フランス土産 お披露目

パリ旅行も終えてちょっとずつパリの名残をいただく毎日

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まずはヒサダで購入したチーズと空港で購入したチーズ
さすがフランスは農業国特にバターとチーズはいっぱいありましたが、ありすぎてどれがいいのか?果たして日本人の口に合うのか?いがいと購入をためらった。
チーズはエスポアが一番美味しかった。
発行度数が半端なく日本のチーズを食べなれている舞には正直牛くさすぎて・・・・・・・・。現在は凍らせて料理に使用する予定。

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一番赤みかかった黄色がエスポアです。次にルイ14世から王のチーズと呼ばれたブリドウモーかな。

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これはピカードの鮭のパイ包焼き
ちゃんと焼けました。中の鮭がジューシーで冷凍なのに美味しくて驚きました。
ただ味付けがフランスの割についてないので、ソース的な物を用意しておけばよかったと思いました。
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同じくピカードのクロワッサン火の火力がたらなかったのか真ん中が生っぽくて・・・・・。しかもサクサクコ度がいまいち残念な。

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ジャックジュナンのチョコ
これアルミの箱にはいってます。チョコは冷蔵庫にいれたらだめ、風味が落ちてしまいますって初めてしった。
しかも飛行機の中は非常に寒いのでこれにアルミの袋までくれた!!
勿論美味しくいただきました。
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ボンヌママンのワッフルとマドレーヌチョコかけ
バター感の美味しいこいいお菓子さすがおフランス

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ダローダのソーヌルズレーズンチョコ
中は貴腐ワインを漬け込んだ葡萄外にダークチョココーティング
何故か止まらない一品でした。
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ピカードのキャラメル焼き
パリパリで見た目の味コーヒーでいただきました。

第二段はいずれご期待~~~
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とりかへばや物語 第四章 

二人揃って父の左大臣邸へ。

暗き程にまぎれて京におはし着きて、此女君をば督の君のおはしまししやうにその御方の御丁の前に入れ奉りて、男君は御前にさぶらひ給て、殿見奉り給に、とりかへばやの御嘆きばかりこそ変はる事なりけれ、うれしきにも、涙にくれてえ見奉り給はず。いみじくうつくしげになつかしうはなやかなる女の、髪はつやくゆらくとかゝりていといみじくめでたく、なよゝかなるさまにて居給へるも夢のやうに、えもいはず清らなる男にてありつき、びゞしくてさぶらひ給もうつゝともおぼえず、又いかゞなり変はり給はんと、あやうく静心なきぞことはりなるや。月ごろの事どもなど聞え給て、「もとよりかゝるべかりし御さまどもの、いとめずらかなりし。をのく御心たがひなく、此まゝにてものし給ふべきなり。かたち・さまの異人ならましかば、あしくも有べかりけるかな。いさゝかたがふ所のなきこぞ、あさましく、さるべかりける事かなとおぼゆれ。今ははやう大将にて交らはれよ見るに、つゆたがふ所なし。
少くあはらぬ人と見ゆともいかゞはせん。論じあらがふ人あらじ。右の大臣のむすめ、権中納言わざと添い居てあつかひ窓ひけるが、大臣も勘事許して、我殿に迎へられにけり。げにうちくこそさま異なる事どもも思へ、人聞きびんなしや。たがためにも

夜の暗いうちに邸宅に入り、もともと尚侍の帳台へお連れして男君が傍に座っているところに左大臣が入ってくる。
女君をご覧になると「とりかえたい」と思っていただけで見るとかわりなく、大変うれしく涙で女君が見えない。
女君は大変愛らしく美しく親しみやすく華やかな人で髪を大変ゆらゆらと肩にかかって美しく優美でなよなよして夢のよう。
男君はえもゆわれる清らかな男で格好がよくそのにおられるのも現実の事とは思えない。
「どういえかわったというのか?」思うのもしかなたい。
「もともとはこうあるべきであった。二人の気持ちが変わらないうちに入れ替わりなさい。少しも違いがない。右大将として出仕なさい。誰が違おう。理屈をいって事をあわげる人がいない。さて右大臣家の四の君は中納言が世話をしていたが勘当をといて今は右大臣がお世話している。もう二人の運命も内内の事ですませられるよ。しかし世間の噂が気になるがね。」
とここは右大臣家への配慮をしなさいと右大将に言葉をこめている。

そんな中尚侍あてに東宮の梨壺から伝言がきた。具合はいかがか?東宮様には体調が思わしくなくいつ頃出仕なさるのか。内々にお話があるとのことだった。

かの右の大臣の御わたりの、思はずなりし事のまぎれをうむじて、吉野の宮には隠れ給へりけると言ひなして、内裏にも
とく参り給へ」といそがし給にも
左大臣は「四の君と中納言の浮気に耐えられず吉野の宮に隠棲していたのですとでもして。のさぁ右大将として出仕なさい」と男君に催促。

いかにうゐくしからんと我心もいとまばゆく、

さすがに大丈夫かな??と

世の人の物言ひも、いかなるにつけてもつきく ゛しきなれば、「大将は、権中納言の事に嘆きわび、吉野の宮には隠れ給ひて世の背きなんとおぼしけるに、此親王の御むすめ見つき聞え給ひて、世をえ背きはて給はぬ物から、猶都に立かへらん事は、このことの心やましさにおぼし絶えたりける

すると世間では「右大将さまは四の君と中納言の浮気に嘆いて吉野の宮に隠棲していたけど、その娘姉君がお世話して、とても出家せずにいたが帰京は諦めていた所。ご両親様がぜひもう一度姿を見たいと懇願されて帰京されたそうだ」と解釈して噂して喜んだ。

帝も聞こしめして、まづさまを変へず今まで世に物し給ける事を、限りなくおぼほしよろこびて、召しあれば参り給ふ

めづらしがり見奉る。御前に参り給へれば、とばかり御覧ずれば、久しかりつる月比のほどにいとゞこよなくなりまさりにける心地して、かほりあてなる所さへ添いにけり。あはれ、かゝる人のやがてさまを変へてましよ、いみじき世の憂へにこそあらめと、打まもらせ給て、涙をさへ落させ給ひけり。

帝も殿上人も全然入れ替わった事に気がついていません。
きょろきょろしていても久しぶりにきた宮中に思いにふけっておられるのだといい方向へ。
やはり吉野遠い地で修業をされていたのでりりしさまで備わったとすごく高評価です。

東宮の元にいくも御簾を隔てた向こうと男君こちらすごく隔たりを感じています。
帰宅して尚侍と宮中のお話
そしていよいよ四の君攻略へ、

男君和歌を贈る

目ならべば忘れやしにしたれゆへに背きもはてず出し山路ぞ

右大臣、右大将が帰京したのでお越しがあるかもと四の君を諭す。

すると和歌が!つかさず右大臣しっかり詠むのだよと念押し、四の君恥ずかしくしかたないけど再び勘当される恐怖で反論できない。

今はとて思ひ捨てつと見えしより有にもあらず消えつゝぞ経る

あてにおかしげなるを、残りゆかしく心とまりて、督の君に見せ奉り給へば、かたち有様はいとおかしげにこそありしかど、手もそゞろに見馴れたりしほどあはれに思ひ出られて、忍びの森のゆかりを、方く ゛ 心に離れぬ契りと思ひ乱れ給。


あぁそう大変上品で優美な筆跡はそのままと女君の懐かしく思って二人にも縁のある女だと思いが増す。
さて男君も東宮さまや吉野の姫君の事を考えているうちに時が過ぎて、右大臣家ではそのうち我が家へ右大将がお越しになるかもとあれこれ準備している。当の四の君は気が気でなく、だからといって自分が何が出来るのだと葛藤しているうちにもし右大将がこられたらみじめな姿を見られると思いだけで涙にくれる。
そんなだいぶ遅く夜になってから右大将が右大臣家を訪問する。

