2020年衣紋道への道進捗状況第四弾
明けましておめでとうございます🗻☀🎍
2020年も着々と装束持ち具の収集に明け暮れました!!!
①濃山吹色直衣
色は濃山吹色、横は二藍色で文様は尾長鳥牡丹唐草です。
始め見本でみせていただいた感じが香色かと思えるほど茶色よりになったので注文。
裏を二藍で苦色を想像していましたが、紫の色が意外と薄くなり、だいぶ黄色よりの仕上がりになりました。
東レルシックなので絹風これはいい感じ満足です。
来年掲載予定
②半臂の忘れ緒・半臂の小紐・衣紋紐
半臂用の忘れ緒
前年いただけた無紋羅を紫根で染めて、忘れ緒用の布と小紐用に用意した襟しん・羽二重の絹生地は科学染料で染めていたのをお知り合いにお願いして手縫いしていただきました。
忘れ緒の長さが・・・・・・・・・・・・・これはかなり人形仕立てにしないと・・・・・・・時代装束の縫い方の寸法通り生地を用意したのですが・・・・・・・染色で縮んだこともありますが・・・・・・・・それにしてはたらなさすぎ・・・・・・・・。
これは見えない所で留めないとやばいです・・・・・・・・・・要改善
今年完成予定
③女性用の単
薄紅色 幸菱 紗






前年いただけた紗の薄桃色幸菱の生地をお知り合いにお願いしてミシン縫いした装束が我が家にきました。
裁断は鶴岡八幡宮の御神服である鎌倉初期の女性装束を見本に製作。
但し袖は身頃に縫いつけず、袖の長さもながくしてもらいました。
平安時代今の絹よりも40%の重量がなく、そのかわり密度が濃い独特の風合いがあったのです。かなり上質だったそうです。
現在もかなり小規模ですが、生産されていて上質な絹がつくられています。
左右非対称の身頃
これは裁断の方法の違いです。
当時の絹は大変貴重なにせ流通経路が確立しておらず、かなり高価でした。
しかし禄という下賜が多かった当時相当数の絹が必要で、公卿であってもそうそう簡単に手にする事が難しかったといいます。
当時の資料や古典文学でも地方の受領がその地で生産されていた絹を京の有力貴族に献上した物を使用していたと文学や公卿の日記にも記載されています。
なので生地を無駄にできません。
襟を裁断した後の生地を前身頃にしているために片方がどうしても幅がせまくなるのです。
これすごく特徴的です。
但し衣紋道的にはタブー
なぜなら左右対称が美しい左右対称に着つけるためにあります。
しかし舞は基本一人で着付け予定なので、女房装束を着付ける際は少し一般的な着付けとは違ってくると思います。
でも少しでも平安朝に寄せたい・・・・・・・そんな思いがあるのです。
ヤフオクで
米紗繁紋横菱 13.5M手にいれました。
これを単に縫製してもらい上の単を練重ねしてみます。
単 紗 横菱文様

色が緋色なのでこれは下着用の単です。
でも横菱文様だししかも長さが13.5Mもありは女性装束上着に夏の袿にします。
四月より薄衣に重ねる衣
薄衣を紗文様入りかつ絹しかも2万ちょいでGTE
これは装束やさんで縫製してもらい、和裁のミシン仕立ての参考にしていただきます。見本は大事で必要
まず色を染色します。
緋色はけばいし・・・・・・・・夏用なのでここは二藍色にしたかったのですが、染めると元元の色が影響してしまうので変更
このまま赤色に染めて裏を黄色に朽葉の袿に。
⑤烏皮履風浅沓
直衣で散歩していただくときに靴をどうするかだいぶ悩みました。
浅沓は平安時代現在の形ではどうもなかったでようです。
すくなくとも平安時代後期の絵巻物には奈良時代の烏皮履に近い形状だったようです。
でもどうするか?
現在宮内庁でも使用され装束店でも購入できる烏皮履でも結構高額でこれも踵があってどうも少し違う感じ。
ならば現在の靴屋さんで製作出来ないか?調べました。京都に吉靴房さんという靴屋さんがあり、しかも古いタイプの靴にも興味がおありのようで、相談しようかと。
まず奈良時代の烏皮履と宇治上神社の宝物の御沓、平安時代末期の宮中年中行事の絵巻物の写真を持参して店主の方と相談
本来よりも早く完成してくれました。

