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京草子 雅な京都絵日記時々詣で 年中行事

壺装束などして、なまめき化粧じてこそあめりしか。

訳:外出着に着替えてなぁ~バッチし化粧して行くらしいって!

ようやく秋めいて来た頃、またまた京都を訪れます。
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京阪出町柳の萩の寺「常林寺」を訪問しました。

浄土宗光明山摂取院は1573年天正元年念仏専修僧魯道が創建の元寺町荒神口東入る南にあった寺院が1671年寛文11年の火災により今の地に移転してきた地蔵尊が本尊のお寺です。
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現在はちいさなお寺の本堂の両側にうねる波の様に秋の七草「萩」が咲いています。
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むくげもまだ見頃
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彼岸花と白萩
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赤の萩は見頃すぎ、白が満開でした。
観光の情報は【こちら】
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隣のお寺のむくげも見頃です。

次に今年3度目の訪問下鴨神社。京都最古の護国神社かの昔、京都へ遷都の後嵯峨天皇が平城上皇の乱(薬子の乱ともいう)の際、この寺社に必勝祈願した事で、嵯峨天皇の内親王を斎院として宮司させた天皇家縁の神社です。
今の季節は秋の七草「藤袴」と萩が咲くころですがどうでしょうか?
本殿前の「藤袴」はこれからです。近くで香をかぐと御香のような良い匂いがします。
平安時代、この草を乾燥させた物を着物に忍ばせて香を移したそうです。いきですね~~~

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本殿脇の寝殿造りの建物、平安時代の建築そのまま雅ですね~~~
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舞殿 現在は儀式などにも利用されています。
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細殿
天皇、上皇の参拝の際御座所として使用されていた建物です。
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観月の奉納舞の舞台に利用されています。
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境内
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昔斎院の宮殿があった場所です。御所車が置いています。みやびやかですね。
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下鴨神社の社紋「葵」特別に植えられているのを入口から激写!!!

お昼にはあまりに早いので三条でぶらぶら加茂川散歩
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もう川床のしまいですね。夏終わり。
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ここの萩は満開です。でも色が元々あざやかでないので、写りが難しいです。

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本日のお昼は三度目の訪問「山元麺屋
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赤い麺蔵スペシャル
だけあってスペシャルな御饂飩です。
御出しがしっかり鰹だし、しかし豆板醤もお味噌の味もしっかりしていて、個性の強い調味料が三身合体!!!
美味しいです!!!!!きた~~~って感じで完食でした。
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今日は祗園四条の安井金毘羅宮で行われる年中行事「櫛まつり」を見学します。
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本殿
この神社の縁起には天智天皇期に藤原鎌足が堂を創建し、藤を植え繁栄を願ったといわれています。後年崇徳天皇が寵妃をこの地に住まわせその寵妃烏丸殿が崇徳上皇が保元の乱で讃岐の地で流刑され崩御されました。
上皇の自筆の御尊影を祀られた後後白河法皇が建立した光明院観勝寺が起こりといわれています。

明治維新後、寺院を廃して安井神社と改称して、戦後「安井金毘羅宮」と鎮座されているお宮です。
御祀神は「崇徳天皇」「大物主神」「源 頼政」

御利益は「悪縁を切り、良縁を結ぶ」「海上、交通安全」

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お宮内には縁切り結び碑があります。
御札を心つけして願いを書いて、表からこの穴を通り「悪縁をたつ」、裏から表を通り「良縁をよぶ」通る際に願い事を思いながらくぐるといいそうです。

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このお宮の年中行事に9月第4月曜日 午後1時から「櫛まつり」がおこなわれます。

ここは祗園近くの界隈の舞妓や芸者の方、日頃櫛を良く使われる方の使用された櫛を感謝の為に供養するお祭りです。
神事の後、拝殿で舞踊「黒髪」が奉納された後、午後2時から各時代の髪型と衣裳を着た女性達の時代風俗行列が神社周辺(お宮→東大路通→四条通り→花見小路→安井通り→お宮)を練り歩きます。

この行事で髪を結いの担当をされているのは「葵祭り」でも活躍されている京都で美容室を経営されておられる方のグループ「京都美容文化クラブ」(会長南登美子会長)櫛まつり実行委員会がお手伝いされています。
こちらの代表されている南先生は葵祭り、土山斎王群行、などなど協力されている京都でも有名な髪結いの先生です。以前あいの土山郡行祭りでお世話になりました。
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儀式前に撮影会です。

