2012-01-10

冬はいみじう寒き

訳:冬はめっちゃ寒いねん!

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今日の京草子は京都の北東にある山里の大原を訪れます。
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大原の里今こそ観光地ですが、昔は人が訪れる事のない山里でした。嘘みたいですね~~~

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三千院までのおみやげ屋通り
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途中に大原里を眺められる展望場所で里MAX
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のどかですね~~
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個人的に好きなしば漬け三千院店です!

始めに宝泉院を訪問します。
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天台宗の寺院、大原寺の僧房の一つで1012年創建の京都では比較的新しい寺院です。
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葉ぼたん
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受付の迎春花
見所は客殿の西方、柱と柱の間を額縁に見立てた額縁の庭園「盤桓園」竹林から大原の里を眺める借景系庭園です。
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冬は庭の木々の葉が散ってしまい物悲しい佇まいの姿です。水墨画ッチックな感じですね。
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抹茶と御菓子を頂きました。

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江戸中期作の鶴亀庭園は部屋から格子越しに観賞します。池の形が鶴、築山を亀、山茶花の古木が蓬莱山に見立てた庭園です。

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五葉の松
近江富士を見立てた樹齢700年の五葉松です。
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京都三大著名松、京都市指定天然記念物です。

高浜虚子が無住寺の宝泉寺を訪れた際に詠んだ歌があります。

「大原や 無住の寺の 五葉の松
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血天井
京都の寺院には多くの血天井と呼ばれる板の天上をみかけます。
戦いがあった建物の床板を寺院の天井に用いる事で死んだ兵士を供養する意味があるそうです。
板に残るシミは血の跡なんですね。ルミナ―ル反応でまくりでしょうねぇ。
この血天井は慶長5年の鳥居忠軍と豊臣軍が戦った際の物だそうです。
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掘りこたつの奥の庭
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水琴窟
土を掘って中に裏返した瓶を置いて。地上から水を流すように仕掛けをすると水の反響で良い琴に似た音が聞こえるんです。退蔵院の物が特に有名ですよね。
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ふたつとも音が違います。理智不二といわれる竹に耳を当てて聞く琴の様な音色は癒しの一時です。
水差しをなんども竹の筒に水を流して遊んでしまいました。
抹茶とお菓子を頂く一時~~~

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宝楽園新しい壮大な庭園
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観光の情報は【こちら】

三千院の道すがらにはおみやげ屋が狭い道に集中しています。ここは洛中から遠いけれど観光地ですね。
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ポン酢専門店
ちらほら物珍しさに土産屋めぐり~~~
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葉が落ち寒々しいですが、それすら寂の世界を作りだす光景にじ~~~ん
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下って寂光院を目指します。徒歩20分くらいです。

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実は寂光院近くに大原に温泉がぁ~~~!!!
ここはぜひひとっ風呂あびねば~~~ここ大原温泉はラドン温泉です。内風呂と露天の五右衛門風呂があります。はあぁ~~~プチ昼食「おにぎりとお味噌汁に日帰り温泉コース」を堪能します。
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観光の情報は【こちら】

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寂光院の山門の階段から事務所の屋根に積もる雪
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今年の大河ドラマ「平 清盛」平家物語 建礼門院の最後の縁の地 寂光院を訪問します。

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孤雲の茶室
他の寂光寺の見所でした。

壇ノ浦の戦い後、海に入水するも源氏の兵士にに捕えられた平 徳子(高倉天皇中宮・安徳天皇生母 建礼門院)は京都に護送され、祗園の長楽寺の住職によって出家した後、京は吉田で安徳天皇と親族の供養の為念仏の日々を過ごしていました。
しかし市中の寺は都の人々の関心の的になり騒がしい日々に困惑し「此御すまひも都猶ちかくて玉ぼこの道ゆき人のひと目もしげくて、露の御命、風を待ん程は、うき事聞かぬ深き山の奥のおくへも入なばやとはおびしけれども、さるべきたよりもましましさず。」思案していた頃


