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京草子 雅な京都絵日記時々詣で 夏は夜

七月ばかりに、風いたう吹きて、雨などさわがしき日

訳:7月になってなぁ~風がめっちゃ吹いててなぁ、雨なんかザアァザアァと降るどしゃぶりな日

夏に京へ?暑いしまだ梅雨だし???何しに?
今日は大変なかんかんでり

実は大好きな陶あんさんがこの時期に催しを開催するんですが、毎回祖品の内容を見ていくかどうか決めるのですが。

今年は平安装束強化年と銘打ったもので予算の関係で行かないと決めていたんですが!!
急遽訪問!

何故???伊藤若冲生誕300年の今年陶あんさんでも「若冲記念」をされるそうで、10800円以上購入で手ひねり皿の若冲の芍薬がいただけるので京草子決定しました。
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くちなしの花
私用を済ませて腹ごしらえ中京区のワルダーへ。
麩屋町通り
こちらは京都三大旅館
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柊屋
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俵屋
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炭屋
惣菜系からディニッシュ系、ハード系とレパートリー多め久々の初来店のパン屋さんです。
なので予約せずに季節ものやビビッときた物をGETします。
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ここは種類が半端なく多いお店はそんなに大きくないけど・・・・・・えらぶの大変~~~

お店の情報は【こちら】
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老舗の店先はすでに祇園祭り
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ゆっくりピクニックランチと思うも予定が満載で今回も時短のため高瀬川の川べりでランチ


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それと土井のしば漬け本舗も寄らなきゃね
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錦天満宮さんで御水を頂きます。

四条陶あんさんへ。
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京都の雅な世界を器に移す素の生地に金彩、あでやかな色彩で描かれた花の世界が素晴らしい窯元さんです。

今回はオーダーをお願いします。
なかなか好きな絵柄と器がかみあわず、こちらではお値段もそのままで絵柄のオーダーが出来る。
しかも催し時期は20%OFFオーダーも可ですよ。

しかも今回の祖品は手ひねり皿若冲の芍薬~~~ほしかった逸品~~~頂きます。
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奥の喫茶コーナーでデザートNO1タイム陶あんさんの器で頂く最高の癒し~~~
アイスコーヒーとアイス抹茶最中

お店の情報は【こちら】

商品をGETした後は洛叉庵へ予約の蕨餅をいただきにゆきます。
完全予約制の蕨餅抹茶味きなこ多めです。二度目訪問~~~~GETした後は帰宅の途へ。

途中に中崎にあるPatisserie Ravi,e relierへ。
久しぶりの訪問、焼き菓子は好み夏のミルティーユを頂きたくて予約後訪問します。


では帰宅の途へ
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おみやの数々
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テーマ : 京都
ジャンル : 旅行

いみじう暑き晝なかに、いかなるわざをせむとあふぎの風もぬるし

訳:めっちゃ暑い昼日中になぁ~~~なんとかな涼もうとして扇をあおぐんやけど~~~生温かい風しかけえへんねん

夏~~~ 京草子も休憩月の予定でしたが、先の宮中出仕の女房君が上京されましたので訪れました。

平安の昔からいやそれ以前から夏は天災や疫病が始まる季節でもありました。
医療が発展していなかった当時人々は天変地異や疫病を恐れ、災いが起こらないように祓い儀式を行っていました。

旧暦6月末は「夏の大祓」の月です。
昔の人は1年の丁度半分が過ぎ、暑さの始まる前に祓いを行い無病息災を祈願していました。


で新暦ではありますが、「京の夏大祓・満喫のお祓い詣で

今年も火山の噴火や地震、急激な天侯の変化、伝染病といろんな事があります。

なのでこの夏を乗り切るために御参拝~~~~~
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今日はいつもの観光場所「府立植物園」へ。

もうなんの説明もいりませんね。
夏の花が勢ぞろいしています。
暑いのではかかせませんね。
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桔梗


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タイタンビカス
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槿・宗旦などいろんな槿が・・・
夏の盛りに満開を迎える花

四季 彩の丘
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やまゆり
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カサブランカ
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水晶白
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火炬
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杏黄
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希望
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重水花
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紅蜻蜓
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王冠
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赤碗
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妙蓮寺蓮
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小麗錦

夏の花の代名詞ですね。仏の座る花は「泥の中から美しい花を咲かせる」事から仏教で尊い花とされます。

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なからぎの森で休憩
ここにも蓮が咲いています。
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ニュートンのリンゴの遺伝子を持つニュートンのリンゴの木

日本の森 植物生態園
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おにゆり
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紅筋山百合
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桔梗
吉報といんが似ていることから秋の七草に数えられる花です。まだ暑いのに秋の花って平安人てせっかちなんでしょう・・・・・
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ひおうぎ
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ヤブカンゾウ
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エゾカワラナデシコ
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レンゲショウマ
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京の庭
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請所の本紅

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蓮の花
紫陽花の園の中に池があります。

蝉の声を聞きながら~~~

まったり~~~~夏の京の花を楽しみました。


この後市バスで下鴨神社へ。
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下鴨神社の中にある「みたらい社・みたらい祭」
ただいま足つけ行事」が開催中です。


以前も京草子で紹介しましたね。
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下鴨神社は京の中でも最古の社の一つで正式名称「賀茂御祖神社」と言います。

御祭神は賀茂建角身命・玉依媛命でその名も通り古代豪族賀茂氏の氏社でした。

創建は不明ですが、このあたりは縄文弥生時代の遺構も発見され、神事の遺構も見受けられるために大変古い社とされています。

欽明天皇の567年に天変地異が発生した時にその原因は「賀茂の神の怒り」であると占われました。

天皇は祭礼を賀茂社につかわして怒りを鎮めたおかげで五穀平常実り豊かになったと伝わります。

この時の祭りが「葵祭」の起源です。
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飛鳥時代以降も皇室の賀茂信仰は続き、特に平安遷都後は「平城上皇の乱」時に嵯峨天皇の庇護を受け伊勢大神と同じく斎院を置き都の護国社とした優遇ぶりでした。現在も全国から参拝客が絶えません。
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平安時代の貴族が季節の変わり目に禊をして罪や穢れを祓っていた行事が庶民にも広がり、土用の丑の日に行われる下鴨神社の御手洗池に足を浸して無病息災を願い行います。
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受付でお供え料をおさめてロウソクを受け取り御手洗池に進みます。
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地下から湧き出る20℃以下の冷水が・・・・・夏でも正直冷たいです!!!

池の中に前回頂いたみたらし池の丸い御石を返納します。
ぽっちゃん~~~~ありがたやありがたや~~~
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池の中を進み、種火のある小さな祠があるのでそこでロウソクに火を灯します。
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最終地点の御手洗社(井上社瀬織津比売命は穢れの神様)前の祭壇にロウソクを献灯、そして無病息災を願います。
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その後池から上がったところではご神水をいただきます。
これで外から中から浄化されるわけです。

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ご神水をいただく器は「鴨のくぼて」と呼ばれる鴨葵の紋が描かれた器で、糺の森で出土した神前にお供え物を盛る窪手を模写した器です。
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残念ながらこちらは持ち帰れませんので御希望の方はご購入してくださいね。

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ついでにお札をいただき、病気平願の願い事を書き、御神水で清められ奉納されます。
これで終了です。
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「持病の症状が和らぎますように」
ここのお供えが「みたらしだんご」御手洗は「みたらい」神聖な水がわきでる様子を団子であらわしています。
なんか神聖な物に触れ穢れが落ちたような気分です。

この後出町柳の「出町ふたば」さんへ予約の和菓子を取りにゆきます。

御存じ出町ふたばといえば「豆餅」ですが、こちらは他も美味しいお菓子がいっぱいあります。
厳選された素材をしっかりとした仕事で作るお菓子は家菓子として京都以外の観光客にも大人気、長い行列はかなり有名です。

「抹茶蕨餅」「土用餅あんころこしあん・粒あん・白あん」「水無月・抹茶」「ちまき」

この後は祇園祭を体験します。

京阪三条へ
キルフェッボン京都」タルトの専門店です!以前は関西で唯一のお店でした。
好みにかなりばらつきがあってセレクトに悩むんですが、個人的にはカスタード系が好みです。

あとは京都限定&季節限定をGETします!!!
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祇園四条で弁当GETした後本家元祖八坂神社へ。