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参加者の皆さまが舞妓、芸者さん達で、髪結いの職人さん達が髪結いを各時代ごとに自毛で結いあげるというお祭りです。時代祭りよりも派手さはないものの女性の髪結いの文化と衣裳が美しいですね。
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大正時代の衣裳「耳かくし」です。モダンですね。
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櫛供養の前に後ろ髪が綺麗ですね。
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供養が終わり奉納舞が始まりました。
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このかんざし鶴です。すごい良くできています。
御題は「黒髪」山根洋子さんが舞われました。踊りの名取りさんとの事です。
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古墳時代の髪型「古墳島田」
草をまきつけています。
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奈良時代宮中の女性の髪形「高髻髷」
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同じく「双髻髷」
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平安時代「白拍子」
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鎌倉時代「虫の垂れ衣」公家武家の道中着
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桃山時代「唐巻」
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江戸時代前期
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髷が素敵おしゃれですね。

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江戸時代中期
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江戸時代後期 公家の衣裳
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武家の衣裳
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髷が素敵です。
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町娘の衣裳
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髪飾りが素敵
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稚児髷
明治時代の子供の衣裳です。
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現代舞妓さんです。
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時代装束行列の始まりです。
江戸時代の太夫の衣裳

観光の情報は【こちら】


観賞後は京都の最後はいつもの北大路「嘯月」と出町柳の「出町柳ふたば」で予約の豆餅とおはぎを取りに行きます。

帰宅後はいつもの茶会です。

嘯月と出町柳ふたばの和菓子は前者が茶会などで特別な時に、後者は普段に頂く和菓子という位置つけですね。
でもどちらも美味しいんですよ~~~。
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出町柳ふたばの豆餅と栗餅(季節限定)とおはぎ
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実はおはぎとぼたもちは同じもの出す季節の違いで名がかわるのだそうです。
ちょうど秋の御彼岸の頃に咲く萩にちなむそうです。
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お上品な和菓子嘯月のは「玉露」と共に頂きます。
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今年購入した最後のお茶です。いつもの陶庵さんの器でいただきま~す!!!


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草の花は・・・桔梗

訳:草の花は・・・・桔梗がいいやん~~

暑い暑い夏です。もうと言いながら、暑さに負けない様に願をかけに来ました。

今日は下鴨神社の御神事「足つけ神事」に参加します。
下鴨神社、正式名称「賀茂御祖神社」平安京遷都前山城と呼ばれていた頃からの地主神賀茂建角身命を祀った神社です。遷都後は平安宮の守り神とし、斎院を置くほど重要視されていました。葵祭りの神事はここの御祭りです。

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糺の森は賀茂川と高野川が合流する場所にあるニレ科の樹林が群生している古来より、下鴨神社の神事を行った大切な場所です。
その間を流れる小川を「瀬見の小川」といい、美観地区に指定され下鴨神社が保存している貴重な地です。
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新古今和歌集に下鴨神社祀官係累 「鴨 長明」が詠んだ歌に
「石川や せみの小河の 清ければ 月もながれを 尋ねてぞすむ」とあるほど親しまれた場所でした。

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参道にある「さざれ石」
火山の噴火で石灰岩が分離集積して凝固した岩のことで、古くから子授けの石として信仰され祀られた物で、古今和歌集に読まれた詠み人知らずのこの石の事を詠んだ和歌が今日の日本の国歌になりました。
明治時代国歌をと考えられた際に「古今和歌集」君が代~~~ではじまる事から作られたとか。
なのに詠み人知らずっていいのか???
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下鴨神社の門さすが京都一古い神社だけあります。風格が違う~
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賀茂氏の祖神と大国主命などなどの御祀神様です。

平安時代に貴族達が禊祓いを行って罪やけがれを祓っていました。 土用の丑の日を含めた4日間、境内の御手洗池で穢れ、罪を落とし、無病息災を願って膝まで御手洗池に足をつける下鴨神社の大切な行事です。
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出発前に入口でみたらしだんごと共に
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ぴちゃぴちゃと足を付けてしばしの安らぎ~~~
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今日の朝はまだ涼しくて池の水はひゃっこい~~ちめた~~~い
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午前中なんでそんなに人はいませんでした。
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「みたらし社」
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そうそうこの御手洗はあのみたらしだんごの由来になった所でもあります。
御手洗池の水脈に湧きでる水の玉を団子にして境内近くで販売したのがあの○白玉に甘辛いタレを付けて食べるあの団子発祥の地なんです。
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元祖は加茂みたらし茶屋さんです。
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御神水を頂きました。ひゃっこい~~~おいしゅうございました。

お参りした後は下鴨神社をさらに北上北大路との交差点にあります。
パウンドハウス!京都では老舗の洋菓子店で、古くからのファンもいるとの事、開店そうそうIN
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お店の情報【こちら】


お昼は今日は平安神宮近くの山元麺蔵さんに二度目の来店です。
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夏のお冷やし饂飩本当にたのしみです。土曜日なので早めの来店でトライです!!!
と思ったらすでに行列が・・・・甘かった30分ほど待ってようやく入店です。
今回は「ホルモンのおうどんつけ麺 温」を頂きました。
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柚子こしょうと頂くとまた格別なのだ。あまりの待たされ度にいらっとしたが、饂飩の美味しさに帳消しです。