優美な姿はそのままでしりごみする四の君を右大臣がカツ!!!
ようやく膝行して右大将の元へ。

右大将はあれやこれやいままでの事を言い訳している。

世をうしと背くにはあらで吉野山松のすゑ吹くほどとこそ聞け

私との仲を辛いと世の中を出たのではなく 通われた方がいたからと聞いていますが。

げにかくぞ答へんかしと、いとにくからずほゝ笑まれて、

まったく答え方がうまい人なだ。と憎からず微笑まれながら


その末をまつもことはり松山に今はととけて波はよせずや

吉野山に吹かれる松があったとしても。あなたは待つしかないのですよ。
私以外の男を受け入れたのだから。


身のことはりを思ひ知りつゝも、なを恨めしかりし御心ばへを、背きぬべくやと、心みに吉野の峰の奥深くは尋ね入て侍しかど、おぼつかなきも忍びがたく、幼き人のあはれなど、わりなきほだしに人わろく思ひ返され侍にしもいと罪深きも、君は心やすげにうけ給りしこそ」など、こまやかにいとしたり顔に続け出で給へる、異人とは思ひ寄るべきにもあらず。答へん方なきまゝに

わが身のゆうつで身の置き場がなかったですよ。と柔らかにおっしゃる男の気配に「まあつまらない事を言って仕舞ったのか」と後悔して汗を流すくらい気にしている女のすべての罪が許されそうな様子だ。

たゞいみじくなつかしくあはれにうち語らひて過ししならひ、今しも変はるべきことならねば、さこそはとおぼすに、あさましき御心変はりを、今はじめたらんよりも恥づかしくいみじけれど、おびえ騒ぐべきほどならねば、嘆き乱れたるけはひしるきを、げにあやしからんとあはれにおぼす

この後二人は帳台へ、四の君はいつものようい夜話しのつもりだったが、男君が急に襲ってくる。中納言との初めての情交よりも恥ずかしいがおびえて騒ぐことではない。しかし変だと思っている。男君は乱れるままに「実際変だと思っているだろうな」と思っている。
いざ関係してみると中納言の事も吉野の姫君の事も気になるが浅からぬ方だと感じになるものの夜にしか通われない。
さすがに女も不可解ででもお顔は以前の方と違わぬ。しかし・・・・・・。

 見しまゝの有しそれともおぼえぬはわが身やあらぬ人やかはれる

 ひとつにもあらぬ心の乱れてやありしそれにもあらずとは思ふ
和歌の筆跡も似せてあるからますます????

一方中納言は宇治で若君を見ては涙する。
そのうち右大将が帰京した噂を聞きつけ、男姿に替わられたのだと呆れられ、若君と乳母を連れて式部卿邸へ戻る。
宮中で会議のある日は必ず出仕されるであろうと。その日に参内するとやはり参内しているが、声をかける雰囲気をまったくみせずにいる。

若君を、さる人ありきかしと、いかゞなりにけんと思ふべくやあらんと思ふに、恨めしくかなしく、人わろく涙にくれて出で給ぬ
すると完全に私を見限ったのだ~~~~がああ嗚呼人目のあるのに涙している。

夜もすがら思ひ明かして、なを忍ぶべき心地もせねば、
  見ても又袖の涙ぞせきやらぬ身を宇治川にしづみはてなで
さまく ゛書きやる方なく恨み尽くし給へるを、大将は見給て、有しそれとこそ見けれと、おかしくもいとおしくもおぼゆれば、督の君に見せ奉り給。常に、あらましごとにてだに、ひたおもてにあらまほしげにて過ぎにし方を恋ふると言ひあはめし物を、げにいかにあさましく思ふらんと、さすがに胸うち騒ぎてあはれなるに、大将は、我にはあらずとあらがひ給ふべきにもあらず、この人の世づかぬものぞかしと思ふらん心の中ひとつは、いとおしく恥づかしかるべけれど、我身を世になくきよめんとても、督の君の御事をあはつけきやうに人に見せ聞かせじと思へば、「たゞさ思はせて。御返りは、心とき人にて、見あやむるやうもぞ侍る。これ聞こえ給へ」と、せちに督の君にそゝのかし聞え

一晩中嘆き悲しんでもあきないので和歌を贈る。
お会いしたいのにわたしの袖の涙はせきかねるほどです。捨てられた身をつらいといって宇治川へ身を投げることも出来ない。
安易に若君の存在をほのめかしている。
右大将は「女君におもったな」と可笑しくてもあり気の毒もあったのでこの手紙を女君に見せる。
「昔の男姿をあざけっていたのに。どうしてとあさましく思っているか」ゆうつ
右大将はまぁ思わしトコ、尚侍様を世間の目にさらすわけにいかないから。
「まあ私がまだ女君とおもわしときなさい。 さあ見破られると困るから女君に和歌を返しなさい。」と

心から浮かべる舟をうらみつゝ身を宇治川に日をも経しかな

私の心からとはいえ、あなたの浮気心を恨んで宇治川の傍で日を過ごしていました。と書いた。
手紙を受けるとめったにない素晴らしい筆跡だと感激しながらももっともなことだと自分の傲慢さを反省して

いとゞしきなげきぞまさることはりを思ふにつきぬ宇治の川舟

完全にストーカーの中納言~~~~それは違うと・・・・・どんどんこの人おかしくなります。。。。。

さてそうこうしていると東宮の事も気になるので尚侍は内裏へ向かいます。


とりかへばや物語 第三章 

さて、権中納言と右大将が都を去り、宇治へ向かうまで紹介しましたがその後。

つとめて、格子ども上げわたしたるに、うち見出でたるも、うつゝの事とはおぼえぬを、中納言は思ひかなひぬる心地してうれしきまゝに、あたま洗はせなどして、髪もかき垂れなどして見れば、尼のほどにふさくとかゝりたり。眉抜きかねつけなど女びさせたれば、かくてはいとゞにほひまさりけるをやと見えていみじくうつくしげなるを、かひありうれしと思ひ惑ひたれど、我心は、いかにしつる身ぞとのみおぼえて、世中の事もいぶせくほれく ゛として物のみかなしければ、起きも上がらぬ


その日はそのまま宇治の別邸にはいり、夜を明かし

朝になり窓を開ける。女君は外に目を向けても現実の事という実感がない。
中納言は思いが叶って喜んで女君の髷をほどいて頭を洗わせると尼君くらいの長さでフサフサ。
眉毛を抜いて墨で上にさらに眉毛を描いてお歯黒をすると美しい姿に
中納言は「よかった。うれしい」と喜んでいる。
女君はなれない女姿で困惑している。「どんな姿になったのか」と嘆いて悲しい。
中納言との情交も鬱陶しくて煩わしくて、ひたすら悲しいから起き上がりもしない。
そんな姿に中納言は「いじらしい」と思っている。

「これこそは世の常の事なれ。年ごろの御有様は、うつしごととやおぼしつる。もとよりひたおもてにさし出でて、あまねく人に見え交らはんの御このみに、ことさら交らひ給しにこそありけれ。めでたくとも、我身をあらぬに変へて過ぐし給へる事、有べきことならずあやしくとも、かくておはせんこそ、例の事なれ。殿にも聞かれ給はん、さらにあしと、世に思ひ聞え給はじ」

中納言が女君にこの姿こそ、正常で他人に会って交際しようと無理をしていたのでしょう。
それがりっぱな姿だったとしてもよくない。父上だって悪い事だと思われませんよ」と女君を諭す。

