2012-01-10

舞少納言の歴史謎説き第二段の巻き

京草子別編「竹取物語の謎を草子していきたいと思います。


子供の頃に必ずといっていいほど読む「かぐや姫の物語」
しかしこの物語実は大きな謎に満ちた物であることはあまり知られていない。

いろいろ草子するしがいのある物語なのです。

「竹取翁の物語」もしくは「かぐや姫の物語」とも呼ばれる原本は存在せず写本は室町時代後期後光厳天皇筆「竹取物語断簡」完成本は安土桃山時代武籐本が最古と言われています。

大和物語、又うつぼ物語の記述にも現れ、源氏物語の絵合で「物語の出て来てはじめの祖なる竹取の翁」と書かれているように日本最古の物語です。

当初は口承説話から漢文の影響を受け漢文で完成し、語に平仮名で書き改められたと言われています。

日本では「万葉集」巻十六 第三七九一歌 竹取の翁が天女を詠んだ長歌があり、チベットのアバチベット族に伝承された「班竹姑娘」という似た物語があるそうです。

その一番の大きな謎

①まず作者がわからない。
②いつ書かれたのかもわからない。

ならばその謎を解明していきましょう。

(1)誰が書いたのか?

プロファイリングしちゃいます。

作者:①優れた文才、古典、歴史、和歌、地理、外交等の知識が深い。
   ②文武天皇期の朝廷の重臣特に藤原氏を非常に敵視している。
   ③天皇には好意的。
   ④奈良前期時代の政治事情を詳細に知る人物。
   ⑤民間伝承、国内地理、海外の知識も豊富。
   ⑥貴重な紙を入手する事が可能で裕福な人物。
   ⑦石上麻呂にはやや同情的。
   ⑧世情に詳しい。
   ⑨物語を書く時間がありと朝廷殿上人との交流がないもしくは僅か。

では物語をひらがな原文で拾っていきましょう。

「今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山なる竹をとりてよろづの事につかひけり。名をば、讃岐の造といひける。その 竹の中に、もとひかる竹、一筋あり。あやしがりて、よりて見るに、筒の中ひかりたり。それをみれば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。翁いふやう、「我あさごとゆふべに、見るたけの中におはするにて知りぬ。子になり給べき人なんめり」とて、手にいれて、家にもてきぬ。妻の女にあづけて、やしなはす。うつしきことかぎりなし。いと幼なければ、籠にいれてやしなう。竹取の翁、なを竹をとるに、この子を見つけてのち、とる竹に、節をへだてて、ことにこかねある竹見つくる事かさなりぬ。
かくて翁、やうやうゆるらかになり行。このちごやしなうほとに、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりやしなうほどによきほどなる人になりぬれば、髪上げなど左右して、髪上げさす。裳きせ、帳のうちよりもいださず、いつきやしなう。
このちごのかたちの、けうらなる事、世になく、屋のうちはくらきところなく、ひかりみちたり。翁の、心ちあしく、くるしき時も、この子を見れば、くるしきこともやみぬ。はらだたしきことも、なぐさみけり。翁、竹をとる事、ひさしくなりぬ。いきをゐ、まことの物になりにけり。この子、いと大きになりぬれば、この子の名を、みむろのあきたをよびて、つけさす。あきた、なよたけのかぐや姫とつけつ。この子、一日うちあげうちあげあそぶ。よろづのあそびをぞしける。おとこは、上下えらはず、よびつどへて、いとかしこくあそぶ。」

簡訳:
竹を取るのを生業とする讃岐造、竹の中から小さな少女を見つけ、育ていると竹から小判がザクザク!!大金持ちに!尋常でないほど早く成人した女の子は光輝く美人、見ている者も幸福な気持ちにさせてくれ翁は御室戸の神祇を生業とする秋田という者に名前を名付け、邸の奥深くに大切にしていました。

舞台は大和国、讃岐造とあるので四国と思い浮かべるや実は大和国です。
何故なら北葛城郡広陵町に讃岐神社があります。
この神社は讃岐国出身で移住した斎部氏が同地に移住した際に建立をしました。この斎部氏は古代から中臣氏と並び神事を携った一族でした。
しかし中臣氏と藤原氏が分化した後、その地位を奪われた一族です。

但し物語に登場する御室戸斎部氏はこの一族には存在しません。
藤原氏と同じ中臣氏への対抗という意味で登場したとも言えるのです。

その名を持つ翁は大和地方に住む竹狩りをして生計を立てる人物でした。
何故に竹なのか?竹はどんな土壌の地にでも育つ事ができ、その強い生命力から「竹」というアイテムが選ばれたのではないでしょうか?

なよ竹のかぐや姫という名前実は垂仁天皇の妃で迦具夜比売という人物が日本書紀に登場します。この垂仁天皇は実在性をうたがわれていますが、日本書紀では皇后の兄の反乱にあい皇后が自殺しています。又旧跡藤原京にある迦具山の名も気になります。

世界の男の、あてなるも、いやしきも、「いかで、このかぐや姫を、えてしがな」とぞ、音にもききめでて、そのあたりのかきにも、家のとにも、をる人だに、たやすく見るまじき物をよるはやすくゐもねず、やみの夜にいでても、あなをくじり、かいばみ、まどひあへり。かかるときよりなむ、よばひとはいひける。人の音もせぬところに、まどひありけども、なにのしるしあるべくもなし。家の人どもに、「物をだにいはむ」とていひかかれど、ことともせず、あたりをはなれぬきみだち、夜をあかし、日をくらせる、いとおほかり。をろかなる人は、「ようなきありきは、よしなかりけり」とてこずなりにけり。そのなかに、なをいひけるは、色ごのみといはるるかぎり、五人、おもひやむ時なく、よるひるきけり。その名どもは、石作皇子草持皇子右大臣阿倍御主人大納言大伴御幸中納言石上麻呂、この人たちなりけり。

簡訳:
世の中の男達はこの美人の噂に邸を訪れていました。中でも5人の殿上人が翁に熱心にかぐや姫への愛を訴えかけます。この求婚者の五人は実在の人物と言われています。
まず石作皇子のモデルは多治比嶋(宣化天皇の玄孫)→個人的に701年というキ―ワドに基ずき刑部親王と推測
車持皇子     藤原不比等(天智天皇と鏡王女の子?)
右大臣阿部御主人 701年就任の官位も名も同じ
大納言大伴御行  701年就任   同
中納言石上麻呂  701年就任   同

車持皇子は藤原鎌足と鏡王女の息子とも鎌足と車持娘の息子とも言われていますが、実は鏡王女は天智天皇の妃であった女性。天智天皇から鎌足に下賜された女性と言われています。
この時実は鏡王女は妊娠中それが不比等!不比等の大出世の影に天智天皇の隠し子説がささやかれる元になっています。

五人共天武天皇と持統天皇の長男草壁皇子の息子文武天皇政権化で活躍していた朝廷の重鎮達です。

物語は実は701年平安時代ではなく奈良時代に設定されています。

つまりかぐや姫は十二単衣姿ではなく
IMG_9055 (0)
かもしくは
かぐや姫
かぐや姫の衣裳はこんな感じだったはず。

世中におほかる人をだに、すこしもかたちよしとききて、見まほしくする人どもなりければ、かぐや姫をえまほしくて、物もくはずして、おもひつつかの家にゆきて、たたずみありけどかいあるべくもあらず。ふみをかきてやれども、返事もせず。わびうたなどかきをこすれど、「かひなし」とおもへど、しも月しはすのふりこほり、みな月のてりはたたくにも、さはらずきけり。この人びと、ある時は、竹取のよびいでて、「みむすめをくれ給へ」とふしおがみ、てをとりてのたまへど、「をのがなさぬ子なれば、心にもしたかはず」などいひて、月ひをすごす。かかれば、この人びと、家にかへりて、ものをおもひ、いのりをし、願をたてすれども、おもひやむべもあらず。かくおもひいふ事やまず、「さりとも、つゐにおとこあらせざらむやは」とおもひて、たのみをかけたり。あながちに、心ざしを見らんとす。これを見つみて、翁、かぐや姫にいふやう、「我この佛、へんげの人と申なから、ここらおおきさまで、なでおほしやしなひたてまつりつ。心ざしおろかならずは、翁の申さむ事は、きき給てむや」といへば、「なに事をかは、の給むことは、うけ給はらざらむ。変化の物にて侍けむ身をもしらず、おやとこそ、おもひたてまつれ」といふ。翁、「うれしくも、のたまふ物かな。翁、とし七十にあまりぬ。けふあすともしらず。この世の人は、女は男にあふことをす。そののち、門ひろくもなり侍る。いかでか、さてことなくてはおはせむ」かぐや姫いはく、「なんでう、さる事かし侍るべき」といへば、「変化の人といふとも、女の身をもて、翁のあらむかぎりは、かくてもいますらむかし。この人々の、とし月をへて、かくのみいましつつ、の給ふことを、おもひさだめて、あひ給ね」といへば、かぐや姫いはく、「よくもあらぬかたちを、ふかき心ざしをしらず、あだ心つきなば、のちくやしき事もあるべきを、とおもふばかりなり。世のかしこき人なりとも、ふかき心ざしをしらで、あひがたしとなむおもふ」といふ。翁いはく、「おもひのごとくもの給かな。そもそも、いかやうなる心ざしに、あひ給はむとおぼすらむ、心ざしおろかならぬ人々にこそあむめれ。かぐや姫のいはく、「なにばかりの心ざしをみむとか、いささかなる事なり。人のみこころざしは、ひとしかんなり。いかでか、これが中に、おとりまさりはしらむ。『五人のひとの中に、ゆかしき物を見せ給はむに、御心ざしまさりたり、とて、つかうまつらむ』と、そのおはすらむ人に、申給へ」といふ。「よき事なり」とうけつ。
やうやう、日くるるほどに、れいのごとく、きあつまりぬ。あるいはふゑをふき、あるいはうたをうたひ、あるいはしゃうがをし、あふぎをうちならしなどするに、翁いでていはく、「かたじけなく、きたなき所にとし月をへて物し給。きはまりてかしこまり申、『翁、いのち、けふあすしらぬを、かくの給ふ。君たちにも、よくおもひさだめて、つかうまつれ』と申もことわりなり。『いづれも、おとりまさるおはしまさねば、さだめがたし。ゆかしくおもひ侍るものの侍を、見せ給はむに御心ざしのほどは見ゆべし、つかうまつらむ事は、それになむさだむべき』といへば、これ、よきことなり。人の御うらみ事、あるまじ」といふ、五人の人々も、「よき事なり」といへば、翁いりて、かぐや姫にいはく。「石つくりのみこには、ほとけの御石のはちといふ物あり。それをとりて給へ。くらもちの御子には、ひんがしのうみに、ほうらいといふ山あんなり。そこに、しろがねをねとし、こがねをくきとして、しろきたまをみとしたる木あり。それひとえだ、おりて給はらむ。いまひとりにはもろこしにあむなる、ひねずみのかわぎぬを給へ。おおともの大納言には、たつのくびに、五いろにひかるたまあむなり。それとりて給へ。いそのかみの中納言には、つばくらめのもたるこやすがい、ひとつとりてたまへ」といふ。翁、「かたき事どもにこそあむなれ。このくににある物にもあらず。かくかたき事をば、いかで申さむ」といふ。かぐや姫ののたまはく、「なにか、かたからむ」といへば、翁、「ともあれかくもあれ、申さむ」とていでて、「かくなむ、この物をなむ、きこゆるやうに、見せ給へ」といへば、みこたち、かんだちめききて、「『おいらかに、このあたりよりありきそ』とやはのたまはぬ」といひて、からうしてみなかへりぬ。

