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落窪物語 最終章

落窪物語も最終章
ここはテンポよくさくっと簡単に訳してゆきます。
ぜひ注釈付きの原文を読んでいただきたいので。



さて中納言家が騒然となる中衛門の督から文が届きます。

中納言に三条邸まで来てほしいという内容で、急ぎ参ると返しの文を届けて息子越前の守と共に牛車で三条邸へ。

三条邸に到着すると男君が南の母屋の廂に対面場所を設けて、女君はその几帳の中にいます。
そして女君付きの女房達を女君の部屋へ下がらせます。

男君今日の対面の目的といままでの経緯を暴露してゆきます。

「この家のかしこまりも聞ゆべくはべるを、ここにまた人知れず、嘆かるる人も侍るめるを、かかるついでに聞えさせよとなむ。この領じ造らせたまひけむ、一つには道理なれども、券のさまを見はべれば、ここにこそは、御前よりも領りまさるべくなべれ、と思ひたまへしに、遠からぬほどに、御消息もなくて渡らせたまへば、人数にも思されぬなめりと見たまへしに、などか、さしも思しおとすべき、と心づきてなむ、かくにはかに渡りはべりつる。『年ごろ、つくろひ御心入りたりけるに、かく抜けたるやうにて渡したる、いと物し。なほ、ここは奉りてよかし』と嘆きはべるめるに、同じくは、たしかに領ぜさせたまへ、券奉らむ、とてなむ、御消息聞えはべりつる」と宣へば、

三条邸に乗り込んだお詫びと嘆き悲しんでいる人(女君)にも聞かせたいとこちらにきていただきました。
あなたがこちらの三条邸を造営されたのは一見当然に思われるでしょうが、土地の券によると今ここにいる人(女君)こそ持つべきと思いました。
いずれ連絡があろうと思っていましたので勝手に移られると聞いて、何故勝手にされるのかと思い私が急遽転居したのです。
なのにこの嘆いている人(女君)は中納言は何年もかけて造営されたのにそのようなところで済むにはいたたまれないとこの邸と地券を返してください。と嘆くのです。

なら中納言にこの邸と地券をお返ししようと今日来ていただいたのです。

これかなり嫌みです。
これから嫌みの連続ですが、これからの最後の展開に必要な場面です。

中納言「いともかしこき仰せなり。年ごろ、あやしく失せはべりにし後、よに人にも聞えはべらざりつれば、世になきなめり、忠頼、若うはべらばこそ、ゆきめぐりあひ見むとも思ひはべらめ、老い衰へて、今日明日とも知らぬ、うち捨てて、影形も聞えぬは、なほ世に失せけるなめり、と悲しう嘆きはべりつるに、この家は、かれ侍らばこそ領じはべらめ、今はいかがせむ、ここに領るべきにこそ侍れ、とて、いたうあばれぬさきに、つくろにはべりつる。督の殿にさぶらふらむと承らざりつ。いとめでたう、思ふやうに、とは、おろかなるやうにこそさぶらにけれ。今まで、かくなむとも知られはべらざりけるは、忠頼を便なしと思ひおきたるにやあらむ。また、面伏せなり、これが子と知られじ、と思ひてはべるにやあらむ。二つの疑ひ、恥づかしくも。券、何か賜はらむ。またも参らせまほしくなむ。今まで死にはべらぬことを、あやしと思ひはべりつるは、この人の顔を見むとてなりけり。今なむ、あはれにはべる」

おいおい殺してしまえと言っていたのを忘れたか?

もったいないおうせです。
娘が邸から突然いなくなり、ここ何年も音沙汰もなく、私が若ければこの後お逢いできるでしょうが、もう老いていつ会えるかわからない。
こんなに年老いた私を置いていなくなるなら、もうこの世にいないのだ死んでいるのだ。
この家もあの子が所有すべきだがいないなら私が所有してもいいだろう。
と長年の荒れ果てた邸を補修しました。
まさか督の殿の北の方になっていたなど知りませんでした。
大変素晴らしいことです。願いがかなったような思いです。
今まで存命を知らせてくれなかったのは、私の子と知られたくないか。私を父親失格と思われていたのでしょう。
どちらもそう思われてもしかなのないことです。
恥ずかしいかぎりです。
こんなに老いたのにまだ生かされているのはこの子に会うためだと神仏がお導きくださったのだ。と思います。

ずいぶん勝手な言い訳ですね。

ここには、すなはちより、『御夜中、暁のことも知らでや』と嘆きはべりしかど、道頼が思ふ心侍りて、『しばし』と制しはべりしなり。


この方は私が殿の北の方になり、ここにいるのを父上はご存じでではない。
と嘆いていますのを。この私が思う所があり、対面をひかえさせていました。

ここしっかり押さえてますね。女君を庇うかつ自分の存在を誇示しています。

その上は西の方に住みはべりしより、時々忍びてまかり通ひて見はべりしに、御けしきも異御子どもよりも、こよなく思しおとされたりき。また、北の方の御心ばへ、憂くあさましく、使ひたまへる人よりも劣りにさいなみしを見聞きはべりしかば、『世にありと聞えたてまつるとも、よしと思さじ。少し人なみなみになりて、仕うまつりぬべからむほどに知られたてまつれ』と聞えはべりし。