「大原入」

あるに女房の吉田にまゐつてまうしけるは、「これよりきた、大原山の奥、寂光院と申す所こそ、閑にさぶらへ」とぞ申しける。女院、「山里は物の淋しき事こそあんなれども、世の浮きよりはすみよかんなるものを」とて、おぼしめしたたせたまひけり。御輿などをば、隆房郷の北の方より、御沙汰有りけるとかや。

文治元年長月の末に、かの寂光院へいらせおはします。

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女院も通った寂光院へ行く道ぎわは山里さらではの景色です。
女院の大原入りは現在の大原行きの京都バスの路線経路ではなく、鞍馬街道から現在の40号線静原経由の山路を行きました。今よりもさらに山奥で民家もポツリポツリでしたでしょうから、宮中生活をし栄華を極めた女院なら想像以上に淋しい道のりでしたでしょう。

訳:とある女房が女院がいてはる吉田に来てなぁいうんわ、「こっから北のなぁ大原っちゅう山の奥に寂光院っていう御寺は静かやで」って言いはってん。女院は「山里は淋しい所やけど騒がしいここよりは住みやすいかなぁ」と言いはって隆房という公卿の奥さんに乗り物を用意させて文治元年旧暦の9月にかの寂光院に向けて出発しはってん。


寂光院は天台宗の尼寺です。ご本尊様は六万体地蔵尊です。山号を清香山、寺号は玉泉寺、玉泉寺の子院であった。推古2(594)年、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立されたと言われていますが、定かではありません???最初の住持は聖徳太子の御乳人だった玉照姫で敏達十三(五四八)年に出家した日本仏教最初の三比丘尼の御一人「慧善比丘尼」と伝承されています。
近年の放火により本堂が火災にあった事も記憶に新しいと思います。今は忠実に再現された本堂を見る事ができます。

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道すがらも、四方のこずゑのいろいろなるを、御覧じすぎさせたまふほどに、山影なればにや、日もやうやう暮れかかりぬ。

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野寺の鐘の入りあひの音すごく、わくる草葉のつゆしげみ、いとど御袖ぬれまさり、嵐はげしく、木の葉みだりがはし。空かき曇り、いつしかうちしぐれつつ、鹿の音かすかにおとづれて、虫のうらみもたえだえなり。とにかくにとりあつめたる御心ぼそさ、たとへやるべきかたもなし。

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途中に寂光院に行く道すがら建礼門院縁の「おぼろの清水」があります。
京からの道中に月が出て女院の顔がこの清水の水に浮かびあがったと伝承される小さな泉ですが今は枯れて清水跡

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そしてここにも
ころころと 小石流るる 谷川の かじかなくなる 落合の滝
建礼門院が詠んだといわれる小さな滝があります。
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少ないお供を連れての女院の行列が通った街道はお土産屋通りになっています。少し残念な感じ~~~
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寂光院の門前
浦づたひ島づたひせしかども、さすがかくはなかりし物をと、おぼしめすこそかなしけれ。岩に苔むして、さびたる所なれば、すままほしくぞおぼしめす。
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露結ぶ庭のを萩原霜がれて、まがきの菊のかれがれに、うつろふ色を御覧じても、御身の上とやおぼしけん。仏の御前にまゐらせたまひて、「天子聖霊成等正覚菩提」といのりまうさせたまひけり。いつの世にも忘れがたきは、先帝の御面影、ひしとおんみにそひて、いかならん世にも、忘れるべしともおぼしめさず。

訳:寂光院に向かう道の途中は梢の木々や山影ばかりで日も暮れ始めてなぁ。野の寺の鐘の音が大きく聞こえてなぁ。踏み分けて入る草の葉はびっしょり濡れる様子がすごく女院の心を嘆かせて涙を袖で濡らはるねん。
嵐も激しくて空はいつのまにか雲に覆われて、鹿が鳴くのが遠くからようやく聞こえてくんねん。それがめっちゃ心細いねん。
田舎の浦に居た時でもこんなに侘びしくなかってんで。岩に苔がくっついて手入れもされてへんほど、さびれた所やから住んでみたいと思いはったんやな。
露がかかって萩の原が霜が降りて菊の枯れたんを見て(あんなに御所で優雅で雅な生活してたあたしが今や一族、子供まで失って自分は残されてこ~~んな寂れた所に行こうとしてる)自分の身の上と同じやん。って思いはったんやな。寂光院の御仏の御前にお参りして、「安徳天皇の魂と平家一門の菩提が安らかになりますように」と祈って安徳天皇の面影を思い自分に重ねてどんな世の中になっても忘れへんでと思うねん。

