舞少納言の茶草子第九段

第34回から37回までは宇治茶を紹介します。

さて舞も好きな宇治茶ですが、意外と知られてない「宇治茶の真実」を少しお話します。

高級日本茶の代名詞「宇治茶」皆さん宇治茶だけど実は生産地が宇治とは限らない事をご存じでしょうか?
宇治生産販売者が組織する京都府茶共同組合の「社団法人京都府茶業会議所」のHPから確認すると「宇治茶」という定義は下記によります。

①宇治茶は、歴史・文化・地理・気象等総合的な見地に鑑み、宇治茶として、ともに発展してきた当該産地である 京都・奈良・滋賀・三重の四府県産茶で、京都府内業者が府内で仕上加工したもの。

 →つまり宇治産でなくても京都府内の茶仕上加工業者であれば4県の産のお茶ではれば宇治産でなくても「宇治   茶」として明記しても良い。

②ただし、京都府産を優先するものとする。

 →但し京都府産の物を優先するようにという努力目標程度

上記は登録商標されていて、もし上記の条件を満たさない茶が宇治茶として販売されていた場合は不正表示です。

逆に上記の条件を満たしさえすれば宇治産でなくても宇治茶として販売してもまったく問題ないとも言えます。

①産地は京都・奈良・滋賀・三重の四府県産茶
②仕上げ加工は京都府内業者が行う
③ブレンドする際は京都府産の50%は使用しよう。←これは努力目標的なようですが。

これは宇治とは縁もゆかりもない京都府内業者なら「宇治茶」というブランドを使って卸や販売をしてもいいのです。
消費者にとっては知らないとちょっと詐欺にでもあった様な気になりますよね。

しかしこの条件であっても宇治茶の名で販売できるのは年間約6000トンといいます。日本茶の消費量では全体の3か4%だそうです。

宇治周辺地区の茶園面積は煎茶、玉露その他全ての畑を合わせても1396.7ヘクタールしかありません。

京都府の茶業者は沢山売りたいが売れると生産数が少ないので供給出来きない。

その苦肉の策として「京都府で加工されれば宇治茶」という基準を設けたのでしょう。
名前と量のバランスの悪さが上記の様な矛盾を生んだと思われます。

茶樹は露地栽培であり、どうしても天侯で出来に大きく左右されます。
お茶のブレンドは世界では常識であり、ブレンドだから悪いという訳ではありません。
お茶のブレンダ―達は仕入れたお茶の香り、色、味のバランスを見ながらさまざまな産地の茶を調合します。
その良し悪しで農園や卸業、販売者の評価が決まるといっていいのです。

消費者としては宇治茶(〇%他県〇%)とか宇治〇地区とかはっきり分かる物がいいですね。

そんな宇治の事情ですが宇治の地は都から近く長らく天下一之茶所の名を自負してました。

日本茶は遣唐使が往来していた奈良・平安時代に、最澄、空海といった留学僧が、唐よりお茶の種子を持ち帰り移植した事に始まりとされています。

平安初期『日本後記』に「嵯峨天皇に大僧都永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」と記述されています。これがわが国における日本茶の喫茶に関する最初であると言われます。

しかしそれはごくごく一部の人が嗜んだだけでまだ喫茶の文化というにはほど遠いものでした。鎌倉初期に栄西禅師が宋から帰国する際、日本にお茶を持ち帰りました。弟子で京都の明恵上人が栄西より種子を譲り受け、京都栂尾に蒔き、その後宇治に植え宇治茶の基礎が出来宇治に茶が栽培され茶園が開かれます。13世紀半ば後嵯峨天皇が宇治に行幸した際に小松茶園、西浦茶園が開かれ本格的な宇治茶栽培が始まったと言われています。
この流れは寺社を通じて広がりを見せ、日本各地に茶園が広まります。

室町以前始め一之茶(本茶)は栂尾茶をいい、宇治茶は非茶と言われていました。そして闘茶という貴族の遊びが流行します。闘茶とは本茶と非茶を飲み比べ当て合う遊びで当時の権力者の遊びです。

南北朝以降、室町幕府の将軍足利義満の保護の元宇治は都からもそう遠くなく、また茶園の努力もあり徐々に天下茶の名を受ける事になります。15世紀半ばには一条兼良に「宇治は当代近来の御賞翫」と書物に記述されるほどとなり、1564年永禄4年には宇治七名園が成立し栂尾茶をしのぐ産地となります。