超簡訳:
翁はかぐや姫にこの五人のうちの一人と結婚をせまりますが、姫は五人にむりやりな難問を与えそれを得た者の妻になると宣言します。

この重鎮達を美貌とはいえ庶民の娘が翻弄させてゆきます。ものすごい悪女なんですよ。かぐや姫は!!!
物語はここからがクライマックス一番の読みどころ、なんせ庶民の娘が時の権力者達をバッサバッサと切っていきます。

①一人目石作皇子「仏の御石鉢」

なをこの女見では、よにあるまじき、心ちどもなむしければ、「てんぢくにある物ももてこぬ物かは」とおもひめぐらして、い石作の御こは、心のしたくある人にて、「てんぢくに、ふたつとなきはちをば、八千里のほどゆきたりとも、いかでか、とるべき」とおもひて、かぐや姫のもとには、「いまなむ、てんぢくへ、いしのはちとりにまかる}ときかせて、三年ばかり、やまとのくに、とをちのこほりにある山寺に、びんづるのまへなるはちの、ひたぐろにへすみつきたるをとりて、にしきのふくろにいれて、つくり花のえだにつけて、かぐや姫の家に、もてきて見せければ、はちのうへにも文ぐしたり。ひろげてみれば、かくなり。

うみ山のみちに心はつくしてきないしのはちのなみだながれき

かぐや姫、「光やある」と、とばかりみるに、ほたるばかりのひかりだになし。 おく露のひかりをただぞやどさましおぐら山までなにたづねけむ とて返していだす。はちをかどにすてて、この御こ、うたのかへしをす。

しら山にあへばひかりのうするかとはちをすててもなげかるるかな

とよみて入たり。かぐや姫、返しせずなりぬ。みみにもきき入ざりければ、いひわづらひてかへりぬ。
かのはちをすて、またいひけるをききてぞ、おもひなげきをば、「はちをすつ」といひける。

簡訳:仏の御石の鉢を持ってこいといわれた石作皇子はかぐや姫を妻に出来ずにこの世に生きていてもしかたないとは考えてはいましたが、この皇子は現実的な人だったので、遠い天笠(インド)に行っても鉢を手にいれるなど不可能と思っていました。そこでかぐや姫には「天笠に行きます」と言い三年の後奈良の十市の郡の山寺にあった黒く煤けた鉢を手に入れて錦の袋を被せ、造花の枝を結びつけてかぐや姫に届けました。
この世の中にあるはずのない鉢があるのを不可思議に思い、鉢の中をのぞくと手紙が入っていました。

「難波から天笠まで海山を超え精根尽果て血を涙を流す思いで手にいれた鉢です」と書かれた和歌が書いてあります。
しかし本物の仏の鉢は光を放っていましたが、目にある鉢はただ煤けただけの凡庸な鉢でしたのですぐに偽物だとかぐや姫は気付きました。

「草に奥ほどの小さな光でもあればよかったのにいったいあなたは小暗山の奥で何を探していたのやら」
と和歌を詠んで鉢と一緒につっ返しました。
石作皇子は返された鉢を姫の邸の門に捨てて、かぐや姫の和歌の返歌を返します。

「白山のように光り輝くあなたに出会ってしまったので持っていた光を失ってしまったのではないでしょうあかと鉢を捨てましたが、あなたの事が忘れられません。」

返歌のないのをすごすごと帰りました。

この様に鉢を偽造し、その鉢を捨てて尚あつかましくかぐや姫に言い寄った事からあつかましい事を「はぢを捨てる」というようになりました。

石作皇子は現実的な人でした。といいます。というと701年というキーワードに当てはめる人物は文武天皇期に活躍した大宝律令に係わった刑部親王ではないでしょうか?天武天皇の皇子で高市親王の後親王の筆頭親王。作者は天皇家には好意的な書き方をしています。本名を明かさないのは親王の名誉を重んじたとも言えます。

②二人目草持皇子「蓬莱山の玉の枝」

草持の御子は、こころたばかりある人にて、おほやけには、「筑紫の国に、ゆあみにまからむ」といとま申て、かぐや姫には、「玉の枝とりにまかる」といはせてくだり給はむに、つかうまつるべき人は、みななにはまで、御おくりしけり。皇子いとしのびて、人もあまた、いでおはしまさで、ちかうつかうまつる人どものかぎりして、「おはしましぬ」と人にはしらせ見せ給て、二日ばかりありて、こぎかへり給ぬ。かねてこそ、みなおほせられたりければ、その時、ひとりのたからなりける、かぢたくみ六人をめしとりて、たはやすく、人よりくまじき家をつくりて、かまどを、三へにして、こめて、たくみらをいれ給つ。皇子も、おなじ所にかくれゐて、しらせたまへるかぎり、十二方をふたぎ、かみにくちをあけて、たまのえだをつくり給。かぐや姫ののたまふやう、たがはずつくりいでつ。かしこくたばかりて、みそかになにはに出ぬ。「船にのりて、かへりにけり」と殿につげやりて、いといたく、くるしがりてゐ給へり。むかへに人、おほくまゐりたり。玉の枝は、なかびつにいれて、物おほいてもてまゐる。いつかききけむ、「草持の御子は、うどむげのはなもちて、のぼり給へり」とてののしりけり。これを、かぐや姫きき給て、「我はこのみこにまけぬべし」とむねつぶれておもひをり。かかるほどに、かどをたたきて、「草持のみこ、おはしたり」とつぐ。「たびの御すがたながら、おはしましたり」といへば、翁あひたてまつる。みこのたまはく、「いのちをすてゝなむ、かのたまのえだとりて、まうできたる。かくやひめに、とくみせたてまつり給へ」といへば、翁、もて入ぬ。この玉の枝にふみぞつけたりける。

いたづらに身はなしつともたまのえにたをらでさらにかへらましやは

たとえ死んだとしてもこの玉の枝を手折って帰ってはこれなかったでしょう。けれど帰ってくる事が出来たのです。

これをも、あはれとも見でをるに、竹取の翁、はしいていはく、「みこに申給し、蓬莱の玉の枝を、ひとつの所あやまたず、もちておはしませり。なにをもちてか、さらにとかく申べき。たびの御すがたながら、我家へも、より給はずして、おはしたり。はや、みこにあひつかうまつれ」といふに、物もいはで、つらつへをつきて、いみじう、なげかしげにおもひたり。このみこ、「いまさへなにとの給べきならず」といふままに、縁にはいのぼり給ぬ。翁ことはりにおもふ。「このくにに、見えぬさまなる、たまのえだなり。このたびは、いかでか、いなび申さむ。人さまもよき人におはす」などいひゐたり。かぐや姫のいふやう、「おやののたまふ事を、ひたぶるに、いなと申さむことのいとをしさになりかたき物を。かくあさましく、もてきたることを、ねたくおもふ」翁は、ねやの中を、しつらいなどす。
翁、みこに申やう、「いかなる所にか、この木はさぶらひけむ。あやしくうるはしく、めでたき物にこそ」と申。みこ、こたへてのたまはく、「さいととしの〈きさらぎの〉十日ころより、なにはよりふねにのりて、うみの中にいでて、いかむかたもしらず、おぼえしかども、おもふことならで、世中にいきてかいなし。かぜにまかせてありく。命しなばいかがせむ。いきてあらむかぎり、かくありきて、『蓬莱といふなる、山はありや』と海にうきただよひありく。我くにのうちをはなれて、まかりありきしに、あるときには、なみあれつつ、うみのそこにいりぬべく、ある時は風につきて、しらぬくににふきよせられて、おにのやうなる物いできて、ころさむとしき。ある時には、きしかた行さきも見えぬうみにまきいれむとしき。あるときには、かてつきて、くさ木のねをくひものにはしき。ある時には、いはむかたなく、むくつけげなる物いてきて、くひかからむとしき。あるときには、うみのかいをとりて、命をつぐ。ある時には、さるたびのそらに、たすけ給べき人もなき所に、いろいろのやまひをして、ゆくかたそらもおほえず。かへらむ所、いづかたおぼえず。船のゆくにまかせて、うみにただよひ、五百日といふ、たつのときばかりに、うみの中に、わづかに山みゆ。船のうちをなむ、せめて見る。海の上にただよへる山、いとおほきにてあり。その山のさま、たかくうるはし。『これや、もとむる山ならむ』とおもひて、さすがに、おそろしくおぼえて、山のめぐりをさしめぐらかして、三日ばかり、見ありくに、天のよそほひしたる山女、やま中よりいできて、しろかねのかなまりをもちて、水をくみありく。これを見て、船よりおりて、『この山の名をば、なにと申ぞ』ととふ。女、こたへていはく、『これは、蓬莱の山なり』といふ。これをきくに、うれしき事かぎりなし。この女、『かくの給ふは、たれぞ』ととふ。『わか名はこらんなり』といひて、やまのなかにいりぬ。その山をみるに、さらにのぼるべきやうなし。そのやまの、そばひらを見あぐれば、世中になき、はなの木どもあり。こがね、しろがねのみず、山よりながれいでたり。それには、いろいろのたまのはしわたせる。そのあたりに、てりかがやく木どもたてり。その中に、このとりてまうできたるは、いとわろかりしかども、のたまひしにたがはず、このはなをおりて、まうできたるなり。山はかぎりなくおもしろく、世にたとふべきにあらざりしかど、このえだをおりてしかば、さらに、なにのこころもなくて、ふねにのりて、おひかぜふきて、四百よ日になむ、まうできにし、大願の力にやありけむ、なにはにふきよせられて侍し。なにはよりは、昨日なむ、都にはまうできつる。さらに、しほにぬれたるきぬをだに、ぬぎかへなでなむ、ここには、まうできつる」とのたまふを、この翁ききてうちなきてよむ、そのうたは