さすがに納得しかりのような女君

吉野の宮の取らせ給へりし薬の中に、夜に三寸髪かならず生うとありしを、かゝらんものぞとおぼして持ち給へるして、日ゝに洗ひて
この薬をつくるに、人にも見せで、さばかり好ましうなまめける身を、おりたちて中納言のあつかひ給にうちまかせて、我もほれぼれしく忍び音がちにて、はかなく日ごろにもなりゆく。

さすがに髪が短いのが見苦しいと思って吉野の宮が持たせてくれた薬に夜毎に9CMのびる薬があったので、それを中納言が自ら洗ってお世話するうちに日が過ぎていく。

京では右大将が失踪したと大騒ぎ、父の左大臣はそういえば去年の冬ぐらいから様子がおかしかったと嘆いている。
左大臣も困惑しかり、京中で読経や祈祷が行われている。

そのうち左大臣がうちの娘を愛してはいなかったのだと憤慨していると、風の噂で権中納言が左大臣家の四の君に密かに通っていたのを聞いて世をはかなんで姿を隠したのだ、四の君の姫君を権中納言の子供だといううわさが流れた。

そのことを右大臣が聞き、左大臣にも話をするとその噂が本当かもしれないとという事態の中、四の君以外に仕えている人で、四の君への父親の寵愛が並々ならぬのを恨みに思っている人が「権中納言との蜜ぎ事で右大将は失踪した。姫君を権中納言の子供で顔が似ているので不審に思っていた所、七日目産養の夜の四の君へ寝所で偶然見してしまったのです。」と書いた手紙を母上に見れるような場所に置いていった。母上はさっそく手紙を父に見せ、右大臣が姫君をまじまじと見ると確かに権中納言にそっくり。
「やはり」と納得してしまい、怒って四の君を勘当してしまった。
乳母子の左衛門は「同情しないわけにはいかない」とことのしだいを権中納言に手紙で知らせてつかいに持たせた。
さて女姿に替わった女君はこれより完全頭の思考も女へ変貌するただし一点を除いては


ひとへにうち頼みて身に添ひたるほどの、今は我身かくてあるべきぞかしと思ひ知り、なよくともてなしたるは、ありし人ともおぼえずらうたげにたをやかなるを、すべて限りなく思ふさまなる

今は一人権中納言をたのみに暮らしているうちに「私はこのようにしているのがいいのだ」親愛に満ちた様子はあの右大将とは思えない。

権中納言は
より寝ても覚めてもかやうならん人を見ばやと願ひしに、仏・神のわが思ひかなへ給なりけりと思ひよろこび、いかでくやしと思はせじ、ありし世を思ひ出でさせじとよろづにもてなすに、いかに慰みゆく

弱弱しくはかなげな様子がこういう人を妻にと思っていたのを仏や神様がわが願いをかなえてくれたと喜んで、こんな人といるなんてと昔を思い出させないようにと自ら大変お世話している。
そんな中納言もそういう生活が当たりまえになってくると昔の事で冗談を言いだす。女君は聞き苦しいと嫌がっていた頃。左衛門からの手紙が宇治にくる。
中納言は四の君の勘当をしり、むやみに女君に見せないわけにいかないので、事のありましを話して京へ出かけて行った。
女君は

たゞ人一人のあまりくまなき御をこたりと思ふぞ、疎ましきまでおぼゆれ

全てはこの人の好色に原因があるのだといとわしく思う。
中納言の去った後女君の和歌

 思ひきや身を宇治川にすむ月のあるかなきかのかげを見んとは

京に戻った中納言は四の君の下へ向かう。
もう右大臣家を勘当されているのでおそらくは乳母の家かと推察する。
さすがに気を許している双方で相手は妊娠しているから、四の君への愛情もひとしおで、遭えばこの人もと愛情が深まる。
さすが好色しばらく京でひっそりと四の君のお世話をした後宇治に戻る。

いと人少なにて、これもいとふくらかにところせう苦しげにて、よろづを思ひ続け、かきくらし思ひ乱れてながめ臥し給へるさまは、いかでこの日ごろ隔て過ごしつるぞと、あさましきまでおぼしつらん

宇治に帰れば帰ったで人の少ない場所でこれも大きなお腹をした女君が不自由そうに苦しそうで呆然と物思いにふけっている様子はなんで離れてくらしていたのかと後悔している。

ありし有様にてはこよなしかし、まして、かくのみ心を分けられては何にかはせん、などぞ思へど、いかにもく、このほどまではこの人を背き隔つべきにあらずと、さはいへど、男にならひにし御心はうち思ひとりて、

この様子が呆然としているわけでなく。「この男の心を四の君と二分しているようではどうしようもない。いやいや子を産むまではこの男の機嫌をそこねてはいけない」と

すごい超冷静!!!

やすらかなるけしきをと、いと思さまにめでたくうれしと思ふ事限りなし

かたや中納言、おとなしくしている様子が「このうえなく理想的で喜ばしい」と有頂天

超馬鹿男~~~~そのうち痛い目あうよん!!!


さて京の父左大臣は
今は恋ひ泣き給しことばさえ絶えて、ほれく ゛ と臥し沈み給にたるを、殿の内又これを嘆きあつかひたてまつる。

もはや見つからぬ女君にすっかり意気消沈床についてしまった。
男君にその様子に里下がりして試案する。こうなっては私が探しにいくしかない。と決意して母に打ち明ける。母も最初は反対したが、男君の意思が固いとみると父にも内緒で尚侍が帳台にいるように偽装して、狩衣と指貫、烏帽子を用意させて男君は髪を切り、着替えて車で京を離れる。
まずは女君が籠っていた吉野の宮の邸宅を目指すことにする。
その道中の宇治で

几丁に透きたる人も、見入るれば、紅の織単衣に同じ生絹の単衣袴なるべし。いと悩ましげにて
ながめ出でて臥したる色あひ、はなく ゛と光るやうににほひて、額髪のこぼれかゝりたるなど絵にかきたるやうにて、いといみじく愛敬づきうつくしきかたちの見まほしきが、霊くじうものよりけにねたげなるまみ、見しやうなる人かなと見るに、大将におぼえたりけり。心惑ひして見れば、いといたううちながめて物思ひたるけしき似る物なく見えて、顔やうはなやぎたゞそれとおぼゆるに、我身を思へば女ざまに似給へると思ふに、ふとたち寄りて、「いかにしてかくておほするぞ」と問はまほしけれど、さして知りがたく、うきたる
事により人にとがめられぬべければ、念じて見るに、人気やすらん、簾おろしつる、口惜しさぞ限りなき。

我をもあやしと見知りやし給らんとおぼゆるに、見えばやと思ひて小柴垣のもとまで歩み出でたるを、内にもあやしく人気のすると思ひて、簾をうちおろして見出だし給へるに、言ふかぎりなくけうらになまめきたる男のいみじくあてなるがさし出でたるに、いとあやしくおぼえなくとうちまぼらるれど、世に出で交らひことくしき人の見知らぬやうはなきに、さらに有しにはあらず、なをくくだれる際とは見えず、我ありし世の鏡の影にて、うち思ひ出づれば、内侍の督の君、限りとおぼしし夕べ、いみじく打泣きて、まほにはあらずうちそばみ給へりし御顔におぼえたるかなとふと思ひ出づれど、うつたへにその御有様変はりぬらんと思ひ寄らず、世にかゝる人の有けるよ

なんと兄妹宇治でニアミスしかも男君、女君としらずに恋心的な!ってか、好色・・・・・。東宮オンリーではないのね。あんなに人見知りだったのに男姿に性格までかわってる。
ここが式部卿の別宅だと聞きめんどうになったらと去ってしまう。


