参加申し込みをしました。
前日にいろいろ当日のスケジュールを聞くために電話をして出発準備をすませました。

阪急梅田駅にある成城石井でブランチを購入して、阪急三番街から出発する高速バスで土成ICへ。

車内で朝食&ブランチを頂きます。

土成到着そうそうみっちりスケなので、ここでがっつり食べないとです!

お店の情報は【こちら】

明石大橋を渡り、淡路島を突き抜けて鳴門大橋を超え徳島へ。

ここ土成は徳島県! 実は徳島 両親の出身地、子供の頃は帰省に年に2回帰っていました。

さて徳島四国の中ではちょっと残念な県です。
県民におこられそうですが・・・・・・いやおこるでしょう。

香川は饂飩、蜜柑、栗林公園が有名、愛媛は蜜柑、道後温泉で全国メジャー!高知は竜馬(もうこの人だけで十分でしょ)良さこい祭、皿鉢料理、土佐犬など

一方徳島と聞いてみなさん思いつくものはありますか?

確かになくはないですが、地理的に興味のない人にとっては阿波踊りくらいしかないでしょう・・・・・残念ながら・・・・・。
かずら橋、すだち、徳島ラーメンと言ってもぱっと思い浮かびませんよね。

でも香川にちかいからか「たらいうどん」といって、たらいに入った饂飩を濃いめのお汁で頂く郷土料理があるんですが美味しいですよ。あと海が傍なのでちくわ、鳴門金時、鳴門わかめ、半田そうめん、金長まんじゅう、阿波ういろうなど和菓子は和三糖の産地であったので美味しい物が多いのでお薦めです。


集合時間まで時間があるので、この辺り苺農家の多い地域土日祝で苺狩りが楽しめます。

なのでざ苺狩り

苺祭~~~今回は野田いちご園さんへ。
高速バス停から徒歩3分くらいです。

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こちらは期間限定で苺狩りを土日に開いていますが、苺の加工品も販売されています。
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苺農家さん直売所です。
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美味しそうな苺達~~~ビニールハウスで苺狩り
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苺の花も咲いています。
苺狩りハウスは冬が旬だそうですが、まあその頃はかきいれ時でしょうし。高価な苺を出荷したほうがいいでしょうから。
基本苺農家さんですから、旬のつみたて苺をいただければいいかくらいでOK
では苺狩りスタート1時間食べつくします。
苺の美味しい狩り方???

①奥から手前に

②根元が赤い

③真っ赤に色ずいてる

④種が沈んでいる

⑤葉と根の間があいているもの(首なしというそうです)

⑥いわゆる形悪ぶさいく苺実は美味しい説
てんこ盛りの苺をばさっと丸ごと苺~~~~さすがに安い!!!ちまたでは×2はするか???

⑦大きさよりも色ずきを重視するといいです。
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持ち帰り用は別途予約済み~~~

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大・小各1K合計2000円安~~~


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苺のアイスパフェ
美味しいです。今日は暑いのですごいいい~~~

観光の情報は【こちら】


タクシーを呼んででお宿「杜の森」へ向かいます。

この旅館は元々「縄文時代」を体験できる宿泊施設にしたかったのだそうです。
しかし開業するには縄文住宅は法律に違反することがわかり、平安時代の再現なら可能という事になったそうです。

平安時代の体験ができる宿泊として開業されました。
一部の文学好き、平安時代好きの中ではマニア宿泊地として利用されているそうです。

さすがに宿泊は高額3人でも3万強・・・一人泊では6万近くになります・・・・・・さすがにポンとは出せない金額ですね。
そんなマニアな友人はいないので・・・・・。

徳島は昔阿波国とよばれていました。
その阿波になぜ阿波に御所?という地名が???と思いませんか?
御所といえば天皇家縁の・・・・。でもここははるか遠く阿波国

これはこの地が土御門上皇の縁の地だからです。

土御門上皇は承久の乱(父後鳥羽上皇が討幕の兵を挙げて敗れた兵乱)の責を感じ、鎌倉幕府に自主的に遠流を願い過ごした最後の地がこの阿波国御所であった事に由来します。

鎌倉幕府も隠岐へ流刑した後鳥羽上皇とは違い、土御門上皇には阿波御所を造営させるなど厚遇していました。
上皇はこの地で静かに隠棲し、崩御後は京へ運ばれ陵は金原陵に制定されています。