くれ竹のよよの竹取野山にもさやはわびしきふしをのみみし

竹取りの山、野に苦労したこの仕事よりもたいそう辛い目にあった事がありましょうか。

これを御子ききて、「ここらの日ごろ、おもひわび侍りつる心ちは、けふなむ、おちゐぬる」との給て

我たもとけふかはけれはわびしさのちぐさのかずもわすられぬべし

海水と涙で濡れた袖も今日はすっかり乾いたのでこれまでの苦労は忘れられるに違いありません。

ときこゆるほどに、おとこども、六人つらねて、にはかにいできたり。ひとりのおのこ、ふみばさみに、文をはさみて申、「つくも所のたくみ、あやむべのうち申さく、たまのえだを、つくりつかふまつりし事、五こくをたちて、千よ日に、ちからをつくしたること、すくなからず、しかるに、ろくいまだ給はらず、これを給て、われらがけごに給はせむ」といひて、ささげたり。竹取の翁、「このたくみらが申事は、なにことぞ」と、あやしがりてかたぶきをり。みこは、われにもあらぬ心ちして、きもきえゐたまへり。これをかぐや姫ききて、「かのたてまつる文とれ」といひて見れば、文に申けるやう、「御子の君、千日、いやしきたくみら、もろともに、おなじ所に、かくれゐ給て、かしこきたまの木を、つくらせ給ふとて、『つかさも給はむ』とおほせ給き。それを、このころあむずるに、『御使つかゐおはしますべきかぐや姫のえうじ給ふきなりけり』とうけ給はりて、『この宮より給はらむ』とて、まいれるなり」といふをききて、かぐや姫の、くるるままに、おもひわびつる心に、わらひさかへて、翁をよびとりて、いふやう、「まことのほうらいの木とこそおもひつれ、かくあさましき、そらごとにてありければ、はや返し給へ」といへば、翁こたふ、「さだかにつくらせたる物とき、かへさむこと、いとやすし」とうなづきをり。かぐや姫の、心ゆきはてて、ありつるうた、返

まことかとききて見つればことの葉をかざれるたまの枝にぞありける

本物の玉の枝と思っていましたが、言葉なくみにだました偽物だったんですね。

といひて、たまのえだかへしつ。竹取の翁は、さばかりかたらひつるうへ、かすかにおぼえてねぶりをり。みこは、たつもはした、ゐるもはしたにおぼえてゐ給へり。日のくれぬれば、すべりいで給ぬ。かのうれへせしたくみを、かぐや姫、よびすへて、「うれしき人どもなり」といひて、ろくいとほしくとらせ給。たくみら、いみじくよろこびて、「おもひつるやうにもあるかな」といひて、かへるみちにて、くらもりのみこ、ちのながるるまで、ととのへをさせ給。ろくえしかひもなくてければ、みなみな、とりすて給てければ、にげまどひにけり。かくて、このみこは、「いささのはぢ、これにまさるはあらじ。女えずなりぬるのみにあらず。天下の人の、見おもはむ事ぞはづかしき事」との給て、ただひとところ、ふかき山へいり給ぬ。宮づかさ、さぶらふ人々は、みなてをわかちて、もとめたてまつれど、え見つけたてまつらずなりぬ。みこの御もとにては、『かくしはてむ』とて、としごろは、『たまさかなる』とは、いひはじめける。

草持皇子は大変な策略家であると冒頭からめった切り!
しかも最初から努力することなく、かぐや姫を騙しかけるという陰謀家であると言い放ちます。
最後には身を隠すという所が、今の私達は鎌足は知っていても不比等(草持皇子)を知らないという事とも繋がるとも言えます。

超簡訳:蓬莱山の玉の枝を持ちかえる難題をだされた草持皇子はかなりの策略家で、国には筑紫国に行くといいながら、かぐや姫には蓬莱山に行くといい、家来をつれて難波の浜に出発した様に見せかけて実はこっそり帰ってきては深い山奥に建物とカマドを造り国の名工の鍛冶職人達を密かに呼び寄せて3年の年月をかけて偽物を造らせました。すると難波の浜から帰って来たようにみせかけかぐや姫の邸にやってきます。
玉の枝を翁に渡し、かぐや姫の手物に渡るとその枝には手紙がそれてありました。
翁に結婚を薦められかぐや姫は困惑し、草持皇子は翁に嘘のつくり話しを翁に長々に話して始めます。
そんな話をしていた時に邸に6人の職人がやってきました。
職人の棟梁らしき人がいうには「くもん司の綾部のうち麻呂といいます。玉の枝を苦労して造ったのに報酬をいただきていないので困っています。どうか報酬を頂きたいと思います。」
翁は不思議に思い、かぐや姫はそれが偽物だと知り安心し二人は偽物なら返さないとと手紙と玉の枝を草持皇子につっかえしました。
皇子は気恥ずかしさに夕暮れで日が落ちてからこっそり邸から逃げ帰りました。かぐや姫は職人たちに報酬を支払い職人達は喜んで帰っていきましたが、途中で草持皇子の家来の待ち伏せにあい、暴力を受け報酬の金を取られ命からがら逃げ出しました。皇子はかぐや姫を妻に出来なかったばかりかはじまでかいたと、山の奥深く身を隠してとうとう姿をみせなくなりました
これから先、魂が抜けたように姿を隠す事を「玉さかる」という様になったのでした。


三人目 右大臣阿倍御主人「火鼠の皮衣」
右大臣阿倍御主人は、宝豊に、家ひろき人にてぞ、おはしける。そのとしきたりける唐ふねの王けいといふ人に、「火鼠の皮といふなる物、かひておこせよ」とて、つかふまつる人の中に、心たしかなる人をつかはす。小野の草もりといふ人して、つかはさす。もていたりて、かのつくしの唐といふ所にをる、わうけいにこがねとらす。王けい、この文をひろげて見て返事かく。いはく、「火鼠の皮衣、この国にはなき物なり。名にはきけども、今だ、目に見ぬものおほかり。世にある物ならば、この国へも、まうできなまし。いとかたきあきなひ物なりしかども、天笠に、もてわたりなば、もし、長者の家々に、とぶらひもとめむに、なき物ならば、つかひにそへて、かねを返したてまつらむ」といへり。唐船かへりにけり。そののち、唐ぶねきけり。をののふさもり、まうできて「まうのぼる」といふ事をききて、あゆみとうするむまをもとめてはしらせむ。むかへさせ給はむ時、むまにのりて、つくしより、ただ七日に、まうできたり。文を見るにいはく、「火鼠の皮は、からうして、人をいだして、もとめてたてまつれり。いまの世にも、昔の世にも、このかは、たはやすくなき物なりけり。昔、かしこき天笠の聖、この国に渡りて、西の山寺におよび、おほやけに申て、からうして、かいとりてたてまつる。「あたひのかねすくなし」と、こくしぞ、つかひに申しかば、王けい物くはへて買ひたり。いま、かね五十両給ふべし。船のかへらむにつけて、だにをくれ。もしかね給はぬ物ならば、かはぎぬのしちを、返したべ」といへる事をみて、「なにおぼす。いま、かねすこしにこそあなれ。かならずをくるべきにこそあなれ。うれしくして、をこせたるかな」といひて、もろこしのかたにむかへて、ふしをがみ給。このかはぎぬいれたるはこを見れば、くさぐさのうるはしきるりを、いろへてつくれり。かはぎぬを見れば、こんじやうの色なり。毛の末には、こがねのひかりをさきたり。たからとみえ、うるはしき事、ならふべき物なし。ひにやけぬ事よりも、けうらなる事、ならびなし。「むべ、かぐや姫は、このもしがり、あひし給けるにこそありけれ」との給て、「あなかしこ」とて、はこに入給て、物のえだにつけて、御身のけさう、いといたうして、やがて、とまりなむものぞとおもひて、うたよみぐして、もちていましたり。そのうたは

 かぎりなきおもひにやけぬかはごろもたもとかはきてけふこそはきめ

 あなたえの限りない思いの火にも焼けない皮を手に入れました。恋しい思いに涙にぬれた私の袖も今日は乾いて 晴れやかな気持ちできる事が出来ます。

といひたりけり。家のかどに、もていたりてたてり。竹取いでてとりいれたり。かぐや姫に見す。かぐや姫、このかはぎぬを見ていはく、「うるはしきかはなめり。わきて、まことのかわならむとしらず」竹取いでて、いはく、「ともあれかくまれ、まづ、しやうじ入たてまつらむ。よに見えぬかわのさまなれば、「これを」とおもひ給はぬ。人ないたくわびさせたてまつり給ぞ」といひて、よびすへたてまつり。「かくよびすへて、このたびは、かならすあはせむ」といひて、女の心にもおもひをり。この翁は、かぐや姫のやもめなるを、なげきとしければ、『よき人にあはせむ』とおもひはかれど、せちにいなといふことなれば、ことはりなり。かぐや姫、翁にいはく、「このかはぎぬは、火にやかむに、やけずはこそ、まこととおもひて、人のみことにまけぬ。『よになに物なれば、それをまことと、うたがひなくおもはむ』とのたまふ。なをこれをやきて、心みむ」といふ。翁、「これ、さもいはれたり」といひて、大臣に、「かくなむ」といふ。大臣、こたへていはく、「このかわは、もろこしにもなかりけるを、からうして、もとめたつねえたるなり。なにのうたがひかあらむ。さは申すとも、はやく、やきてみ給へ」といへば、火の中にうちくべて、やかせ給ふに、めらめらとやけぬ。さればこそ、こと物のかわなり」といふ。大臣、これを見給ひて、顔は、くさのはの色にてゐたまへり。かぐや姫は、「あなうれし」と、よろこびゐます。かのよみたまへりける。うたの返し、はこにいれて返す。