食後は御所近くの盧山寺を訪問します。
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元紫式部の邸宅跡という伝承を持つ正親町天皇勅命で移転した天台宗の小さな御寺盧山天台講寺です。
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節分の日に行われる今追儺式鬼法楽次第は有名ですね。
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源氏の庭の所所に桔梗の花が咲いています。
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満開!!!!!はあぁぁ~暑い~~~なぁぁ
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桔梗は木偏に更に吉と書くのでとても縁起の良い花として古来より愛された花、開花時期の長いのでも知られます。ちなみに舞少納言の誕生花でもあります。
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紫式部の曽祖父「堤中納言兼輔」の邸宅が紫式部の父為時に受け継がれ式部が長く暮らし、宣孝と結婚後賢子(大弐三位)を育て「源氏物語」を執筆したといわれています。
そういえば彼女の雇い主藤原道長の邸はこの近く現在の仙洞御所付近です。その伝承が本当ならこれまた歴史深いですね~~~

観光の情報は【こちら】

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近くの梨木神社で御水「染い井戸」をいただきます。京都の三名水といわれた醒ヶ井、県井、染井の一つ甘くてまろやかなお味で良く汲みにくる地元の方もいらっしゃいます。
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ここは源氏物語で花散里の邸があったと想定された場所で蜉蝣日記の作者道綱の母の邸もこの近くだったといわれています。
境内でいただきま~~~す。
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優しい甘さ~~軽めの昔ながらのロールケーキ
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抹茶のケーキ。なるほど抹茶が~~~きてます。
軽めのお味で昔なつかしいお味がしました。

京都御苑をぬけて
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御所の正門「建礼門」葵祭りも時代祭りもここからスタートします。
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白のむくげの花
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蛤御門
1864元治元年に長州藩が倒幕しようと天皇を拉致しようと御所侵攻した際、警備役の会津と薩摩藩の間で激戦が繰りひろげられた有名な門俗に「蛤御門の変」という。
元々新在家門といわれていたのを、江戸時代の大火で初めて門があけられた事にちなみ焼けて口を開く「蛤」に云われを持つ御門。もちろん今は開いています。門には激戦の際の傷があるといわれていますが、位置はよくわかりませんでした。その後薩摩藩と長州藩は坂本龍馬の仲介で和解し、薩長同盟が交わされ倒幕そして明治に突入します。しかしその後は薩摩は政治の舞台から姿を消し、明治政府はまさに長州政府へと変貌していきます。
歴史の一場面でした。


最後に予約しておいた嘯月さんに和菓子を取りに行きました。

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ではいつもの茶会です。

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草の花は菊

訳:草に咲く花は菊がいいやん

今日は京都三大祭りのひとつ「時代祭り」開催。時代祭りなんて20年以上ぶり・・・・
祭り見学と季節の花を訪ねてをテーマに。
今年は猛暑、9月も後半でようやく涼しくなったと思ったらいやに寒い日もあり、暑い日もありで・・・・・
どうなんでしょう秋の花。

メインの時代祭り観賞の為、京都御所に行きます。
このお祭りの主催は平安神宮です。そう近代に始まったお祭りです。
どこで見るかは試案のしどころ。2時間前に御堺門を入った右に席を決める。アングル的には真正面だけどたいてい横からでしか撮れない。なかなか難しいから正面も斜め右からも見える位置に付けた。さすが葵祭より多いです。
御所の南門建礼門から明治維新時代から平安延暦時代までの男女装束を着た方々の行列は壮麗です。
歴史の時間に習った男女が正装して歩く姿は優雅そのものですね。
葵祭りの行列よりも長いんです。
メンズはいいとして、撮影は女人風俗を中心にしました。
近世明治時代より
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和宮様
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江戸時代の花魁「吉野太夫」名妓で知られ後に豪商の妻で知られています。
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歌舞伎の母
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豊臣御所車の列
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淀君
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中世
静御前
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巴御前
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われらの清少納言殿
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小野小町
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百済王明信
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最後は鳳凰の御車

御祭りの情報は【こちら】

観賞の後はグルメ
ご存じ出町柳のふたばへ。
当然予約しておいた豆餅、栗餅をGETしました。
並んでいる人ごめんなさーい!!