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さて寂光院のかたはらに、はうぢやうなる御庵室をむすんで、一間をば仏所にさだめ、一間をばご寝所にしつらひ、昼夜、朝夕のの御つとめ、長時不断の御念仏、おこたる事なくして、月日を送らせたまひけり。

訳:寂光院の片隅に三M四方の小さな庵を一間は仏間にしてなぁ。一間は寝室にしはって、昼夜朝夕の念仏を唱えはるのを止めはらんと月日を過ごしてはんねん。

かくて神無月中の五日の暮れ方に、庭に散りしくならの葉を、ものふみならして聞こえければ、女院、「世をいとふ所に、なにもののとひくるやらん。あれ見よや。忍ぶべきものならば、急ぎしのばん」とて見せらるるに、をじかのとほるにてぞ有りける。女院、「さていかにやいかにや」と御尋あれば、

大納言佐殿涙をおさへて、

「岩根ふみたれかはとはんならの葉のそよぐは鹿の渡るなりけり」 

女院哀れにおぼしめして、窓の小障子に(この和歌を)あそばしとどめさせたまひけり。かかる御つれづれのなかにも、おぼしめしなぞらふ事共は、つらきなかにもあまたあり。軒にならべるうゑ木をば、七重宝樹とかたどれり。岩間につもる水をば、八功徳水とおぼしめす。無常は春の花、風に随て散りやすく、有涯は秋の月、雲にともなつて隠れやすし。承陽殿に花をもてあそんじ明日には、風来たつて匂いを散らし、長月宮に月を詠ぜしゆふべには、雲おほうて光を隠す。昔は玉楼金殿に、錦の褥をしき、たへなりしおんすまひなりしかども、今は芝引きむすぶ草の庵、よそのたもともしをれけり。

訳:旧暦の10月5日の日昏に庭に散ったならの葉をなにかが踏んだ音を聞いた女院は「世の中とはかかわらない所に誰がきたんやろ。見てきてやぁ。隠れなあかんかったら急いで隠れなぁ。」っていうから見たら鹿の姿があってん。女院「どうやったん。どうやったん。」と聞いたらお付き人の大納言佐殿が涙を押えながら

「岩根を踏んでならの葉をそよがせたんは鹿が渡ったからですわぁ。」

女院哀れに思いはって窓の小障子にこの和歌を書きはってん。
この日常はまるで西方浄土の世界のようで、軒に並んで建つ木は極楽浄土にある宝木、岩の隙間に流れる水は八の功徳の水やねん。無常は春の花の散る様子に似て、コロコロ変わった生涯は秋の月が雲に隠れやすい変わる季節の様やねん。女院の御殿に花を散らして長月の宮殿に和歌を詠んでいると雲が光を隠してしまってん。昔は玉や金で飾られた宮殿に錦の布団を敷いて住んではったのに今はさびれた庵にいはるんがはたの人の涙をさそうねんなぁ。


「大原行幸」

かかりし程に、文治二年の春の此、建礼門院の大原の閑居の御住まひ、御覧ぜまほしうおぼしめされけれ共、如月弥生のほどは、風はげしう余寒もいまだつきず。峯の白雪きえやらで、谷のつららもうちとけず。かくて春過ぎ夏きたつて、北まつりも過ぎしかば、法皇夜をこめて、大原の奥へ御幸なる。しのびの御幸なりけれ共、共奉の人々には、徳大寺、花山院、土御門以下公卿六人、殿上人八人、北面少々候けり。鞍馬どほりの御幸なりければ、かの清原の深養父が補堕落寺、小野の皇太后宮の旧跡を叡覧あつて、それより御輿にぞめされける。

遠山にかかる白雲は、散りにし花のかたみなり。
青葉に見ゆるこずゑには、春の名残ぞをしまるる。此は卯月廿日余の事なれば、夏草の繁みがすゑを分入らせたまふに、はじめたる御幸なれば、御覧なれたるかたもなく、人跡たえたる程もおぼしめし知られてあはれなり。西の