八坂神社の祭神は「素戔嗚尊」 
この神様は「荒ぶる神」その粗暴さが魑魅魍魎の疫病を退散させると信じられ古くから信仰の対象でした。


八坂神社の御祭神「素戔嗚尊」が南海に旅をされた時、一夜の宿を請うと、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなしました。
蘇民将来の真心を喜ばれた素戔嗚尊は、疫病流行の際「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されました。

この護符が「茅の輪」で6月末に社内に縄で造られた輪を作法にもとずきくぐると病気にかからないといわれます。
一部の神社だけですが設置されます。

まずは本殿へお参りその前に「手を清める」

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祓いが終われば境内にある御神水をいただきます。
こちらの御神水は実は知る人ぞ知る。なぜなら八坂神社が大有名な観光場所であるために人が殺到して大変だったそうです。
そこで「表向きは飲めない水」みたいな立て看板が出ています。
地元の方はしっかり飲料していますよ。
ではご利益にあやかります。

八坂神社は円山公園と隣接しています。今日は少し時期には早いのですが、後4日で「土用の丑の日」なので鰻をいただきます。といっても鰻は高騰していますのですき屋で鰻弁当&コンビニサラダで簡単ランチタイム
午後の公園でまったり~~~
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そもそも土用の丑の日に何故鰻?を食べる???
 土用の間のうち十二支が丑の日をいうのですが、夏だけではなく年4回あります。
では何故夏に限定されたのでしょうか?

元々食の落ちる夏に鰻を食べる習慣は万葉の時代にもあり、栄養価の高く当時は多く生息していた鰻を食べていたそうです。
が特に江戸時代に安永・天明の頃(1772年 - 1788年)からの風習であると当時の書物に記述しているそうです。

諸説ありますが、一番有名なのが江戸時代の発明家「平賀源内」が鰻屋に頼まれ「本日丑の日」という張り紙を店前に張った所大変繁盛したといい。他の店もこれにあやかって始めた風習と言われています。

まあぁ説明抜き~~~頂きます

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ランチの後のデザート
「桃のタルト」「南国フルーツのタルト」

祇園のはれまさんへ。
ちりめん山椒をいただきます。ごはんのお供


阪急で四条へ大丸京都店へ。
同じく地下1階のごちぱら館へ。

大丸にしかおいていない限定のお菓子~~~~限定に弱いです~~~。

中村軒の「鉾ちまき 」仙太郎の「一本笹粽」 鶴屋吉信「生菓子」も気になりますね!!!
土井の志ば漬け本舗・プチメックのパンGET
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祇園祭りは八坂神社の祭事で7月1日の吉符入に始まり、7月31日の疫神社の夏の大祓いを最後を迎える京都三大祭りの一つ1か月間に渡り行われます。
祇園祭は元祇園御霊会といい、平安初期貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行した時の天皇(清和天皇)は平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送り災厄の除去を祈ったことにはじまります。

平安時代の中頃からは規模も大きくなり、空車、田楽、猿楽等も加わって一大祭りとなります。

室町時代になると町々の特色ある山鉾を立てて洛中を挽き始めたといいます。
その後の応仁の乱で途絶え何度かの戦火で中断したものの現在復興され京の夏の祭りとして有名です。

前回は花傘巡行還幸祭を見学

今回は「鉾曳初・山舁初」後宵山前の鉾を見学&参加します。


有名な山鉾巡行、前後の宵山は特に有名ですが人もそうとう多いですし・・・・・なんせ動くのでゆっくり見れないし・・・・・。
今年は後宵も復活したのでこじんまりと各町を練り歩く鉾曳初・山舁初を見にゆくことにしました。

後宵は10基のみ巡行するのですが、巡行はゆっくり見れないしと思い・・・・。
各町に展示されている山鉾を見学しながら鉾曳初・山舁初という町内だけをお囃しと練り歩きを見学します。
でも今日は休日なので人では覚悟の上・・・・・・。

室町通り
今日山建中
黒主
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大伴黒主が桜の花をあおぎながめている姿
御神体(人形)は寛政元年(1789)5月辻又七郎狛元澄作
雲龍文様の繻珍
前懸は萬暦帝即位五爪龍文様錦
胴懸は草花胡蝶文様の綴錦
牡丹鳳凰文様

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鯉山
未完成な山
山の上に大きな鯉が跳躍しており、龍門の滝をのぼる鯉の奔放な勇姿をあらわしている。前面に朱塗鳥居をたて山の奥には朱塗の小祠を安置し素盞鳴尊を祀る。その脇から下がる白麻緒は滝に見立てられ、欄縁その他の金具はすべて波濤文様に統一されています。
山を飾る前懸、胴懸(2枚)、水引(2枚)、見送は16世紀にベルギー・ブラッセルで製作された1枚の毛綴
ホーマー作「イーリアス」物語の一場面
プリアモス王とその后ヘカベー
前水引「金地果実文様」
後水引「金地花唐草文様錦」
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円行者山
奈良時代実在した修行僧円行者・未完成
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大船鉾
蛤御門の変で一部を焼失以降途絶え昨年ついに巡行復帰した凱旋船鉾と呼ばれる鉾です。

ご神体人形(神功皇后)1体や舳を飾る大金幣、織物・刺繍の技術を使った大舵や水引・前懸・後懸等の懸装品が焼失を免れ「居祭」として宵山飾りを続けていたそうです。
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しかし念願かない御神面の唐櫃を担い、囃子を伴い約140数年ぶりに巡行参加していました
本来は上の屋根部分を保存の意味で塗装しないといけなかったのでしょうが。
なかなか資金面や日程とかみ合わず御苦労されたようです。
後年完全復興船を拝みたいものです。
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昨年はこの前後宵山というべく日に大変な人出だったんです。
こちらの曳き初めは15時から
この曳き初めは誰でも参加できます。そしてこの綱に触れると厄を落とせんだそうです。
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北観音山
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松に「鳩」?実は本当は「尾長鶏」です。尾が短くなってしまったとこの事。
山舞台には楊柳観音像と韋駄天立像を安置する曳山
赤地牡丹唐草文様綴織」の二番水引
「金地紅白牡丹文様唐織」の三番水引(復元新調)
江戸時代の姿に戻しているそうです。

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南観音山
天水引は「四神の図」
下水引は「飛天奏楽」
見送は「龍王渡海図」
こちらも北観音山と同じ松に尾長鶏が取り付けています。

大変綺麗で豪華です。そして山鉾のタペストリーが国際色豊かなのには驚きです。
ヨーロッパ、中東、アジアの工芸品であるタペストリーがふんだんに使用されています。
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さて引き初めへ!
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綱をもつ
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これからは列を離れて祇園囃子と鉾の美しさに感動~~
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屏風祭
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二軒目
宵山の夜だけ開催されていますが、今回は2軒のお屋敷に屏風の公開がありました。
すごく素敵~~~祇園祭の宵山だけ表の廂を開けて屏風や生け花など外から見学出来ます。
情緒が素敵~~~どうやら二軒とも京都伝統の工芸品のお店のようです。
いいですねェ~~~

この後、烏丸御池へ徒歩で「雅ゆき」さんで平安装束体験です。
京町屋
今回は「小袿」が祇園祭キャンペーンというので3240円で試着出来るので今回体験することにして予約済みです。
前回は青緑色の袿でしたが他にもお色が入っているようなのでひさしぶりの訪問です。
京町屋の趣のあるこちらでしっとり平安貴族気分です。

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「前回の京草子で購入した垂髪」を装着、長襦袢と赤い留め帯を付けて上から羽織ます。

前回は青緑色でしたのでこのお色は初めてです。

しばし鎌倉時代以降の公家の装束でまったり~~~
お店の情報は【こちら】
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帰宅のおみやの数数
祇園祭りにちなむお菓子達や夏限定のいろいろ

ちまきは祇園祭りの際に各山鉾で販売されています。
昔すさのおが南の村を訪れた時貧しい蘇民の家もてなしを受けた際に「家の前に芽の輪をかかげなさい。そうすれば疫病が流行っても難を逃れる事が出来る。」という伝承を下に粽をまねた飾りに「蘇民将来」と書いた粽を飾るのだそうです。
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「私蘇民の子孫ですよ。疫病を招かないくださいね。てね・・・・」