中納言は、忍ぶ方苦しさ静心なげにてまたおはしにしかば、こゝには月のかさなるまゝに、いとゞ起きも上がられずつれく ゛
とうちながめつゝ、かくてのみ有べきなめり、とる方なくあぢきなくも有べきかなと見るまゝに、人は、われに劣らず深き方に心を分けて、これに五六日又かれにさばかりと籠り居給絶え間を、さもならはずも待ちわたり思ひ過ぐさんこそ、あひなく心尽くしなるべけれ、さりとて、もとの有様に返りあらためなどせん事は有べき事ならず、ともかくもたいらかにもしあらば、吉野に参りて、尼になりてあらんとおぼすを慰めにし給へるを、中納言は知り給はず、今はをだしく、かくを見るべきものと打とけおぼしては、かぎりくと見ゆる有様のいみじく心苦しきに浅からず心を分けて、大方の世にはゞかりて歩きもし給はぬまゝに、中く心やすくこの二所に通ひ見給ふ。
年比、世とともに、心に物のかなはぬと嘆きわびつる思ひのかなふとおぼして、うちくは、心やすくもうれしくも、又心のいとまなく苦しくもおぼえて、静心なくたち帰り給へるに、これもいと苦しげにうち悩み給へるを、いかならんと、いづくにも心のみ尽くる心地して、打臥して語らひ給に

中納言は中納言で宇治に戻ればこの女君の苦しそうな様子にいとおしく、京では四の君を愛おしく2か所に限って通っている。
四の君と愛情を二分しているのに耐えかねている女君は子供を産んだら吉野に行って尼になると固く決意している。

先の男君の話が使用人から、中納言にチクられてしまう。女君は私が男姿でいたのでしょう。と適当にあいまいにして話を終わらせてしまう。中納言はまだ男姿でいたいのだと悲嘆にくれる。

さて尚侍は吉野の宮の邸宅につき宮に歓迎される。

いみじかりける人の御相かなとうちかたぶきて、これぞ我むすめに縁ある人にものし給めりと見給ふに、かつく ゛ いとうれしく頼もしくて、所につけたる御あるじなどおかしくしなし給

吉野の宮から大変立派な人相だと褒められ、我が家の娘と縁のある方だとおっしゃる。
そのうちお手紙をくださる事になっていますから、このままここでお待ちするように逗留を勧める。

さらにのりのりの吉野の宮
国母の位に極め給ふべき相おはせし人なり」と聞こえ給

女君がいずれ国母として極められる相があると予言しちゃいます。
国母とは天皇の母の事

そして男君は漢字や学問を一切されていなかったのでこの吉野の宮の元でよい師と巡り合い知識を吸収されて過ごしていきました。

宇治には、いと苦しげにて、月もたちぬれば、中納言かた時もたち離れず、いかにせんとおぼし惑ふに、人柄の、かたちをはじめ、いとにほひ多く愛行づき、中くいと見まほしきに、もてなし有様はれく ゛しくならひ給にしかば、いとあへかに埋もれいぶせくはなく、わらゝかにおかしく、いと馴れたる心つきて、物を思ひ嘆きてもひとへに思ひ沈みてはあらず、泣くべき折はうち泣き、おかしく言ひたはぶるゝ折はうち笑ひ、いはん方なくにくからず愛敬づき給へる人の、まことに物心ぼそく苦しきまゝに、いとたゆたげになよくと心苦
しげなるを見給ふ中納言の御心地、我身にかへてもこの人をいかでたひらかにとおぼし惑ふしるしにや、
七月ついたち、思ふほどよりはいたくもほど経で、光るやうなる男君生まれ給へるうれしさ、世の常ならんや。子持ちの君も、手づからかき臥せてあつかひ給さま、いとあはれなり。
若君をば目もはなたず、疎からぬ人の乳ある迎へ寄せて、乳母にも、世にあらはれてかゝる人のあらましかば、いかにかひく ゛しくもてなされまし、よろづ隠れ忍びたるこそかひなく口惜しければ、このほどは異事なくこのあつかひに心入れて、あからさまにも立ち出でず。日に添えて、

女君も出産の日がちかずくにつれて苦しそうにしているのを中納言ははらはらしつつも「この人を自分の身をかえてでも無事にお産させよう」と決意して、そのかいあってか7月1日に大変美しい若君が誕生した。
女君も若君をたいそう愛して自らお世話している。
ひそやかに生まれたためにしっかりとした乳母をつけられないのが残念だと中納言は思っているので、どこにもいかずに男君の世話をしている。


この若君のうつくしく光り出づるさまを、母君の御もとにさし寄せつゝ、
「あはれなりける契りを。昔よりかゝる御さまにて思ひなくあらましかば」と言ひ出給にぞ、
げにもあやしかりける身かなと思ひ出づるに、
かの所の七日の夜扇見つけたりし事など、いとにほひやかにの給出でて、かたみにおかしくもあはれにもおぼす。

若君を母の女君に見せながら、「昔から悩みのない。こういう生活をされていたら」というと「本当に変わった身の上だわ」と思われる。
過去にあった七日目の産養のしるしの扇の話も中納言に笑いながら言えている。

そんなこんなで過ごしていると男の変な安心感は増幅していく、このままもう京へ戻らずこうして生活してくれるに違いない。
若君がいるのだからと。
そう思われると親にお世話されていない四の君の出産が気がかり、それとなく女君に四の君の事を言ってみる。

しかしここに連れて同居しようかとにおわせる。
すると女君はかつての夫だと思われるのは恥ずかしいと適当にいいともいやともいわない。
中納言はまぁなんてねみたいに・・・・・はぐらかす。

すると中納言の浮いた様子が見透かされていてしっかり

かくのみこそは有べきなめれ、わが心一つにこそよろづの事につけて嘆き絶えせざりしか、大方の世につけてはかたはらなくなりにし身をあひなくもてしづめて、たぐひなくだにあらず、かくのみ待ち遠に思ひ過ぐさん事こそ、なを有べき事にもあらね、右の大臣、世人の言ひ騒ぐほど、なをしばし勘じ給にこそあらめ、世になうかなしくし給御むすめにて、ひたぶるに一方に思ひ許し給はば、あなづずよにこそあらめ、我いかなりとも、その人と知られあらはるべきやうなければ、かゝる宇治の橋守に、網代の氷魚のよるのみ数へんほどの心尽くしや、さりとて、もとのまゝに返りなるべきにもあらず、いかにして吉野山に思ひ入りて、後の世をだに思はんと思ひなるには、この若君の捨てがたく、憂き世のほだしつよき心地し給。

「所詮男心はこんなもん。私だけが嘆き悲しむのだ。かつてのような生活をしていた私が男を待つだけの生活などすることなんかできない。右大臣は今は人の目があるから感動しているが、恋しくなったら呼び戻すと中納言もあちらにいくだろう。この宇治の地で待つだけの生活だ。とはいっても男姿で戻れない、やはり吉野の宮の元で尼になろう。でも若君の事だけがさらに気になる」

一旦中納言は宇治に帰るが四の君の出産が気がかりで、しばらく宇治にいるだろうと思うと京から近況が伝えらてせわしがない。
女君はもうい幾日とはいない人だから嫉妬も見せずに、あちらへとうながす。
それとは気がつかない中納言はさすがに男姿の方だ。さっぱりしているな

馬鹿まるだし。

8月になると女君は若君の乳母に吉野の君に手紙を渡さないといけない事情があるが、中納言には知られたくないのでつかいをだしてほしいと頼む。
乳母は吉野の宮に姫君がいらっしゃるからその方だろうと思い込み依頼を受ける。
手紙を受けた吉野の宮は早速男君に知らせるとなんと使者から宇治の式部卿の別邸にいると知らされる。なるほどあの時の女ア君は妹だったのだと知る。使者に見事な女衣装を持たせてお手紙を返される。
その手紙を受け取った女君をあの時の男を兄だと知った。

