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京草子 雅な京都絵日記時々詣で 2015年03月

よき薫ものたきてひとり臥したる

訳:ええ香りのする香木を焚いてひとりでなぁ~~~しっとりと過ごすねん~~~

遅咲きの梅や早咲きの桜がそろそろ都をにぎわす頃にきました嵐山

嵐山は平安時代の昔に貴族の里遊び場所でした。

川に船を浮かべて舟遊びをしたり、音楽を奏でたり歌を詠んだりして遊んでいたそうです。

現在は人気の観光地です。


今日は小倉百人一首殿堂「時雨殿」主催の「旧嵯峨御所大覚寺門跡開催
「嵯峨・嵐山地域における百人一首の魅力と王朝文化 」に参加しにきました。
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駅前の光陽桜
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大井川
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桂川
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染井吉野は今か今かと蕾大きく膨らんでいます。
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枝垂れも咲き始め
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阪急の嵐山駅から嵐山公園を抜けて
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遅咲きの梅?
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渡月橋をわたって

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まずは春を感じに「天竜寺」へ。
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庫裏
天竜寺はザ嵐山NO1の観光場所で、後醍醐天皇の菩提を弔うため旧壇林寺跡地に足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として暦応2年(1339)に創建された嵐山最大の寺院です。
その理由はかつての臣下としての敬意だったのか?
もしくは後醍醐天皇の怨霊からの恐怖だったのか?
もはや不明ですね。

足利尊氏は始め後醍醐天皇をかかげ鎌倉幕府を倒し建武の親政を成功させた功労者でした。
しかし長く武家に政権を奪われていた天皇家朝廷の貴族達が政治をし始めると、武家達を政治の世界から阻害してゆきます。
その事で不満を持った武家達の反感を受け再び両階層は対立してしまいます。

後醍醐天皇との内戦は後醍醐天皇側の敗北します。
後醍醐天皇は幽閉先から吉野へ脱出南朝を起こし、尊氏は光明天皇を擁立し足利幕府を立て北朝を立てます。
ここに日本史上に2人の天皇がたつ南北朝時代が始まるのです。

大覚寺統の後醍醐天皇の皇統
持明院統の光明天皇の皇統

二つの皇統の争いが発端ですが、実はこの皇統元は一つの血統から始まります。

後嵯峨天皇と中宮西園寺 姞子との間に出来た2人の親王から始まります。
この後嵯峨天皇はここ天竜寺で仙洞御所亀山殿を営み院政をおこなっていたいわば寺というより政治の場でした。

後深草天皇は持明院で院政を行っていたので彼の血統を継ぐ系統を持明統といいます。
弟の亀山天皇は大覚寺で院政を行ったので彼の血統を継ぐ系統を大覚寺統といいます。


この二人天皇であった時代はそれほどではありませんが、院政を握ってからは自身の皇統を継ぐ天皇の輩出を競いあいます。
その始まりは父後嵯峨院が亀山天皇の皇子である世仁親王を次の皇太子に指名して亡くなったもの「治天の君」(上皇)を指名せずに崩御した事でした。
「鳥羽離宮」と「六勝寺」を治天の君に与えるとしか遺言になかったため、鎌倉幕府は困惑してしまいます。
困った鎌倉幕府は大宮院に相談しきつ子は「元天皇である後宇多天皇が亀山上皇の実子であり、父親の亀山上皇が治天の君である」と回答したためこれを決定します。
当時治天の君が皇位継承における決定権を有していました。
結果的に亀山上皇の子孫が皇位を継承する可能性が確実となり、これに亀山上皇の兄である後深草上皇が反発します。
後深草上皇は鎌倉幕府に自分の子への皇位継承を要望し、その打開策が後深草上皇の子・熈仁親王(後の伏見天皇)を皇太子に立てて以来、両皇統から順番に天皇に即位出来るようにしてゆきます。

実は元々二人の両親は事あるごとに弟を贔屓にしてました。
そしてなぜか両親は後嵯峨天皇をぞんざいに扱い他の親王を溺愛し、その事で後深草天皇は深いトラウマを抱えることになります。
そのこの所も対立のねっこにあるんでしょうね。
最終的には鎌倉幕府の不信をまねき、後深草天皇の皇統が優位にたち北朝の皇統が皇統を継ぐので後深草院の勝利となるのです。
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達磨図
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龍図(複製)
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建物から庭を眺める
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大方丈と小方丈
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曹源池庭園
夢窓国師作庭中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園です。
方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝としています。
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多宝殿の細殿
建築形式が平安時代の古式で再現されています。

百花苑
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あしび
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枝垂れ桜

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ぼけの花
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姫幣辛夷
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山茱萸

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隼人三葉躑躅と白木蓮と桃?
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隼人三葉躑躅
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躑躅吉野
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雪柳
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沈丁花
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紅葉李
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有楽椿
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小彼岸桜
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椿光源氏
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啓翁桜
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竹林
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それでもってランチ~~~