嘯月の予約の和菓子「栗きんとん、交錦(菊のきんとん)」を取りに行きます。
ここの栗きんとんは10月だけの限定。なぜなら指定した栗しか使用せず、しかも収穫時しか仕入れないそうです。本当にやわらかく手にするとクチャと形が崩れるほどなんです。でも今年は栗が不作で小ぶりとの事です。本当に気候はいろんな所に影響しますね。
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北山にある府立植物園の菊展と薔薇展が開催中との事で行きました。咲き具合はどうでしょうか?
季節ものは本当に時期を選んでも難しいものですね。
秋咲きの薔薇も見ごろのはずです。他にも秋の花は色合いが淡く小さいけれど可憐な花が多いように思います。
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コスモスがまだ見ごろ・・・もう散る時期・・・でも綺麗ですね。

薔薇は綺麗に咲いています。
今回は京都にちなんだ名と女性の名前が付けられた薔薇をセレクトしてみました。
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万葉
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加茂
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プリンセス・ミチコ
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プリンセスオブモナコ
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20世紀の歌姫マリア・カラス
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イングリット・バーグマン
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きばなコスモス
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芙蓉
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酔芙蓉
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秋明菊

やっぱ好きここ園内で和菓子をほおばる。
開けたとたん栗の香りが手に取るとやわらかすぎてぐしゃ!そして口の中栗だらけに^^Vなめらかな舌ざわりは栗栗栗・・・・!
交錦も見た目も綺麗で、品の良い味。やっぱいいです。
ぁああぁ秋・・・・ボーと出来るリラックスタイム
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肝心の菊展はまだまだで蕾だらけ・・・・まだ先のようですね。
残念でーす。

観光の情報は【こちら】

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北山に行き、北山大橋を渡った北山東元町のComme Toujours (コム トゥジュール)に行きました。
北山はケーキ店の密集地です。今回は注目の1店を訪問。タルトやミルフィーユがお薦めらしいです。
お店の情報は【こちら】
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帰宅後、いつものように茶会です。











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後の舞少納言斎王群行を見物するの巻

ご注意事項今回の第一,三章目は舞少納言が斎王群行を紹介するという設定の為、言葉のいいまわしがいとなります。

第1章後の舞少納言斎王さまを待つ
丁度伊勢の斎王さまの恭子女王さまが伊勢に上られる群行があるというので、ご尊顔を拝することとなりました。

 まだ宮中にあがる前のお話です。私は父が近江の国の国司の任を賜った際、かの地で過ごしていたので勢多、甲賀に続き、斎王さまが宿泊される近江最後の垂水斎王頓宮で父は私がお供するのをお許しになり斎王さまをお待ちしておりました。
こちらの頓宮はとっても立派。
 注)国司とは現在の知事職にあたります。

 その後父は関白道隆様の加護を受け後に参議に昇進し、道隆さまの側近となりました。
 父は藤原家の出身ではなく中流貴族の一人に過ぎませんでした。
 近江国司時代の蓄財でその足掛かりを作り、道隆様の目にとまり、その縁で中宮定子様にお仕えしている訳。
 そうそう私が少納言を名のっているのは長兄が少納言だった事に由来します。
 注)参議は現在の政府機関の実務者かな?

話を戻して。

まずは斎王さまのお話。
斎王様は天皇さまの始祖をお祭りする伊勢本宮天照大御神に世の平安を祈るするお役目のお方。
わかりやすくいうと天皇家の始祖神様の巫女さま。
その意図から未婚の内親王(天皇さま正式な娘様の尊称。すべての女宮が貰う訳でなくかなり限られた姫宮にのみ与えられた。)さまや女王(親王さまの姫君の尊称)さまの中から、新しい天皇さまが即位される毎にト部で決定されました。
 ト部っていうのは占いの一つ。亀の甲羅を火であぶり、割れかたで占うんだけど、どう割れたら○○内親王、○○女○宮、○○女王さまなんてどう見るのかは?????
おそらくその時の政治体制など影響していると思われます。

崇神天皇さま御代(紀元前97年即位)から始まり、正式に制度として組織されたのは天武天皇さまの御代(673年即位)でした。斎王に選ばれた斎王は身を清める為、大内裏にある潔斎所で身を清め、さらに嵯峨野の野宮で身を清め終え、斎宮邸で過ごし、斎王決定3年後内裏で天皇様に謁見し御櫛の儀と発遣の儀を終え伊勢に向かいます。

御櫛の儀は宮中にお別れのご挨拶にこられた斎王さまに天皇さまが「都の方に赴きたもうな」といい櫛をさす儀式。
まあ俗世間とはわかれ神に奉仕しなさいねという意味あいでしょう。
ちなみにこの櫛は垂水頓宮で額からはずされ小箱に納められました。
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伝野々宮跡に建立された西院野々宮神社
ずっと伊勢にいるわけでなく何かの折に伊勢に赴くのだそうです。御代によりますがね。
ふだんは都の斎宮邸におられ、新しい天皇さまの即位後やその他の名目で、その名代として伊勢にある斎宮へ参られます。

その行列を群行といい、都から500人ほど供を引き連れ近江経由(勢多→甲賀→垂水→鈴鹿)で斎宮御所に赴き、ここで神事を行いながら、行事毎に伊勢神宮の神事をなさいます。
 その地位は天皇さまが崩御されたり、斎王さまの近親者が崩御されたり、ご本人が崩御されたり(ちなみに歴代2名の斎王さまが当地で崩御され伝斎宮墓も同地にございます。)したらその任をとかれて帰京されます。
 なにもない帰京は元のコースで、不幸事があった場合は大和から山城を行くコースで群行しました。