そして中納言が四に君の出産で留守がちできずかない頃を見計らい兄妹が会いに来たと乳母に相談し密かに宇治の家で二人落ちあう。

月いと明かき影に、髪はつやくとひまなくかゝりて、限りなくうつくしげにて、いといみじく、女君、なつかしくうち泣きてゐ給へるも、いなや、こは誰そとおぼえ給。えもいはず清らになまめきたる男にておはするも、うつゝともかたみにおぼえ給はず。
行方も知らず聞きなしたてまつりて、思ひしさま、出でて来しことに、あやしく似奉りたる人の有かなと、恨めしきに忍びがたくて、もし御覧じ知るやうもやとすゞろにたち出たりし事など、こまかに語りて、
「さても、いかでかくてはおはしますぞ」と問ひ給に、答へきこゆべきやうもなく恥づかしけれど、艶にをしこめて有べきことならねば、

「年比は、世づかぬ身の有様を思ひ嘆きながら、さる方に、いかゞせん、ありつきぬべきよと思ひ侍しに、心より外に憂きことの出で来侍にしかば、さて有べきゆもなく、思ひわびて身を隠し侍にし」
さま、けしきばかりうちの給へる、さなんなりと心得はてて、
「今はさは、かくておはしますべきにこそあなるを、かくのみ人知れぬさまにてはいかゞ過させ給はん。殿にはいかゞ申侍べき」との給へば、
「その事に侍る。かくてのみなんさらに侍るまじうおぼゆるを、世づかぬ身なりしほどのみ、恥づかしさを、異人に見えあつかはるべきにはあらず、あさましと見え知られにし人にこそはと、ひたぶるに身をまかせて侍つれど、今はながらふべきやうにやと生きとゞまり侍に、かくてはらじとおぼえ侍れど、さりとて有しさまに身を又なし変へんは、有べきにもあらず。とてもかくても、身の世づかぬをき所なくおぼえ侍を、此吉野山にかたちを変へて跡を絶えなんと思侍」と、うち泣きての給。
「わが君、かゝる事なの給そ。殿・上のおはせん限りは、我も人も世をなん思ひ限るまじき。御事により、殿はむげに不覚になり給へりしを、見置き奉りてなん出侍にし。げに、何にかはかくて忍び隠ろへておはしますべき。又、ことざまにては、聞こえ出で給はんもあいなし。我なん、「たゞあるさまにもてなしてあれ」と言置き出で侍にしかば、誰にも見え知らるゝ事も侍るらざりし身にて、そのけぢめのありなし知る人も侍らざなり、さてこそやがておはしまさめ。さても、中納言ものし給らん、悪しかるべきことにもあらず。今始めたるやうにもてなし、中く人目やすくこそ侍らめ」との給を、答へはともかくもの給はず、
かくて、この人に行方知られであらばやと思ひ侍なり」と聞え給へば、
そは、いと悪しき事。人柄さておはしまさんに、げにいとやんごとなき事にはあらねど、口惜しかるべき際に侍らず。いかにも、さらばまづ忍びてわたらせ給て。殿の聞えさせ給やう侍なん」と聞え給へば、
「殿に、かくてこそありけれとは聞こしめさあれじ。ただ、世づかざりける身をもたわづらひたりけるさまを」と、
うち恥ぢらひ給へるも、年ごろいとすくよかなりし人の御もてなしとも見えず。つきすべくもあらぬに、夜明けぬべければ、やをら出給て、これより京ざまにおもむきておはするも、今は限りと思ひたちしほどのあはれに思ひ出られ給て、おはしますをも知らせ給はず。

さてようやく再会した二人しんみりとお互いをほめたたえる。

そして本題

女君それとなく今まで男の姿で過ごしていたけれど、見苦しいと考えられて密かに籠って女の姿になろうと京を出た。と言い出します。
「ではどうしましょう」と男君がきりだすと。女君すると吉野の宮の元で尼になると泣き出します。
男君ここで説得「それはいけません。両親がいるうちはこの世を見限ってはいけません。丁度里に私がいるようにしてくださいと言っているのでこのまま入れ替わりましょう。それから中納言と結婚したとすれば周りもおかしいとは思いません」と提案。
すると女君きょひる。

「あの人には行方を知られたくない。」といいだす。
すると男君
「あおいう好色ですがこようえなくというほどではありませんが、たいしたことないわけではありません。ただそうしたいなら父上の話もありますからまずはここを出ましょう。」

「父上にはこういう生活をしていたと知られたくないのです。」とぼそり。


男君はすっかりメンズしてる・・・・・・。これから尚侍で女装していた名残もまったくなくメンズ感大の男君です。
そういう話をしているうちに夜が明けそうなの男君はこっそり京へ戻った。

一方父の左大臣は女君が失踪してから病床にあって、そんな夜へんな夢を見る。

かくなおぼし嘆きそ。この御事どもは、いとたいらかに、明けんあしたにその案内聞き給てん。昔の世より、さるべきたがひめの有し報ひに、天狗の男は女となし、女をば男のやうになし、御心に絶えず嘆かせつるなり。その天狗も業つきて、仏道にこゝらの年を経て、多くの御祈りどものしるしに、みなことなをりて、男は男に女は女にみななり給て、思ひのごと栄へ給はんとするに、かくおぼし惑ふもいさゝかの物の報ひなり

聖が出てきて
案じる事はない。前世の行いの為に天狗が男を女に、女を男にしたけれど仏の祈りに成仏して今元に戻った。明日には吉報がくるだろう。という内容で、は???と思ったから男君の母の方の妻にこれこれというと驚いて男君が狩衣で女君を探しにいったと真実を伝えたところ。私が知らないとはと・・・・あきれている。

幼かりし時より交らひつき給にし大将こそびゞしかりしか、あへかに人にも見えず籠り給てし人と思に、かたくなしくおはすらんとおぼすに、御前に参り給へるに、起き上りて、御殿油かゝげて見奉り給に、たゞ大将の御にほひ有様二つにうつしたるやうにて、これは今少しそゝろかになまめけるけしきまさり給へり。かれは少しさゝやかに、小さき方により給へりしぞ飽かぬ心なりしかど、まだ年の若かりしに、これはいま少しものくしく、飽かぬ所なくぞ見え給。うちまぼり給て、夢のやうなる

男君が邸に帰り父と面会すると長く籠っていたから見劣りする男姿かと思いきや女君とうり二つで、さらに男っぷりが増してたいそう風雅で威厳がありまったく欠点がない。

その姿は失踪した女君でその人を思い出して涙する。

男君は女君が女の姿にいたこと、かくれたのは女に替わる為だったと話した。

父は疑問に思わず、うれし涙にくれる。
では二人入れ替わりなさいと言われると。男君は「まだお互いの世界を知らないので、いろいろ相談してからにします。」と話し合い、父は安心して御粥を召し上がる。

そうして男君を連絡をとりながらいついつに逃げると女君は宇治にいる。
そうはいっても若君が愛おしい、でも連れてゆけない。何故なら隠し子では世間に出せずにどうしようもない。
中納言も若君を愛しているから無体な事はしないだそう。
まだ中納言の子とわかるだけ世間へ出せるし、会える事に期待している。
しかし若君の事は愛おしい
若君を目離れず見給に、いみじくおかしげにて、やうく物語り、人の影まもりて笑みなどするを見るぞ、いみじうかなしかりける