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山の麓に、一宇の御堂あり。
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即寂光院是也。

(中略)

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庭の若草しげりあひ、青柳糸をみだりつつ、池のうきくさにただよひ、錦をさらすかとあやまたる。中島の松かかれる藤なみの、うら紫にさける色、青葉まじりの遅桜、初花よりもめずらしく、岸のやまぶき咲きみだれ、八重たつ雲のたえまより、やまほととぎずの一声も、君の御幸をまちがほなり。
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いけみづにみぎはの桜散りしきてなみの花こそ盛りなりけれ


訳:そうこうして月日は流れてぇ後白河法皇は建礼門院の大原を訪ねたいなぁ。と思ってたんで文治二年の早春に出向こうとしたけど、まだ峯峯は雪が消えてへんで、谷の氷は氷のまま風は激しいんねん。京の余寒はまだ厳しいから止めはってなぁ、春が過ぎ夏が来て賀茂の祭り(葵祭り)が無事に終わったから出向く事にしてん。
まだ夜が明けきらん頃に大原に出発してなぁ。お供の人は右大臣実定、兼雅、源通親と6人の貴族、殿上人8人、北面の武士が数名いう一行でいかにも御忍びの様子やん。
法皇は鞍馬街道を通り清原深養父が建てはった補陀楽寺や後冷泉天皇の皇后が住んだ旧邸跡を深深と見てから大原に向かってん。遠い山々の雲が散った様な様子は花々の形見の様に思って青葉が繁げ始める梢が春の名残を感じるんやな。四月も二十日を過ぎた頃やねん。誰も通らん道を輿に揺られながらこんな所に住んでる女院の境遇を深深と哀れに思ってはんねん。
やがて西の山の麓に一つの御堂が見えてん。
これが寂光院やねん。
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庭の若草が生い茂ってなぁ、青柳が糸の様に風になびく様子とかぁ~池のうきくさがたなびいてる感じとかぁ、錦の布を水にさらしているみたいやん。ほんでもって中島の松に藤の花の色と葉っぱがある遅桜の花は初めて咲く花より珍しいんやぁ。岸の山吹も咲き乱れていくつも重なった雲の間からほととぎすの一声が法皇をめっちゃ待っててん。って感じ

(中略)

法皇、「人や有る、人や有る」と召されけれども、おんいらへ申すものもなし。
ややあつて老衰たる尼一人参りたり。
「女院はいづくへ御幸なりぬるぞ」とおほせければ、
「この上の山へ花摘みにいらせたまひてさぶらふ」と申す。
「さこそよをいとふおんならひといひながら、さやうのことにつかへたてまつるべきひともなきにや、おんいたはしうこそ」とおほせければ、この尼申しけるは、「五戒十善の御果報はうつきさせたまふによつて、今かかる御目をご覧ぜられさぶらふにこそ。捨身の行に、なじかは御身をしませたまひさぶらふべき。因果経には、『欲知過去因、見其現在果、欲知未来果、見其現在因』ととかれたり。過去未来の因果を、さとらせたまひなば、つやつや御嘆あるべからず。昔悉多太子は、十九にて伽耶城を出て、壇徳山のふもとにて、木の葉をつらねてはだへをかくし、嶺にのぼつて薪をとり、谷にくだりて水をむすび、難行苦行の功によつてこそ、遂に成等正覚したまひき」とぞ申しける。

この尼の有様を御覧ずれば、きぬののわきも見えぬ物を、むすびあつめてぞ着たりける。あの有様にても、かやうの事申す不思議さよとおぼしめして、
「そもそも汝はいかなるものぞ」とおほせければ、この尼さめざめとないて、しばしは、御返事にもおよばず。
ややあつて涙をおさへて、

「申すにつけてはばかりおぼえさぶらへ共、故少納言入道信西が娘、阿波内侍と申す者にてさぶらふなり。母は紀の二位、さしも御いとほしみふかうこそさぶらひしに、ごらんじ忘れさせたまふにつけても、みのおとろへぬるほどおもひしられて、今更せんかたなうこそさぶらへ」とて、袖を顔におしあてて、忍びあへぬさま、目もあてられず。
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この大原女姿は阿波内侍が生活の足しにする為に姿を替えまきぎを売り歩いた姿が初めという伝承があります。
真実は?寂光院は高倉天皇中宮建礼門院が入堂した御寺、寺院の記録にも鎌倉幕府は元平氏の領地を寂光院領とした記録もあるので生活には苦労は???