実は自分はこの人があの虐げられた部屋でいる頃密かに通っていた。
その時のいじめや貶められている様子を知っている。
特に北の方のなさりようは容赦なかった。
そうだ私がもっと立派になってこの人をも立派にしてその時にお見せしようと心に決めたのです。

部屋に籠めて典薬の助ひ許させたまへりける、いと心憂く思ひたまへしかば、世になきさまに御覧ぜらるるとも、何とも思さじと思ひたまへて。、


また納屋に押し込めて典薬の助の妻に無理やりしようとするのを知り、そうならこの人が世にいないと思っても悲しまないだろうと思って知らせなかったのです。

道頼はつらし憂しと思ひおきつることの忘れはべらねば


殿をば便なしとも思ひきこえざりしかども、北の方の情なくおぼえたまひしかば。祭など見はべりしに、『殿の御車』と言ひはべりしを、なめげなるさまに。をのこども、かつはいかにと見知るさまにて。いととくと御覧ぜさせずやとおぼえはべりしも、便なく思ひたまふれど、あけくれ異御子どものやうに見たまふことも難げなりしかど、まづ、夜昼、見たてまつらぬことを申すめれば、人の御親子の中はあはれなりけりと見たまふれば、いかで仕うまつらむとなむ思ひたまへなりにたるを、幼き人々もおよずけまさるめるを、見せたてまつらでやなど、思ひたまへてなむ

私が辛かったろうと思いそれを私が忘れていなかったので、祭りの際に中納言家の車だと言った事で仕えている者が無礼な事をしました。
典薬の助もなんて身の程知らずな者かと叩いてしまったのです。
そんな事をされ中納言もよくおもわないだろう。と思いましたが、この人はほかの子よりまったく愛情をかけてもらえなかったのに。
「日々父に会えないのが辛いと申すのです」

すっごいプレーッシャ~~~の嵐

私もこれから中納言にどのような事が出来るのか。
生まれた子供たちもお見せしたい。と思いきていただきました。

中納言、いと恥づかしうて、このことどもを聞きたまひて、思しおきたりけることと、限りなくいとほしくて、えいらへ、はかばかしからず。

そりゃ恥ずかしいでしょう。昔を恨んでおいでなのだと思うと返事できないでいる。

異子どもより思ふままに曲げられて、げにいとほしきことも侍りけむ。されば、いとことわりなり。述べ聞えさすべきことも侍らず。典薬は、いとゆゆしきこと。さる者には、いかなる者か許しはべらむ。部屋に籠めはべりしことも、思ふやうならぬことをしたりと聞きはべりしかば、ねたくくちをしくてなむ。何事よりも、若君達をまづ見たてまつらむ。いづら、今だに

他の子と分け隔てして貶めるつもりはなかったのですが。妻にまずは私の子の世話をといわれるままにいました。
おっしゃる通りです。弁解は出来ません。典薬の事は知りませんでした。しったとしたらなんでそのような事をするでしょう。
部屋に監禁したのは私嫌うことをしたと聞いて腹立たしさに行ってしまったのです。
まずは若君にお会わせくださいませ。どちらにいらっしゃいますか?

言い訳半端なし

男君、前に立てたる几帳おしやりて、「ここに侍るめり。出でて対面したまへ」と申したまへば、恥づかしけれど、ゐざり出でたまふ。

男君が前の几帳を押しのけて「ここにいます。さあ出てお会いなさい」といえば女君恥ずかしいけれど膝行で前に出る。

おとど見たまへば、いみじく清げに、ものものしくねびまさりて、いと白く清げなる綾の単襲、ニ藍の織物の袿着たまひて、居たまへり。見るに、これよりはよしと思ひかしづきしむすめどもにまさりたれば、かかりけるものを、うち籠めておきたりしを、げに、いかに思ひたまひけむ、と、恥づかしうて

父が見ると大変美しく、威厳もあって白い綾の単重ねに二藍色の織物のネ圭着ておられる。
拝見するとほかのよいと思っていた娘よりも優れている。なんで落窪に押し込めて日々を過ごさせていたのかと思うと恥ずかしい思いさえしています。

「つらき者に思ひおきて、今まで知られたまはざりける。対面しぬるは、限りなくなむ心のびてうれしく」と宣へば、
女君「ここには、さらにさ思ひきこえぬを、この君の、さいなみしをりを、おはしあひて聞きたまひて、なほ便なきものに思しおきたるなめかし。『しばしな知られたまひそ』とのみ侍るめるに、つつみてなむ。
心には、さらに知りはべらぬなめげさも、御覧ぜられつることをなむ、いかがと限りなく思ひたまへつる」と宣へば、

