2016-01-15

舞少納言「紀伊国詣で第二段」

今回の紀伊国詣で目的はただ一つ

時代装束を一気に楽しむ詣で


12月事前に開館しているか電話で確認しようとするも留守電に変わり、とりあえず伝言を残すも・・・・・・不安

一旦訪問を諦め十二単体験しに讃岐国へ行きました。
帰宅後翌日館長さんから折り返しの電話があり

「やってるやん~やった~~~」と一安心~~~~

1月の中旬に来館の予約をしました。
出来れは事前予約をというお話でしたが、予約なしでも体験できるようです。

南海電車橋本経由JR打田駅着
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駅前で館長さんへの手土産パンをGET、お化粧し今回は昼食を食べてから訪問します。

本当はコンビニでサンドイッチかおにぎりを調達してから訪問と思いましたが、せっかくここまで来て、もし田舎の穴場ランチ店でもあればと探してみると・・・・・
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ありました。
超きたなうまい飯屋感がぷんぷん~~~
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和歌山ラーメン「うらしま」

打田駅からも遠くなく700Mとの事、徒歩開店前に並んでみました。
超ややきたなうまい店の典型パターンのお店絶対男子度数高めのお店
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中華そばダブル&飯
ご飯の上にチャーシューをイン
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そういえば舞どこにいってもラーメン店はさけていました。
特段行きたいとは・・・・ならず・・・・・男子度数高いですし・・・嫌いではないですが・・・・。・・・・なんとなく・・・・
今回も和歌山でなければなかったかも・・・・・・がっつり豚骨背脂醤油系でした。



お店の情報は【こちら】


ここからはバスではよい時間がないのでタクシーを予約してお店の前で乗車~~~~新段田バス停で降ります。

しかし隣の県なのに2時間以上かかります~~~どういうこと
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本当にそこどこ???そこどこ???って感じの資料館です。
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それもそのはずこの資料館は個人の方がただ民族衣装好きが生じて昭和60年に開設された資料館です。
なので手作り感はんぱないです。
右に表札がでも摂関家???摂関という字は?????
だからどう見ても田舎の民家そう民家・・・・資料館・・・・・・・。
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個人宅とてつもなく個人宅感が満載の資料館なんです。

じゃあなんでこんな所に?・・・・・・しかしあなどることなかれ、この資料館各時代の復元装束がたくさん楽しめる所なんです。
ちゃんと法人化されていて、取引先もレリコジャパンさんや井筒さんと京都時代装束の大定番の大御所さんからの資料提供だそうです。
館長さんといろんなお話をして門の謎がとけました。
館長さんの家系が藤原北家の家系だそうでそれで摂関家とかかれていたそうです。

手持ちの小物道具とこの日の為にレンタルしてきた「壁代」を持参していざ入口へ。
壁代は平安時代の仕切り壁に代用された布で、現在は神事の際に神棚の後ろに張らています。
カーテン越しに時代装束もどうかなと思い、衣装代も格安なので予めレンタルしていました。
レンタル代と送料あわせて5000円まあぁいいかな~~~これでも京都衣装屋では10000円はします。


入館料を払うと館長さんが名刺とパンフレットをくれて中に案内してくれます。

装束の体験をしたい事を伝言するといろいろ装束の説明がされている資料を見せてくれます。

全部体験するには疲れますし、撮影が三脚なので着衣と撮影を単独でするには時間が必要です。
ここで注意は出来るだけ本物っぽく撮影出来る衣装を選ぶ!
をコンセプトに順番に決めていきます。

一回500円でも5枚着5000円

厳選しない・・・・しょっちゅうこれる距離でもないし・・・・・。

今回は資料館で紀の川観光スタンプラリーに参加されているので300円で参加可能だそうです。
ラッキー~~~衣装体験三昧~~~

そして撮影場所のバックをカーテンではなく壁代を取り付ける事を了承して頂きセッティング、三脚の準備OK撮影へ。

資料館の方は撮影はいろんな事情があり撮影していただけませんのであしからず

では興味のある時代装束を年代別もしくは装束を着やすい順に進めててゆきます。

いろいろとある装束の写真を参考にお願いしてゆきます。



弥生時代
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倭国女王卑弥呼

縄文後期から稲作が始まり、この時期に弥生式土器の出土した事から弥生時代といいます。
水耕栽培が盛んに行われ各地に貧富の差が生まれます。
やがて富める者はその地区の長となり、やがてその規模は大きくなり国が生まれていきます。

弥生時代はその過渡期です。

3世紀実在したといわれる邪馬台国の女王
邪馬台国は1世紀~3世紀に魏志倭人伝に記述された日本列島にあったといわれる連合国です。
卑弥呼は「日の巫女」つまり太陽神を崇拝する神道に仕える巫女、政治は弟が助け国を治めていたと言われています。