法皇も、「げにも汝は、阿波内侍にてあるござんなれ。ごらんじ忘れさせたまふぞかし。なにごとにつけても、ただ夢とのみこそおぼしめせ」とて、御涙せきあへさせたまはねば、共奉の公卿殿上人も、「不思議のこと申す尼か
なとおもひたれば、理にて有りけるとぞ、おのおの申しあはれけり。

訳:法皇は「誰かいいひんのか。誰かいいひんのか。」と叫ぶんやけど誰も答えへんねん。
ちょっとしてから一人の年老いた尼が来てん。
「女院はどこに行ったん?」と法皇が聞いたらなぁ。
その尼は「この上の山に仏花を摘みにいってはるねん。」と答えはってん。
「花摘みなんか自分でしてはんのか?お仕えの人がする様な事もしはるんやなぁ。仏の道に入らはったっゆうけど、嘆かわし事やなぁ。」と法皇が言いはったら、
この尼は「善い行いをしてはったのにそんな運も尽きてこんな目に合ってはるけれど、これは修業と思ってはります。御釈迦様の伝記に書いている様に悟りたいと思ってはるから少しも嘆く事はしいへんねん。お釈迦様も出家前も皇子でいらしたのに宮殿を出て山で修行されたから難行苦行を重ねて御仏の悟りをひらかはったんやから。」
法皇はこの貧しい着物を着た尼がりっぱな事を言うはるから不思議に思いはって「あんた誰なん」って聞いてん、ほんだら尼はハラハラと涙を流してなぁ、返事しはれへんねん。やっとなんとか口にすると、
「言いにくいんやけど、私は死んでもうたぁ。少納言入道信西の娘阿波内侍といわれた者やんねん。母は紀伊の二位で法皇の近くで仕えていたのに忘れられてたなんて、めっちゃ悲しい~(崇徳天皇(後白河法皇の同母兄)の寵愛も受けたこともあっつたのにこ、んな所でみすぼらしい身なりでしかもこんな身の上にした法皇さんに見られて)嘆かわしいなあ(なさけないなさけない)」
袖に顔を押し当てて涙をこらえらへん様子はきのどくで法皇はもらい泣きして涙を流しはって言うねん。
「そうやったんか。お前は阿波内侍やったんか。・・・遠い昔の事で思い出す事もなかったんやけど。こうして会うとはただただ夢の様やなぁ」
お供の者もなるほど阿波の内侍やったんか。ほなら不思議な尼いうんもわかるなぁ。


おもひきやみやまの奥にすまひして雲ゐの月をよそにみんとは

(中略)
さる程にうへの山より、こき墨染の衣着たる尼二人、岩のかけじをつたひつつおりわずらひ給ひけり。
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女院が花摘みに入った翠黛山
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法皇是を御覧じて、「あれは何者ぞ」と御尋あれば、老尼涙をおさへて申けるは、「花がたみひじにかけ、岩躑躅とり具ひしてもたせ給ひたるは、女院にてわたらせ給ひさぶらふなり。爪木に蕨折具してさぶらふは、鳥飼の中納言惟実の娘、五条大納言国綱卿の養子先帝の御乳母大納言佐」と申もあへずなきけり。法皇もよにあはれげにおぼしめして、御涙せきあへさせ給はず。
女院はさこそ世を捨てる御身と言ひながら、いまかかる御ありさまを見えまいらせむずらんはずかしさよ。消も失せばやとおぼしめせ共かひぞなき。よひよひごとのあかの水、結ぶたもともしほるるに暁をきの袖の上、山路の露もしげくして、しぼりやかねさせたまひけん、山へもかへらせ給はず。御庵室へも入らせ給はず、御涙にむせばせたまひ、あきれて立てせまししたる処に、内侍の尼参りつつ花がたみをば給はりけり。