水無月は関西ではかかせない和菓子です。
夏の祓いを行う風習のあった都の貴人は「暑気祓い」に氷を食べる習慣がありました。
保管庫のない当時の庶民には氷は「高値の花」なのでういろうに小豆の黒で小石を模して食したそうです。
鯉山で頂いた「芽の輪」を窓に装着

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薔薇はちかくて、枝のさまなどはむつかしけれどをかし

訳:薔薇は近くて枝の様子なんかなぁ 難しいんやけど~~素敵やぁん

梅雨なんだか気分もふさぐ季節、大好きな「陶あん」さんの夏のイベントがスタートしたのでGO

まずは梅雨の花といえば菖蒲や紫陽花です。
お花巡りを合わせて訪問します。

桂経由で松尾大社駅で下車してバスで梅宮大社へ。
御祭神 大山祗神(酒の大神) 木花咲耶姫命(草木花の神)瓊ヶ杵尊(天照大神皇孫)御子彦火火出見尊(木花咲耶姫命と瓊ヶ杵尊の子供)

脇座に橘氏の有力者達が祀られています。

梅宮大社は奈良時代文武天皇の乳母であり、光明皇后の生母女官でもあった橘三千代が橘氏の氏神として召喚した社を子供達が受け継ぎ現在に至ります。

丁度平安初期の嵯峨天皇の皇后壇林皇后が橘氏の出身だったので、嵯峨離宮近くの今の地に社を移しお祀りされました。

去年訪問していますね。
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今は神苑で菖蒲や紫陽花が競うように咲いています。

酒業者から信仰され、また壇林皇后に仁明天皇を授けさせたと伝承されている「またげ石」があり子授けの神様「梅宮」≒「生め宮」として信仰されています。

嵐山の手前で近くに松尾大社があるため観光客の参拝がなく静かに綺麗なお庭が楽しめるお勧めスポットです。

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茶室と池の配置が美しいですね。
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花菖蒲と八つ橋

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水連
東神苑
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北神苑 
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勾玉池
勾玉の形をしている池です。

苑内は季節の花が綺麗に咲いています。
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紫陽花

観光後はバスで西院で下車してランチ~~~

今日は時間短縮&美味しいの組み合わせで鉄板ランチカレーなんです。
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「太陽カレー

男子向けがっつりカレー頂きます~~~辛くてコクがあり最高~~~
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本日限定カレーは牛ばらカツ プラス野菜 ガーリックチップイン

お店の情報は【こちら】


この後バスで今回のイベント陶あん「夏の催し」を訪問するため四条の錦市場へ。
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清水焼で大好きな陶あんさは素朴な生地の上に季節の花々を描いた京都らしい優美な色合いが大好きです。

もう大好き~~~素敵~~~
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いくつか購入してサービスのティーセットを頂きます。


錦市場の突きあたりは「錦天満宮」です。
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こちらで自慢の御神水を頂きにきました。宇治新茶用にGETです。

さて観光の後はお買いものひさびさの「河原町京都タカシマヤ」でGETGETGET

「仙太郎」「柳桜園茶舗」「土井志ば漬本舗」

バスで北上して北山へ。
府立植物園で6月のお花見します。

今は梅雨ですが季節の花が一度に楽しめるお財布にも優しいここは大好きな名所です。
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けやきの並木道
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入り口
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観覧温室
初めて入園

熱帯、砂漠、サバンナ、高山、夜間といろんな植物を見る事ができます。
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アマゾンユリ
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フウリンブッソウゲ
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コクリオステマ オドティシムム

夜行性花
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姫月下美人
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月見草
ちょっとぼけぼけ~~

高山植物
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エーデルワイス
スイスの国花
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メコノプシス ベトニキフォリア
別名ヒマラヤの青いけし
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バクシニューム マクロカルボン
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メコノプシス カンブリカ
さきほどの青いけしと同じ種類の花

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エゾ躑躅
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タカネマツムシソウ
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山吹草
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こまくさ
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スパソブロッティス
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セロジネ
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四季 彩の丘
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クレマチス シルバームーン
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白万重
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ガウラ
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早咲きの蓮鉢
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イtバハルシャギク
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リリウム レウカンシム
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ゴーギャン

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水蓮
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暑いので少し休憩
伊藤久右衛門の抹茶大福
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薔薇苑手前のタイサンボク


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薔薇苑比叡山を望む
まだ少し残っています。名残の薔薇
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アラべスク
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万葉
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嵯峨野
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天津乙女
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聖火
東京オリンピックの年に作られた薔薇
そういえば2020年東京開催ですね。
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花霞
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伊豆の踊子
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花笠
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プリンセス秩父(秩父宮妃)にちなみ
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沈床花壇
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くちなし

紫陽花園はまだこれからといった様子
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花ミズキと巨木
青空がきれい

花菖蒲苑はあと少しで見ごろ過ぎ ギリギリ大大丈夫でした。
いろんな種類の花菖蒲が咲いています。江戸試時代に武士が趣味で始めた品種改良が多くの菖蒲を作ったといいます。
菖蒲=勝負につうずるので縁起が良いとされたのでしょう。
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清少納言
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桃の霞
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雛桃

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上総乙女
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業平
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扇の的
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葵の上
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水玉星

日本の森 植物生態園

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霧島躑躅
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ささゆり
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ホタルブクロ
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夏萩
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撫子
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ダリア
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北門付近の花壇

もう暑い京都でひんやり~~
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八坂神社から高台寺へ向かう途中にある、「ページワン」さんへ。
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森田氷室本店さんが手がけるカフェで自慢の氷を頂きます。
器も氷とはいきですね~~~味はまあ普通かな。でも・・・・。

けど接客ひどすぎ、声掛けO 声小さいO 笑顔O  客に後ろを向けて立つ 二度といかない!

テーマ : 京都
ジャンル : 旅行

木々の木の葉、まだいとしげうはあらで

わかやかに青みわたりたるに

訳:木々の葉がなぁ~まだめっちゃ茂ってなくて若若しい青葉が空になぁ~渡ってるんが

もう蒸し暑い6月の皐月を見に京へ!

京阪伏見稲荷で下車して都麗美庵に予約のパンをGETします。

こちらはあんパン専門のパン屋さんで甘すぎず小豆の美味しさを味わえます。
ここでなんと!このパン屋6月いっぱいで閉店!!!との事~~~・・・・・。
こんなにはやっているのに・・・・今日も8時に着いてるのにあんドーナツは売り切れ・・・・・なんで???


三条京阪駅からバスで一乗下り松で下車そこから徒歩で詩仙堂丈山寺へ洛北の皐月の名所といえばここははずせません。
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一乗下り松は宮本武蔵が決闘した場所に立つ松は今は三代目です。
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鄙びた門小有洞に「史蹟詩仙堂」という碑が見えます
門をくぐると薄暗い竹林の中の石段を登り上がった小道
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突き当り、左の石段をさらに登る
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老梅関拝観の入口が見えます。
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この老梅関の右手が詩仙堂がです。
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蜂腰(蜂が巣に帰る際に入口でかがみながら入る様子に似ているので)と名付けられた低い玄関
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右側の雲形窓から庭が見えます。

坐敷半山林を出ると前方に庭が現れる。

この奥に丈山縁の遺品が展示されています。

その座敷の奥が一般的に詩仙堂と称される建物です。
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正式名称凹凸窠と言い、でこぼこした場所に建てた住居という意味だそうですが、現在は詩仙堂と呼ばれています。
その由来は「凹凸窠」に、狩野探幽画の中国漢晋唐宋の詩家三十六人の肖像を頭上に、各詩人の詩を丈山が書いて四方の壁に掲げた”詩仙の間”を中心に構成されているので「詩仙堂」と通称呼ぶそうです。

壁に獅子が崖に子を落とす図のある扇形の壁間窓、その間の上に中国詩人36の画像と詩が見えます。
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隣の部屋は猟芸巣と言う読書室、その脇に膏肓泉があり、その井戸の脇に躍淵軒 が見えます。
これは、侍童の間と呼ばれ、侍童が将来は淵に躍る鯉のようになる様にというゲンかつぎだそうで、嘯月楼からすぐ北側下に見えます。

建物の中で違った景色を見られる様に設計された建物なのがいかにも風流ですね。
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至楽巣の前から庭に出ると左に洗蒙瀑といわれている滝が見える。東山から引いた水は秋紅葉を浮かべて下方の庭に流れています。流葉はくと名付けられています。付近の坂の小道脇の皐月の刈込も見ごたえ十分です。
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至楽巣

今は皐月の花が見ごろです。
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その下に、鹿や猪を追いたてる為に設けられた「僧都」があり静寂に突然鳴り響く一音がなんとも風雅です。
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庭から見た嘯月楼
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堂上の楼
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この回遊式庭園は丈山好みの唐様庭園といわれ建物から見える景色は掛け軸の様です。
が、当時のままではありません。時代と共に変化してしまいましたが季節の花や紅葉を楽しめる庭園です。
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今が盛りの皐月

他にも6月の花が沢山咲いています。
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都忘れ(白・群生)
都忘れの名は崇徳上皇が隠岐に流刑された際に幽閉地で咲いていた野の花につけたと言われています。
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都忘れ(紫)

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黄菖蒲
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菖蒲(紫)

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かきつばた?