そうこうしていると中納言も宇治に帰る。
もここにはいないと決めた女君は嫉妬もまったく見せない。

紅の単襲に、をみなめしの表着、萩の小袿、いたく面やせ給へりしが、このごろなをり給へるまゝに、いとゞはなばなとにほひを散らしたるさまして、御髪もつやくと影映るやうにかゝりて、丈に少しはづれたる〔末の、ふさくと物を引ひろげたる〕やうにかゝりたる裾つき、さがりば、八尺の髪よりもけにいみじくぞ見ゆる。額髪よりかけたるやうにかゝれる絶え間、かしらつき・やうだいなど、こゝぞとおぼゆるくまなく、うち見るにはいみじからんもの思ひもはるけ、憂へも忘れぬべく見ゆるに、心のゆく心地して、「子持ち栄へこそあまりにし給へれ。などて過にし方おはせし有様をめでたしと思ひけん。かくてはこよなくまさり給へりけるを。かゝるさまにてさし出交らはせ奉らんに、うち見ん人ごとに心惑はざらんや」と、限りなきけしきにかき撫でつゝ、わが身にもかへつばかりに思ひ惑はるゝ人の御心苦しさは、たゞ今は慰みて、異事なく語らひて臥し給へる

紅のを二枚重ねて、縦黄色・横糸萌黄色女郎花の表着に表紫裏白の萩の小ネ圭を着て華やかに満ちた髪を黒々とした美しい姿で迎え、辛きこと晴れ晴れとする悲しいことも忘れさせてくれるくらい素晴らしい。
「子供を産んでからさらに美しくなられましたね。以前の姿を美しいと思ってたとは。この姿を見たら殿上人も心惑われるでしょう」
女君を倒してはかき乱しながら抱いている。

そうこうすると京から四の君がいまに死にそうと使者がくる。
また変化があれば知らせに来るようにと中納言はその場にいる。
しかし出産も近いので、ここにも長くおれず。
女君にお伺いをたててみる。

「しばらくの間の事だから、無情な状態だから私が恨まれると困るからなんだよ。あなたは物の分別もあり嫉妬心もないので安心している。事がすんだら私を見て」あぁだこうだ言ってくださいとなんだなんだ行く理由をつけている。
女君には嫉妬もまったくないので、そんな事はない。「あちらが心配だからさぁ~~さあ早く。」と男を積極的に送り出す。
男はそれでも気がひけるから「あなたがさあ行ってくださいとおっしゃったら出ていく。」といので「さあ いってください」と女君が言って中納言は京へ行った。

馬鹿男~~~これが最後に知らないでまんまとひっかかった。まああ物語なんでね。

変はり給けしき見えじとさらぬ顔に忍ぶれど、出で給ぬれば、若君抱きて、つゆまどろまず泣き明かし給ふ。

変わったところをみせまいといつものように見送るが、家で若君を抱いては泣き明かす。


その翌朝四の君女の子を出産して、無事だという手紙がくる。女君はそぶりを見せずに返しの手紙を書いている。
まだ中納言が京にいると思うので、この頃がと

宮に消息聞え給とて、日ぐらしこの若君をつと抱きつゝ、忍びて打泣きなどし給ふ。

もう最後におもうので若君を抱きしめては一晩中泣いていた。
よく夕方男君に連絡して乳母にも再度縁者の男の訪問を手引きしてもらい。前回の様になにげなく若君を乳母にあずける。
そのまま車に乗り込み吉野へ向かう。

翌日には吉野へつき宮は元の所ではいけないので娘の部屋に一室もうけて女君を迎える。
父からもいろんな品が送られてくる。


心やましき思ひ絶えずいぶせかりし憂き世の中離れて、やすらかにおぼさるれど明け暮れ見馴れし限りなく山口しるかりし顔つきぞ恋しく

中納言との面倒な情交も切れてほっとしているが、明け方暮れ方に若君の有望な顔立ちを思い出し恋しいと嘆く。

男君は、たち離れながら、中納言の心の中苦しくおぼさるゝにやと心得たまひて、「あやしく世づかぬ有様も見奉り知り給にけん人を、あらためてかく離れさせ給はんも、あぢきなき御事に侍るべきを、いかにおぼしめし定めさせ給ぞ」との給を、「心より外に心得ぬ契りの有けるに、寝ざとくまではいかゞ侍らん。心憂しと思ひながら、何心なくいはけなき有様を身に添へて、あやしかりぬべき侍しかば。見捨てつる心苦しさばかりをなん思侍る」とて、忍びがたくうち泣き給ふけしき、いとあはれ也。「げに、さおぼさるべき事侍゛ な

その様子を中納言の心中を思い合っての事だろうと察し「これからどうしようとお思いですか」
と聞くと女君は「心外で納得の出来ない契りでした。その男と将来のことなど考えられないが捨てて来た息子の事を思っているのです」と涙する。

「なるほどそう思うのは当然です。その子が離れがたい御縁なのですね」
と父には息子の事はいえず、中納言とは縁を切りたいと思っているのだと推測した。
どうなるのだろうかと憐れに思われている。

男君のほうも東宮様がご懐妊?と思っていた頃に京を出てその様子も心配だしこの女君が尚侍で宮中にいて東宮様に仕えてくれたら、自然と近くにそういう機会もあろう。ならばといままでの事を詳しく女君に伝えた。

ふる里には、いとあはれにてたち帰りにくく侍れど、殿・上を思ひ聞えさする方はさる物にて、その御事によりてこそ、えさらず思ひ立つべく侍なれ」などうち語らひつゝ

やはりここで出家するわけにいかないなと二人入れ替わる相談をする。

お互いのいままでの経験を話し合い、女君は笛、筝、琴、琵琶などの楽器、漢詩や文字も真似しあう。
元々似ているのだから尚にせようとするからにないわけがない。それぞれ元の通りに勉強しあっているうちに

つれく ゛ なるまゝに、さし向かひて、おほやけわたくしかゝる御物語の中に、麗景殿の細殿におりく行きあひし人のことなどをさへ語り出て、「右の大殿の君のはじめよりの有様、大臣の明暮恨みられしを、内くの乱れは知らず、世にある程にては訪れぬ恨みいみじう侍なんものぞ。げにすべてつゆ飽かぬことなく、いみじうすぐれてみでたきを、権中納言のこと思ふに、心より外の事にぞ侍かし。今はうけばり、我ものといみじう思ひとゞめてあつかひ給しを、昔ながらもの給ひ寄らん事」など、みな語り聞え給。

話はだいぶはしおっているので実は女君が出仕してる時に麗景殿女後の妹という女と夜を話し明かしたり、和歌を送りあったりした話やなんと!四の君の右大臣の実家によらなかったらひどく恨まれたので四の君も大変素晴らしい女性で中納言との浮気も元は自分からではなかったと思うので男君が京へ戻ったら四に君の所に通ってくださいと申し出る。
ようは四の君と寝てくださいと言っている。・・・・・・・???

麗景殿女御の妹はまだわかるけど、
なんっせ後見人がいないと宮中でも肩身が狭いましてや後見をもたない麗景殿女御の妹では右大将は考えられる将来有望だもの。
ではなぜ???自分を裏切りプライドを傷つけた相手四の君に????。

これはどれか?
中納言への復讐 二人とも失う
四の君への慕情 心は男だからやはり中納言に対しての嫉妬・男君=私
右大臣家の後見 二人とも左大臣の子息だけど後見人は多いほどいい。右大臣の後見は味方になる。

全部かな???しかし平安時代の人も常識は???だけどね。

東宮一人まっしぐらかと思った男君
ここで前回に躊躇して姫君に手を出さなかったが、ここにきて美しい姉姫君にラブ~~~~流れのままにベットイン。
ようは父親公認の夜這いですが。
成就でき二人は恋人同士に。


さて一方の中納言、宇治に帰ると女君が若君を残して失踪。乳母や使用人を事情を聞くもさすがの乳母もいいだせない。
知らないと中納言途方にくれる。若君を抱いて泣き明かす。自分への歌もあるかもとそこらじゅうをひっかきまわすが、そんなものはない。四六時中若君を抱いて女君の無情さに泣いている。あれこれ詮索するもまったく足取りをつかめない。最後は若君がたよりとばかり悲しすぎて和歌も詠めない。