訳:そうこうしているうちに上の山から濃い墨染の衣を着た尼二人が岩の間を下ってきてん。
法皇は「あれは誰やねん」と尋ねると老尼は涙をこらえて言いはんねん。
「花籠をひじにかけて岩躑躅を持ってはんのは女院、薪に折り取った蕨をもってんのが大納言佐。鳥飼中納言の娘で五条大納言邦綱卿の養子になった先帝の安徳天皇の御乳母で・・・・(あんな姿にしたんは法皇さんや思うとほんまにおいたわしくて・・・)」と言い終わらんうちに泣くと法皇も(心にもなく)哀れに思ってもらい涙しはってん。
法皇をご覧になった女院は(平氏をみかぎって源氏に加担して一族や息子安徳天皇を抱いて母が海へ身投げ、自分は源氏の兵士に助けられ自殺未遂、出家してこんな山田舎に人しれず暮らしてんねんそんな)みすぼらしい姿を法皇に見られた恥ずかしさで消えたいわぁ。と思いはったんやけどどうしようもないやん。女院もその場にたちつくすんで(ほんまになさけないやら、はらだたしいやら)泣いてはんねん。
そんな女院にちかずき阿波内侍が花籠をそっと受け取りはります。
 

正直この後白河法皇の大原御幸は個人的にまあぁ良く普通に建礼門院に会い、しかも涙まで流して二人で悲しみ合う仲か???と本当に疑問です。平家物語時代が時代小説的な文学ですからかなり想像させて書いています。文治年間は後白河法皇が源頼朝の政治介入に危機を感じ対抗処置をせまられていた頃です。昔の人を思い出してその人物に会いに行くなどというノスタルジックか感傷に思いをふけている頃ではありません。おそらく(絶対に)大原御御幸はなかった。

平安時代末期藤原氏の血が薄い後三条天皇(母は禎子内親王)の頃から徐々に藤原氏の権勢が衰え始め、その子白河天皇が始めて譲位し院政政治に移行してゆきます。
その白河天皇の玄孫鳥羽上皇と待賢門院との第四皇子が後白河天皇です。
彼は藤原氏への牽制、天皇一族の天皇継承問題を桓武平氏の傍流伊勢平氏を重用することで自身の政治基盤を盤石の物にしていきます。
特に平清盛一族は御白河上皇の後宮に女御として入内させた滋子(清盛の継室時子で二位尼の姉)が高倉天皇を産んだ事で後白河上皇の院政で大きな勢力を持つようになりました。しかし滋子(建春門院)が死去すると後白河上皇は巨大化する平清盛に大きな脅威を感じ、平氏との関係は悪化します。しかも後白河法皇の息子高倉天皇は安徳天皇に譲位するとすぐに実父と義理の父の板挟みのストレスでかすぐに病死します。
こうなると後白河上皇は平氏の敵である源氏に平氏打倒を促し始めます。
最終的に木曽義仲、源頼朝ら源氏の勢力が起兵、清盛は病いの中病死、残された平氏は安徳天皇、二位局(清盛の妻)、建礼門院を船で西国に逃げ、最後は九州と山口県にある壇ノ浦の戦いで平氏の世は滅亡しました。

つまり、後白河上皇は自ら育てた勢力平氏を滅亡に追いやった人物です。
建礼門院にとっては父の敵でありわが子安徳天皇と母二位局を死に追いやったにっくき人物でもあるのです。

なのに・・・昔を懐かしんでお互いを慰め合う???