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紫陽花
詩仙堂丈山寺は家康に仕えた武将石川丈山が大坂夏の陣で一番乗りを厳禁した家康に従がわなかった為に妙心寺に入ったものの紀州浅野家 安芸広島藩に仕えた後、隠棲し生活していた場所です。

堂内には御本尊さま所願、学業成就の馬郎婦観音木像が安置されています。
冠を戴き両手を前にやわらかに組んだ女性の観音木像です。
中国唐時代に観世音菩薩さまが学問にうつつをぬかしていた若者たちに仏法を教えるため女性に変身して悟らせたというお話から信仰された観音像だそうです。

丈山は武門だけでなく和歌や書、漢詩にも優れた文武両道の人物でした。90歳で京都の外れのこの場所で生涯を終えました。

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残月軒(茶室)

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今は詩仙堂と呼ばれる建物と庭が美しく、まさに癒しゾーンなのです。紅葉の時期もお薦めですが、大変な人なのでどうかな~~~

観光の情報は【こちら】


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こちらの近くの園光寺へ。
1602年に家康の指示で伏見にあった学問所で1667年(寛文7年)現在地に移転します。明治維新で荒廃しましたが尼衆専門道場として南禅寺派研修道場として所有しています。
紅葉の寺として有名ですが、この季節青紅葉が園内とても綺麗です。今は紅葉の時期ではないので人が少なくて良いです。ゆっくり青紅葉が楽しめる隠れた茗園ですね。
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庭園内には水琴窟があります。水琴窟は地下に穴を掘り、その穴に壷を逆に入れて空間を作ったまま表面を元に戻し、中に水が流れる仕掛けをしておきます。するとその水が瓶にあたり廻りの空洞が反響して琴の様な音を楽しむものです。明治時代に大変流行った庭園の遊び心あふれる仕掛けです。

妙心寺退蔵院、宝泉院、京都府立植物園とそんなに多くはありませんが。

舞大好き~~~~あの響きがとても癒されますよね~~~
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十牛之庭
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栖龍池・洛北最古の泉水

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こちらは散り紅葉で有名な寺院です。今は青紅葉が美しいです。
まったり~~~できていいですね~~~。

観光の情報は【こちら】

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その後来た道を引き返して詩仙堂へ向かう小道を通り曼珠院道へ進めると古民家が見えてきます。
雲母漬老舗穂野出というお漬物屋さんです。

当主の田辺家は藤原北家房前の末裔四条家分家の鷲尾家の一乗村の家領を管理されていた家柄でした。宮中に出仕したり、比叡山に参拝に向かう番所も兼ね戦乱から避けられる様に古文書の管理も任されていました。

穂野出という元禄2年に創業した漬物屋を営み、比叡山の参拝者に雲母漬という小茄子(もぎ茄子)を白味噌で漬けたものを雲母漬として今日も変わらない製造方法で一子相伝の漬物屋を営んでおられます。
好きなお漬物なんです。小粒のなすがくにゃ~~として麹の甘い味噌と米が合うんですね。
ずいぶん行っていませんでしたが、今回久しぶりに訪問してみました。

お店の情報は【こちら】

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一乗の住宅街にある人気パティスリータンドレスを訪問します。開店日が限定されていて製菓はパティシエオーナーの1人で切り盛りされているのでケーキの内容は少なめながら、細部にこだわりのありケーキ店として京でも人気の洋菓子店です。

そういえば最近注目の京都スイート界のといえば「イデミスギノ」がキーワードのように思います。
パティスリーS、グランヴァニーユ、そしてこのタンドレスは皆杉野さんのお弟子さんが京都で開業されているからです。
しかも3店とも食べログ上位グループに属しています。

開店前待ちしていざ入店へ

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今日のお昼は京阪三条の「サルバトーレクオモグリル京都」は木屋川沿いにあるナポリイタリアンのビュッフェ店です。
ピッツア・パスタ・サラダ・自家製パンが取り放題で祝日1200円です。
ナポリピッツァはもちもち皮が特徴で最近のピッツァのトレンドです。

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行き過ぎたのか・・・初めて食べた衝撃よりも3歩後退・・・。舌がなれた感じ。
もういいかな~~~じばらく・・・・・。
でも人気店です。日曜の昼時20分待ちでした。ビュッフェ・・・ん~~~。いいかな。

お店の情報は【こちら】

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食後は徒歩で京都市役所の近くにある一保堂茶舖さんへ。いわずとしれた京の老舗宇治茶です。
今回は「新茶」をGETしに来店しました。こちらは老舗の本店ですが、たかびしゃな感じがまったくなくて気持ち良く買い物が出来ます。

その後はバスで出町柳へ「出町ふたば」へ豆餅と水無月をGETです。

6月といえばういろうの上に豆を乗せたお菓子「水無月」ははずせません。
水無月とは雨の無い月ではなく、雨が無いどころか雨有月というべきですよね。
「水の月」という意味は旧暦の6月に田んぼに水を引く行為に由来する暦です。

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更にバスで京阪祇園から知恩院へ徒歩で向かい白川の傍にあるカフェ「Poohs? 」・・・Cafe

ランチそしてドリンクタイムなどいろんなシュチュ―ションで利用できるカフェです。
今回は3時から始まるこちらのお薦め「ベリーベリーワッフル」をオーダーします。

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たっぷりベリーベリーにアイス&カリカリワッフルが美味しい~~~
うまい・・・あま酸っぱいベリーとソースにアイスがワッフルにサンドされ、冷た熱い。
しいていうなら舞的にはカリッとワッフル好きなので生地が柔らかめです。でも美味しい~~~
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川沿いは本当にいいですね。京の情緒です。


お店の情報は【こちら】

帰りに通る八坂神社で拝観後、御神水を頂きます。
八坂神社は洛中で有名な神社、スサノオの命を御祀る神社で古くから祇園社と呼ばれ信仰されています。夏の京の三大祭りの一つ「祇園祭り」はこちらの神事です。
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御神水

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餡パン達

明日は絶食だ~~~シュガ―取り過ぎです。やばいです!!!

次回は「茶草子」です!

蓮の花を見やるのみぞ、いと涼しきここちする。

訳:蓮の花を見てる時だけなぁ~めっちゃ涼しい感じがすんねん

夏の暑い盛りに京に挑みます。

まさに挑む!!!あっついんです~~~万全の態勢で!!!