そのをりに、いみじき恥なり、何事に、思しつめて、かくはしたまふならむ、と思ひたまへしを、今日聞けば、君をおろかに思ひきこえたりとて、勘当したまふなりけり、と承りあはすれば、なかなかいとうれしくなむ」
、うち笑ひたまへば、
女君、いとあはれと思して、「さてしもこそ、かしこけれ」と申したまふほどに

ここでようやく親子の対面ですが、さすがに気まずいのか。
中納言も恐縮しながら再会を喜んでいます。
女君の男君の復讐も、当時その場にいた男君が過去を許せず行ったのだと真相を伝言します。

女君あれから三年子供も三人となると当然威厳も備わっています。
まあ必要な三年間だったといえますね。

そこで男君長男を連れて登場
大変可愛らしい子で

「くは御覧ぜよ。心なむ、いとうつくしくはべる。天下に、北の方も憎みたまはじとなむ思ひたまふる」と宣へば、

さぁご覧ください。心も姿も美しい子でしょ。
あの天下の北の方も憎しみを持つ事はないと思います。」といい

そもけしからぬことを」と、かたはらいたがりたまふ。
女君「そんなよくない事を」と気まずくなっている様子。

中納言は、見るに、老い心ちに、いと愛しうらうたう、ただおぼえにおぼえて、笑みまけて、「こちこち」と宣へば、さる翁におぢて、首にかかりて抱かるれば、「げにや、天下の鬼心の人も、え憎みたてまつらじ」とて、「いといと大きにおはするは、いくつぞ」、「三つになむなりはべりぬる」となむ、父君申したまへば、「またや物したまふ」、「この弟は殿になむ召されにし。また女子侍れど、今日はつつしむこと侍り。のちに御覧ぜさせむ

中納言は拝見すると大変可愛らしい孫にデレデレ「こちらに」と手招きすると人見知りせずに中納言の首に手をかけて抱っこされる。「本当に天下の鬼さえ憎まないでしょう。」「いくつになられますか」「三つです。」「ほかにお子は?」「下に右大臣家にあずかってもらっている弟と姫君がいます」「姫君は今物忌中でいずれご覧にいれます」

その後、中納言と共に御膳と用意して酒を飲みかわす。
長男の越前の守は別室衛門や少納言、侍従の君が率先して若い美しい女房達に酒を浴びせるほどのまされへべれけにされて、宴会後沢山のお土産を家来にも与えられて邸に帰ります。

帰ってからが中納言家でひと悶着、中納言は自分の責任もあるのに「典薬の妻にしようとしたのは何事か?孫は美しかった。幸いあることだ。」と上機嫌
北の方は監禁せよといったのはあなた。典薬の事は知りませんよ。あなただって人の事はいえないでしょ。

おいおい~~~~
息子の越前の守もまだへべれけで酔って辛そうで、散々飲まされたよ。ここの女房だれだれ誰々・・・・もあちらにいたよ。
三の君四の君はいたたまれず、依然はおちくぼと呼ばれていた女君より、下の立場になって自分たちもそのせいで不幸になった。
両親にこよなく育てられたのにひとつも役に立てないと泣き喚きます。

翌日男君からお便りが届きました。内容はいろいろなお話を出来なかったこと、三条邸に転居してほしいこと。
そしてこれからもこちらにきてほしい事。よろこばしい事ばかりでした。

女君からは四の君へおたよりしました。
忘れにしときはの山の岩躑躅つつじ
    言はねど我に恋はまさらじ

四の君の不幸な結婚は自分への復讐だという思いが彼女に申し訳ない気持ちにさせていたのでしょう。

はらから四人並み居たるほどに、取り交はしつつ見たまひて、姉君たち、「わがもとにも宣へかし」と、今は語らはまほしきぞ、いみじきや。落窪に居たりしほどは、いかにと問ふ人なかりしものを、と思ふ。

笑えるのがこの文を見たほかの姉たちが「私にはないのか」期待しているところです。おいおい落窪と呼ばれていた頃は無視していたのにです。

権力にすりよるところがすごすぎます。

中納言はさすがに申し訳思うのか、その話をお断りになります。
いただいた石帯(現在でいうとベルト)も私には身分不相応しばらくお借りしてお返しします。とたよりしました。
まあ最終的には名義は父にでも中納言がなくなると権利は女君にうつるんですが。
住まいはそのまま衛門督邸になります。

四の君はあたりさわりない返歌で女君にかえしました。
うち捨てて別れし人をそことだに
    知らで惑ひし恋はまされり

かくてのちは、心しらひ仕うまつりたまふこと限りなし。
おとどは、たとしへなきまで訪ねおはす。
越前の守、大夫など、ただ今の時の所なれば、恥を捨てて参り仕うまつる。
女君は、うれしきものに思して、いかでとしたまふなかに、大夫をば御子のごと思したり。