平家物語は琵琶法師によって語り継がれたかなり創作上の物語

ただ平家物語にこの項があるという事はこの時代の人々のこの平家物語の大原御幸の物悲しさに語る姿に疑問を感じる所か物悲しさに惹かれたのでしょう。


「女院死去
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さるほどに、寂光院の鐘の声、今日も暮れぬとうち知られ、夕陽西に傾けば、おん名残りは尽きせずおぼしめされけれども、おん涙をおさへて、ならせたまひけり。女院はいつしか昔をやおぼしめし出ださせ給ひけん、忍びあへぬおん涙に、袖のしがらみせきあへさせ給はず。おん後を、遙かにご覧じおくつて、還御もやうやうのびさせ給へば、御庵室にいらせたまひて、仏のおん前に向かはせ給ひて、「天子聖霊、成等正覚、一門亡魂、頓証菩提」と、祈りまうさせ給ひけり。昔はまづ、東に向はせ給ひて、伊勢大神宮、正八幡宮伏し拝ませおはしまし、「天子宝算(てんしはうさん)千秋万歳(せんしうばんぜい)」とこそ祈り申させ給ひしに、今はひきかへて、西に向はせ給ひて、「過去聖霊、かならず一仏土へ」と、祈らせ給ふこそ悲しけれ。女院はいつしか昔恋しうもやおぼしめされけん。御庵室の御障子に、かうぞあそばされける。

このごろはいつならひてかわがこころ大宮人のこひしかるらん 

いにしへも夢になりにしことなれば柴のあみ戸もひさしからじな 

また御幸の御共にさぶらはれける、徳大寺の左大将実定公、御庵室の柱に、書きつけられけるとかや。

いにしへは月にたとへし君なれどそのひかりなき深山辺の里 

女院は来し方ゆく末の、うれしう、辛かりしことども、おぼしめしつづけて、おん涙にむせばせ給ふ折節、山時鳥のふた声、み声おとづれて通りければ、女院、

いざさらば涙比べん時鳥われもうき世にねをのみぞなく

訳:寂光院の鐘も音が日昏も近ずてるんを知らせる頃、法皇は涙を押えて還御しはった。女院は今更昔を思い出して(優雅に繁栄していた一族と自分の幸せな生活を懐かしんで、死んだ我子を思うと更に法皇を憎らしくも思うやん)涙して見送りはってん。
法皇の行列が遠ざかると女院は本尊に向かい御祈りしはってん。障子に和歌をのこさはってん。法皇のお供の者も和歌を女院の庵の柱に書きはってん。


(中略)

かくて女院はむなしう年月をおくらせたまふほどに、れいならぬおん心地いできさせたまひて、うちふさせ給ひしが、日頃よりおぼしめしまうけたるおんことなれば、仏の御手にかけられたりける、五色の糸をひかへつつ、「南無西方極楽世界の教主、弥陀如来、本願過ち給はずは、必ずず引摂し給へ」とて、おん念仏ありしかば、大納言佐の局、阿波内侍、左右にさぶらひて、今をかぎりのおん名残りの惜しさに、声々にをめきさけびたまひけり。おん念仏のおん声、やうやうよわらせましましければ、西に紫雲たなびき、異香室にみちて、音楽空に聞こゆ。限りあるおんことなれば、建久二年二月中旬に、一期遂に終わらせ給ひけり。
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二人の女房たちは、后宮のおん位よりつきまゐらせて、片時も離れまゐらせずしてさぶらはれしかば、別路のおん時も、やるかたなくぞおもはれける。この女房たちは、昔の草のゆかりも、みな枯れ果てて、寄る方もなき身なれども、折々のおん仏事、営みみたまふぞあはれなる。この人々も、遂には龍女が正覚の跡を追ひ、ゐだいけ夫人の如くに、みな往生の素懐を遂げるとぞ聞こえし。
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女院に仕えた方内侍、安徳天皇乳母達の御墓
訳:月日は流れて病気でねこんではった女院は建久二年中旬の頃に二人の尼大納言佐と阿波内侍が名残りおしさに泣いて嘆いて見取られながら念仏を唱える声も弱弱しくなり遂には静かに死にはったんやん。
「西に紫雲がたなびいいて部屋は異なる香が満ちて音楽も聞こえてるねん。」
ずっと女院の側に仕えた二人の尼も仏の道を全うして遂には極楽浄土の世界にゆかはったんやん。



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京都市内に戻り、北大路の嘯月に予約の和菓子を取りに行きます。
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帰宅後いつもの茶会です。

今回のお茶は一保堂茶舖さんの「天下一」

器はいつもの「陶あん」さんです!
しば漬けは女院の為に里の人が献上したのを始まりとされています。紫は高貴な色とされましたからそんな逸話があってもいいかなあぁ~~
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お土産さんで購入したしば漬けとしばのドレッシング


次回は「嵯峨・大覚寺 紫の縁」の平安時代体験ツアー~~~紹介です。


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