意外にも大変美味しい手軽なご飯屋が少ない。
いい料亭は高い、食堂的な店もグレードの割にCP悪すぎでセレクトに頭を悩ませます。
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「嵐山よしむら本店」で御蕎麦を頂きます。
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日本画家旧川村曼周邸を「豆腐料亭」と「蕎麦屋さん」として営業されています。
庭が綺麗です。
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蕎麦セット
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前が桂川です。左に渡月橋いいながめです。

蕎麦のこしはいいのですが、風味と香りがあまりしない・・・・。しかし炭水化物セットすぎるかな~~


お店の情報は【こちら】

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そしてデザート「おぶう」で抹茶パフェです。


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濃い目の抹茶に
濃厚抹茶パフェオーダーで~~~す。
最高だ~~~す。

お店の情報は【こちら】


このあと大覚寺行きのバスへ乗り込んで到着!!!


大覚寺は嵯峨天皇の離宮であった場所を貞観18年皇孫である恒寂入道親王(父は淳和天皇・母は嵯峨天皇と檀林皇后の長女正子内親王)を開山として開創されました。
この恒寂入道親王は元は仁明天皇の皇太子(仁明天皇は嵯峨天皇と檀林皇后の子供で叔父にあたる)でしたが、政変に巻き込まれ廃太子され、出家して嵯峨離宮に寺院を建立して初代の法親王になり生涯をこの寺で過ごします。
平安時代初期藤原氏の絶対支配からまだ至っていらずまだ混沌としていたので天皇家の皇統も安定していなかったんですね。

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表門
式台玄関


まずは雅の体験!!11時45分から受付け開始~~~ですが特に講演会とは興味はないので遅めに受付開始しました。

13時から女房装束を着付けてもらいます。

平安時代この十二単衣は宮中に出仕する女房の装束として着用されていたいわば宮中制服的な衣装です。

衣装はここ大覚寺開催常連の「井筒企画」さんです。

生地は化学繊維、中国製だけど・・・正絹だとなかなか素人には着せてくれないし・・・・西陣織会館とか黒田装束店とかで体験できますよん~~~

当時不思議な事に身分が高いほど簡易な着用を行っていました。
なので知らなくても一目で誰が女主人かすぐにわかったそうです。普段貴族の女性達は袿で過ごし内裏に出仕する時にこの女房装束を着用していました。
なのですべて同じ衣を着用するため、女性達はその色重ねで流行を競ったそうです。
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中宮定子さま
その最高位の者は裳をとり、五衣の上の唐衣をはずし袿をはおった姿で日々を過ごしたそうです。
十二枚をきているわけではありませんが、それなりに重いので動きずらいでしょうしね。
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縹の匂い
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唐衣
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さっそく女房装束を身にまとい大覚寺の境内へ!!!
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朧月夜の君霊明殿にて

正寝殿
桃山時代建立の書院造建築で御冠の間には玉座は後宇多院が院政を行った部屋を再現してます。
この中で南北朝講和会議が開かれ朝廷は北朝へ統一されます。

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宸殿から正寝殿を望む
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村雨の廊下
諸堂を結ぶこの回廊は、縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている回廊を稲光にたとえ、「村雨の廊下」と呼ばれています。
天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られ、床は鴬張りです。
キシキシいいますね。
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御影堂
ここの正面に舞舞台があり今回胡蝶の舞が鑑賞出来ます。
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宸殿
後水尾天皇の中宮東福門院の旧殿を移築された江戸時代に建立された屋根は入母屋造、檜皮葺きとした寝殿造風の建物で、平安時代の古式で建築された正殿です。

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くつろぐ自宅で舞少納言

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書を読む舞少納言
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この後胡蝶を舞う堂上家の殿上童と一緒に
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大納言家の子息お二人

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舞を見る為に女房達が集まり始めます。
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14時20分からは舞舞台で胡蝶の舞いを鑑賞です。
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勅使門(唐門)内裏からの使者のみが通る門を背景に
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舞楽の「胡蝶」は宇多天皇治世に高麗楽の様式に則って日本で作られた日本創作の舞曲です。

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作曲藤原忠房、振付宇多天皇の敦実親王というセレブの傑作品
原則男児4人で舞います。
童髪に天冠を着、山吹の挿頭花を付け、手にも山吹を持って舞う姿が蝶にたとえられます。
ゆっくりとした動きに時折可愛らしい動きが特徴で蝶をまねて舞っています。

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15時頃庭湖館で匂い袋を作ります。
こちらは普段は非公開地区にある建物です。

平安時代まだ入浴の習慣はありません。髪の毛を洗うにも陰陽道で吉日を選んで行いました。

なので香りは体臭けしと同時に恋愛アイテムとして珍重されました。
主に香木を燻して焚きつけた着物に移して使用していました。
今回はお話の後、天然の香木を混ぜ合わせてた物をオリジナルで配合します。
タブレット型の天然の香料をいくつか組み合わせて「甘い華やかな香り」を調合してみました。
イメージはもちろん中宮定子さまです。
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「匂い袋」を作りました。


