殿の上は、裳の上に小袿をぞ着たまへる

黒田装束店さんで汗衫を体験後、次の装束へ変身

晴れと褻の間の女房装束


重ね袿+裳
今回は袿+裳を体験
この装束で枕草子に登場する人物
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「高階貴子」もしくは高内侍・儀同三司母

平安時代は普段着に女房はこの姿ようだった事が源氏物語絵巻でかいまみえます。
十二単は女房装束で儀式、祝い事などに着用する晴れの装束です。
それとは違い褻の装束という女房の普段の装束かもしくは晴れと褻の間の装束でもありました。
ただ現在では一般的に知られていません。
この褻の装束は枕草子にこの姿で登場する人物がいます。
清少納言の主人だった中宮定子の生母 高階 貴子です。
彼女は円融天皇の後宮で高内侍という名で宮中に出仕していました。
和歌の知識だけでなく漢文にも精通し公卿の注目の中、彼女を見染めた藤原道隆との間に三男四女を生み中関白家の正室として栄耀栄華と没落を見た人物です。
関白道隆法興院積善寺一切経供養の様子
紅の御衣よろしからんや、中に唐綾の柳の御衣、葡萄染の五重の御衣に、赤色の唐の御衣、地摺の唐の羅に、象眼重ねたる御裳など奉りたり。
当日の中宮定子の着姿
女房あるかぎり、裳、唐衣、御匣殿まで著給へり
当日の女房と中宮定子の妹の姿
殿の上は、裳の上に小袿をぞ着たまへる。
「繪に書きたるやうなる御さまどもかな。今いらい今日はと申し給ひそ
三位の君、宮の御裳ぬがせ給へ。この中の主君には、わが君こそおはしませ。御桟敷の前に陣屋据ゑさせ給へる、おぼろけのことかは」
訳:関白様の奥方さんはぁ(三位の君)は裳の上になぁ~小袿だけ着てんねんなぁ(それを目撃した殿さま(関白道隆)は)怒って「まるで~絵に描いたような姿やなぁ~奥さん今日は若返って立派にみえんでぇ~~~(嫌味を言ってます)三位の君!(妻の官位を言ってわざと他人行儀に呼んでいる)中宮さんの御裳をお脱がせあそばさなぁ!ここの主君はこの中宮さんやでぇ~~御桟敷の前、近衛の陣を設ける(この法要の皆の中の主人は中宮さんであって)あんたでないんや!
上記の清少納言の記述はこの道隆の正妻にはああぁ~~~と思ってはいるものの表だっていっちゃもんつけれないが、ちょっとおかしいやんという意味で辛口コメントしています。
それがこんな事しはんねん。という意味で残しているんですね。貴子の方は私が中宮さんを生んだから~~~女房と一緒のかっこうなんか出来ひんわって感じで高飛車女子だったんですね。
「あなたは中宮さまの母上だからってなぁ~えらそぶってるみたいやけど・・・・。偉いのは中宮様だしあなたではないやんかぁ~~~そんなんはおかしんちがうん?」という事ですね。当時上位の者の装束は軽装が常識でした。十二単衣は別名女房装束そう女房が着る仕事着です。
うへは白き御衣ども、紅のはりたる二つばかり女房の裳なめり。引きかけておくによりて、東面におはすれば訳:殿の奥方さまは白色の表着に紅色のなぁ衣を(たった)2つくらい羽織ってなぁ~女房の裳をつけてはんねん。その姿もあんまり他の人に見られんように奥の東面に座ってはんねん。(なにさま???)

平安時代の宮中装束でよくみかけられるのが十二単衣いわゆる女房装束です。
なんども記述しますが、平安時代には女房(高級召使い)が着る衣装が十二単衣、女主人もしくは身分の高い女性はその場で一番身分の高い女性は軽装で重ね袿か小袿、細長を来ていました。
枕草子に記述されている。高階貴子の装束を出来るだけ再現してみます。


本当は小袿+裳をしたいのでが、本当の小袿は裾が短いのが正式で、それが出来るのは「平安装束体験所」「東京徳成大学伝統文化装束班の出張体験」です今のところ。
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この袿+裳は平安時代には女房の晴れと褻の間の装束でした。
有名な源氏物語竹河に出てくる
中将など立ちたまひてのち、君たちは、打ちさしたまへる碁打ちたまふ。昔より争ひたまふ桜を賭物にて
三番に、数一つ勝ちたまはむ方には、なほ花を寄せてむ
と、戯れ交はし聞こえたまふ。 暗うなれば、端近うて打ち果てたまふ。御簾巻き上げて、人びと皆挑み念じきこゆ。折しも例の少将、侍従の君の御曹司に来たりけるを、 うち連れて出でたまひにければ、おほかた人少ななるに、廊の戸の開きたるに、やをら寄りてのぞきけり。
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原画
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復刻盤

人物図による再現
かう、うれしき折を見つけたるは、仏などの現れたまへらむに参りあひたらむ心地するも、 はかなき心になむ。夕暮の霞の紛れは、さやかならねど、つくづくと見れば、 桜色のあやめも、それと見分きつ。 げに、散りなむ後の形見にも 見まほしく、匂ひ多く見えたまふを、いとど 異ざまになりたまひなむこと、わびしく思ひまさらる。若き人びとのうちとけたる姿ども、夕映えをかしう見ゆ。 右勝たせたまひぬ。「 高麗の乱声、おそしや」など、はやりかに言ふもあり。
君達は、花の争ひをしつつ明かし暮らしたまふに、風荒らかに吹きたる夕つ方、乱れ落つるがいと口惜しうあたらしければ、負け方の姫君
「 桜ゆゑ風に心の騒ぐかな
   思ひぐまなき花と見る見る」
御方の宰相の君
「 咲くと見てかつは散りぬる花なれば
   負くるを深き恨みともせず」
と聞こえ助くれば、右の姫君
「 風に散ることは世の常枝ながら
   移ろふ花をただにしも見じ」
 この御方の大輔の君
「 心ありて池のみぎはに落つる花
   あわとなりてもわが方に寄れ」
勝ち方の童女おりて、花の下にありきて、散りたるをいと多く拾ひて、持て参れり。
 「 大空の風に散れども桜花
   おのがものとぞかきつめて見る」
左のなれき
「 桜花匂ひあまたに散らさじと
   おほふばかりの袖はありやは 」
心せばげにこそ見ゆめれ」など言ひ落とす。

この源氏物語絵巻は平安末期に描いたといわれる平安中期設定の大和絵です。
絵師は不明でおそらくは集団で描かれた物でその中に藤原 隆能がいたといわれている。
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この絵に描かれた姫君は碁を打っています。
この姫君の装束は袿か小袿と思われます。
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そして桜の向かい側に座る二人の女房の姿に注目
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袿+裳ですね。
ここは玉鬘の邸宅です。
今上帝の伯父故髭黒大納言との間に生まれた三男二女特に大君と中の君の結婚に躍起していました。
3月の桜の盛りの夕暮れ時、二人の姫君は御簾をあげ、桜の木を賭け碁を打っています。
蔵人少将(夕霧と雲居の雁の5男)はその姿を垣間見て、大君への思いを募らせたのでした。
という場面を切り取った絵巻です。
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