のこりなくもゆとしりせばかわごろもおもひのほかにおきて見ましを

こんなあっけなくなくなる偽物と知っていたらあんなに心配しないで皮衣を火に投げ入れ観賞出来たでしょうに。

とぞありける。されば、かへりいましにけり。世の人々、あへの大臣、火ねずみのかわぎぬもていまして、かぐや姫にすみたまふとな、みにみますかりとな。などとふに、ある人のいはく、「かわは、火にくべて、やきたりしかば、めらめらと、やけにしかば、かぐや姫、あひ給はずなりにき」と世中の人いひければ、これをききてぞ、とげなき事をば、『あえなし』とぞいひける。

阿倍御主人も人に頼んで自ら行動しません。ここキーワードかも。

超簡訳:火鼠の皮をかぐや姫に要求された阿倍御主人はたいそうな金持ちで唐の国のおうけいという人物にその品の購入をたのみます。使いの小野のふさもりは手紙と金をおうけに渡すとおうけいは「話しには聞いた事がありましが、実際にあったとは聞いた事がありません。天笠(インド)にはあるかもしれないので探してみましょう。なければお金返しましょう。」数年後おうけいの唐船が九州に到着したので、ふさもりを使いにいかせると手紙を持ってきました。手紙には「ようやく火鼠の皮を探しましたが、代金がたりないので私がその分を立て替えました。それを頂ければ火鼠の皮をお渡ししましょう。」すると右大臣はすぐに金をおうけいに渡し火鼠の皮を手にいれて美しい箱に入れて上に木の枝を添えてかぐや姫の邸に行きました。
邸の前で翁に箱を渡すとかぐや姫に届け右大臣は邸に入る事を許され、姫の選択を待ちます。かぐや姫は本物なら火に投げ入れても燃えないはずと翁に告げ、火にそれを投げ入れるとメラメラと燃えていきます。
右大臣は真っ青になって座ったまま身動きしません。かぐや姫は皮衣の箱を手紙を添えて右大臣に返しました。
これを聞いてうまくいかなかった事を「あえなし」という様になりました。

④ 四人目大納言大伴御幸

おほとものみゆきの大納言は、我家の人あるかぎり、めしあつめての給はく、「たつのくびに五色にひかる玉あむなり。それもてたてまつりたらむ人には、ねがはむ事をかなえむ」との給、おほせ事ををのこどもうけ給りて申さく、「おほせ事はいともたふとし。ただし、たはやすくそのたま、えとらじを。人いはむや、たつのくびのたまをば、いかがとらむ」と申。大納言のたまふ。「天のつかひといはむ物を、いのちをすててもおのが君のおほせ事をば、かなへむとこそおもふべけれ。このくにになき、天ぢくの、もろこしの物にもあらず。このくにのうみ山より、たつはおりのぼる。いかにおもひてか、きんぢにかたき物をと申べき」をのこども申やう、「さらば、いかがはせん、かたき事なりとも、おほせ事にしたがひて、もとめにまからむ」と申に、大納言見すまゐて、なんぢが君のつかひと名をながしつる。君のおほせ事をば、いかがそむくべき」とのたまて、龍の首の玉をとりに、いでしたてたまふ。「この人々のりてくる物に、殿のうちの絹・綿・銭どあるかぎりとりいでてそへてつかはす。「この人どもの、かへりくるまて、いもゐをして我は居らむ、このたまとりては、家にかへりくる」との給はせけり。おほせ事をうけたまはりて、おのおのまかりいでぬ。「『龍の首の玉とりえずは、かへりくな』とのたまへば、いづちもいづちも、あしのむきたらむかたへいなず。かかるすき事をし給」とそしりあへり。たまはせたるもの、おのおのわけつつとる。あるいは、おのが家にこもりゐぬ。あるいは、をのが行かまほしきところへ往ぬ。「親君と申とも、かくつきなきことを、おほせたまふこと」とばかりゆかぬ物ゆへ、大納言をそしりあへり。「かぐや姫すへむには、れいのやうにはみにくし」との給ひて、うるはしき屋をつくり給て、うるしをぬり、まきえして、屋の上に、糸をそめて、色々にふかせ給ふ。うちのしつらひ、いふべくもあらず。あやをり物にえをかきて、間ごとにはりたり。もとの妻どもは、かぐや姫、かならずあらむまうけをして、もとの北の方とは、うとくなりて、ひとりあかしくらし給。つかはせし人どもは、よるひるまち給に、としふるまで、おともせで、心もとながりて、ただとねり二人、めしつぎとして、やつれ給て、なにはのほとりに、むまにのりていまして、とひ給こと、「おほともの大納言殿の人や、ふねにのりて、龍ころして、そが首の玉とれり、とやききし」ととはするに、ふな人こたへていはく「あやしき事かな」とわらひて、「もはら、さるわざするふねもなし」と申〈す〉に、「おぢなき事する、ふな人にもあるかな。えしらで、かくいふ」とおぼして、「わが弓のちからは、つよきを、龍あらば、ふといころして、首の玉はとりてむ、遅く来るやつばらをまたじ」との給、ふねにのりて、うみごとにありき給に、いと遠くて、つくしのかたのうみにこぎいでぬ。いかがしけむ、はやきかぜふきて、せかいくらがりて、ふねをふきもてありく。いづれのかたと見えず。ふねは、うみ中にまきいりぬべく、ふきまはして、なみは、ふねにぞちりけつつ、まきいれ、神はおちかかるやうにひらめく。かかるに、大納言はまどひて、またかくわひしきめ見ず。「いかがすべき、いかならむとするぞ」との給に、かぢとりこたへて申。「ここらふねにのりて、まかりありくに、まだかくわびしきめを見ず。みふね、うみのそこにいらずは、神おちかかりぬべし。もし、さいはゐに神のたすけあらば、南海道にふかれおはしましぬべかるめり。うたたあるぬしのみともにつかふまつりて、すずろなる死にをすべかめるかな」。とかぢとり申。大納言、これをききての給はく、「ふねにのりては、かぢとりの申事をこそ、たかき山とたのめ。なとなくたのもしげなくは申〈す〉ぞ」と、つらつえをつきての給ふ。かぢとり申〈す〉、「神ならねば、なにわざをか、つかうまつらむ。かぜふき、なみこそはげしけれども、神さへ、いただきにをちかかるやうなるは、たつをころさむ、ともとめ給へばあるなり。疾風も龍のふかするなり。はや神にのり給へ」といふ。「よき事なり」とて、「かぢとりの御神きこしめせ。心をさなく、たつをころさむとおもひけり。いまよりのちは、毛の末一すぢをだに、うごかしたてまつらじ」とよびことばをはなちて、立ち居、泣く泣くおがみ給ふ事、千繰りばかり、申給けにやあらむ。やうやう神なりやみぬ。やうやうすこしひかりて、風はなをはやくふく。かぢとりいはく、「さればよ。たつのしわざにこそありけれ。このふく風は、よきかたのかぜなり。あしきかたのかぜにはあらず。よきかたにおもむきて、ふくなり。といへども、大納言、これをもききいれ給はず。風二三日ふきて、ふきかへしよせたり。そのはまをみれば、播磨の国、明石の浜なりけり。大納言、「南海の浜にうちよせられたるにやあらむ」とおもひて、いきづきふし給へり。ふねにあるおのこども、くににつけたれども、くにのつかさまうでとぶらふにも、えおきあがり給はで、ふなぞこにふし給へり。松ばらに御むしろしきて、おろしたてまつる。そのときにぞ、「南海にはあらざりけり」とおもひて、からうして、をきたまへるをみれば、風いとおもき人にて御はらふくれ、こなたかなたの御目にはすももを二〈つ〉つけたるやうなり。これを見て、くにのつかさも、みなおほゑみたり、くににおほせ給て、手輿つくらせ給て、にようによう、担はれのぼりたまひて、家にいり給へるを、いかでかきき給けむ、「たつのくびの玉を、えとらざりしかば難波にもえまいらざりし。たまのとりがたかりし事を、しり給にければなむ、かんだうあらじ、とてまいりつる」と申。大納言、おきゐての給はく、なんぢら、よくもてこずなりぬ。たつは、なるかみの類にこそありけれ。それがたまをとらんとて、そこらの人々のがいせられなむとするなりけり。まして、たつをとらへたらましかば、またともせず、われはがいせられなまし。よくとらへずなりける。かぐや姫といふ、おほぬす人のやつが人をころさむとするなりけり。家のあたりをだに、いまは通らじ、おのこどもも、なありきそ」とて家にすこし、のこりたりける物を、たつのたまとらぬ物どもにたびつ。これをききて、はなれ給にし元の上、はらをきてわらひ給ける。いとをふかせてつくりし屋は、とびからすのすに、みなくひもていにけり。せかいの人のいひける、「おほともの大納言は、たつのくびのたまや、とりておはしたる」といひければ、ある人ありて、「いかなるもあらず。みまなこ二に、すもものやうなるたまをそろへていましたる」といひければ、『あな、たべがた』といひけるよりぞ、よにあらぬ事をば、「あなたべがた」といひはじめける。