今回の課題
「宿坊に泊まる夏の京を訪れる舞少納言」




今日は祭りだ祭りだ~~~八坂神社の祗園祭り

皆さん祗園祭りは7月中旬じゃんと思っている方多いはず!
あれは山鉾巡行という祗園祭りの中の行事です。

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これですね~
実は祗園祭りは八坂神社の行事1カ月間の長期に催される京都最大規模の御祭りです。
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古くは祗園社と呼ばれた八坂神社は斉明女大王の時代に高句麗(今の北朝鮮にあった王朝)調進福使・伊利之使主(渡来して八坂造の姓を持つ豪族といわれている)が創建という定額寺の寺境内にあった天神堂が前身です。中世に最も信仰され京の信仰対象として大いに栄えていました。慶応4年に八坂神社と改められました。
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御祀神は素箋鳴尊(天照大神の弟)櫛稲田姫命(素箋鳴尊の妻)八柱御子神(素箋鳴尊の子供達)

素箋鳴尊は古事記によるとイザナギの神が筑紫の海で禊祓をした時、最後に生まれた神様でした。
ある日素箋鳴尊は父イザナギの神の怒り(黄泉の国に行った母にあいたいとだだをこねた)を買い、高天の原を追われ、母の国に行く途中に高天国を治める姉の天照大神を訪れ滞在していました。
しかし日々粗悪な振る舞いが多くなり、怒った姉が岩戸に隠れてしまいます。なんとか岩戸から外に出せたもののその責任をとわわれ、再び高天国を追放されます。
放浪する素箋鳴尊が訪れた出雲国で「八保の大蛇退治」を行い櫛稲田姫命を妻として出雲の国を建国したと伝えられています。

平安時代のはじめ頃、都に疫病が流行し多くの人々が死に絶えました。
この疫病を退散せしめることができるのは、素戔嗚尊のような乱暴者の神以外いないと祇園社に祀られているこの神に祈りました。

その神事は祇園社本録で、貞観11年(869)6月7日神泉苑に矛66本を立て、祇園社から神輿を送ることから始りました。
祗園祭りの始まりです。

神様の中で非常に霊力が強い神様は生前高貴な生まれでありながら不幸な死に方をした人物が多いです。
たとえば天神様、大国主(大物主)、御霊神社に祀られた天皇や皇后(崇徳上皇、後鳥羽上皇、井上内親王など)歴史的に政治に敗れ死んでいった人物、後年怨霊となって災害をもたらしたなど。

素箋鳴尊もその人柄が荒々しく高原の国、葦原中国を追われた敗者と考えれば納得です。
神話のお話ですが、歴史的にベースのある逸話を元にしたかも・・・・

祗園祭りは7月1日~5日の吉符入に始まり
7月1日長刀鉾町お千度
  2日くじ取式・山鉾連合会社参
  7日綾傘鉾稚児社参
 10日幣切・高橋町社参
 10日~13日鉾立
 13日長刀鉾稚児社参
 12日~13日鉾曳初
 12日~14日山建
 13日~15日舁初
 14日~16日宵山
 15日斎竹建
 16日日和神楽
 17日山鉾巡行・くじ改め・神幸祭・神輿渡御出発式
 20日宣状式
 24日花傘巡行
 24日還幸祭 
 28日神輿洗式
 29日神事済奉告祭
 30日疫神社夏越祭    

これは祗園真祭りの主だった行事を載せただけでほかにも舞奉納や行事は沢山行われます。
それだけ夏の疫病に恐れを懐いていたんですね~~~

今回は花笠巡行を見学しました。
山鉾巡行は以前、7月17日(前祭 山鉾20基)、7月24日(後祭 山9基)の2回にわかれていたのを昭和41年(1966)に後祭が17日に合流し、後祭の行事が喪失した替わりに始まったのが花傘巡行です。

10時から行列がスタートするので約1時間前に八坂の西楼門の階段で待機します。

この行列は芸能色が強いので時代衣裳や各地方の祭りの衣装などカラフルな衣装の人達が八坂神社から2時間市内を練り歩き、再び八坂神社に戻ります。
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花笠行列

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神饌花車
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児武者
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花車と行列
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児武者

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古墳時代、奈良時代、平安時代の装束
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京都織物卸業商業組合花傘

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祗園甲部お茶屋組合花傘
芸者衆ですね。

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宮川町お茶屋組合花傘

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鷺踊行列

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万灯踊り行列

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河原町へ向かう行列

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祗園ばやし
その後13時頃から境内の舞殿で奉納の舞などお披露目の行事が始まります。

観光の情報は【こちら】


長時間炎天下の中にいたので、近くの辻利さんの2階の茶寮で氷を頂きます。
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さすがに11時だと並んでいません。だれもいない3階席に陣取りました。
パフェが人気ですが、この暑さを吹き飛ばすには氷でしょう。お茶屋さんなので抹茶の氷をオーダーします。
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祗園祭りの時期だけの限定パフェ&抹茶氷セット!!!

氷美味しいです。
抹茶とこの夏蜜柑のゼリーめちゃ合います。酸っぱさと抹茶の苦みGOODJOB

帰る頃には階段に行列出来ていたさすが!!!
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四条大橋から賀茂川を望む。今は川床が沢山出ています。

涼んだ後はランチです。

2日間の食事は日本食をテーマにします。
あまり京にきても和食を食べる事が少ない!何故???
ん~~~意外とイタリアンフレンチ共に美味しいから、京の和食は高いのです~~~
でも今回はどっぷり京
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昼食は四条の大丸さんのすぐ近くの「割烹 なかじん」へ外装はいかにも京都らしい~~~
なかじんさんそうあのお蕎麦屋で名を馳せた名店のご主人が突然蕎麦アレルギーに!!!
お料理屋を始められ、これまた評判のお店です。
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突き出しは「ゆばと小松菜のおひたし」

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前菜3種盛り合わせ
「からし明太子のゆばまき・イタリアン豆腐・はもの南蛮漬け」

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季節のサラダ自家製紫蘇のドレッシングで

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天麩羅(ささみ、ズッキーニ、みょうが、アスパラガス、)

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ごはんとみそ汁、香の物

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ヨーグルトのシャーベット

全体的に薄味でいかにも京都の割烹、しかしリーズナブル~~~天麩羅私だめなんですが、ここのはOKだめなのに選んだ???まあいろいろありまして・・・

お店の情報は【こちら】


食後の八坂神社の奉納舞を楽しみます。
丁度後半で、まあ楽しみにしていた鷺踊りをする頃だったのでOK
津和野の踊りと思っていたら、ここが発祥で八坂神社の奉納舞が津和野藩に伝わり、近年祗園花傘巡行が行われなくなった際に一度消え、再び再興された際に津和野の鷺踊りを参考に復活した踊りだそうです。
子供がかわいい
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夕食はいつもの平安神宮さんと動物園のすぐ傍「山元麺蔵」を早めに訪問です。
少し饂飩屋のわりにお値段高めですが、まあこの仕事なら納得です。
意外と並んでなかったのでよかった~~~
期間限定の「肉と茄子の黒いつけ麺」にしました。
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饂飩のこしは前回より感じられないもののまあ美味しいです。
スープは黒ゴマベース、唐辛子と七味をいっぱいいれて頂きます。かつおだしで割ると美味しいです!!!!!

お店の情報は【こちら】

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夕方に再び河原町の御旅所を出発する「還幸祭」の始りです。
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八坂神社の3体の御神体がここから出発して洛中を神輿を担いで威勢よく駆け廻ります。
この行事で洛中にいる魑魅魍魎をこの3体の神様に退治してもらう行事です。
深夜に八坂に戻り、神社内の灯りを全て消して御神体は元の場所に戻ります。
三体とも時間をずらして出発するので夕食時でも間にあいました。

今日の御宿は京都の宿坊です。
宿坊はお寺の中で宿泊出来る施設です。京都市内でも何箇所かあり、中にはホテル並みの所もあるようです。
今回はいくつかの中で翌日に法金剛院に行ける距離、で値段設定もリーズナブルな所を選びました。
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選んだのは洛中の「妙蓮寺」(写真は翌日撮影しています)
本門法華宗の大本山で日像上人を開基としています。永仁2年に柳屋仲興入道妙蓮法尼が、日像上人に帰依し西洞院五条の邸を寺に改め、柳寺と称したのがこの寺のはじめです。永亨年間に、日存・日道・日隆・日慶らが、大宮通四条下るに伽藍を移築造営し、妙蓮寺と改めた。
その後、たびたび寺地をかえ、天正15年(1587)豊臣秀吉の聚楽第造営のとき、今の地に移り天明の大火(1788)後の再建です。
秋から春にかけては御会式桜、春は茶道に好まれる妙蓮寺椿、5月の躑躅、夏から秋にかけては芙蓉の名所として知られています。
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宿坊の特徴はチェックイン・アウト・消灯は早め、朝のお勤め(自由参加が最近の主流)、備品はほぼなし
でも普段とは違う体験が出来ます。
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事務社内
この宿坊はお風呂がありません。しかし近くの銭湯を3か所のうちどれかに入れる銭湯券つきなので、汗ばんだまま就寝って事はありません。

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翌朝しったのですが、この障子を開けると下は墓地でした~~~
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夜はテレビもないし、静かに持参の写経をしてみます。
妙蓮寺さんの宿坊は綺麗でお部屋は旅館並みです。ただしお風呂はそとの公衆浴場で!