中敷は自作
本来は絹の表袴の文様なのですが、足の裏に敷くのでポリの霰文様にしました。
つま先がそっているのは西域から朝鮮半島、日本では奈良時代から平安時代頃の靴の特徴です。
日本ではなぜかその後下駄が主流になり、西洋文明が入った明治から靴は平たになっています。
湿気が高い日本では足を包むという靴は不向きだったし、なにより牛が貴重な家畜だったからでしょう。
美味しい牛肉も農耕を行う貴重な働き手で、それを殺傷するなどという発想がなかったのでしょう。
昔の農民は牛を大切に扱ったといいますから。


あと宇治上神社の御沓は甲の部分にそりこみがあります。
なかなかおしゃれと思い同じデザインにしてもらいました。

後ろもべた沓にしてもらいました。
店主の方は昔の靴にも知識がおありでイメージが伝わりやすかったです。
もし次お願いすることがあれば靴の沓かな。
⑥綾織紫色唐花菱紋様半臂製作
半臂唐花菱紋様の生地を手に入れて欄は無紋羅紫根で染色してもらいました。
現在縫製中
⑦臥蝶丸の文様白 二藍色 夏用紗 袿





ヤフオクで競り落とした装束生地
22Mを二本分
まずは一領
みやこ染料で赤と青をやや青紫色に混ぜて染色しました。
二藍は年齢によって色が変化すると有職故実ではいわれています。
ただ色目で桔梗・杜若・苦色・赤色と二藍は一色限定色扱いです。
源氏物語藤裏葉
夕霧が内大臣に藤の宴に邸宅に招かれる前に父源氏に真意を問いただす場面で二藍がでてきます。
「 直衣こそあまり濃くて、軽びためれ。非参議のほど、何となき若人こそ、二藍はよけれ、ひき繕はむや」
とて、わが御料の心ことなるに、えならぬ御衣ども具して、御供に持たせてたてまつれたまふ。
雲居雁との結婚した朝に源氏と夕霧が対面する場面
大臣は、 薄き御直衣、白き御衣の唐めきたるが、紋けざやかにつやつやと透きたるをたてまつりて、なほ尽きせずあてになまめかしうおはします。
宰相殿は、 すこし色深き御直衣に、丁子染めの焦がるるまでしめる、白き綾のなつかしきを着たまへる、ことさらめきて艶に見ゆ。
上記の場面で直衣はという前提ですが、藤の花が咲き誇る季節すでに直衣は夏物。
ただ気になるのは二藍の一文字は出てこない。ことでしょうか?
しかしこうは考えられなのか?
まず
二藍の色はスタンダードとして基準の色はあるもの
いわゆる青紫色=二藍
しかし直衣では文様素材ともに同じである場合には支障があり、つまりも身分が違うのに同色では高官の見分けがつかない
よって色で区分けする。
基準は年齢で分ける
年少者は赤紫色青年は紫色壮年は花田色さらに浅花田色極みは白色
身分が高い場合は年齢よりも年長者の色を身につける。
なら納得です。
裏生地はポリで薄色
京都のふるたさんで製作依頼しました。
⑧単 臥蝶まるの文様 白色
重ね色目
紅の薄様