帰京後の斎王さまのその後はほとんどさだかではありません。
人知れず静かに寂しく生涯を過ごされたのでしょうが、時に時の天皇さまの女御さまとして入内することもありました。

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朱雀天皇さまの斎王で斎宮女御 微子さま。(字が少し違います。)

聡明な元斎宮の噂を聞き、望まれて宮中へ上がられました。

入内前村上天皇さまの斎宮女御さまを思って読んだ和歌。
 「吹く風の音にききつつ桜ばな目には見ずも過ぐる春かな」
  訳:噂に聞いた(風雅な重明親王の大姫でやはり聡明な元斎王女御の噂)美しいあんたを見れへんで過ぎた春
この二人は伯父 父宮と天皇が異母兄弟)のご関係。

彼女の父宮重明親王さまが和歌、琴の名手、加えて外国が持参した献上品の質の悪い黒てんの毛皮を皮肉りわざと最上級の黒てんの毛皮を着てくる男前、風雅好きな村上天皇さまにも一目おかれていました。

斎宮女御さまは歌人として琴の名手として名高く三十六歌仙に数えられた女性5人のうちの一人でいらした方。
話を戻しちなみに三十六歌仙残りの4人は伊勢、小野小町、中務、小大君

この時代の美人の条件①和歌が上手、②楽器の演奏が上手。③長い黒髪
内裏や野宮で歌会を催される和歌サロンの女主。尊敬いたします。
舞は和歌が苦手で中宮さまにおちょくられています。

は結婚してようやく見れるのが当時の常識。男は歌や琴、琵琶の音、女房の噂で求婚していました。
すっごい妄想してたんですね、不細工だった時の嘆きようはいかほどか?
ただし今の美人基準とはまったく逆。小太り、下膨れの輪郭、おちょぼぐち、細い目。今とは逆。なにがって?
これ以上はコメントさしひかえます。


斎王さまの和歌
「世にふれば 又も越えたり 鈴鹿山 昔の今になるにやあるらん」
訳:長生きして昔越えた鈴鹿山をまた越えことになってんやん。タイムスリップしたんやろうか?
  この時女御さま40代後半。
私たちの平均寿命は40歳代。なんせ四十賀といってお祝いしたくらい。もう老人なんです。
 結婚は大体10代前半、成人が10代半ば、20歳で成熟した大人、20後半でおばさん・・・30代で初老・・・・。いやな時代でございます。

「琴の音に峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ 」
訳:琴を弾いてたらその調べに誘われて、峰の松風の音が合奏しにきてん。一体この音色はどこからきてどのへんから響き始めて、ここまできてんやろう?

斎宮女御さまが御産の為、内裏を退出していた時の歌
村上天皇さまの歌
「天の原そこともしらぬ大空におぼつかなさを歎きつるかな」
訳:この大空の下のどこらへんにお前はいるんかな。見当つかへんから嘆き悲しくてその空に深いため息ついたわ。
「なげくらむ心を空に見てしがな立つ朝霧に身をやなさまし」
訳:嘆き悲しんでいるあんたの心をこの空にみて見たいわ。それか私が空にたちもめる朝霧になれたらいいのにな。

天皇さまとの初夜の後村上天皇さまが翌早朝にあなたを知らずにいた自分がいたなんて信じられないと歌うと、斎宮女御さまはそうかな夢見てたみたいなもの違う?って返歌してしまう逸話もあるなかなかな女性。
時の高貴な風流人として、名高い歌人が邸宅を訪問するなど書物に語られています。

注)斎宮女御さまは式部卿宮さまの娘さま。村上天皇には藤原家の中宮女御さま他沢山の妃がおられました。特に中宮さまは嫉妬深い方だったんです。(この方は斎宮女御さまの従姉妹にあたられます)強い後見人もいなかった女御さま天皇さまをめぐっての女達のバトル、天皇さまの女好きに疲れ果て(なんせ義母がライバルという事態になればね。)寵愛深かったんですが、ある時期からなんだかんだと理由をつけて内裏からドロップアウトする事多く・・実家で暮らしていました。

男宮出産後皇子さま崩御し実家で暮らした頃
「春には戻るいうてたのに、もう秋やで。」と手紙がくると、「ええっそう?あたしの気分は去年の秋やねん」
よっぽどいやだったんでしょね。内裏が・・・私は楽しいのですが。
決して天皇さまが嫌いだったんではないんですね。その証拠に天皇さまが崩御された後にこんな和歌を残しています。
「袖にさへ秋の夕べは知られけり消えし浅茅が露をかけつつ」
訳:私の着物の袖やって秋の夕暮れがわかるのに、浅芽の露のようにはなかく死んだあんたの事を思いだして泣いてんねんで