宿泊の情報は【こちら】

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朝の妙蓮寺さんの御庭

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ムクゲの花

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百合の花

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法金剛院に向かいバスの途中にみごとな百日紅の大木が咲き誇っていたので途中下車しました。
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この辺りは堀川で川の下は遊歩道になっています。ソウルの清渓川に似てますね。


今日のテーマは蓮を見に行きます。
京都の蓮の名所で有名なのは法金剛院を訪問しました。

元々は右大臣清原夏野が山荘として利用していたのを没後、雙丘寺と称し文徳天皇の勅願で天安寺となった後、平安末期には著しく荒廃していました。

その寺院を大治5年(1130年)鳥羽法皇の中宮待賢門院が再興した寺院です。阿弥陀堂と女院御所からなる建物の造営で始まり、後に三重塔、経蔵、北斗堂、など建築され、最盛期にはJR花園を超えた南部も境内でした。女院崩御後皇子の覚性入道親王、皇女上西門院が所有しその後仁和寺所有となっていました。
その後荒廃し円覚上人よって構成半分ほどに縮小されてから再興され残った禅宗寺院です。

庭は平安末期の浄土式庭園を今に伝える回遊式庭園、季節の花で四季折々楽しめますが、一番の見どころは7月後半から8月半ばの蓮の季節です。

本堂へ向かい小道には季節の花が見ごろを迎えています。
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百合の花

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桔梗の花

女院再興の頃は丁度五位山を北に配し、小高い山から流れる小さな滝「青女滝」があり、ほぼ中央に巨大な池を設け舟遊びに興じたといいます。
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現在の青女滝
当時は東側に女院御所のある寝殿「仁和寺の御所」、西に御堂、宝蔵、鐘楼、南の東に南御堂、西に経蔵、中央に築山やや西に五重塔という巨大な寺院でした。

現在はその四分の一もあるでしょうか?
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御堂と蓮
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紅八重茶碗
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西円寺青蓮
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待賢門院の女院御所は今はありませんが、こんな感じで庭を眺めていたでしょう。

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紅台蓮

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法金剛院蓮

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白君子蓮

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舞姫蓮
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法華寺蓮

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嘉祥蓮

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月の兎蓮

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百合の花

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紫陽花

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不忍池斑蓮

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ヤブミョウガ

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蓮池

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蓮池と五位山

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五位山山腹北西に待賢門院陵が、東側には後白河天皇の同母姉で仲の良かった美貌と才に恵まれた統子内親王(上西門院)の陵があります。
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待賢門院陵
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統子内親王(上西門院)陵
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仲良くよりそうムクゲの花、待賢門院と統子内親王のようですね。

さて待賢門院といえば今年の大河ドラマ「平 清盛」で壇れいさんが演じていますね。

せっかくなので平安末期待賢門院の生きた時代をご案内しましょう。

当時は堀河天皇治政の頃、といっても白河上皇院政の時代にありました。

平安時代の摂関政治は藤原氏が天皇の外祖父となるという絶対条件が成り立って成立してました。
しかし末期にはついに外祖父を持たない天皇の即位を迎えます。
後三条天皇の誕生です。
この天皇は藤原氏の勢力を弱める事で他勢力の登用と荘園の整理に力を入れ、皇室の財政基盤を強め摂関家の財政不安を起こさせます。
それにより皇室の力を強め、政治を皇室に返す事を目指しました。

しかし道半ばで崩御、後を継いだ白河天皇が即位すると、父の方針を受け継いだ弟である東宮が死去します。
すると息子(清盛の正妻平時子の甥)を東宮にすえ、すぐ譲位して上皇になり院政を行います。

院政とは天皇が生前譲位して位を降りた天皇に与えられる位です。上皇は独自で宣旨が下せ、白河上皇はこれに地方の受領達といった中産階級や源、平氏といった武士の登用「北面の武士」を積極的に行い天治の君として三天皇の長きにわたり権力を持ち続けます。上皇は内親王死去後、世を嘆き出家し法皇となりますが、上皇時代とかわらず権威を維持し俗世に生きます。


待賢門院は権二位権大納言藤原公実と左中弁藤原隆方の娘光子の間に康和3年の1101年に出来た娘本名「璋子」といいます。

大納言といえば上から5番目の官位です。天皇の后や国母も輩出しているのでまあまあな血統ですかね。

但し同じ藤原氏でもいわゆる摂関家とは違い傍流の藤原家閑院流の姫の身分で誕生しました。
しかしその最大の後見人の父を7歳で亡くし、母は堀河、鳥羽天皇の乳母として宮中出仕していました。

将来を閉ざされかけたその時、この窮地を救った人物がいます。
時の治天の君「白河法皇」でした。白河法皇はこの娘の存在を知り、時の寵妃祗園女御に養育をまかせます。祗園女御とは身分さだかでない法皇の寵愛を受けていた女性で、その邸の場所と女御のように権威を持ったという意味で祗園女御と呼ばれていました。
当然法皇は彼女の元に幼い可愛らしい少女璋子は身近な存在、しかも小さな女の子を養育する役はまるで源氏物語の「若紫」(紫の上)を連想させます。しかも可愛らしい幼い少女を法皇は溺愛します。寝所では共寝し璋子の足を懐に入れさせていたと当時の記録にあります。
近臣者もこれを示唆して上皇の祗園女御の養女璋子と法皇は親子を超えた仲という噂を信じていたようです。

これは法皇が時の関白忠実にその息子忠通と璋子の結婚を示唆した際に「璋子の素行に問題がある」と言い吉日をえんえんのばされた法皇はついに激怒、忠実は政界を追われます。真実ははっきりしないが義夫娘の愛の噂は信じられていた。という事ではないでしょうか?

腹を立てた法皇は関白に与えられる内覧の地位をはく奪し、忠実の娘で鳥羽天皇の后として入内打診があっつた忠実の長女泰子を拒ばみ崩御後も入内を許さない!という陰湿な嫌がらせが行われます。

法皇は婚期を向かえた璋子をなんと孫の鳥羽天皇の后に押す為、正式に自分の養女にします。

ついに永久5年(1117年)16歳で女御として入内し、彼女はすぐに正式に中宮の地位につきます。
ちなみに鳥羽天皇の生母堀河天皇女御の藤原苡子叔母にあたりつまり二人はいとこ同士という関係です。
入内すると翌年には鳥羽天皇の第一皇子を出産し、以降鳥羽天皇との間に五男二女を産みます。一后に五親王という多産の后に当時でも珍しいと言われていました。璋子の宮中生活に障害はまったくありません。
これはもちろん法皇と生母鳥羽天皇の乳母光子の威光によるものと考えられます。
璋子は出産においても異例でした。産まれた子のへその緒を自ら切り、初乳も行ったと伝えられます。意外と気丈な性格だったんでしょうね。

さて入内後の白河法皇、鳥羽天皇、中宮璋子のトライアングル関係とっても奇妙です。
中宮璋子はことあるごとに白河法皇の院御所に里帰りと称して内裏を離れますし、法皇は中宮が妊娠するたびお腹の父親のごとく大規模な安産祈願をしたり、又院御所に里帰りする璋子の御所車を極秘に垣間見たりと尋常でない溺愛ぶり。とうの鳥羽天皇は不快な態度や言動も0どころか容認??ともとれる行動もありました。
当時の大鏡という読み物の中では白河上皇、鳥羽天皇、中宮璋子は同じ邸に住み、行幸する時も同じ車に乗り移動したり、当時流行した熊野詣も三人で同行しています。
三人の心況はどうだったのでしょうか???いつも三人一緒・・・・・。
白河上皇と璋子はわかりませんが、鳥羽天皇ははっきりしていました。
そのことはのちほど・・・。