特に15世紀からの安地桃山、江戸時代はその全盛期であり、時の権力者の茶師として大いに発展しました。
戦国武将達は「茶道」を重んじ教養の一つとして茶道を嗜んだ事から宇治茶は大いに発展しその最盛期を向かえます。特に信長、秀吉、家康など天下人は自らの権力を固辞し、茶道をその証しと位置ずけ宇治に大きな茶権利を与えます。
始め信長は茶師の森彦右衛門を御茶頭取とし宇治の支配権を与えます。秀吉の時代になると森氏に変わり、茶師上林氏を積極登用し宇治郷代官ならびに茶頭取として宇治の発展に寄与します。
今宇治にある「上林」の名を持つ茶業者はその子孫です。
江戸時代初めは徳川政権の治世でも高級茶産地として徳川家、大名、公家、寺社、豪農や豪商のひいきを受けてその地位は盤石の物となります。
しかし江戸後期に一般庶民が茶を飲み出すと、産地増加に伴い競争原理から斜陽の時代を歩みます。
1738年(元文3年)永谷宗円が宇治茶製法の確立を成功させると宗円、茶商山本屋(今の海苔メーカー山元屋です。元は茶業者だったんですね。)らが江戸で販売すると忽ち人気になり復活をはたします。
そしてその生産方法は京都だけにとどまらず、奈良(大和)や滋賀(近江)伊勢などへ普及していきます。
そして1834年(天保4年)辻利氏によって玉露製法が始められ、全国にその名が知られます。

その後明治以降の輸出により需要と供給のバランスが崩れその為に品質が次第に低下、その後の戦争の影響で一時衰退するも戦後徐々にブランド化の確立により高級宇治茶は不動の物になっていきます。



34)宇治茶 玉露 福寿園 金閣

福寿園は寛政2年(1790年)創業大阪・神戸に通じる木津川の商業の中継地点の山城国上狛(現京都府木津川市山城町)に福井伊右衛門が茶商を始められました。
宇治茶商の歴史の中では比較的新しい茶商で、江戸後期から明治にかけて海外向けの輸出を行い富を得、株式会社としてとかく家内工業になりがちな茶業者の中で大規模経営を行い、又自社の製品だけでなく「伊右衛門」の名で他大手食品メーカーとタイアップ大きな利益を得事業拡大をはかり成功しているメーカーです。

一番茶の新芽が伸びだした頃から茶園に覆いをかけ、ほぼ完全に日光を遮った状態で栽培した茶葉を、蒸す、揉む、乾燥するといった工程を経て作られたお茶です。
光を遮る事でカテキンが少なくなり、渋みの少ない旨味の多い甘い高級茶です。

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玉露「金閣」
黒光りはそうでもないので中級クラスの玉露です。
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溢れてみました。

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お茶菓子は一心堂のいちごの王様
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一番美味しい大粒の「あまおう」をつぶあんで包み、やわらかな羽二重餅でぐるりと巻いた南大阪でダントツ人気の和菓子屋さんの一押しです。
ジュ~~~シ~~な甘いいちごにあんこがばっちりやわらかいお餅がまたいいです。

お菓子の情報は【こちら】

お茶の情報は【こちら】

35)玉露 「一保園」一保堂茶舖 

京都市内にある老舗一保堂茶舖本店で買い求めました。
一保堂茶舖は享保年間(1717年)に近江出身の渡辺伊兵衛氏が近江屋というお茶と茶器を販売するお店が創業のお茶屋さんです。
弘化三年皇族山階宮家から「茶一つを保つ」という意味で屋号を下賜され以降一保堂を名のります。
その後順調に家業は継がれ今日人気京の老舗茶屋として有名になりました。
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一保園は玉露で上から二番目(一番は天下一)にランクする高級玉露です。


低い温度で溢れてみました。

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一煎目は旨味が柔らかく春の息吹という印象です。
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二煎目は十分旨味が抽出して甘さが強い夏の印象の茶です。
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やや苦みが出て出だした冬の印象があります。

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お菓子は同じく「一心堂」のモンブラン大福です。

お茶の情報は【こちら】


36)芽茶・上真粉 祇園辻利製

芽茶とはお茶の葉の葉先を選別し丸めた物を集め販売されています。旨味が強くカテキンを豊富に含むので朝の目覚めの一杯に最適です。
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色は艶があり初見はかなりいいです。
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溢れてみました。色はかなり黄色に近いです。これはかなり甘いお菓子と合いそうです。
渋さ、旨味、青さが特徴です。かなりフルボトルのお茶なので洋菓子と合わせてみました。

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京はやしやのほうじ茶バームクーヘンとガトードポアのエレ―ヌです。

お茶の情報は【こちら】

洋菓子の情報は【こちら】

37)新茶・煎茶 一保堂茶舖本店

今年の一保堂茶舖さんの新茶ようやく手に入れました。市内で購入出来ますがせっかくなので京都観光の際に頂きました。去年も美味しかったですが今年はどうでしょう。

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色は深くて、香りも若葉の香りがします。

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溢れてみました。
ふきのとうや野の草にある良い意味でのえぐみがのどに感じます。旨味、甘さ、渋みがバランスよく出ていていかにも新茶のお味です。
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お菓子は出町ふたばの「水無月」です。
ういろうの上に豆を乗せた伝統的な6月の和菓子です。

次回舞少納言番外篇で6月30日予定です。
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