大夫は三郎君ですからかわいく思うのは当然ですね。
両親がしたことをわかっているのです。
大夫は恥ずかしいと思いつつというのが良識のある男子です。

「いかで今は北の方、君達にも対面せむ。こなたにも渡りたまへ。母君には小さくておくれたてまつりて後、見馴れたてまつりしままに、親となむ思ひきこゆる。いかで仕うまつらむと思ふに、この年ごろ思しや疎みにたらむ。君達へも同じ心に聞えたまへ」と宣ふを、
越前の守「さなむ宣ふ。われを思したるこのぞ限りなき」と語れば、
北の方「いとど徳つきにしかば、さも思ふらむ。われにも、いみじくおぢたり。懲せしを思ひおかば、この子どもをぞ便なく思はまし。男君の思しおきたるにこそありけれ。まこと、かの物縫ひし夜、にかへたりけるは、この君なりけり」と、
思ひ弱ることありて、やうやう文はよはして、言ひつく。

衛門の督家と中納言家はこうして交流してゆき、しまいには女君義母にも会いたいと言い出します。
ここまでいくとやはり物語ですね。
さすがに鬼の義母も文くらいのやりとりは始めたようです。

ってかあんたあの時の男見たんだから、男君に嫌がらせされてる時点で気がつくでしょ。あ!!物語でした。

その後男君と女君は中納言が老いていつなくなってもおかしくないのだからなにか徳のあることをさせたいと相談します。
女君は「八講させてあげたい」というと。


そうこうしているうちに帝が病になり譲位、甥の東宮は帝になり、妹は皇太后に、甥も東宮になり男君大納言に昇進。
妹の夫も中納言に弟は宰相にな男君は中納言家を改修して行事を行わせます。

当時女君義理の母と姉妹に会うその時に


このたびぞ、北の方、君達などにも対面ありける。濃き綾の袿、をみなへし色の細長着たまへり。色よりはじめて、めでたければ、かの縫ひ物の禄に得たまひし衣のをりを思ひ出づる人あるべし。主の北の方、三、四の君、事の中に物語したまふ。昔、落窪といひし時も、衰へずをかしげなりと見しを、今はものものしく北の方とさへねびて、けはひ異に、すぐれて聞えし君達の着たまへる物、こよなく劣りて見ゆ。北の方、いかがはせむと思ひなりて、物語して、

まだ幼くて、おのがもとに渡りたまひにしかば、わが子となむ思ひきこえし
おのが心本性に立ち腹に侍りて、思ひやりなく物言ふことも成りはべるを、さやうにてもや、もしものそきさまに御覧ぜられけむと、限りなくいとほしくなむ」と言へば、
君は、したには少しをかしく思ふことあれど
「何か。さらにものしきことやは侍りける」と、
「思ひおくこと侍らず。ただ、いかで思ふさまに志を見えたてまつりにしがなと、思ひおくこととて侍りしことなむ」と宣へば、
北の方「うれしくも侍るかな。よからぬ者ども多く侍るなれば、思ふさまにも侍らぬに、かくておはするをなむ、誰も誰も喜び申しはべるめる」と申したまふ

再会すると当時とはうってかわって威厳のある身なりも素晴らしい姿でさすがにわが娘が劣っていると認めるしかありません。

「小さい時にこちらにきてわが子と思ってせっしていたけれど、私が癇癪もちでいやな気持になっていたと思う。というような????」さすがに女君も「あらおかしいわ」と思うも
そこは大人そんな思っておりませんよ。大人対応です。

さて八講とは平安時代初頭に死者の追善供養を目的法華経八巻を一巻ずつ八座で読誦・講讃する法会
読師が経題を唱えて講師が経文を講釈し、更に問者が教義上の質問をして講師がそれに答え、精義が問答を判定、堂達が進行
基本朝夕二座の四日間で行うので大変な準備とお金、人材等相当な地位と権力がないとできません。
中納言という地位では出来ない事でしょう。
その式典をすべて男君が仕切り中納言の名で行わせるのです。
もう夢心地の中納言。
なんせ時の右の大殿の御文、その北の方、中宮さま、婿(元蔵人の少将)と中の君からそれぞれお祝いのお手紙と供物があるのです。

いみじう老いのさいはひ、面目ありける人かな」と、誉む。
「なほ人は、よからむむすめをこそ、神仏に申して持たらめ」と言ひあへり。
この行事なんと9日間開催されました。


さてこの時元婿に未練タラたらの三の君、それを知る大夫が蔵人の少将に声をかけます。
しかし中納言になっているかかわりたくないので
いにしへにたがはぬ君が宿見れば恋しきこともかはらざりけり
とぞ。世の中は」と言ひて、出でたまへばと
帰宅してしまいます。