中宮璋子の輝かしい頃はまさに鳥羽天皇、息子崇徳天皇が即位していた宮中生活、そして国母として「待賢門院」と号され、白河法皇も健在であった時代でしょう。

鳥羽天皇の後宮は白河法皇の報復を恐れてか、初め璋子以外の妃はいませんでした。中宮として又鳥羽天皇譲位後は崇徳天皇生母として内裏に君臨しました。この頃の璋子のゆうつといえば第二皇子と第三皇子の身体障害だけだったと思われます。第二皇子は目宮と呼ばれ失明していましたし、第三皇子も萎宮と呼ばれ生まれながらに脊髄に異常があり又口がきけなかったといいます。璋子の閑院流藤原氏の長期間の近親婚の弊害でしょうか。
この二人を含む5人はあまり生きられませんでした。
当時後白河天皇と上西門院の二人が長生きで後の子供達は10代で死去しています。

後白河天皇は治天の君として栄華を誇り、上西門院は公卿の記録でその美貌を褒め称えられ、和歌にも精通する文化サロンを開花させた才女でした。崩御した姉の死を後白河上皇は非常に悲しんだと言われます。

璋子の子供達

元永2年(1119年)5月28日第一皇子 後の崇徳天皇
1122年第一皇女 後の賀茂斎院
1124年第二皇子 通仁親王(目宮)
1125年第三皇子 君仁親王(萎宮)
1126年第二皇女 統子内親王(上西門院)賀茂斎院
1127年第四皇子 雅仁親王 後の後白河天皇
1129年第五皇子 本仁親王 後の仁和寺総法務覚性入道親王

初めに出産が18歳、最後は28歳の頃です。
そんな輝かしい時代の終焉は突然やってきます。

義父白河法皇の崩御です。

当時は妊娠中でそんな最中の訃報に困惑したに違いありません。世間にどう思われようが信頼する義父の死に打ちのめされたでしょう。

没後一年には花園に当時荒廃していた天安寺を復興し鳥羽上皇、息子崇徳天皇の同席の中、華やかな法要が営まれたのも白河法皇への鎮護の意味もあったでしょう。その後も待賢門院、鳥羽法皇、崇徳天皇の法金剛院の行幸が何度も行われています。
法皇崩御後4年間は両院(鳥羽上皇と待賢門院)の関係は表だって深い亀裂はなかったようで大治五年(1130年)から保延六年(1138年)までに両院はそろって熊野を7回詣ています。又共だって法金剛寺に行幸され、院御所も同じくされる事やお互いの院御所を行幸する事もありました。
白河法皇没後、両院は信仰を通じて御互いの親交を深めていた様に感じます。夫婦間を超越した仲???
しかし確実に法皇の死は待賢門院の没落につながっていくのです。

何故なら白河法皇の死をきっかけに鳥羽上皇が院政を敷き始め政治を手にしたからです。
まず左遷されていた忠実を呼び戻し院御所に中断していた長女泰子を入内させ皇后と宣旨します。上皇は摂関家の力を強め政治を統率し、白河法皇の側近を排除して受領達の力を弱めていきました。この忠通は白河法皇の関係悪化が影響して待賢門院よりも美福門院よりの側近となり、反して頼長は後に待賢門院寄りの公卿となります。
このあたりが保元の乱に影響してしまったようです。

鳥羽上皇は勲子を義理で入内させただけで彼女が高齢で出産出来ず、このみでもなかったので寵愛しませんでした。それにも関わらず待賢門院はその地位を脅かされます。

そう別の寵妃が現れるのです。

名を藤原得子といい権中納言長実、母左大臣源俊房の娘です。こちらも摂関家の傍流藤原氏で待賢門院よりも少し劣る家柄の藤原氏(但し母方からは臣籍降下された天皇家の血筋が入っている)です。こちらも父から「ただの人にはえゆるさじ」と言われ溺愛されるも頼りの父が病死、死後二条万里小路亭で過ごしていた17歳の頃、同邸を院御所として使用していた所から鳥羽上皇の目にとまり、寵愛を受けます。すると内親王を保延5年(1139年)には遂に待望の皇子体仁親王を出産します。鳥羽上皇はこれを逃がすまいと3カ月後の冬崇徳天皇の皇太子にしてしまいます。
崇徳天皇の胸中どうだったでしょう。
崇徳天皇には中宮ではない女房の一人兵衛佐局腹の第一皇子重仁親王がいました。しかもすでに彼を寵妃得子は養子に迎えていました。なのに異母弟の体仁親王を崇徳天皇の皇太子にしてしまう。

実はこの鳥羽と崇徳の間には大きなわだかまりがありました。

実は当時崇徳天皇の父は鳥羽上皇ではなく、白河法皇という噂が実しやかに流れていました。
当の鳥羽上皇はそれでなくても白河法皇へのわだかまりがあります。まだ若い年で譲位させられ息子である崇徳天皇の父として治天の君の地位を奪われ世を憐れんだ男の性はその存在がなくなった時に大きく爆発していきます。

次に我子を皇太子につけた後、騙すようにして崇徳天皇に譲位させます。
口述では上皇は崇徳天皇の中宮聖子の養子となっていた皇太子に譲位させれば院政を行えるニュアンスを口にします。
しかし宣下では「皇太弟」を記載させます。
子供なら崇徳は院政を行えますが、弟となると行えません。院政はあくまで父が行えるのです。
鳥羽上皇は祖父白河法皇への報復を崇徳天皇に行うのです。
崇徳天皇は不満も口に出来ず、鳥羽田中殿に隠棲し和歌の世界に没頭していきます。

これでますます肩身の狭い待賢門院にあらぬ疑いがかけられます。
この体仁親王即位とその生母得子の皇后冊立の前後、呪詛事件が起こります。この呪詛の黒幕が待賢門院という噂にいたたまれなくなった彼女は崇徳上皇が法金剛院に行幸した後、康安元年(1142年)俗世を捨て、身近な女房と共に復興した法金剛院に入寺し落飾してしまいす。

入寺後は静かに功徳し、時折法皇や上皇が訪れ、まれに洛中の娘上西門院の御所に行幸するくらいでほとんどこの寺で過ごし俗世の縁を断ち切ります。

そして落飾3年後待賢門院が病いの為、実兄実行の邸三条高倉第に居た頃、それを聞いた鳥羽上皇は邸に駆けつけ行幸し女院を看取り、臨終の際は磬を打ちながら大声で泣き叫んだと台記という公卿頼長の日記に記載が見えます。
久安元年8月22日(1145年9月10日)に女院は死去します。廟は遺言により五位山の山中に土葬されました。

ふる里にけふこざりせば時鳥たれと昔をこひて鳴かまし       信法法親王

君こふるながきのしげき山里はただ蜩ぞともに鳴きける       堀河尼

限ありて人はかたがた別るとも涙をだにもとどめてしがな      崇徳上皇

散り散りに別るる今日の悲しさに涙しもこそまらざりけれ      堀河尼妹 上西門院兵衛

女院崩御後に法要がもようされ亡き女院の縁の人々が詠んだ歌

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女官堀河の和歌の碑

待賢門院は意外と本当に鳥羽上皇に愛されていたのかもしれません。
それゆえ白河法皇への怨念が強く、また政治的配慮からどうしても待賢門院は冷遇されたのでしょう。はけ口が二人に向けられたのかもしれません。
男女の関係はいつの世にも複雑です。

待賢門院の波乱に満ちた人生もてあそんだかもてあそばれたか???どちらともいえますね~~~愛に溺れた者はその愛におぼれさせられる運命かぁ~~~
女としてどちらの運命がよいのでしょうか?待賢門院か美福門院か???
早くなくなりよかったのかもしれません。何故ならさらに惨たらしい俗世を見なくてはいけなかったからです。

待賢門院の死後に保元の乱が勃発します。

体仁親王は即位し近衛天皇となりましたが、従来病弱な男子でした。鳥羽上皇も美福門院となった得子も皇統に一抹の不安がありました。まるで安全策をとるかの様に崇徳上皇の息子仁親王と雅仁親王(鳥羽上皇と待賢門院の第4皇子)の息子守仁親王を美福門院の養子を迎えていました。
これで崇徳上皇は我子の即位、自分が上皇として院政をおこなうのを夢見ながら過ごしていました。
そして1155年ついに近衛天皇が崩御してしまいます。
すると鳥羽上皇は崇徳上皇の期待とは裏腹になんと雅仁親王を即位させるのです。
この雅仁親王こそ後白河天皇その人です。この擁立には鳥羽上皇もかなりの藤原忠通と美福門院そして雅仁親王の乳母を妻にしていた信西らに無理押しされての即位でした。雅仁親王はかなりの遊び人でその遊びも品がなく、ただ今様を熱狂的に愛していたからです。今様というのは踊りながら流行歌を歌うものて当時京ではやっていました。主に白拍子という半分遊女の役割をした女性が踊る事が多かったので、貴族階級の遊びというより、流行りものの大衆娯楽でした。
そんな遊びを愛した雅仁親王は変人扱いでした。
美福門院は雅仁親王の皇子守仁親王を可愛がっていました。幼いうちから飼いならせば大人になっても操りやすいとみたのでしょうか?
実は守仁親王の即位を押すには近臣達や美福門院がまず父親を即位させてからという意見を聞いての誕生だったのです。