下襲の袖
大袖の衣
貫頭の衣


この時代布に穴をあけてそのに首を入れて着ます。まあマントな感じですね。


を順番に着付けて倭文布、 襷、装身具を身につけます。
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神にお供えを行う卑弥呼
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神に奉仕する卑弥呼





古墳時代
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天宇受売


弥生時代からやがて大きな権力を持った支配者は自身の権力の証の様に古墳と呼ばれる大きな墓を造り始めます。
古墳時代の到来です。

天照大神が天の岩戸に隠れた際に舞台で踊りを披露し、天照大神を再び地上に戻した神様です。



倭文布の帯
領巾
日蔭の襷

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天の岩戸の前で楽しげに舞う女神様
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天照大神に拝礼する女神様




奈良時代

古墳時代に大和に集中した大和連合と呼ばれた勢力はやがて日本全国を統一して大王を中心とした連合国となります。
やがて都は奈良を中心に置かれ、大王(天武天皇以降天皇と称す)を中心とした奈良時代封建政治が始まります。

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元正天皇養老年間・女官衣装

(県犬養)橘三千代(光明皇后の母)

橘氏は元県犬養氏出身の三千代が元明天皇から初めて下賜された姓です。

橘は蜜柑の事で古代天皇に仕えた臣下が中国大陸から持ち帰った不老長寿の実と言われています。

天皇家とえにしの強い名がいかにも元明天皇の三千代に対する信頼度の高さがわかります。

三千代は元は美努王の妻で諸兄といった子ももうけながら離婚、宮中に入り後に藤原不比等と婚姻し安宿媛(後の光明皇后)を出産し橘氏の政界基盤を整えました。

彼女の死後その一族は諸兄、嵯峨天皇壇林皇后、聖武天皇夫人(安積親王生母)と政界と後宮ともに進出しました。


この衣装は基本的には古い時代とそんなに変わりません。
素材が綿、麻から中国大陸でしか手に入らない絹が交流により衣装に使用されたくらいです。
貴族女性の衣装が大きく変わるのは平安時代中期以降唐の衰退により、絹が入らなくなり国風文化が一気に花開いた時期の女房装束(十二単衣)が生まれるまでまたなくてはいけません。

内衣 小袖
衣 大袖

紕帯
領巾
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立ち姿

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和歌を詠み紅葉に結ぶ

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菊の花を愛でる

この時代花といえば梅か菊
宮中で9月9日に節会があり、菊を愛でて長寿を祝う儀式がありました。


桓武天皇が都を山城に遷都し時代は平安時代へ移ります。
平安時代中期以降

桓武天皇が平安京に遷都して平安時代が始まります。

平安時代は藤原家の摂関が政治の主導権を握る時代でした。
摂関政治とは天皇に娘を入内させて親王をもうけるとその子を春宮にし、まだ幼子を天皇にして外祖父である立場は利用して政治の権力を握る手段でした。
しかしその手段も娘がいて、男の子をもうけることが出来て初めてなりたちます。
そして平安時代後期に摂関政治は終わりを迎えます。

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公家女房夏の褻の装い


紗の袿
紅の打袴
平安時代さすがに夏に十二単衣はかなりきついです。
しかも邸宅にいる際はトップレスに紅の打袴を着て薄い袿羽織る感じて着ていました。

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舞少納言
薄衣を羽織り夏今日は暑いわ~~~

七月ばかり、いみじく暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月のころは寐起きて見いだすもいとをかし
訳:7月頃 めっちゃ暑いねん。
  夜もなぁ部屋をあけっぱなしにすんねん。月がある時には寝ててふと起きて見上げるのも素敵やん。

夏の暑さにまどろむ
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書物を読む

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番外編
「物具装束」の髪結い下に垂らし再度結い上げた髪(再現)
この時代女性の髪は長髪のままなのですが、この衣装の時は髪を三束に分けて肩くらいで折って頭の上でおだんごにします。
その上に宝冠という冠を飾って出来上がりです。
奈良時代の髪形をアレンジして物具装束の時だけ特別に結われます。


平安時代末期天皇を補佐する外祖父を中心とする摂関政治が崩壊し始めると天皇の父である上皇(太上天皇)がその権力を引き継ぎます。

上皇は受領と呼ばれる地方貴族の財力と皇室を警護する北面武士達の武力を利用して権力を維持しました。
初期の頃権力は天知の君とよばれた一人の上皇に集中していましたが、歴代の天皇が譲位することで上皇が複数存在、また摂関家のお家騒動、北面の武士達一族毎の権力闘争が始まり平安時代最末期動乱が起こり始まります。

平清盛が天皇の外祖父となり権力を集約すると平家の武士の貴族化が結果源氏の断頭を許し、権力は源氏の一族が握り源頼朝が鎌倉で幕府を開きここに初めての武士による政治主導が始まります。


