2016-04-24

春から夏へ 京都上生菓子「岩根の躑躅」

いつも美味しい京都の和菓子をテーマにアップします。

和菓子は日本の四季を表現した食品にして芸術です。
特に上生菓子は茶席で出されるほどの上質な材料と職人の手を経て私たちの元に届けられます。

菓子の歴史は案外古くて縄文時代には木の実、果物特に栗と柿が元祖と言われています。
まだ農耕がおこなわれていない頃はそれらの食料を加工をほどこし団子として食していました。
その後農耕が始まるともち米が栽培されると「餅」が作られます。
しかし甘味料はまだ知られず、果実の甘みしか知しませんでした。

奈良前期には米もやしの水飴、甘葛などの植物から出来る糖が精製され、これらは皇室や一部の貴族達への献上品として大変高価で希少価値の高い物でした。

今風の加工菓子は奈良時代中期に遣唐使により唐菓子と呼ばれる五穀を中に入れて揚げた菓子が初かもしれません。
しかしやはり同じ理由で庶民には伝わわず、神様のお供え物もしくは宮中や貴族の饗宴でしか食されていませんでした。

さて京都で最古と呼ばれる菓子屋はどちらでしょうか?とらやか川端道喜か?
いえいえ平安時代中期、一条天皇が国内で流行り病を鎮めようと今宮神社を建立した時に移り住みあぶり餅屋を営んだ「一和」と言われています。
いわゆる門前茶屋で、あぶり餅はあぶった餅に味噌をつけた素朴な味わい、無病息災を願う縁起物の菓子で現在も子孫が商いに励んでおられます。

その後室町時代前後に「亀屋陸奥」「川端道喜」「虎屋」など京都を中心に現在も経営をされています。

この菓子が広まるきっかけが鎌倉時代前期に栄西禅師が大陸から持ち帰って伝えた喫茶茶の湯の流行です。
抹茶と菓子の組み合わせが確立します。

始め菓子は汁で羊肉のスープが本来のレシピでした。
しかし仏教を尊ぶ者には殺生嫌いこの汁を小豆などを象ったものを入れたので字だけ羊羹をあてがい茶の湯の菓子として始まります。
その後羊羹は持ち帰り用にして変化して、小豆を煮て砂糖を加えた生菓子が主流をしめていきました。
生菓子はその一瞬しか美味しさを維持できませんから「一期一会」の茶席にふさわしい物と言えますね。

さて15世紀中頃に砂糖が貿易によりもたらされます。
室町、安土桃山時代にはキリスト経の伝道師・貿易商のポルトガル人やスペイン人の伝来により、ボーロ、カステイラ(カステラ)、金平糖(こんぺいとう)、ビスカウト(ビスケット)、パン、有平糖、鶏卵素麺など砂糖を使用したお菓子として発展してゆきます。
この頃には茶の菓子はこういった新しい菓子、いわば洋菓子でした。

最も和菓子が発展するのは江戸時代ようやく戦乱の世が終わり天下泰平をおおかし、経済が発展すると菓子職人達は皇室、公家、武家、豪商、豪農といった経済力のある人々の依頼を受けて華やかで優美な和菓子が文化として人々から愛されます。

その後明治から昭和にかけて西洋文化が入った事でその地位をあやぶまれますが、戦後京都のブランド力と抹茶の洋菓子を広める事で再評価されています。

上生菓子は茶席で出される事が多いのでやはり茶道ありて大きく発展していきます。
京の和菓子

京の和菓子といえば切っても切り離せないのは「御所」いわゆる「禁裏御用達」の老舗菓子店達です。

江戸中期
「棹菓子二口屋・数菓子虎屋・餅菓子川端道喜」が三大和菓子御用達店でしょう。
では御用達はそれは名声と巨万の富を得ていたのでしょか?
いえその逆かもしれません。
昔は代金の支払いは夏と冬に限られていました。掛け売りだったわけです。
しかもその相手の財政によっては支払いすらされず、負債をかけなくてはなりませんでした。しかも武家に政権を奪われてからの朝廷は権利も財源も極端に制限され、特に室町後期戦国時代の間は天皇は食事も満足に出来ないほどだったといわれています。

ここで奥の手献上となるわけです。
この時代この献上の嵐となったそうです。出入り業者はなくなく従ったといいます。
しかしそんな不遇の時代でも「御買物始め」の代金はしっかり払ったのだそうです。
事初め宮中行事がいかに大切だったかと言えます。

上記の三大菓子屋はそんな時でも天皇家へ半ば献上ありきで御所へ菓子を納めていたのです。

ではでは本題へ。
本当は櫻からテーマを始めたいのですが、思いついたのが染井吉野櫻散る頃、和菓子は季節が早い時期に創作されるのですでに遅し・・・・で。

①アップは春・秋を中心にたまにそれ以外の季節の限定的な菓子を紹介
②京都老舗の和菓子店
③お題は一から三で同じものもしくは数種、季節に合わせた題材で数種類の上生菓子を比べ食べ
をコンセプトにしていざ開演~~~~~
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本日の上生菓子
左から右に→鶴屋吉信・本家玉寿軒・とらや・二条若狭屋・上の粽が仙太郎


4月中旬から5月初旬

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岩根の躑躅

昔の人は岩の根もとに咲いた躑躅を岩根の躑躅と呼び好んで古歌に詠みました。

竜田川いはねのつつじ影みえてなほ水くくる春のくれなゐ
藤原定家


岩躑躅折りもてぞせこが着しくれない染めの色に似たれば
和泉式部

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「岩根の錦」
とても綺麗でしたので躑躅つながりで
とらや
室町時代後期の京都で創業
後陽成天皇の御在位中より御所の御用達として、明治天皇の遷都の機に本社を東京へ移転し現在に至ります。
ようかんといえばとらやとらやといえばようかんというように生菓子よりもようかんで全国っ区なメジャー老舗店
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羊羹製白餡入

「岩根の躑躅」
鶴屋吉信
1803年初代鶴屋伊兵衛が京に創業の和菓子店四代目の稲田儀三郎の時に誕生した京観世の菓子が有名な老舗店
全国展開に成功したメジャーな老舗店

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「岩根の躑躅」

本家玉寿軒
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岩根躑躅
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きんとん

5月の節句
5月も季節が春から秋へ変わる季節の変わり目です。
その変わり目に体調を崩しやすい「平安時代の邪気を祓う」必要があります。
その行事が粽を食べ、家の軒先に菖蒲を飾りその香りで邪気を祓う行事でした。
今日では男の子のまつりとして知られていますが、実は昔から老若男女問わず行われていた重要行事だったのです。



菖蒲

ほととぎす待てど来鳴かず菖蒲草玉に貫く日をいまだ遠みか

大伴家持


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二条若狭屋
総本家若狭屋で修行した初代がのれん分けを受け、大正6年に創業した名店

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練り物・こしあん

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「粽」一枚笹
仙太郎
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今回の抹茶は岩根躑躅でアップした躑躅は建仁寺正伝永源院で撮影したものです。
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ので抹茶は建仁寺御用達「建久の白」を

塔頭の抹茶席で出されている抹茶です。
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うま味と苦みのバランスOK
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