大夫はなんの未練もないんだなと思っています。



「いと尊くあはれにはべりつることをば、さるものにて、中宮、右大臣殿よりはじめたてまつりて、かしこき御心ばへ見たてまつりつるに、命のびて、老の面目とは、おろかなり。翁のためには、経、仏一巻を供養したまへむなむ、いみじきことにはべるべき。かく猛なることをせさせたまへること」と、泣く泣く喜びたまへば、大納言も、女君は、さらにもいはず、かひありてうれしと思す。「これ、翁のいとかしこき物と思ひたまへて、誰に伝へ置かむと、年ごろ隠し置きて、中納言殿のいまし通ひし時、求めたまひしかど、取り出ださずなりにしかば、あが君の御料にて物し置きけるにこそありけれ。若君に奉らむ」。いとをかしげなりし、錦の袋に入れて奉りたまへば、若君、知り顔うち笑みて、取りたまひつ。笛いと美しと思す。音もかしこし。

行事がすべて終わりと男君が三条邸に帰ろとします。
中納言は行事のお礼を述べながら涙して嬉しがるので男君女君はしてよかったと思っています。
勘当した中納言は大変愛用している笛を差し上げたいと若君に手渡します。
中納言が蔵人の少将に請われても渡さなかった笛です。
男君も大変良い笛だと思われました。

さらに七十賀まで二人に開催してもらえます。

かくて、やうやう中納言重く悩みたまへば、大将殿、いとほしく思し嘆きて、修法などあまたせさせたまへば

そして中納言厚かましくも自分の地位が若い公達に抜かれていく嘆きを大納言にうったえます。
本当に厚かましい~~~

男君さらに自分の大納言の地位を中納言に譲ってもいいかと父に持ちかけて、了承をとりつけ中納言を大納言に昇格させます。
もう中納言は感激しかりでまず朝廷に就任あいさつの前に男君にお礼を申し上げ、あなたのおかげです。と丁寧にお礼をおっしゃります。
もう中納言で終わると思っていたのに大納言にしてもらえたのです。
まあ正妻の実父が昇格するのですから、妻の格が上がります。
三条邸も名義は実父ですが、男君は家族と住んでいます。
当時は嫁の家で生活するというのもあり。


少し体も小康状態になったのですが、さすがに老衰には勝てずに大納言に昇進してすぐに床につきます。

「わが子ども七人あれど、かく現世、後生うれしき目見せつるやありつる。かかりける仏を、少しにてもおろかなりけむは、わが身の不幸なる目を見むとてこそありけれ。
子ニ三人、婿取りたれど、今にわれにかかりてこそはありつめれ。
あまさへ憂き恥の限りこそ見せつれ。
この殿は、塵ばかり仕うまつることのなけれど、御顧みをかくこよなく見る、かへりては、恥づかしき心ちして。
われ死なば、代りには、をのこ子にもまれ、をんなにもまれ、君に仕うまつれ」と、いとさかしう言ひいます。

かかれば、北の方、憎し、とく死ねかしと思ふ。


北の方との子供と夫は私に世話されなんにもしてくれていない。この仏のような娘をおろそかにあつかったのは不幸にあうためだった。ほかの婿と違い大将殿に私はお世話した事がないのに私にこんなにお世話してくれる。私が死んだあとしっかりお仕えするように」と遺言すると北の方が「憎い!早く死ね」ばいいのに。


 大納言は、その日より臥して、また重く苦しうしたまふ。「今は塵ばかり思ふことなければ、死なむ命も惜しからず」と言ひ臥したまへり。いと弱くなりたまふと聞きたまひて、大将殿の北の方、渡りたまへり。おとど、かたじけなくうれしと思ひたまへり。御むすめ五人つどひて仕うまつり嘆きたまふ。おとど、異御子どもの仕うまつりたまふは物とも思さず、大将殿の北の方、添ひおはするを、うれしと、いみじうめでたきことに思して、ものも参りたまふ。湯漬をなむ参りたまひける。


ずいぶんと身勝手な父親かと思いますね。
虐待を見て見ぬふりしておいてよくしてくれたから、他の子供より看病してくれるのが嬉しいと湯漬けのご飯を食べさせてもらう。


頼もしげなくなり果てたまひて、生ける時、処分してむ、子どもの心見るに、はらから思ひせず、女たちのなかにも疎々しくあめれば、論なう怨みごとども出で来なむとて、越前の守を御前に呼び据ゑて、所々の荘の券、帯など取り出でて、選らせたまふに、少しよろしきは、ただ大将殿の北の方にのみ奉りたまひて

死んだあと家族争わないように生前贈与を越前の守に託しますが、その遺産の良い物はすべて女君に残すように遺言します。
勿論三条邸はそうですが、現大納言邸、美濃の荘園、石帯などなど。
これを聞いた北の方、反論してあれこれ大納言にいいますが、この時ばかりはまったくいうことを聞き入れません。
引かない北の方を子供たちが静止ます。病人相手ですからね。