っていうかお前が悪い!!!この人更に馬鹿みたいになっていきます・・・・・・・。

さて四の君ですが、今回の産後の肥立ちが悪くていまにも死にそう。最後は父上の御顔を見ずに死ねないとさすがの母親も右大臣に直訴して。
元四の君をこようえなく愛していた父だからさすがに後ろめたくなり四の君の元へ。あえば愛情こようえなく。邸へ移してお世話する。四の君の中納言がこないのも父の所にいるからどと思い込んでいるのも丁度いい。
この姫君の愛しいと乳母をたくさんつける右大将がこないのが残念だと思ってる。

さて吉野では両親がいまかいまかと帰京を待っているので、もうそろそろというころ。
男君は姫君を京へお連れしたい。でも姫君はこのひなびた父のいる場所を離れるのもさみしい、京は気後れすると・・・・・。
とりあえず今回は吉野に残してお迎えの準備が出来たら、おつれしようと思っている。

さて二人京へ次は最終章です。
どうなるか?ってかだいたい検討はつくでしょうが。でも中納言の展開が面白いですよNNN





とりかへばや物語第一章

とりかへばや物語

訳:とりかえたいなぁ~~~物語

平安末期に原型の物語が作られ、鎌倉初期に現在の物語として残る平安ハード系ラブコメ
現代でも十分に楽しめる古典の一つ
源氏物語とは違い、登場人物も多くはないけれどそれぞれの個性がきらりとひかる展開で非常に面白い。

テーマは「親子愛」「男女愛」「兄妹・姉妹愛」

この物語が他と違うのは当時としてはストーリーの奇抜や時に変態的と呼ばれる「とりかへばや」は男と女を取り替えたい。
という出だしから始まる平安時代としては特殊な男女交換物語です。
大事なところだけ原文と略解説&主観的感想を述べます。



いつの比にか、権大納言にて大将かけ給へる人、御かたち身の才心もちゐよりはじめて、人柄世のおぼえもなべてならず物し給へば、何事かは飽かぬことあるべき御身ならぬに、人しれぬ御心のうちの物思はしさぞ、いとつきせざりける

いきなり権大納言で大将の憂いという出だし
憂いの原因は二人の夫人がそれぞれ生んだ男女の子供達の事

源宰相(元皇族参議)の女(むすめ)には男子(兄君)が、藤中納言(藤原氏で中納言の地位)の女には女子(妹君)が誕生した。
しかもこの異母兄妹双子かというほど顔がそっくりでしたが、気性がまったく真逆の男君が女らしくて女君男らしい


若君はあさましう物恥ぢをのみし給ひて、女房などにだに、すこし御前とをきには見え給事もなく、父の殿をもうとく恥づかしくのみおぼして、やうく御文習はしさるべき事どもなど教へきこえ給へど、おぼしもかけず、たゞいと恥づかしとのみおぼして、御丁のうちにのみうづもれ入りつゝ、絵かき、雛遊び・貝おほひなどし給を、殿はいとあさましきことにおぼしの給はせて、つねにさいなみ給へば、果てはては涙をさへこぼして、あさましうつゝましとのみおぼしつゝ、たゞ母上・御乳母、さらぬはむげに小さき童などにぞ見え給ふ。さらぬ女房などの御前へも参れば、御几丁にまつはれて、恥づかしいみじとのみおぼしたるを、いとめづらかなる事におぼし嘆くに、

又姫君はよりいとさがなくて、おさく内にも物し給はず、外にのみつとおはして、若き男ども童べなどと、鞠・子弓などをのみもてあそび給。御出で居にも、人く参りて文作り、笛吹き、歌うたひなどするにも走り出で給て、もろともに人も教へ聞えぬ琴笛の音も、いみじう吹きたて弾きならし給ふ。ものうち誦じ、歌うたひなどし給を、参り給殿上人・上達部などは、めでうつくしみきこえつゝ、かたへは教へたてまつりて、この御腹のをば姫君と聞こえしは、ひが事なりけりなどぞ、みな思ひあへる。殿の見あひ給へるおりこそ、とりとゞめても隠し給へ、人くの参るには、殿の御装束などし給ほど、まづ走り出で給ひて、かく馴れ遊び給へば、中くえ制しきこえ給はねば、たゞ若君とのみ思ひて、もて興じうつくしみ聞えあへるを、さ思はせてのみ物し給ふ。御心のうちにぞ、いとあさましく、返ゝとりかへばやとおぼされける。


しかも屋敷を訪問した客人(もちろん貴族)の前に現れた女君が若君として申し分ない様子をほめたたえるので権大納言の憂いはますばかり・・・・・・・・。


平安時代も現在も男が男らしく女が女らしくは変わらない。
当時は儒教の影響もあり、「女は慎ましく親兄弟に使え、結婚すれば夫に仕え絶対に表にでない」が美徳。
なのにその常識を打ち破って物語といえども性への挑戦を仕掛けているのです。
これかなりこの時代革命的な物語です。

物語続く
殿上人達がそのたぐいまれな優秀さを宮中で噂をするので、帝と東宮が殿上童(公卿たちの子息が顔見世感覚で宮中に出仕)に何故出仕させないのか。
童子であるからかだと考えた帝は女君に五位の位を与える事態になり大夫となります。
やけくそになっていた父親の権大納言も女君を元服させて出仕させるしかなくなります。
どうせなら男君も裳着を済ませようと二人揃って今でいう成人式を行い、女君の宮中出仕も始まります。

女君の男装しての宮中出仕しかも父親が大納言となれば、実力と運次第で出世していく時代。普通に考えれば絶対無理物語。
当然物語なのでそこらへんきっちり展開していきますが。

さて当時の上流貴族の姫君は帝の妃か宮中に出仕している女官以外は邸宅内で一生過ごします。
ほぼ一歩も動かないといっていいでしょう。
なのに男装して男の前で始終さらされる。女官でもあるまいし・・・・・・。
この君、なを幼きかぎりはわが身のいかなるなどもたどられず、かゝるたぐひもあるにこそはと、心をやりてわが心のまゝにもてなしふるまひ過ぐしつるを、やうく人の有様を見聞き知りはて、物思ひ知らるゝまゝには、いとあやしくあさましう思ひ知られゆけど、さりとて、今はあらため思ひ返してもすべきやうもなければ、などてめづらかに人にたがひける身にかと、うちひとりごたれつゝ、物嘆かしきまゝに身をもておさめて、物とをくもてしづめつゝ交らひ給へる

さすがに世間に出て女君を自分の性格と宿命に悩み始めます。


出仕した女君は大夫→侍従の君→中納言へ出世、その美貌を見て妹君(実は男君)も似てるというからと理由で帝や東宮両方からも入内まで催促される始末。
勿論出来ないので権大納言は「恥ずかしがり屋さんなのでお相手出来ない!」と遠慮美味に断っていた。

さてそのころ宮中にも美目秀才な貴公子がいました。
式部卿の宮の一人息子この人も大変美男子でしたが、もっのすごい女好きで、そこかしこに出かけては女あさりを繰り返し、今は権大納言の女君と右大臣の四の君を狙っていました。