大伴大納言は自ら宝を手にしようと実行しますが、最後にはかぐや姫を非難します。

超簡訳:龍の首輪を持ってこいと言われた大伴大納言は家来に命じて宝を持ってくるように命令します。家来は金と宝を家来にわけて旅立たせます。
しかし家来は宝をおのおの持ち去り、大納言の悪口を言い合っていました。
当の大納言は今の妻達と離婚されてかぐや姫用のりっぱな御殿を造営し一人暮らして龍の首輪を家来が持ってくるのを今か今と待ちわびていました。しかしだれもあらわれません。待ちくたびれた大納言は数名の家来と共に難波の浜で船頭達に龍の首輪の噂話しをしてみましたが、誰も笑って相手にしません。大納言は自ら船を用意させて九州の海まで来た所、嵐に合い命からがら明石の浜まで到着出来ましたが、大納言は南国の国と勘違いされぐったりとされていた所、播磨国の長官が大納言にあいさつに来ましたが、大納言は風病に患いおたふくの様に両頬がはれ上がっていあました。そしてようやく播磨国と知り乗り物を用意させて都に戻ります。すると家来たちを呼び寄せ、怒るどころか「龍が雷の親類だ。良く行かなかった事だかぐや姫は私を殺そうとしてそんな事をいったのだ」と家来を褒めてほうびを与えました。離縁された妻達はいいきみだと笑い合いました。かぐや姫の為に建てた御殿の屋根の宝石はカラスやトンビが巣を作る為にはがしてしまいました。世間の人達は大納言様は龍の首輪の玉を取ってきたのではないふたつのスモモの様な玉をくっつけて帰ってきたのだと笑い合いました。
この事から我慢できない事を「なんと耐えがたい」という様になりました。

⑤五人目中納言石上麻呂「燕の小安貝」

中納言いそのかみまろたり、家につかはるるおのこどものもとに、「つばくらめのすくひたらばつけよ」との給をうけ給はりて、「なにのようにかあらむ」と申。こたへ給。「つばくらめのもちたる、小安貝をとらむ」との給ければ、をのこどもこたへて申。「つばくらめはあまたころして見るだにも、はかなき物なり。ただし、子産む時なむ、いかでかいだすらむ、はべる」と申。「人見れば、うせぬなり」と申。また人の申やう、「おほゐづかさの、飯かしぐ屋のむねにつつのあなごとにつばくらめは巣をくい侍り。それは、まめならむをのこどもを、ゐてまかりて、あぐらをゆひあげて、うかがはせむにこそ、つばくらめ〈子うまざらむ〉やは、さてこそ取らしめ給はめ」と申す。中納言よろこび給て「おかしき事にもあるかな。もとよりしらざりけり」と「けうあること申たり」との給て、まめなるおのこども、廿人ばかりつかはして、あななひにあげすへられたり。殿よりつかひひまなくて、「こやすがいとりたるか」と、問はせたまふ。つばくらめも、人のあまたのぼりゐたるに怖ぢて、のぼりこず。かかるよしを申たれば、中納言、これをききて、「いかがすべき」とおぼしあつかふに、かのつかさの官人、くらつまろといふ翁申やう、「こやすがいとらせ給はむ、とたばかり申さむ」とて、御まへにまいりたれば、中納言、ひたひをあはせてむかゐゐ給へり。くらつまろが申やう、「このつばくらめの、こやすがいは、あしくたばかりてとらせ給ふなり。さては、えとらせ給はじ。あななひにおどろおどろしく、廿人のひと、のぼりて侍れば、散れてこず。せさせ給ふべきやうは、みなこのあななひをこぼちて、人みなしりぞきて、まめならむ人ばかりを、粗籠にのせすへて、綱をかまへて、とりの、子うまむあひだに、つなをつりあげさせて、ふとこやすがいやすらかにとらせ給ひてむ、よかるべき」と申。中納言の給はく、「よき事なり」とて、すみやかにあななひこぼちて、人みなかへりぬ。中納言、くらつまろにの給はく、「つばくらめをば、いかならむ時にか、子産むとしりて、人をはあぐべき」との給。くらつまろか申やう、「つばくらめをは、子産まむとする時は、尾をさしあげて、七度めぐりてなむ、子は産みいだす。さて、七度めぐらむ折、ひきあげてこやすがいはとらせたまへ」と申に、中納言よろこびて、よろづの人にも、しら給はで、みそかに寮にいまして、をのこどもの中にまじりて、よるをひるになして、とらしめ給ふ。くらつまろが申を、いといたくよろこび給て、の給。「ここにて、つかはるる人にもなきに、ねがひをかなふることのうれしさ」とのたまひて、御衣ぬぎて、かづけさせ給て、さらば、ゆふさり、この寮にいまして見給に、まことに、つばくらめ、巣つくり、くらつまろ申やうをうけてめぐるに、粗籠に人をのせて、つりあげさせて、つばくらめの巣に、手をさし入〈れ〉させて、さぐるに、「物もなし」と申に、中納言、「あしくさぐれば、なきなり」とはらだち給て、「たれかは我ばかりおぼえむ」とて、われのぼりて、さぐらむ」とのたまひて、籠にのりて、つられのぼりて、うかがいたまへるに、つばくらめ、尾はささげて、いたくめぐるに、あはせて、手をささげてさぐり給に、手にひらめく物さはるときに、「我、物にぎりたり。いまは降ろしてよ。翁、し得たり」とのたまふに、あつまりて、「とくおろさむ」とて、つなをひきすぐして、つなたゆる、すなはち、やしまのかなへの上に、のけざまにおち給へり。人々あさましがりて、かかへたてまつれり。御目はしらめてふし給へり。人は水をすくひいれたてまつるに、からうして、いき出給へるに、またかなへの上より、てとる、あしとる、さげおろしたてまつる。からうして、「御心ちはいかがおぼしめさるる」ととへば、いきのしたに、「物はすこしおぼゆれども、腰なむえうごかさぬ。されども、こやすがいを、ふとにぎりもたれば、うれしくおぼゆるなり。まづ、しそくさして、このかいの顔見む」と、御ぐしもたげて、御てをひろげ給へるに、つばくらめの、まりおきたるくそを、にぎり給へるなりけり。それを見給て、「あなかひなのわざや」と、の給けるよりぞ、おもふにたがふことをば、「かひなし」とは、いひはじめける。「かいにもあらず」と見給ひけるに、御ここちもたがひてからびつのふたに、いれられ給て、家に率てたてまつる。くるまにのり給べくもあらず、御こしは折れにけり。「中納言は、かくわらはげたるわざして病むと、人にきかせじ」とし給けれどそれをやまひにて、いと弱くなりたまひにけり。かいをもえとらずなりぬるよりも、人のききわたらむこと、日にそへておもひ給ければ、ただにやみしぬるよりも、人聞きのはづかしくおぼえ給なりけり。これを、かぐや姫ききて、とぶらひにやるうた

としをへてなみたちよらぬすみよしのまつかひなしときくはまことか

長い間御尋ねにならないのはお待ちする待つ貝がないという噂は本当なのでしょうか?

とあるをよみてきかす。いと弱き心ちに、かしらもたげて、人にかみをもたせて、くるしき心ちに、からうしてかき給ふ。

かひはなくありける物をわひはててしぬるいのちをすくひやはせぬ

手紙を頂いてこんなめに合った貝はありましたが、死にそうな私をどうして(医者)すくってはくれないのでしょうか?

とかき侍ままに、たえいり給ぬ。これをききて、かぐや姫、「すこしあはれ」とおぼしける。それよりして、うれしきことをば、「かひあり」といひける。

唯一かぐや姫の同情を引いた石上麻呂これはかなりのキーワードです。

超簡訳:燕の小安貝を取る様に言われた石上麻呂中納言はまず家来に燕の巣を作ったら知らせろと命令します。家来たちは「燕の腹の中を調べても小安貝というのは出てこない、けれど子を宿した時に小安貝をいう物を腹からだすそうですが、人影が見えると姿を隠すので取れません。」と中納言に報告します。他の人が宮中の大炊寮という役所の軒下の燕の巣を探れば見つかると助言します。しかしなかなか上れません。そのでくらつまろという役人が大勢で押し掛けても取れないでしょう。一人そっと巣に近寄り、お産の際にカゴ網に一人が乗り込み、中の小安貝を取って籠につけた綱を引っ張って下してはと提案します。中納言はお産のあいずはいつわかるのかとくたつまろに聞くと尾を上にあげ七回廻ると卵を産み落とすと教えます。
中納言は軒下の燕の巣をこっそりと見張らせます。燕が七回廻る度に籠に乗っている人が巣を覗き込みますが、小安貝はありません。中納言はしまいに自分が取ると言い始め、籠に乗り込み燕が七回廻ったその時に何か手にとると「取った!!」と叫んだ為に下にいる家来が綱を激しくひっぱったために切れてしまい、中納言は釜の上に落ちて気絶していたのを家来が起し、やっと手にした物が糞とわかり「かいのない事をしてしまった」と言い落胆しました。このことから思っても無い事が起こる事を貝なしという様になりました。
中納言はこのことで体をこわし、また恥ずかしい思いでいたところ、かぐや姫から同情する手紙が届きます。
手紙を書いた中納言は気を失い倒れ、かぐや姫もかわいそうに思え同情しました。
この事から少し嬉しい事を「かいがある」という様になりました。