先に出た女御さまの御実家の東三条殿は二条南町の西と南北二町の大きな邸宅で特に木樹の景色の素晴らしさは群をぬきんでいて、桜や橘を宮中に移植したり、時の実力者に樹を贈与したりと殿上人達に羨まれてました。
ちなみにこの邸宅は一条天皇さまの御生母の御実家になりました。
何の因果か、そこは後に道長の屋敷になりました。
なんだかむかつきます。
その邸宅は父宮さまが崩御するや、荒れ放題になり、その姿を悲しんだ和歌
雨ならでもる人もなき我が宿は浅茅が原と見るぞかなしき
訳:雨漏りしてぇ主人のいない家は荒れ果てた原っぱに見えるやん。めちゃ悲しいやん。


さて村上天皇さま崩御後、彼女腹の規子内親王さまも円融天皇さまの斎王として伊勢に群行し、その中に彼女の姿もありました。皇女が心配だったのでしょう。円融天皇の制止も聞かず群行に同行しました。その逸話は源氏物語六条御息所と後の秋好中宮の伊勢群行のモデルになったといわれています。伊勢在住中にも都の貴人と和歌の交流を行っておられました。
娘と供に帰京後、崩御されます。
はっきりとしない人物像としての斎王さまの中で人柄がわかる方でいろんなや和歌を読むと浮かぶのは。
常に神に仕えた聖巫女としての威厳と感受性、美と聡明さ優しさ、奥ゆかしさ優雅さ、繊細さをもった貴人の方は優しい父宮と音楽、和歌があるだけでよかったのではなかったのかしらと思います。

 宮中での暮らしは華やかさとそのま逆にある女君の嫉妬と実家同士の政争。疲れきった上に父宮さまの死、皇子の死、天皇さまの死。憂いの俗世間を離れる口実に娘の伊勢行きは世間に汚された巫女の禊だったのでは?
帰京後の崩御がなにより物語ります。

最後に斎宮女御さまの2首
規子内親王様にお供して伊勢行きを決意した歌

きみがすむ 野にも山にも おもひやる こころかろくや ひとをわするる
訳:天皇さまがいてはる都と人達の事も忘れてめっちゃ野原や山越えて心軽くして伊勢にいくわ

をるひとも なきやまざとに はなのみぞ むかしの春を わするざりける
訳:摘んでまう人もいない山里に花だけやん昔の春を忘れてないんわ

斎宮女御さまにご興味の方は【こちら】

その他の逸話の残る歴代の斎王さまのお話をしましょう。
神話時代の斎王はおき。
 制度化した後の初めての斎王 天武天皇皇女大来皇女さま
彼女は帝位を狙ったと天武天皇さまの皇子にもかかわらず処刑された悲劇の皇子大津皇子の同腹姉にあたり、正妻の一姫さま。大津の死に関し悲しい歌は今も心に染みます。
「うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟背(いろせ)とわが見む
訳:無実の罪で処刑されてこの世にいいひん弟、残されて生きてるあたし。明日からはあんたのお墓のある二上山を弟と思う事にするわ。

 聖武天皇さまの皇女井上内親王さま
彼女は光仁天皇さまの皇后になりながら、夫の暗殺を謀ったとして捕えられ謎の死を遂げた女性です。背後には藤原氏との権力闘争に巻き込まれたからといわれいます。
このドロドロな因縁・・・・ドラマにもなった浅見光彦斎王の葬列思い出すです。
祟りジャー

文徳天皇さま皇女恬子内親王さま
伊勢物語の斎宮なりける人のモデルといわれています。
伊勢物語は平安前期に作者不明の恋愛短編集
歌人在原業平をモデルにしたプレイボーイが伊勢で斎王と関係した話が出てきます。
下記がその翌朝の斎王の和歌。

君やこし我やゆきけむ おもほえず 夢かうつつか寝てか覚めてか
訳:あんたが夜にあたしのとこにきたっていうけど。そうは思えん。夢やったんか。寝てたんか?おきてたんか?

ここで記憶にピンときた方!そう斎宮女御さまが初夜の翌朝の和歌。
この和歌を知っていて引用したんですね。さすがです。天皇さまもメロメロになるはず!

醍醐天皇さま皇女雅子内親王さま
上の西院野々宮を使用した彼女は恋人と引き離され西四条斎宮と呼ばれ伊勢に発ちました。引き離された二人の悲しい和歌が残っています。
匂い薄く 咲ける花をも 君がため 折とじをれば いろまさりけり 藤原 敦忠
訳:匂いが薄くて 咲いてる花をな あんたのために 折ったらあたしのあんたを思う気持ちが花にうつって色が鮮や  かになったんやで
その返歌は
折りざりし 時より匂ふ 花なれば わがため深き色とやにみる 西四条斎宮
訳:折った時から匂う花やったらあたしのために鮮やかになったんやね
別れた後も敦忠は多くの恋歌が残っています。
斎宮は帰京後なんと彼の従兄弟に降嫁します。なんだかね・・・

村上天皇さま皇孫せん子女王さま
異色の斎王さま暴風のさなか行われた内宮の儀式の直前、トランス状態になり神がかりし酒を飲みながら伊勢神宮を軽視する朝廷と神に奉仕する部下を非難し、「賀茂の斎院ばかり大事にしてな、私がお祀りしている伊勢の大神さまをじゃけんにしたら天皇家は滅びるねんからな。なめたらかんでえ」なんて言ったか言わずか??
所が本人には一切おとがめなし、斎王退任後、道長の子後の関白に降嫁しちゃう。元々関白道長系に関わりがある方。しかも神様の神託を受けた方軽く扱うと祟りが・・・・怖い??