確か源氏物語で明石の女御の入内で源氏の縁の方々が花嫁道具としてオリジナルな香を源氏にプレゼントする話ができ来ますね。

正月の晦日なれば公私のどやかなるころほひに、薫物合はせたまふ。
大弐の奉れる香ども 御覧ずるに、「 なほ、いにしへのには劣りてやあらむ」と思して、二条院の御倉開けさせたまひて、唐の物ども取り渡させたまひて、御覧じ比ぶるに、(中略)香どもは、昔今の、取り並べさせたまひて、御方々に配りたてまつらせたまふ。二種づつ合はせさせたまへと、 聞こえさせたまへり。贈り物、上達部の禄など、世になきさまに、 内にも外にも、ことしげくいとなみたまふに添へて、方々に選りととのへて、鉄臼の音耳 かしかましきころなり。

大臣は、寝殿に離れおはしまして、 承和の御いましめの二つの方を 、 いかでか御耳には伝へたまひけむ、心にしめて合はせたまふ。
上は東の中の放出に 御しつらひことに深うしなさせたまひて八条の式部卿の御方を伝へて、 かたみに挑み合はせたまふほど、いみじう秘したまへば、匂ひの深さ浅さも、勝ち負けの定めあるべしと大臣のたまふ。 人の御親げなき御あらそひ心なり
いづ方にも、御前にさぶらふ人あまたならず。御 調度どもも、そこらのきよらを尽くしたまへるなかにも、香壺の御筥どものやう、壺の姿、火取りの心ばへも、目馴れぬさまに、今めかしう、やう変へさせたまへるに、 所々の心を尽くしたまへらむ匂ひどもの、すぐれたらむどもを、かぎあはせて入れむと思すなりけり。
二月の十日、雨すこし降りて、御前近き紅梅盛りに、色も香も似るものなきほどに兵部卿宮渡りたまへり(中略)
このついでに、御方々の合はせたまふども、おのおの御使して、さらにいづれともなき中に、斎院の御黒方、さいへども、心にくくしづつかしき香なりと定めたまふ。
やかなる匂ひ、ことなり。侍従は、大臣の御は、すぐれてなまめかしうな
対の上の御は、三種ある中に、梅花、はなやかに今めかしう、すこしは
やき心しつらひを添へて、めづらしき薫り加はれり。
「このころの風にたぐへむには、さらにこれにまさる匂ひあらじ」
夏の御方には、人びとの、かう心々に挑みたまふなる中に、数々にも立
とめでたまふ。
せたまへり。さま変はりしめやかなる香して、あはれになつかし。
ち出でずやと、煙をさへ思ひ消えたまへる御心にて、ただ荷葉を一種合は
冬の御方にも、時々によれる匂ひの定まれるに消たれむもあいなしと思
ず定めたまふを、
まめかしさを取り集めたる、心おきてすぐれたりと、いづれをも無徳なら忠朝臣の、ことに選び仕うまつれりし百歩の方など思ひ得て、世に似ずなして、薫衣香の方のすぐれたるは、前の朱雀院のをうつさせたまひて、公「心ぎたなき判者なめり」
と聞こえたまふ。

平安優雅に聞こえますが、香合わせを理由に源氏の女性達を評価しているんですね。
はしたない感じもします・・・・・。
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五大堂
大覚寺の本堂で天明年間(1781-1789年)の建立です。

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広沢の池にせり出した舞台
嵯峨天皇が中国の洞庭湖をまねして作った日本最古の庭池といわれています。
大覚寺自体が元嵯峨天皇の新婚用の離宮として建てられた「嵯峨院」が始まりです。
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池中には天神島・菊ケ島と庭湖石があり、この二島一石の配置が華道嵯峨御流の基本型に通じています。
池のほとりには、茶室望雲亭、心経宝塔、石仏、名古曽の滝跡があり、国指定の名勝地になっています。

池の北には名古曽の滝があります。
旧嵯峨離宮の名残といわれています。

滝の音の絶えて久しくなりぬれど名こそ流れて 藤原公任
宸殿付近から鑑賞
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安井堂天井雲龍図
御影像は後水尾上皇さま

平安時代仏教は天皇皇族貴族だけが信仰出来た宗教でいわば限られた階層にだけ許されたステイタス
そう特別な地位を持った人しか信仰出来なかったのです。
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夜に美しい中庭を眺める舞少納言
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本当は夜間拝観も18時まで楽しめますが、今回は少し早めに帰宅します。
雅の世界堪能です。

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京都好き、歴史好き、ショッピング好き、温泉好き、グルメ好き。
凝り性な乙女座、A型、金星人、六白金星なわたしです。

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