⑥帝の行幸

さてかぐや姫、かたちの世にも似ず、めでたきを、帝きこしめして、「さりとも、我召さむには、まゐらざらむやは」とおぼしめして、内侍、中臣の房子にのたまはく、「おほくの人の身を、いたづらになして、あはざなるかぐや〈姫はいかばかりの女ぞと、まかりて見てまゐれ」とのたまふ。房子うけたまはりてまかれり。竹取の家に、かしこまりてしゃうじいれてあへり。女に、内侍のたまふ。「おほせごとに、かぐや姫、かたち〉、いとけうらにおはすなり。よく見てまいるべきよしの給へるになむ、まいりきつる」といへば、「さらは、かく申侍らむ」といひていりぬ。かぐや姫のもとに、「はや、このつかひに、たいめんし給へ」といへば、かぐや姫、「よきかたちにもあらず、いかでか、見ゆべき」といへば、「うたて物の給かな、はや、たいめんし給へ。御門の君の御つかひは、いかでか、おろかにせむ」といへば、かぐや姫のこたふるやう、「御門のめしてのたまはむこと、けしうかしこしともおもはず」といひて、さらに見ゆべくもあらず。産める子のやうにあれど、いと心はづかしげに、おろそかなるやうにいひければ、心のままにもえせず。翁、内侍のもとにかへりいでて、「くちをしく、このをさなきものは、こはく侍物にて、たいめんすまじ」と申。「いかで、『かならず見てまいれ』と、おほせ事〈ありつるものを、見たてまつらでは、いかでか帰りまゐらむ。国王のおほせごとを〉ば、まことも世にすみ給はむ人の、うけ給はりたまはでありけむや。いはれぬ事なし給そ」と言葉はげしう言ひければ、これ〈をききて、ましてかぐや姫、あふべくもあらず。「国王のおほせ事そむかば、はやう、殺し給〈ひ〉てよかし」といふ。内侍かへりまゐりて、かぐや姫の、見えずありぬる事を、ありのままに奏す。御門きこしめして〉、「おほくの人ころしてける心ぞかし」との給て、やみにけれど、なをおぼしおはしまして、「この女のたばかりにやまけむ」とおぼしておほせたまふ。「汝がもちて侍る、かぐや姫たてまつれ。かほかたちよしときこしめして、御使を賜びしかど、かひなく見えずなりにけり。かくたいだいしくやは、ならはすべき」とおほせらるる。翁うけ給はりて御返事申やう、「この女の童、たえて宮づかへつかうまつるべくもあらず侍を、もてわづらひ侍、さりともまかりておほせ給はむ」と奏す。これをきこしめして、おほせたまふ。などか、翁の心にまかせざらむ。この女、もし、たてまつる物ならば、翁にかうぶりを、などか、賜ばざらむとおほせ給。翁よろこびて、家に返て、かぐや姫にかたらふやう、「かくなむ御門のおほせ給へる。なをやは、つかうまつりたまはぬ」といへば、かぐや姫、こたへていはく、「『もし、さやうの宮づかへ、つかうまつらじ』とおもふを、しゐて、つかうまつらせ給はば、え生けるまじく、消せなむず。みづから、かうぶりたてまつるをおもひて、いかがはせむ。一時ばかりつかうまつりて、死ぬばかりなり」翁いらふるやう、「かくゆゆしき事な給ぞ。つかさかうぶりも我子を見たてまつらずは、なににかはせむ。さはありとも、などか、宮仕へをし給はざらむ。かからむに、死に給べきやうやはある」といふ。「なを空事かと、つかうまつらせて、死なずやはある、と心み給へ。あまたの人の心ざし、おろかならざりしを、むなしくなしてき。人のおもひは、おとれるもまされるも、おなじ事にてこそあれ。昨日今日も、御門のの給はむにつかむ。人聞きやさし」といふ。翁こたへていはく、「天下の事は、とありとも、かかりとも、御命のあやうき、おほきなる障りなれば、なをかなへつかうまつるまじきことを申さむ」とて、まいりて申やう、「おほせごとのかしこさに、『女の童をまいらせむ』とつかうまつれば、『宮仕へいだしたてば、ただ死ぬべし』と申。宮つこまろが、手に産ませたる子にもあらず。むかし、山に見いでたる物に侍り。かかれば、心ばせも世に似ずぞ侍」と奏せさす。御門、聞かせおはしまして、「へんげの物にてさいふにこそ、いかがはせむ。御覧じにだにも、いかでか御らんぜむ」とおほせ給ふ。「これをいかがせむ」と奏せさす。御門おほせ給はく、「宮つこまろが家は、山もちかくなり。御狩りに御行し給はむやうにては見てんや」との給へば、宮つこまろが申やう、「いとよき事なり。なに心もなくて侍らむに、ふと御行して、御覧ぜむに、御らんぜられなむ」と奏すれば、御門おほせ給はく、にはかに日をさだめて、御狩に出給。御狩し給て、やがて、かぐや姫の家にいたり給て見給に、光みちて、けうらにてゐたる人あり。「これなむ」とおぼして、逃げいる袖をとらへ給へれば、おもてをふたぎて、逃げあへて、おもてに袖をおいて、さぶらひければ、はじめよく御覧じてければ、たぐひなくめでたくおぼえさせ給て、「ゆるさじとす」とて、「いでをはしまさむ」とてするに、かぐや姫、こたへて奏す。「をのが身は、この国に生まれて侍らばこそつかい給め。いと、出おはしましがたくや侍らむ」と聞こゆ。御門、「などかさはあらむ。なを強いておはしなん」とおほせ給て、御輿よせ給ふに、このかぐや姫、きと人の影になりぬ。「はかなく、くちをし」とおぼしめして、「げにただ人にはあらざりけり」とおぼしめして、「さらば、御ともには率て行かじ。もとの御かたちとなり給ね。それを見てだにかへりなむ」とおほせらるれば、かぐや姫、例のさまになりぬ。御門、なをめでたく、おぼしめさるること、せきとめがたし。かく見せつる宮つこまろ、よろこび給。さて、つかうまつる百官の人々に、饗いかめしくつかうまつる。御門、かぐや姫をとどめて、帰り給はむ事をあかずくちをしく、おほしければ、魂もとどめたる心ちしてなむかへらせ給ける。御輿にたてまつりてのちに、かぐや姫に

かへるさの御行ものうくおほほえてそむきてとまるかぐや姫ゆゑ

帰り道がつらく思います。帰ろうとする身に反して心は後に残ってしまう。私の望みに背く邸にいるかぐや姫のせいで。

むぐらはふしたにも年をへぬる身をなにかは玉のうてなをも見む

むさくるしい家にいる私がどうしてりっぱな宮殿などで過ごせますでしょうか?

これを御門御覧じて、いとどかへり給はむそらもなくおぼさる。御心は、さらにたちかへるべくもおほされざりけれど、さりとて、夜をあかし給べきにあらねば、帰らせ給ぬ。
つねにつかうまつる人に見給に、かぐや姫のかたはらによるべくだにあらざりけり。「ことひとよりはけうらなり」とおぼしける人の、かれにおぼしあはすれば、人にもあらず。かぐや姫のみ御心にかかりて、ただひとり住みし給ふ。よしなく、かたがたにもわたり給はず。かぐや姫の御もとに、文かきてかよはせ給ふ。御かへり、さすがににくからずきこえかはし給〈ひ〉て、おもしろく、木草につけても御うたをよみてつかはす。

内侍中臣房子かぐや姫に困らせられます。中臣氏は元の藤原姓です。ここでも藤原非難が見られます。

超簡訳:この事で宮中にもかぐや姫の美しさが知られる所になり、帝も噂を聞きつけ内侍中臣房子を翁の邸にかぐや姫を見てくる様に命令します。房子は翁に会い、かぐや姫に面会しようとしますが、当のかぐや姫は会おうとはしません。房子は帝の命令なので再三翁に取り次ぎを依頼しますが、まったくとりあいません。困りはては房子は宮中に戻り、帝に会えなかった事を報告します。
すると帝はさらにかぐや姫に興味を持ち今度は翁を参内させてかぐや姫を宮使えさせれば翁に官位を与えるといいます。翁は喜びかぐや姫に宮使いする様に頼みますが、拒否しどうしてもというなら宮使えした後翁が官位を受けた後自殺するといいきります。翁は驚き参内してかぐや姫の素性を明かして帝の命令を断ります。
帝はさらに興味を引き狩りの際に翁の邸に行幸します。すると美しいかぐや姫を垣間見てさらにかぐや姫への思いが深くなります。帝に見られたかぐや姫は驚き、帝はかぐや姫を無理やり輿に乗せようと呼び寄せると姫の姿は忽然となくなりました。たいそう帝は驚きましたが、その事でかぐや姫がこの世の人でない事が改めて知ります。そしてもう無理に宮中に連れ帰らないと約束すると、不思議に目の前に美しいかぐや姫の姿が現れます。
帝は残念な思いでいながらも邸を後にし宮殿に戻ります。
美しいかぐや姫の姿を目にした帝はどの夫人の元でも過ごさずかぐや姫の事を思って時折和歌のやり取りをしていました。