三条天皇さま皇女当子内親王さま
三条天皇さまが溺愛した皇女さまで天皇さまは皇女が心配で、ついつい振り返ってはならないのに群行の後を振り返ってとあります。そんな皇女ですが、斎王を退いた後に藤原雅道(この方は中宮さまの甥御様の松君さま。枕草子にも登場された方。家の不幸はその後の人生を大きくかえますね。)と密通したと責められ、恋人と手引きをしたとお咎めをうけた乳母を離され、父の失望を失った悲しみで落飾してしまいます。

白川天皇皇女提子内親王
政権を藤原氏から取り返し院政を強いた剛腕天皇にして大の女好きの遊び院の皇女さま。
最愛の中宮さまの第一皇女にして美しく優しい、舞の好きな彼女を溺愛。なにせ野宮まで同行してしまうほど。
帰京後も堀川天皇さまの義理の母にして後見人にしてしまうほど。老後の心配したんでしょう。でも20歳で白川院より先に崩御されました。ショックで出家され白川法皇さまと名のられました。

後嵯峨天皇皇女子内親王
亀山天皇さまの斎王さま後、異母兄後深草院さまと関係したことが書物に残っています。その後西園寺実兼とも関係したと言われた恋多き元斎王。
ちなみにとはずかたりを執筆した二条はこの二人の愛人でした。
後の時代の中世貴族社会乱れ切っていますね。
中世以前兄妹の観念は同腹。つまり母親が同じ時のみ。聖徳太子の両親も、孫も異腹妹が正妻。推古天皇も桓武天皇様も同じく。藤原鎌足の二男も異腹妹を妻の一人にしていました。一緒に暮らす事がなかった事、母系家族社会の名残と、一族の結束などが理由でしょう。天皇家へ公卿の娘達の入内が増えたり、武家社会になるとなくなりました。

天皇家の息女さまはその高貴な血筋から、簡単に臣下に降嫁出来なかったんです。
婚姻相手クラスが天皇家となるとなかなかいないものでしょう。
だから出家したり独身で生涯を終えられるのです。そこで重要なのが、実力者の後見人がいるか。天皇さまに寵愛されているか。官位が高いか。財力があるかどうかでその後が決まります。
なんせ家は長女が継ぐ時代。家と荘園の管理、使用人の給料、催し事と出費は果てしない。
独身でも人生をおおかされたんが都鳥羽天皇さまと美福門院の御息女あき子内親王さま
両親の寵愛を一身に受け、その財産のほとんどを相続、かの平清盛も無視出来なかったと言うからよっぽどです。
いつの頃もお金しだいなんんですね。

平安時代を体験したい方詳細はこちら

第二章 垂水頓宮のある近江垂水(現在の土山)のお話

坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る鈴鹿馬子唄

後の土山は滋賀県甲賀市。JR草津から単線に乗り換え貴生川下車、あいくるバスに乗り換え向かいます。
近郊の観光地を紹介しながら、御案内しましょう。
バスの時間まで和菓子屋へ直行。工場のお店でGET
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左上が苺大福、桜大福、ラムレーズン大福美味しかったです。
羽二重餅に白餡にそれぞれ甘い苺、桜の塩漬けしょっぱあま!、チーズにラムレーズン
右上がチーズ和菓子とチョココーティングの栗入り白庵和菓子。
お店の情報は【こちら

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野洲川。斎王さまもこの川で禊をされました。

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さて斎王の里「頓宮」の碑文
左には灯篭が。鈴鹿越えする旅人の道しるべ。早朝や夕刻は真っ暗です。大切な役割をしていました。

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旧東海道杉並木
後世江戸時代に整備された江戸から京都にいたる主力本線。人、物資が行き来して経済に大きな活力になりました。
斎王群行ならぬ大名行列もこの道を通りました。また土山は鈴鹿峠手前の宿場町として栄えました。

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土山宿本陣跡
大名行列の宿泊地跡
家光公が上洛の際の本陣跡。いまも住宅として利用されています。
明治天皇様もご利用されました。
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頓宮大茶園
国道1号線の両側に点在する茶畑のうち大きな茶園
土山の名産茶は」常明寺の僧純翁が京都の大徳寺から茶の実を持ち帰って寺で栽培したのが起源
頓宮でいただきましたが美味しいですよ。あっ室町時代に栽培されたので私たちの時代にはなかったですね。