つひに、七日に消え入りたまひぬ。十一月のことなりけり。

11月7日逝去

さて当時の葬儀は大変厳格で家族は忌といい30日間籠らなくてはいけません。女君は勿論大納言家で過ごします。
しかし女君の子供たちはまだ小さくて子供が籠るのは可哀そうだと、三条邸で大将が面倒を見る事になりました。

わが御殿に、習はぬひとり住みにて、君達うちながめ、あそばして、さうざうしく思さる。かくとく亡せたまひぬるを見たまふにつけても、よくぞ思ふことを、いそぎてける、と思す。


このあたりから男女の立場が逆転しているようですね。
三条邸で子供の姿を見ながらもひとりさみし気にしている・・・・・・。離れて暮したことがなかったのでよけいでしょうね。

大将も午前は政務、午後は大納言家、夜は自宅で子供たちと。大忙し
大将殿おはせぬ日なし。立ちながら対面したまひつつ、すべきやうなど聞えたまふ。

女君の御服のいと濃きに、精進のけに少し青みたまへるが、あはれに見えたまへば、男君、うち泣きて、
    涙川わがなみたさへ落ち添ひて君がたもとぞふちと見えける
と宣はば、女、
    袖朽たす涙の川の深ければふちの衣といふにぞありける

など聞えたまひつつ、行き還りありきたまふほどに、三十日の御忌、果てぬれば、
30日間の忌も終わります。

「今はかしこに渡りたまひね。子ども恋ひ聞ゆ」と宣へば、
今いくばくにもあらず。御四十九日果てて渡らむ」と宣へば、ここになむ夜はおはしける

「喪が明けたから三条邸に帰っておいでよ。子供たちも恋しがっているよ・」

ってか自分がさみしいでしょ。

四十九日の法事を大々的に開催

はかなくて御四十九日になりぬ。
この殿にてなむ、しける。「こたみこそ果てのことなれば」とて、大将殿いといかめしうおきてたまひけり。
子ども、われもわれもと、ほどほどに従ひて、したまひければ、いと猛にきらきらしき法事になむありける。

 事果てて、大将殿「今は、いざたまへ。部屋にもぞ籠むる」と宣へば、
けしからず、今は、かけても、かかることな宣ひそ
忘れざりけると聞きたまはば、思ひつつむこと出で来なむかし。なき人の御代りには、よろしう思させにしがなとこそ思はめ」と宣へば、
「さらなること。女君達にも、君こそは問ひたまはめ」と宣ふ。

大将 「四十九日も終わったしはよ帰らな、部屋に監禁されるよ!!」と冗談をいうと

女君「よくない事ですよ。そんな事はいうのは・・・・・・・」怒られちゃった。

さて帰ろうとする大将を越前の守が遺言通りに実行しよと。財産分与の持ち分を大将に持ち帰るように促します。
大将は女君の取り分の遺産が大きいのを他の家族の取り分の格差を心配している。
ましてや今住んでいる大納言邸まで女君名義にしようとしているので他に住むところがあるのかと女君に聞くくらいだった。
さすがに気がひける。何度かのやり取りで大納言家は北の方にその後その子供たちに石帯は差し上げた豪華な物を戻してもらい。荘園は一番裕福な美濃を大納言の意思を尊重して財産としました。

越前の守から邸宅がとられなくてよいと聞いた北の方ついつい本音が。

守、北の方、君達に、「かうかうなむ宣へる」と言へば、
北の方、この家は、いと惜しかりつるに、いとうれしく宣へば、なほ、われはと領じ代へらるると見ると思ふに、いとねたければ、
落窪の君の、かくしたまふか。いで、あはうれしのことや
越前の守、ただ腹立ちに腹立ちて、爪弾きをして、「うつし心にはおなせぬか。さきざきは、いとほしく恥をか見、懲ぜられたまひしひきかへて、かくねむごろに顧みたまふ御徳をだに、かつ見で、かく宣ふ。まして昔、いかなるさまに。人聞きも、わが身も、物ぐるほしや、落窪、何くぼと宣ふ」と言へば、
北の方「何ばかりの徳か、われは見はべる。おとどは父なれば、せしにこそあめれ。取りはづして落窪と言ひたらむ、何かひがみたらむ」と言へば
、越前の守「あはれの御心や。物思ひ知りたまはぬじぞかし。徳は見ずと。御心にこそ、さしあたりて、見ずと思すらめ、大夫、左衛門の佐になりたるは、誰がしたまふにか。影純はこの殿の家司になりて加階せしは、誰がせしぞ。今にても見たまへ。また、をのこも人々しくならむことは、ただこの御徳。まづは家も賜はぬに、この家領じたまはましかば、いづこに引き続きておはせまし。まづただ思し合はせよ。目の前なることどもを見れば、うれしくあはれにおぼえたまはずやある。影純らも、国を治めて、徳なきにしあらねど、妻をまづ思ふとて、え奉らず。今にてもえ奉るまじきは、子、志の薄きぞかし。おのが生みたらむ子どもだに、かくおろかにて、仕うまつらぬ。御身は、かくあはれなる御心ばへを、泣く泣くこそ喜びきこえたまはめ」と
、とにかくに言ひ知らすれば、げにと思ひて、いらへせず。