かぐや姫の天昇

かやうにて御心をたがひになぐさめ給ふほどに、三年ありて、春のはじめより、かぐや姫、月のおもろうゐでたるを見て、つねよりも、物おもひたるさまなり。ある人の、「月のかほ見ることはいむこと」と制しけれども、ともすれば、ひとりまほにも、月を見てはいみじく泣き給ふ。文月十五日の月に出でゐて、せちに物おもへるけしきなり。近くつかはるる人々、竹取の翁のつげていはく、「かぐや姫、例も月をあはれがり給へども、この頃となりては、ただごとにも侍らざめり。いみじくおぼしなげく事あるべし。よくよく見たてまつらせ給へ」。といふを聞きて、かぐや姫にいふやう「なんでう心ちすれば、かく物をおもひたるさまにて、月を見給ふぞ。うましき世に」といふ。かぐや姫のいはく「月見れば、世間心ぼそく、あはれに侍る。なでう物をかなげき侍るべき」といふに、かぐや姫のある所にいたりてみれば、なを物おもへるけしきなり。これをみて、「吾が仏は何事をおもはせ給ぞ。おぼすらんこと、なにごとぞ」といへば、「おもふ事もなし。物なむ心ぼそくおぼゆる」といへば、翁、「月な見給そ。これを見給へば、物おぼすけしきはあるぞ」といへば、「いかでか月を見ではあらむ」とて、なを、月出づれば、出ゐつつなげきおもへり。夕やみには、物おもはぬけしきなり。月のほどになりぬれば、なをときどきは、うちなげきなどす。これをつかふ者ども「なを物おす事あるべし」とささやけど、親をはじめて何事ともしらず。
八月十五日ばかりの、月に出ゐて、かぐや姫、いといたくなき給ふ。人めもいまはつつまず泣きまふ。これを見て、親ども、「なに事ぞ」と問ひ騒はぐ、かぐや姫泣く泣くいふ。「さきざきも、申さむとおもひしかども、『かならず心まどはし給はん物ぞ』とおもひて、いままで過ごし侍りつるなり。『さのみや』はとて、うちいで侍ぬるぞ、己が身は、この国の人にもあらず。月の都人なり。それをなむ、むかしのちぎりありけるによりてなむ、この世界にはまうできたりける。いまは、かへるべきほどになりにければ、十五日にかのもとの国より、むかへに人々まうで来むとす。さらにまかりぬべければ、おぼしなげかむがかなしき事を、この春よりおもひなげき侍るなり」といひて、いみじくなくを、翁、「こはなでうことのたまふぞ。竹の中より見つけきたりしかど、菜種のおほきさおはせしを、わが丈立ち並ぶまで、やしなひたてまつりたるわが子を、なに人か、むへにこむ、まさにゆるさむや」といひて、「われこそ死なめ」とて、泣きののること、いとたへがたけなり。かぐや姫のいはく、「月の都の人にて、父母あり。かたときのあひだとて、かの国より、まうで来しかども、かくこの国には、あまたの年を経ぬるになむありける。かの国の、父母の事おぼえず。ここには、かく久しくあそびならひたてまつれり。いみじからむ心ちもせず。かなしくのみある。されど、をのが心ならず、まかりなむとする」といひて、もろともにいみじう泣く。
つかはるる人々も、年頃ならひて、立ち別れん事を、心ばへなど、あてやかに、うつくしかりつる事を見ならひて、恋からむことのたへがたく、湯水も飲まれず、おなじ心に、なげかしかりけり。このことを、御門きこしめして、竹取が家に、御使つか給。御使に竹取出で合ひて、泣く事かぎりなし。この事を嘆くに、髭も白く、腰もかがまり、目もただれにけり。翁、今年五十ばかりなりけれども、物おもふには、片時になむ、老になりにけると見ゆ。御使おほせ事とて、翁にいはく、「いと心くるしく、物おもふなるは、まことにか」とおほせ給ふ。竹取、泣く泣く申、「この十五日になむ、月の都より、かくや姫の迎へに、まうで来なり。たうとく問はせ給ふ。「この十五日には、人々給て、月の都人、まうで来ば、とらへさせむ」と申。御使かへりまゐりて、翁のありさま申て、奏しつる事ども申を、きこしめしてのたまふ。一目見給し御心にだにわすれ給はねば、あけくれ見なれたるかぐや姫をやりて、いかがおもふべき」かの十五日に司々におほせて、勅使少将・高野大国といふ人をさして、近衛の司、合はせて、二千人の人を、竹取が家に遣はす。家にまかりて、築地の上に千人、屋の上に千人、家の人々、いと多かりけるにあはせて、あける暇もなく守らす。この守る人々も、弓矢を帯してをり、屋の内には、女どもを、番において守らす。女、塗籠の内に、かぐや姫を抱かへて居り、翁も塗籠の戸をさして、戸口に居り、翁のいはく、「かばかりして守る所に、天の人にも負けむや」といひて、屋の上にをる人々にいはく、「露の物も空に翔らば、ふと射むしたくし給へ」守る人々のいはく、「かばかりして守る所に、かばり一だにあらば、まづ射殺してむ、矛にささげけむとおもひ侍」といふ。翁、これを聞きて、たのもしがり居り、これを聞て、かぐや姫は、「さしこめて、守り戦かふべき仕度をしたりとも、あの国の人には、みな開きなむず。あひ戦かはむ人もあらじ」翁のいふやう、「迎へに来む人をば、長き爪して、まなこをつかみつぶさむ、さか髪をとりて、かなぐり落とさむ。さが尻をとりて、ここらのおほやけ人に見せて、恥を見せむと、はらだち居る、かぐや姫いはく、「声高かに、なのたまひそ。屋の上に居る、人どもの聞くにいとまさなし。いますがりつる心ざしどもを、思ひも知らで、まかりなむずる事の、口惜しう侍りけり。長き契りのなかりければ、ほどなく、まかりぬべきなめり」とおもふがかなしく侍なり。親たちの顧みを、いささかだにつかうまつらで、まからむみちも、やすくもあるまじきに、日頃もいかでゐて、今年ばかりの暇を申つれど、さらに、許されぬよりてなむ、かくおもひなげき侍る御心をのみまどはし侍て、まかりなむことのかなしさ、たへがたく侍なり。かの都人は、いとけうらにおはせず、おもふことなく、めでたく侍なり。さる所へ、まからむずる事、いみじくもおぼえず、老ひ衰へ給へる御さまを、見たてまつらざらむこそ、恋しからめ」と言ひてなく、翁いはく、「胸いたき事なの給ひそ」などうるはしき姿ある使にもさはらじ」とねたみ居り。かかるほどに、宵うちすぎて、光りたり。もち月のあかさ、十あはせたるばかりにて、ある人の、毛の穴さへ、見ゆるほどなり。大空より、人、雲にのりて下りきて、土より五尺ばかり、上りたるほどに、立ちつらねたり。これを見て、うちなる人の心ども、物におそはるるやうにて、あひたたかはむ心もなかりけり。からうして、おもひおこして、弓矢をとりてむや、とすれども、手に力もなくなりて、なへかかりたり。中に心さはがしき物、念じて射むとすれば、ほかざまへ行きければ、あひもたたかはで、心ちただ痴れに痴れて、まもりあへり。立てる人どもは、装束のきよらなること、物にも似ず。飛ぶ車、一具したり、ひしやがひさしたり。その中に王とおぼしき人、家に「宮つこまろ、まうでこ」といふにたけくおもひつる宮つこまろも、物に酔いたる心ちして、うつぶしにふせり。いはく、「汝、幼き人、いささかなる功徳を、翁つくりけるによりて、汝がたすけに、とて片時のあひだ、とおもひて、下したりき。そこらのこがねを給はりて、身をかへたるがごとなりにたり。かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かくいやしきをのれがもとに、しばしをはしつるなり。罪のかぎり果てぬれば、かく迎ふるを、翁はなきなげく。あたはぬ事なり。はやいだしたてまつれ」といふ。翁こたへて申。「かぐや姫を、やしなひたてまつること、廿余年になりぬ。片時とのたまふに、あやしく成侍ぬ。また異所に、かぐや姫と申人ぞ、おはすらむ」といふ。ここにおはするかぐや姫は、重き病をし給へば、えこそいでをはしますまじ」と申せば、その返事はなくて、屋の上に飛ぶ車を寄せて、「いざ、かぐや姫、汚き所に、いかでか、久しくをはせむ」といふ。たて籠めたる所の戸、すなはち、ただあきにあきぬ。女のいだきたるかぐや姫、戸にいでぬ。えとどむまじければ、たださしあふぎて泣き居り。竹取が心惑ひて、泣きふせる所によりて、かぐや姫いふ。「ここにも心あらで、かくまかるに、のぼらむをだに、見送り給へといへども、なにしにかは、かなしきに、見送りたてまつらむ。われをいかにせよ、とて、すててのぼり給ふぞ、具してをはせ」と嘆きいりてふせれば、「御心まどひにたり。文を書き置きてまからむ。恋しからむ折々取りいで見給へ」とて、うち泣きて、かく言葉は、この国に、生まれぬるとならば、嘆かせたてまつらぬほどまて侍らで、過ぎ別れ侍ぬるこそ、返へすがへす本意なく侍れ。脱ぎ置く衣を、形見に見給へ。月のいでたらむ夜は、月を見おこせ給へ。見すてたてまつりてまかるは、空よりおちぬべき心ちする」と書き置く。天人の中に、もたせたる箱あり。天の羽衣も入れり。また、ある箱には、不死の薬持たせたり。ひとりの天人いはく、「壺なる御薬たてまつれ。汚きところの物召したれは、御心ちあしからむ物ぞ」といひて、いささかなめ見給て、すこし形見とて、脱ぎ置く衣に、つつまむとすれど、ある天人ありて、つつませず。御衣を取りいでて着せむ、とす。その時、かぐや姫、「しばしまてといふ。「衣着つる人は、心異になるなり」といひて、「物ひとことは、いふべき事ありけり」とて、文書く。天人、「遅し」とて、心もとながり給。かぐや姫言ふ。「かく物おもひしらぬ事なの給そ」といひて、いみじく静かに、おほやけに文たてまつれ給ふ。あはてぬさまなり。「かやうに、あまたの人をたまひて、とどめさせ給へど、許さぬ迎へ、まうできて、とりいでまかりぬれば、くちをしくかなしきこと、宮つかへ、つかうまらずなりぬるも、かくかくわづらはしき身にて侍れは、心得ず、おぼしめされつらめども、ころろづよく、うけたまはらずなりにしを、なめげなる物にのみ、おぼしとどめられぬるなむ、心にいとど、とどまり侍ぬる」とて

いまはとて天の羽衣着る時ぞ君をあはれと思ひ出ぬる

今は御別れだと天の羽衣を着るその時に帝の事が懐かしく思い出されました

ときこえて、壺の薬添へて、頭中将をよびよせて、たてまつらす。天人、とりてつたふ。中将とりつれば、ふと天の羽衣を、着てたてまつりつれば、翁「いとをし」とおぼしつる心もうせぬ。この衣着つる人は、物おもひなくなりぬれば、車にのせて、百人ばかりの天人に具してのぼりぬ。