土山茶はこちらこちらこちらから。
近江製茶でいただきました。傍が焙煎工場か甘い香ばしい香りがしてました。
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自宅で陶庵さんの器で

田村神社征夷大将軍・坂上田村麻呂公と嵯峨天皇および倭姫命を祀り神とする神社
蝦夷を攻略した武人、嵯峨天皇さまの詔で鈴鹿の悪鬼を退治した縁で祀神に。
険しい鈴鹿峠に近い事もあり、交通安全に御利益があります。

なんといっても垂水斎王頓宮跡
伊勢に向かう斎王の群行の仮宿泊所である頓宮跡の一つ。土手や井戸跡が残っていますが、鳥居、祠、碑石があるだけ杉並木に囲まれとても静か。建物の跡土の凹みさえありません。
ここは言われている頓宮のなかで唯一確認出来国からの指定されている頓宮跡地。
頓宮は滞在後はあとかたもなく取り壊された為、ほとんど後世に忘れられた地でした。土山の人々は「ここは神聖な場所だった」と後世に伝えたおかげで今日まで大切に守られてきました。
時代により頓宮が建てられた為近くにも頓宮跡と碑文がありました。
ここのように茶園、田中さんち。とか鈴木さんちになっていたかも。

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IMG_3649.jpgお昼は旧東海道のお蕎麦屋へ
手打ちで本格的、蕎麦菓子、蕎麦茶、とろろ膳をいただきました。
もちもち、しこしこおしゅうございました
お店の情報は【
こちら

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かもしか温泉
道の駅「あいの土山」

山に囲まれた自然豊かな所です。もう少し行くと鈴鹿峠、三重県!
土山観光の情報はこちら
甲賀市観光情報はこちら

ではしばしかの昔のひと時へ

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斎王恭子さまは御年5にではございますが成人のお姿にて描いております。
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禊式をされる斎王さま。
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途中休憩で道中舞の披露をいたしました。

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休憩される斎王さまとお着きの者

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頓宮お着きになりお着き舞の披露と呈茶の儀
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頓宮に到着された斎王さまと童女達
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斎王さまを頓宮で拝見でき、絵にまでしていただき光栄、明日からの旅お気をつけて!

尚今回の絵の数々は修行中絵師 ム部 弓君作でございました。
 
今回恐れおおいので頓宮には宿泊しませんで、宿はこちらあや乃旅館さま
民宿ですが、清潔で過ごしやすくフレンドリー親戚の家にいるようなここちよさ。
食事もおいしかったです。ぜひお越し
お宿は【こちら

あいの土山斎王群行に参加希望、問い合わせはこちら】 

お祭りはどこもそうですが、裏方の手助けなしにはありえません。
この度の斎王群行に参加した者としてその方々にお礼申し上げます。
実行委員局の皆さま、祭りに御協賛いただいた企業の方々、化粧や装束着付け南先生(この先生は京都で葵祭りやいろんな時代祭り、ドラマなどの製作にもかかわられるかかせないとても高名な先生です。)舞指導の北林、雪乃両先生。お茶をたててくださった井上先生。雅楽会の方々、そのた会場や催しを手だすけしていただいた方々、警備の方、ボランティアでお世話していただいた方々ありがとうございました。
さらなる土山の発展と皆様のご健勝を願っております。

他にも斎王群行は明和町の斎王まつり嵯峨野夢斎宮群行。実は葵祭りも賀茂の斎院の群行(同じブログ内年中行事で紹介しています。)   

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宮の五節出だせたまふにの巻

訳:中宮さまの五節の舞で出しはるの巻

かしずき十二人、ことどころには女御、御息所の御かたの人出ざすをばわるきことになむすると聞くを、いかにおぼすにか、宮の御かたを十人は出ださせたまふ。

訳:お付きは十二人。他じゃあ女御や御息所が出すんはあかんていうやんかぁ。っt言う噂をどうおもてるんか。中宮さまは十人出すって。

今日は秋の御所特別拝観の日。
しかも新車寄せで、五節の舞が催されます。
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五節の舞???
五節の舞は新嘗祭,大嘗祭の行事で行われる舞いで、当時の宮中の女性達はそれはワクワク、楽しいイベントでした。
新嘗祭は豊作を願う宮中行事でその一環として舞姫4人で踊ります。大嘗祭は即位後初めての新嘗祭をいい、この時は5人で舞います。

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舞姫は、相尹の馬の頭の娘、染殿の式部卿の宮のうへの御おとうとの四の宮の御腹、十二にて、いとをかしげなりき。

訳:中宮さまが出す舞姫は相尹の馬の頭の娘。染殿の式部卿宮の奥さんの妹の四番目の子供やねん。12歳でめっちゃかわいいで。

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歌とダンスで売り出し中!!!

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最後の写真をクリックしてみて。
4人で舞っているのよんわはは








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