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玄関から平安時代の寝殿造りの御門です。
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お庭も築山、池、赤い橋と平安時代の庭園を見事に再現されています。
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建物は寝殿造り京都の宮大工さんが建てられたそうです。すごい~~~
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共有スペースのロビー
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十二単衣がお出迎え~~~
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袿と薬玉
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こちらの調度品、および装束は「井筒」そう京都の装束店で風俗博物館を運営紫の縁主催の会社です。

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舞台
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舟形の温泉
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遣り水

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萌黄色
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十二単に頭だけ物具装束風にしています。

装束を着つけてもらい今回はまずは物具装束風に髪をあげて髪飾りと丸櫛と日蔭糸紐持参して装着しました。
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桜の花を折敷に乗せて天皇に献上するために足早に清涼殿へ向かう物具装束姿の内侍
桜を天皇に献上する内侍
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を手にする内侍
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天皇に折敷に乗せた薬玉を献上する内侍


薬玉とは「端午の節句」に貴族達が香木を入れた球状の玉に季節の花花を飾り、五色の紐で飾りつけた邪気を払う飾り物です。
柱にくくりつけ「重陽の節句」までそのままにしていました。

当時の天皇、皇族、貴族達は迷信に支配された生活を徹底していました。
その根拠は健康、権力、財力あらゆる欲を満たすため、ありとあらゆる日常を陰陽道に基ずいて過ごす。

かなりしんどい、やりたいことも出来ないんですからね。
しかも医療がまったく皆無だった(医療といえば鍼ぐらいだったそう)当時ちょっとした病で命を落とす事も多かったです。
なので邪気を払う事は=命をつなぐ!とても大切な行事でした。
しかし貴族がこんなでしたから、庶民はもっと切実でしたでしょう。
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藤の花を眺める内侍

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役目を終えてくつろぐ内侍
長橋の局でまったり~~
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行事の儀式まで貝覆いで遊ぶ

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釣り殿で涼む

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「第3回 平安王朝まつり開催


①十二単

②野点 抹茶+和菓子

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この辺りでなんとロビーで遊びが始まります。
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③お遊び 「聞香」
聞香は最初にたてたお香の後、いくつかの香木を|香りを当てる中世のセレブゲームです。

東福門院和子が特に得意にしていた遊びです。

おしくもはずれてしまいました。

④お遊び2「投扇興」
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投扇興は江戸時代中期京都で始まり流行した遊びです。
桐箱の台に立てられた「蝶」と呼ばれる的に向かって扇を投げ、その扇・蝶・枕によって作られる形を、源氏物語や百人一首になぞられた点式にそって採点し、その得点を競う日本式ゲーム江戸時代には京都で大変流行し、賭事にされ禁止令も出るも、がん無視されたいわくつきの遊びです。
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なんとNO1でした。
花散る里となんだっけ???合計6点でした。

⑤神楽舞
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巫女さんスタイル千早

⑥記念撮影

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ここで裳と唐衣をはずして髪型も整えて「重ね袿」小袿姿
平安時代十二単衣は女房装束の名の通り女房のいわば制服、当然雇い主の女主人は少し違う装束を着ていました。
では何を???物具装束?それとも袿?

それが小袿です。
不思議なんですが、身分が高くなるほど衣の数が減るのです。
さすがに天皇の御前では十二単ですが、儀式や行事、賓客の面談の際にはこの姿に短めの小袿を羽織り準礼服とされていました。
その姿が正式な小袿姿です。


髪を整えで釵子と日影糸紐を装着します。
「物具装束風」

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通常は唐衣の上から裳を装着するのですが、今回は裳を着けてから、唐衣を装着してもらいます。
裙帯
実際の物は再現できないので、今回は浴衣用帯を代用します。
裳の結び目でリボン結びします。
領巾
すけ感のあるポリエステル製の布を購入しました。

平安時代へタイムスリップ~~~

内待ふたりいづ、その日の髪あげうるはしきすがた、唐絵ををかしげにかきたるやうなり、左衛門の内待御佩刀とる、青色の無紋の唐衣、裾濃の裳、領巾、裙帯は浮線綾を櫨 に染めたり、表着は菊の五重、練 は紅、すがたつき、もてなし、いささかはづれて見ゆるかたはらめ、はなやかにきよげなり
紫式部日記より

後年采女が制度化されなくなると役目のみが残りその任には「内侍」が行い重要行事には物具装束姿で行いました。


で今回のおまつりは終了楽しい平安体験~~~

観光の情報は【こちら】

タクシーで土成インターチェンジのバス停へ

ここから高速バスに乗り大阪経由で自宅に帰ります。

夕食はパクッとねええ~~~

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楽し詣で楽し詣でいとおかし終了です。

今度はぜびお泊りしたい~~~
フリーエリア

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