帝にはたいそう好意的です。ここはキーワードです。

超簡訳:三年後春の始めかぐや姫は美しい月を愛でながら思いにふけっています。お付きの人が月を眺めるのは良くない事ですよ。となしなめられてもかぐや姫は月を見ながら泣く日々が続きます。
ついにはお付きの人が翁に相談しました。翁はかぐや姫にどうして月を見ては泣いているのか問いただします。
するとかぐや姫は答えずただ悲しみに暮れている様子です。遂には旧暦の八月十五日の満月の頃、ひたすら泣き続けるかぐや姫に翁は問いただします。するとかぐや姫は自分は月の住人で月に帰る日が近ずいているのですと翁に告げます。翁はそんな事はさせないと言うもかぐや姫は自分が帰りたいのではなく、月には自分の父母がいて帰らなければならないと告げます。その場にいる者はその話しを聞き、皆涙にくれます。
この事を知った帝は使いの者を翁の邸にいかせると、翁は次の十五日に月の都からかぐや姫を迎えにくるので、その日にその人達を捕えてほしいと懇願します。
これを聞いた帝は高野大国に命令して翁の邸に兵を召して警護させます。が、かぐや姫は月の国はすばらしい国ですが、育ててくれたあなた方をこの世に残す事が心残りだと嘆きます。
十五日の夜、夜中にもかかわらずに光に満ちていました。すると大空から雲に乗った人が降りてきて宙に浮いています。警護の者は皆戦う気力を奪われ、ただその光景を見ているしかありませんでした。
月の使いの人々は車を用意しています。その中で位の高そうな人が翁を呼びます。そして翁の行徳にかぐや姫を預け、金持ちになるようにしてあげた事、かぐや姫は月で罪をおかしたので世に下したから素直に御戻しする様にと諭します。翁は「かぐや姫は別の所にいらっしゃる方ではないですか?」と言うもその天人は「姫と穢れた世界かに長くいらっしゃる事はもうありません。」と言います。邸のありとあらゆる扉はひとりでに開き、かぐや姫は外に出てきました。かぐや姫は泣く翁に見送ってほしいと懇願しますが、翁はとりみだすばかりです。かぐや姫は来ていた着物を自分だと思ってほしいと言い手紙をそえます。天人が箱の中の衣と薬を取り出します。天人は「壷の中の薬をお召しあがりください。汚らわしいこの世の食べ物をお食べになっておられたので御気分がお悪いでしょう」といい無理に薬と衣を与えようとします。かぐや姫は少し待つように願い、帝にも手紙を書きました。自分がこんな境遇であったので強情に宮使えを断っていたのです。そんな事とは思わず強情な人だと思われるのが残念です。
手紙と不死の薬を添えて帝に献上するように頭中将に依頼しました。天人がかぐや姫に天の羽衣を着せるとかぐや姫のこの世での事がすべて忘れていきました。この衣は思いわずらう事はなくなるのです。かぐや姫は天人の用意した車に乗り込み、百人の天人と共に天に昇ってゆきました。

そののち、翁も、血の涙を流して、よばへどかひなし。かの書き置きし文、読み聞かせければ、「何せむにか、命をしからむ、たがためにか、なに事も、なにかはせむ」とて、「用なし」とて、薬も食はず。やがて、起きもあがらで、やみふせり。中将、人々ひきつらねて、かへりまゐりて、かぐや姫を、えたたかいとめずなりぬるよしを、こまごまと奏す。薬の壺に、文を添へてまゐらす。ひきあけて御覧じて、いとど、いたく、あはれがらせ給ふ。物聞こしめさず。、こと御あそびなどもなかりけり。大臣・上達部をはじめて、とはせ給ふ。「いづれの山か、天は近き」と。ある人、答へて奏す。「駿河の国なる山なむ、この宮もちかく、天もちかく侍なる」と奏す。これをきかせ給て、かぐや姫の歌の返し、かかせ給。

あふことの涙にうかむ我身には死なぬ薬もなににかはせむ

かぐや姫に会う事が出来ない涙に浮かんでいる自分にどうして不死の薬などなんの役にたつというのでしょうか?

かのたてまつれる、不死の薬の壺添へて、御使に給はす。勅使遣はす。、月のいはかどといふ人を召して、かの駿河の国にある、山のいただきへ、もてとづくべきよしおほせ給ふ。みねにてすべきやうを、教へ給。文、不死の薬の壺をならべて、火をつけて燃やすべきよしを、おほせ給ふ。そのよしを、うけ給はりて、つはものども、あまた具してなむ、かの山へはのぼりける。その不死の薬を、焼きてけるより後は、かの山の名をは、ふじの山とは名づけける。いまだ、その煙、雲の中へたちのぼるとぞ、いひつたへたる。

もむけとゝせあまりふたとせ なかつきころうつす  ながとき

この時代の富士山の様子がわかります。そうまさに活火山だった証しです。

超簡訳:翁と婆も嘆き悲しみ遂には床にふしてしまいました。頭中将は警護の者と共に宮殿に戻り事のありさまを帝に報告しました。帝は手紙を見てたいそう悲しみ宴や食事もなさらなくなりました。大臣や貴族を呼びこういいました。「どの山が天に近いのか?」ある人は「駿河国にあるという山が都にも天にも近いです」と告げました。すると帝は月のいわさかという使者に勅使をつかわし、手紙と不死の薬を焼くように命じました。勅使は山に登りその山を不死の山と言う様になりました。勅使はその峯で指示通り薬と手紙を焼いた煙が今もなお雲の中に立ち上っているのだと言われています。      

さてでは竹取物語はいつ書かれたのでしょうか?

701年から10世紀(平安時代初頭)の間と推測出来ます。
今は昔というで出しからして今は平安時代それより昔ですから奈良時代と設定するのも道理なわけです。
登場人物の官位が701年に基ずき、大和物語に竹取りの翁の物語の記載がある事から大和物語成立までと広範囲
これはしかたありません。なんせこれだ!という決め手がないのです。
ちなみに富士山が活火山だったのは記録にある物は781が初めて平安時代以降時折噴火しているので、特定は困難である。又朝廷が駿河国を支配していたというのもキーワードです。

では誰が書いたのでしょうか?
これはもう推測ですが、個人的な妄想でいうと下記の人物が挙げられます。

①石上麻呂

そう登場人物の一人、この人は実は物部氏の一族。石上神社は物部氏の祀られた神社です。そう敗者、しかもこの人は近江朝の大友皇子の忠臣大友皇子の最後を見取った人物いわば敗者の弐乗。しかしその忠誠心をかわれ天武天皇、統持天皇、文武天皇期に天皇に重用されます。
しかし元明天皇期に行われた遷都では右大臣まで上り詰めながら藤原京に留守役に命じられ閑職に追いやられます。
つまり最終的に敗者となったのです。新しい都平城京では親政が執り行われ、しかも朝廷の大部分の建物は藤原京の物を転用、移築したといいますから旧都藤原京はだだっぴろい土地だけが残ってしまっている状況です。
その地でわずかに残る官庁でなにするでもなく孤独な老人「石上麻呂」は自分の運命をどう考えていたでしょうか?
残された藤原京には迦具山が。大友皇子に殉死せず生き残り、天皇に仕え大臣にまで上りつめ、ついには閑職に・・・。今は都にも遠く、自分自身も大友皇子を救えなかった後悔を竹取物語を託した???
彼が作者なら①から⑨全ての条件を満たすと言えます。
ただし石作皇子の登場が疑問点とは言えますが、ここは刑部親王と考え、当時天武天皇の最長親王(壬申の乱で敵対していた)という立場であり大宝律令を推し進めた人物。しかし親王である以上(天皇家に敬意は深く持っているので)まったく違う名前にして登場させたとすればすんなり通る様に思えます。

②これはかなり個人的な憶測ですが・・・平城天皇

桓武天皇の第一皇子にして皇太子、即位して平城天皇となるも病気を理由に即位3年で同母弟に譲位し、奈良の平城京に住まいを移します。譲位後は平城上皇となのり、奈良で暮らしていました。が、810年に突然平城京への遷都宣言の命を下します。驚いたのは天皇となっていた嵯峨天皇、上皇をたぶらかしているのは藤原薬子と兄仲成と断定して、遷都に同意していると見せかけて密偵を受けた部下に平城京の内部を把握させます。すぐに彼女の「内侍」の身分をはく奪、兄の仲成を監禁します。当時の内侍は天皇の言葉を臣下に伝言する役割の女官の地位で彼女自身の言葉が「上皇の言葉」となるのを未然にふせいだからです。そうすると上皇は側近と薬子と東国に向かい挙兵をうながす為に平城京を離れます。嵯峨天皇はこれをすばやく読み取り、坂上田村麻呂を将軍に兵を大和に送り、上皇軍を捕え翌日には平城京に戻され上皇は出家、薬子は自殺、薬子の兄仲成は佐渡権守に左遷後殺害されます。平城法皇はその後奈良の平城京を離れる事なく同地で崩御しました。

その理由として
①かぐや姫=薬子への慕情、供養
②登場人物と当時の人間関係図
石作皇子=嵯峨天皇(同母弟、上皇の乱の際には敵対する)
草持皇子=藤原冬継(嵯峨天皇の側近、仲成と薬子は宇合の血筋藤原式家の出に対し冬継は房前の北家の出)
阿倍御主人右大臣=藤原葛野麻呂(上皇の乱の際には東国へ向かうのを止めようとした人物。やつあたりか?)
大伴大納言=坂上田村麻呂(元は平城天皇時代の側近、譲位後は嵯峨天皇側で軍を統率し上皇を護送した裏切者)
石上中納言=文屋綿麻呂(直前までは平城上皇側、乱後には坂上田村麻呂の助言で嵯峨天皇側につく)
③天皇=自分

乱後、平城天皇は薬子への弔いとして物語を製作、上皇崩御後に側近藤原真夏によって平安京に持ち込まれる。

ここでは物語の藤原嫌いが疑問点になります。上皇自身が母が藤原家の出である事、そして薬子自身が藤原家の出
である事がなのですが、それゆえ藤原=薬子の悲劇の構図も成り立つように考えれます。藤原家の政治権力の犠牲者というくくりで考えるとなしではないか?
草持皇子と中臣房子の名まで登場させて二人ともかぐや姫に翻弄させられるどんだけ嫌いこの一族を!!!
しかも①~⑨の条件が成立出来るのです。

但し上記二名を上げる時に起こる問題は竹取物語がひらがな書体で広まったとされる点です。
ここは当時は漢文で製作され、後に万葉かなからひらがなが流行した際にとある人物によって書き改められた。
といえばOKです。
ようは現代語訳させた人物が必要です。

それこそ竹取物語の作者と推測され必ず名前の挙がる「紀貫之、源融」

まさに左遷され政界を追われ隠棲していた人物、貫之は都を離れ土佐国司に、融は六条院の邸で引き籠る日々。時間はたっぷりあります。二人とも当時の藤原家の摂関政治を非難し、自身の生い立ちに不満があるという共通点も重要です。

で!個人的には平城上皇にしたい!

人の少ない宮殿や離宮(平城京の近くに茅葺屋根の離宮を持っていたそうです)で一人亡くした女性を思いながら涙して物語を書く、法衣をかぶった高貴な人物。構図的にはありでしょう!!!

かなり強引に終わります。
次回本編京草子は2012年1月10日大原を予定します。

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