装束をそろえる際にどうするのか?
袿は色目でそろえるとものすごくたくさんいります。
またこだわりの一に「透け感」を大事にしたい。
けれど今の女房装束はどうしてもそこがネック、紗以外は透けません。
そこでたまきはるでは平安時代の女性たちは夏透け感のある単を重ねてきていたという事実を知りました。
現在の生絹は透けず生絹も透けないのでここは紗で代用
裏地を蘇芳・青(緑)・黄色にするだけでいろんな色目が作り出せます。
ここは平安感を優先
裁縫の上手な待賢殿の会員さんにお願いしました。
⑨舄
奈良時代の女官の内履
遠くは西域にルーツがあり先の尖がった履を奈良時代は履いていました。
後宮の女官が宮中内で使用していた履物は奈良時代から平安時代の風俗の変化で女官達はしとうずに直接長袴を装着していました。しかし平安時代後期後白河上皇が描かせたとい宮中年中絵巻物に内宴の場面で女舞を披露している舞女達は物具装束に舄の靴らしい物を履いて踊っています。
ただし当時すでに舄が一般的でなくなっていたらしく、平面図である絵巻物では平安時代の舄が具体的にどういう者だったのかはかなりの検証が必要です。
奈良時代の正倉院伝来の女官の舄を参考にして近い物を自作してみました。
ペイズリー風緑の色のスリッパにフエルトを巻いて、丸玉ガラスや飾り、トルコ石に似せた装飾物を縫いつけました。
繧繝縁の布をストッパの先に貼り付け、上からフエルトの中に綿を詰めて先を高くしてみました。
修正中
➉装束用正絹のあまり生地
なかなか素人では入手しにくい装束生地。
偶然ヤフオクで見つけました!!!即入札
長さが正直???でしたが、櫨淡の生地がどうしても欲しくて・・・・・・・・・・・・。頑張りました。
それで作った装束を包むもしくは置く生地を縫い縫いペタペタして製作しました。
壱の品 装束保管用布
弐の品 領巾・裙帯


縦三分の一ほど裁断して端を練り練りからのチクチク練り練りチクチクからの終了
領巾でございます。





白の臥蝶丸文様の生地を三分の二裁断し、ねり仕立てにして青(今の緑)・紫色を交互に染色して楝淡
裙帯
裙帯悩みました。
奈良時代の裙帯は裏があり、表の帯の両側にはみでた用に縫製されていました。
しかも平安時代中期ごろにもなるとその帯自体なくなり(これは前方の裳がなくなり後方だけになった事、裳には引腰という帯のようなものが付いていますがこれが裙帯の名残ともいわれています)、重要儀式で晴れの最上級の物具装束でのみ装具されていました。
さらに具体的な有職故実書にもないようで、なんとか紫式部日記で左衛門の内侍が櫨淡の裙帯をしていたという記述とまさすけしょうぞく抄の五節舞姫織物の裙帯・目染の裙帯とある記述と年中行事絵巻物の内宴妓女の絵のみです。
ここで奈良時代と同じ山道のない引帯状にするか、袷の幅広い紐にするか?
という問題にぶちあたるのですが・・・・・・・・。
ただもし平安中期の紫式部が見た内侍の裙帯が引腰様式ならおそらく〇〇の色目記述となると思うのです。
かつここで内宴の妓女の裙帯が引腰系ではない。領巾と同じ生地のような絵である事もふまえて袷の帯にしました。
少し領巾よりも幅は狭いです。
かなり私見ですが・・・・・・・・。

御方を迎えるにあたり座布団
茵は昔縦に生地を縫い合わせていたとゆうまさすけしょうぞくしょうから縦に縫い目を設けて下にござを重ねて上に綿を入れてうえに生地を縫い付けて製作しました。

⑪下駄
平安時代も下駄がありました。
ただ現在の物よりも踵の部分が台形型になっています。
外出用に草履よりも土にあたる部分が少ないので下駄にしました。
⑫魚袋
唐の時代官人が後宮に入京する際に携帯する通行証といわれ、本来は本当に袋状のものだったようですがどんな形をしていたのかなぞの物具だそうです。
金具以外は製作完了その金具が問題です
これを装束店さんにお願いすると意外と高価でしかもあまり需要がありません。
しかしやはりないからこそほしい。
でも高いじゃあ作ってみよう。
檜の木、工作用ボンド、小さなのこぎり鋸の安定させる支え補助具はダイソー
エイの皮はヤフオク
組紐は伊藤組紐店
大事な装飾品は???そして魚はどうするのか??
唐時代の官人を描いた絵や壁画でもすでにスティック状の形になり波のような装飾があるものの????



平安時代末承安五節絵でのみ平絵ですがなんとか見てとれます。
江戸時代有職故実復興の際に現在の魚袋が誕生しました。
三寸×一寸×0.五寸の木製に鮫皮(実はえい皮)を張り合わせ細い皮を張り付けます。
輪の皮に唐組紐をつけたものです。
⑬石帯

革製で紐は正絹
かはアクリル製、湾曲部分は光ファイバーと通すという今時の石帯です。


なんと巡方しかも無紋きゃ~~~~神事の天皇さんの石帯やん
これは要思案
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