この美福門院とってもドライです。ライバルの待賢門院の産んだ子供を帝位に就かせるなんて並みの女じゃ出来きないですね。しかもその子達の子を養子にして飼いならす。自分が政権から追われない様に恩をきせるなんて・・すごい計算高い女性~~~しかもこの後鳥羽法皇の政治顧問である藤原通憲別名出家後信西と共謀して保元の乱を有利に展開させていきます。こわ~~~いこの人夫鳥羽法皇が死去後安楽寿院の墓に親子そろって入る様に遺言していたにもかかわらず、高野山に埋葬する様に遺言し今墓は高野山にあります。そうあの女人禁制のあの高野山にです・・・・・。

待賢門院の産んだ二人の皇子の闘いの火ぶたは切っておとされます。

保元元年7月2日(1156年7月20日)鳥羽上皇崩御

雅仁親王の即位で完全に院政の望みを打ち砕かれた崇徳上皇と降ってわいて来た天皇の地位を確実なものにしたい後白河天皇の拮抗する糸は鳥羽上皇の崩御という事態に完全に切れてしまいます。
一時期は同じ院御所で過ごしていたこともある兄弟ですが、元々気が合わなかったんでしょう。

そしてそれぞれの思惑に乗ろうと他の勢力達の動きも活発になっていきました。

摂関家は時を前後して相続問題に大きく揺さぶられていました。白河法皇院政時に左遷され鳥羽上皇院政下で政界に復帰していた忠実、その長男忠通弟頼長と対立していました。忠実は長く長男に恵まれない忠通に弟頼長の関白直系相続を強要していました。両者は悉く反面し合い対立していましたが、鳥羽法皇の崩御で表面化します。
忠通は美福門院の後押しを受け、頼長は「近衛天皇の崩御は頼長の呪詛した為」という噂になんとか鳥羽法皇の不快を解こうと姉高陽門院に仲介役に鳥羽法皇に接近するも姉の死を受け朝廷内で孤立してゆきます。誤解も解けずに鳥羽法皇は崩御、残っているのはその噂話しを信じて疑わない美福門院とその側近の忠通、信西でした。
崇徳上皇は中宮を忠通の娘を迎えていたのですから力を借りればよかったのですが、実は中宮聖子に後継者がなくしかも崇徳は女官に皇子を産ませていました。それが両者を離した最大の理由だったようです。
更にこの両者に北面の武士集団の長達が相乗りしていきます。
源為義(父)・為朝(弟)平忠正(叔父)頼長派忠通派頼長に平清盛(甥)、義朝(長男・兄)が武装対立します。

鳥羽上皇崩御3日後「崇徳上皇が兵を東三条殿に集め後白河天皇の内裏高松殿を窺っている」という噂を後白河天皇派が流し、ここでそく天皇側が兵を動かせ東三条殿を没収します。5日になると崇徳上皇が兵を集めるとその動きにそなえ内裏高松殿を武士に警護させ、上洛する兵の通行を禁止します。

崇徳上皇は九日に鳥羽田中殿を出て白河先斎院御所に入り10日には白河殿に入り、頼長も合流し白河殿を本拠地にします。するとまちかねたように11日天皇軍がその白河殿を夜襲、明方には火に覆われ上皇軍の敗退が明らかになります。頼長は戦死、当の崇徳上皇は白河殿を抜けだし弟のいる仁和寺に仲介を頼むが断られ、遂には投降し捕えられ讃岐に流刑後、崇徳についた武士達は悉く処刑されました。崇徳はその後かの地で崩御します。
この京都の乱はあっというまの出来事だったそうです。

乱後は後白河天皇、二条天皇治政下、信西(平家物語で崇徳上皇の寵妃阿波内侍の父親です。)を中心とした政治政策がとられていきます。特に荘園整備に力を入れまた北面の武士の平清盛を遇じていました。
すると政権は信西一門、後白河上皇派、二条天皇派、平氏一門に分かれ、内部崩壊を始めます。
ます信西の政策に反発していた藤原信頼が保元の乱で恩賞を多く受けられなかった源氏の処遇に不満を持つ源義朝が近ずき、天皇家は後白河上皇派と二条天皇(守仁親王皇太子)派でわかれます。

平治元年12月9日(1160年1月19日)には平治の乱がおこります。

藤原信朝と源義朝ら武士が後白河上皇の院御所三条殿を襲撃、後白河上皇と姉内親王、二条天皇を内裏に監禁、信西は奈良に逃亡後自殺しクーデターはひとまず成功したように思えましたが、熊野詣で留守中の清盛はこの知らせを受けた後に京へ帰還し義朝打倒に兵を動かせます。

すると後白河上皇が25日仁和寺へ脱出、26日天皇も清盛の六破羅邸に移り、合戦は六破羅で行われましたが、清盛の敵でなくあっさり信朝、義朝は敗戦します。義朝らは殺害され源氏は散りじりになり平氏にその主導権を完全ににぎられます。信頼は処刑、成親は流刑これに係わった者も処罰されました。

これで朝廷内は御互いの重臣達を失い、二条天皇と後白河上皇派勢力は拮抗状態になっていくのと反対に平清盛が大きく前進し「平氏にあらずば人にあらず」平家の時代へと移行していくのです。
歴史の1ページですね~~~
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街並みに咲くむくげ

しょうざんに行く為に千本丸太町でバス乗り換えをしようとしたら、バス停傍に大極殿跡という碑を発見しました。
現在の御所を中心とした洛中は桓武天皇が遷都した平安京ではありません。初めて山城京ともいわれた平安京は現在の京都御苑より西に位置していました。
今は二条城や神泉苑を中心とした所です。火災によって内裏が移動するのとともないこの辺りはさびれてしまったんですね。
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大極殿跡
内裏の中心御所の辰寝殿にあたります。イメージとしては平城京にある大極殿と同じ建物がありました。
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ここにもムクゲが咲いています。

北山のしょうざんに昼食に向かいます。
ここは昭和26年京都の西陣織物業に貢献した松山政雄が三万五千坪の庭園に日本建築を移築させ、季節を楽しむ食事処を兼ね備えた京の奥座敷、涼を楽しみに来ました。
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入口近くの紙屋川
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竹林とヤブミョウガ
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紫陽花

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今日はここで川床の会席を頂きます。
入口

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下にあります。

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川床の清涼感あふれる~~~素敵!
予約してないので川際ではなかったですが、角だったので川と滝がしっかり見れています。
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青笑う~~~

お料理は会席
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前菜

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お造り盛り合わせ

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冷たい煮物

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鮎の塩焼き

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山菜の炊き込みご飯と汁もの、香の物

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西瓜これ全然甘くないイマイチでした。

まあお料理としては~~~純日本食ですから、でもこのロケーションで4000円はいいでしょう。
貴船ならせいぜい同値段でそうめん定食ですからね。

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市内とは違いまったりとして川のせせらぎが-イオンのシャワーとってもほっこり~~~

お店の情報は【こちら】

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市内に戻り和スイートほっこり茶寮の紫野和久傳堺町店を訪問します。

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下の壷庭が綺麗です。

個人的にここのグループある事情の為あまり好きではないので訪問をさけていましたが、茶寮ぐらいならと気をとりなおし訪問しました。
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金時とほうじ茶のソルベと蓮根餅を頂きます。
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この金時とても美味しいです。透明感のある餅~~プルンプルン~~~夏らしい


お店の情報は【こちら】

今日の京はこれで終了です~~~帰宅~~~

テーマ : 京都
ジャンル : 旅行

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京都好き、歴史好き、ショッピング好き、温泉好き、グルメ好き。
凝り性な乙女座、A型、金星人、六白金星なわたしです。

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