平安末期院政時代及び鎌倉時代
烏帽子太刀をつけた白拍子



紅の袴
水干

この姿は平安時代男子の装束で男装スタイルです。
扇に和歌を記して朝顔を添えて
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夕顏は朝顏に似て、いひつづけたるもをかしかりぬべき花のすがたにて
訳:夕顔は花の様子がなぁ朝顔に似てン寝んけどなぁ~めっちゃ素敵な花やのに~~~

これを見ようへはつれなき夏草も下はかくこそ思ひみだるれ 清少納言
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静御前

白拍子とは院政時代に流行した遊女が今様という舞を踊る芸人でした。
しかも皇族、貴族や高級武家の邸宅に招かれ、舞踊、和歌、管弦楽、そして夜のお相手を兼ねた遊女の中で芸に長けた者はそのまま妾になる場合もありました。

平安時代末期白河院(鳥羽天皇と待賢門院の親王)は今様という当時流行った舞踊を愛し、彼の寵を受けた白拍子は祇王、仏御前が知られています。

鎌倉時代には源義経の妾、静御前が有名ですね。
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頼朝政子の前で扇を手に舞う
兄源頼朝に襲われた義経が奥州に逃れようと吉野で別れた後、鎌倉に送られ頼朝政子の前で舞を披露させられる。


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舞を舞う静御前
その際に詠んだといわれるが名歌
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しづやしづ賤のをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな

後に義経の子を宿した事がわかり女の子なら助けると頼朝に進言して承諾をとりつけますが、生まれた子は男の子
無残に由比ヶ浜で海に遺棄されたといわれています。
その後の静御前の消息は不明だそうです。

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刀を持ち義経に渡す


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櫻を手に

和歌を詠む白拍子

萌え出る枯るるもおなじ野辺の草 いずれか秋に あわではいずき 祇王 

月影をさこそ明石の浦なれど 雲井の秋ぞなほも恋しき 亀菊
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松園作「静御前」
鎌倉・室町時代
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後深草院二条
(深草院の女房・愛人)

小袖
長袴

表着

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「雪の曙」「有明の月へ」和歌を詠む。
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「とはずがたり」を執筆する。
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平安時代末期以降藤原氏はその権力を上皇や法皇、武家に奪われると公家達は大いに財政危機に落ちいります。
それは皇室にも及び服装にもあらわ始め、高価な着物を何枚も重ねてきるのではなく、小袖、長袴、表着という装束が正装、また小袖、長袴、その後平服(局で過ご過ごす際の着もの)には小袖のみという姿だったといいます。

後深草院は後嵯峨天皇の二男、中宮腹の長男でしたが両親の寵愛は弟(亀山天皇)にそそがれややゆがんだ性格に育ちました。
その彼が乳母の娘を手元に置き育てたのが二条です。
天皇は彼女を「あこ(わが子)」とよんで溺愛しますが、これは表向きで、彼女が成長すると「初枕が二条の母だった」という理由で強引に処女を奪います。

まあ平安時代にはよくある話で、二条もいやいやながら・・・・相手が天皇なので・・・・・といった感じだったようです。

しかしこの後深草天皇はそのあともうそでしょ恋愛行為がすごすぎます。
まあぁとはずがたりの中なので本当かは・・・・不明ですが・。

腹違いの妹の斎宮と関係してその夜這いの手引きを二条にさせ、しかも二条を弟亀山天皇や高位の大臣に夜這いさせます。
けれども二条とも関係は続けます。

????意味わからんですが・・・・・。平安時代以降はまあかなり性には大胆だったようで・・・・・・・。
最終的に二条は出家して後に法皇となった後深草院と再会し涙するといった具合ですから・・・・


江戸時代
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宮中女官 尚侍(掌侍)姿 大腰袴



長い戦国時代をかけて織田信長、豊臣秀吉の天下統一を経て徳川家康が征夷大将軍に宣旨され江戸幕府が開かれます。

江戸時代宮中の内侍司の女官は尚侍はなんと普段はほぼ下着姿でした。
女嬬にいたっては小袖姿腰に着物を巻いたままという出で立ち。
金銭的事情によるものなのか、単に行動を制約される装束を嫌って?意外と両方が理由かもです。

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白の小袖
大腰袴
天皇の御前に出る際の特別な衣装でした。
特別の衣装が簡易衣装というのも不思議な感じがします。
袴の紐は前で結び後の帯は肩で両側を結びます。

おまけ編
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天皇の宝冠天平時代
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室町時代小袖

観光の情報は【こちら】


全体的に時代装束を一度に楽しめますが、やはりクオリティー的に問題が・・・・しかなたいですね。
本物の十二単衣は化繊でも百万くらいはしますからね。
個人の方が法人化されていても限界がありますから。
でも写真的に問題のない衣装は思う存分着れました。
非常に満足して退館出来ました。


観光の情報は【こちら】

装束の情報は【こちら】

訪問の際は事前連絡をお薦めします。
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Author:mai syonagon
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