めっちゃ怒られてます。

落窪がしてくれたのか。よかった!言った瞬殺で息子が激怒
「まともじゃないよ!誰のせいで恥をかいたんだ。殺されても文句はいえない。落窪だ〇窪だいうんじゃない」

「ちょっと口がすべっただけで。私にしてきれたんじゃない。実父じゃないか。ちょっと落窪って言ってしまっただけじゃないか」
さらに超お説教されあげく私は自分の妻が大事、あなたの事まで手がまわらないよ。」 

そりゃそでしょ。
義母がちゃんとしてさえいればでもそうなら男君にあんなに愛情掛けて幸せな生活をおくれたかは不明。

その後に北の方は相続の分配に不満タラたらしかし、息子らにそっぽを向かれ逆にまずいと思ったのか感謝の返事する。

さて昇進の時期になり
司召に、左大臣殿、太政大臣に、大将、左大臣になりたまひぬ。
次々の御弟も、なりあがりたまへど、一所の御上を書き出だす、あいなければ、書かず。左大臣殿の北の方の御さいはひを、人々も、はらからたちも、めでたううらやむ。
 
中の君の御夫の左少弁、身いと貧しとて、受領望まむ、北の方につきて申しければ、美濃に、いたはりなしたまひつ。越前の守、今年なむ代りければ、国のこと、いとよくなしたりければ、引き立てよく、やがて播磨になしつ。衛門の佐は少将になりぬ。誰も誰もこの御徳にと、集まりて、北の方に喜び聞かせ、「これやは御徳見たまはぬ。今よりは、なほ口にまかせて物な宣ひそ」と言へば、「げに、ことわり」と言ひてけり。「このたびの司召は、この御族の喜びなりけり」と、人、世に言ふ。

さて大君と中の君は夫を遇して兄弟は昇進させて、残るは三の君と四の君。大将はよい結婚相手を探すもお眼鏡にかなう相手はおらず、そのうち帥が北の方を亡くされ人柄もいいので候補にあがる。女君の意見を聞いて四の君に目合わせる事になりました。

大宰帥を帥といいます。ただこの人は現地にいってますし大弐という実質的な責任者
だいたい大宰帥は親王がつきますので、現地にはいきません。
この役職おいしかったようで人気の役職だったそうです。


三日間の夜通いもすんで無事婚儀が終わると女君が男君との逢瀬を思い出したのか

女君、昔われを見はじめたまひしこと、思ひ出でられて、「いかに思ほしけむ。あこきは、心憂き目は見聞かじと思ほえて。いかに、まろ見はじめたまひしをり、はじめて、やむごろなくのみ思ほしまさりけむ」と宣へば、

殿、いとよくほほゑみ、「さて、そらごとぞ」と宣ひて、
近う寄りて、「かの『落窪』と、言ひ立てられて、さいなまれたまひし夜こそ、いみじき志は、まさりしか。その夜、思ひ臥したりし本意の、皆かなひたるかな。これが当に、いみじう懲じ伏せて、のちには喜びまどふばかり顧みばや、となむ思ひしかば、四の君のことも、かくするぞ。北の方は、うれしと思ひたりや。影純などは思ひ知りためり」など宣へば、
女君「かしこにも、うれしと宣ふ時、多かめり」と宣ふ。


こういうところ今も昔も同じです。
「私と会ったときにいつ愛情が生まれたの?」
男君「(そうだよ!と嘘をいうのはやめて)うそはおいといて・・・。」
「落窪と卑しめたあの夜から。散々虐めてその後孝行すると決めていた。そのとうりになった」
「北の方もその通り喜んでいるでしょう」



人は、生みたる子よりも、継子の徳をこそ見けれ。わが子七人あれど、かくこまかに心しらひ顧みるやはある。物のはじめにし、この子のなりの萎えたりつるを思ひつるに、限りなくもうれしくもあるかな
これは四の君のいる帥を北の方が訪問する際に装束を女君が新しい品を用意した時の北の方の褒め様です。
おいおい自分勝手でびっくりしますよね。

この時にさすがに北の方苦言をていします。
 帥には前妻に5人の子供がいました。

このあんなる子ども、ゆめゆめ憎みたまふな。おのが子どもよりも、愛しうしたまへ。おのれは、昔憎ざらましかば、しばしにても恥を見、痛き目は見ざらまし」と宣へば、四の君「まことに、ことわり」と言ふ。

四の君が義理子を虐待することはないようです。北の方さすがに学習してますね。


四の君の帥邸への転居も住んでいよいよ太宰府に。
その時元夫面白の駒から船に乗る海岸の風景を砂箱が送られる。意気な贈り物ですね。
家族の涙涙の別れに

任期まで太宰府で生活して無事に都に帰り、母にも会ってこの後大納言家は幸せに過ごしました。

その後の繁栄

左の大殿(男君)の太郎、十四にて御冠、姫君、十三にて御裳着せたてまつりたまふ。
「二郎君をも落させじ」と、せさせたてまつりたまふに、父おとど「かくいどませたまふ」と笑ひたまふ。

年返りては、姫君、内裏に参りたまはむとて、限りなくかしづきたまふほどに、はかなくて年返りぬ。
二月に参らせたまふ。書かずとも、儀式ありさま思ひやれ。限りなくをかしげにおはすれば、いと時めきたまふに、いとど后の宮思ひきこえたまひつれば、なじめさぶらひたまふ人々よりも、こよなく花やぎたまふ。
播磨の守は便ひなりたまひにけり。
かの衛門が夫の三河の守は左少弁にてなむありける。
弁の北の方にて、あまたの子生み出でて、いとおもおもしくて参りまかでしける。

かかるほどに、大殿、御心ち悩みたまひて、太政大臣返したてまつりたまへど、帝、さらに用ひたまはねば、「いといたう老いたはべれど、おほやけを見たてまつりはべらざらむが悲しさに、今まで参りはべりつるなり。
今年なむ、つつしむべき年にはべれば、このりはべらむと思ひたまふるに。この族にては、おほやけのやむごとなからむまつりごとに参らせでは、びんなかるべし。辞したてまつる代りには、左大臣をなさせたまへ。
才、けしうははべらざめり。されば、翁よりも御後見はいとよあくしはびりなむ」と、后の宮して、せめて申させたまひければ、
帝「何かは。生きてものしたまはむこそ、うれしからめ」とて、左のおとどを太政大臣には、なしたてまつりたまふ。世人「まだ四十になりたまはで、位を定めたてまつることよ」と驚きあへり。
 御むすめの女御、后にゐたまひぬ。
宮の亮に少将を中将になしてなむ、せさせたまひける。兵衛の佐たち、皆喜びしたまふ。
太郎の兵衛の佐、左近衛の少将になりたまひぬ。
おほぢおとど「わが兵衛の佐、遅くなしたまふ」と宣へば、
「いとわりなきこと。おのれは、子の限りを、事の始めには、いかがしはべらむ」と申したまへば、「
これは御子かは。翁の五郎に侍れば、何かは人のそしりにならむ。先には、御太郎、左近、のつかさにはなりにしかば、こたみは右近衛の少将をなせ。叔父にて、甥になり劣るやうやはある」と宣ひて、
「よしよし、しぶしぶに思ひたまふめり」と、
内裏にせちに奏せさせたまひて、右近衛の少将になしたまひて、
「かうてこそ見め。この子とく生れたらましかば、かれにぞ、わが官爵も譲らまし」とぞ宣ひける。愛しうしたまふとは、世の常なりや。

大殿の北の方、御さいはひを、「めでたしとは古めかしや。落窪に単の御袴のほどは、かく太政大臣の御北の方、后の母と見えたまはざりき」とぞ、なほ昔の人々は、言ひけるに、まそかごとも言ひける。

 三の君を、中宮の御匣殿になむなしたてまつりたまへりける。
 
帥は任果てて、いとたひらかに四の君の来たるを、北の方、うれしと思したり。ことわりぞかし。

かく栄えたまふを、よく見よとや神仏も思しけむ、とみにも死なで七十余までなむ、いましける。大殿の北の方「いといらく老いたまふめり。功徳を思はせ」と宣ひて、尼に、いとめでたくてなしたまへりけるを、喜び宣ひ、いますかりける。
「世にあらむ人、継子憎むな。うれしきものはありける」と宣ひて
、また、うち腹立ちたまふ時は、
魚のほしきに、われを尼になしたまへる、生まぬ子は、かく腹きたなかりけり」となむ宣ひける。
夜にたまひて後も、ただ大殿のいかめしうしたまひける。

右衛門は宮の掌侍になりにけり。後々のことは、次々、出で来べし。

この少将の君達、一よろひになむ、なりあがりたまひける。おほぢおとど、うせたまひにけれども、「われ思はば、ななし落しそ」と、返す返す宣ひたまひける。

左大将、右大将にてぞ、続きてなりあがりたまひける。

母北の方、御さいはひ、言はずともげにと見えたり。

帥は、この殿の御徳に、大納言になりたまへり。

面白は、病重くて法師になりにければ、音にも聞えぬなるべし。

かの典薬の助は、蹴られたりし病にて、死にけり。「これ、かくておはするも、見ずなりぬるぞ、くちをしき。などて、あまり蹴させけむ。しばし生けておいたらんものを」とぞ、男君宣ひける。

女御の君の御家司に和泉の守なりて、御徳いみじう見ければ、昔のあこき、今は典侍になるべし。

さくっとしすぎ???

皆大出世で完

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