この侍従のあまりいみじく物まめやかに、乱るゝ所もなくおさめたるこそ、おまりさうく ゛ しきやうなれど、見る目かたちの似る物なく、愛敬こぼれてうつくしきさまの、かゝる女のあらましかばと、見るたびにいみじくおもはしきを、妹もかくこそはものし給らめ、女はいま一際まさるらんほどを思ひやるに見たてまつらでやむべき心地もせず。わびしきまゝにこの君をいとよ
く語らひ、思ひあまるときは涙もつゝまず、うれへ嘆きかへるさまの、人よりすぐれてあはれになまめきたるを、いとおしくあはれに、異人よりはなつかしくうち語らひながら、我はいと打とけむつびられず。うち出づるごとには、人の御身の世づかざりけることのみ知らるゝに、胸うちつぶるれば、いたくもあひしらはづ言少ななるほどに、心恥づかしうのみもてなしたるを、ねた
く恨めしと、涙をもつゝまず、思ひ焦られたるけしきの心苦しさを見るごとにも、
  たぐひなく憂き身を思ひ知るからにさやは涙のうきてながるゝ

とぞ答へまほしけれど、何事をさは思ふぞと問ひかゝらんも、述べどころなければ、たゞなさけなくもてすくよかなるさまにてぞたち別れける。
この式部卿宮の子息が侍従の君を女だったらすばらしい美貌だろうと妹への関心を女君に訴えるも上の空の女君
そりゃ自分の憂いのほうが一段上。
この式部卿宮の女だったら❤がのちのち事件を起こします。


そうこうしていると帝が譲位東宮が帝になり、新東宮には院の女一の宮が東宮も擁立されます。
父が左大臣関白に女君も三位中将に出世します。

出世するやいなや元服の際に若君の御引き入れ役だった殿の御兄の右大臣殿(叔父にあたる)がなんと娘の四の君との結婚を模索し始めます。
これになんと実母が「大丈夫よん相手はねんねさんだからやりすごせるわ・うちのこだって後見できるわ!!」超つよき発言。
この時四の君19歳当時の19歳は今でいうと24・5歳ねんねどころではありません。

これに父と本人戸惑いながらのっかってしまい結婚してしまいます。
四の君は初めは帝の妃になるつもりで教養を身につけていましたが、中納言の美しさに次第に心を寄せてゆきます。
しかし相手は女!当然肉体関係はありません。昼間は優しく接し、当然ながら他所に女もいません。
夜の寝所では一重一枚隔てて談笑しながら夜を明かします。
そんな日々の宮中の宿直で

九月十五日、月いと明かきに、御遊びにさぶらひて、御宿直なる夜、梅壺の女御のまうのぼり給を、わざとゆかしくはあらねど、藤壺へ通る塀のわたりに立ち隠れて見れば、更けぬる月のくまなく澄めるに、火取り持たる童の、濃き衵に、薄物の汗衫なめり、透きとをりたるに、髪いとおかしくかゝりて歩み出でたり。女房もみな打ちたる衣に、薄物の唐衣脱ぎかけたる、たゞ今の空おぼ
えておかしく見ゆるに、女御は御凡丁うるはしくさして、いみじくもてなしかしづかれ給さまの心にくゝめでたきを、あわれ、あないみじ、ひたおもてに、身をあらぬさまに交らひありくは、うつゝの事にはあらずかし、と思ひ続くる
に、かきくらさるゝ心地して、
  月ならばかくてすままし雲の上をあはれいかなる契りなるらん
我こそ契りつたなくてかゝらめ、姫君だに世の常にて、かやうの交らひし給はましかば、飽かぬ事なからまし、身を嘆きても、一人は世の常にておはすと見てこそは、かやうのおりのぼりのかしづきもせましなど、我身ひとつのこ
とを思ひ続くるに、これより出でてやがて深き山に跡も絶えなまほしくおぼゆるまゝに
、とばかり見送られて

結婚したとはいえ自分は女
結婚後に偶然宿直をしていた時に天皇の夜の御座所に向かう女御の一行を目にして自分もこうかしずかれて行きかう者であったかもとしんみりする女君今後の運命もちらりとした瞬間。

男社会へ出て女である自覚が芽生えた女君
このなかなかの説得力作者上手い!!!


その姿をたまたま式部卿宮の子息も見ていた女君を

男の身にめでたく見ゆるをと絶賛し四の君もこういう人の近くにいるのでから自分では見劣りするとしょんぼり。


式部卿の宮の一人息子の貴公子も宰相中将に出世し、四の君を取れた中納言に妹の仲介役と三の君の慕情も手伝って、このころ女君の自分の性の不一致に悩と中将の恋の悩みと重なって二人に変な友情も芽生え始めます。

 その事と思ふならねど月見ればいつまでとのみ物ぞかなしき
答へたる声もいみじうにほひあり、なつかしうおぼゆるに、今めかしきくせはほろくと泣かれて、
  そよやその常なるまじき世中にかくのみ物を思ひわぶらん

二人で切ない和歌なんど、うたい合いさらにはお互い山深く出世しましょうと意気投合。
原因はまったく違いますが・・・・・・・。
女君は物思いが深いけど、宰相中将ほうはなんとか中納言をかいして内侍に恋のキューピットを買ってもらいたいいやらしさ大の友情。



さて男君はというと、邸宅で暮らしていました。
中納言の妹は、いかにしなさんと思ひおきてられたるぞ」と問はせ給。例の猶御けしきあるかと胸つぶれて、「いかにもく思ひ給へず。親と申せど、あさましううとく恥づかしき物に思ひて、に見え侍れば汗になりて心地さへたがへたる人なれば、尼などに
なして、その方におもむけてや見ましとのみなん思ふ給へなりにたり」とて、うち泣き給ひぬるを、げに世をのがれんとにはあらざりけりと、あはれに御覧じて、「それいとあるまじき事也春宮はかく ゛ しき人なく、をのれをたち離れて、いと心苦しきを、その君御遊びがたきに参らせ給へ。世中にともかくもあらば、后にはゐ給なん」とおほせらるゝ

しかし朱雀院が別居した状態だったので、たっての希望で女一の宮の東宮付き尚侍に宮中へ出仕が決まります。
十一月十日ごろに参らせ奉り給。何事かは飽かぬことあらん。女房四十人、童・下仕へ八人、めでたくかしづきたてて参らせ給
に、世の常なるべき御交らひにもあらぬに、そのこととなくてさぶらひ給はんもそゞろなれば、内侍の督になりてぞ参り給ける

しばしば御帳に御殿籠るに、宮の御けはひ手あたり、いと若く、あてにおほどかにおはしますを、さこそいみじう物恥じしつつましき御心なれど、何心なくうちとける御らうたげさには、いとしのびがたくいて、夜夜御宿直のほど、いかがさし過ぎ給ひけむ

どういう事かというと、ベットを一緒にしているうちに女一の宮が大変可愛らしいので、ある夜伽の夜まだ年若く無抵抗な女一の宮を手籠めにしてしまい男女の仲になりました。
女一の宮は驚いたものの内侍の信認厚い貝覆いやへんつぎ、物語や人形遊びなど遊び相手に始終一緒にいました。

っていきなり男の行動して性格変わってるやん!!!


女君の方はなんとなく男女の関係に傍から見えるように和歌を詠みあったり、仲の良い夫婦関係をよそおいます。
そんな時同僚で2歳上の宮の中将が女君の兄世間では女君に恋の仲介役をせまっていました。
相手は男同士なので当然拒否られます。


例の中納言殿に語らひて慰めんとおぼして、前駆などもことくしうに追わせず、しのびやかにておはしたれば、例ならずしめやかにて、「内裏の御宿直に参らせ給ぬ」と言ふが、かひなく口惜しく、内裏へや参らましなどながむるに、内の筆の琴の音ほのかに聞こえたるに、耳とまりてさならんかしと思ふに、これもあさからず心を乱りし人の「塩焼く煙」になりしぞかしと思ふに、今とても思ひ放たぬ心は胸うちさはぎて、とかくまぎれ寄りてかいばめば、端近く簾を巻き上げて、弾き出でたる音を聞くよりも、月影にいと身もなく衣がちにて、あえかにうつくしうなまめきたるさま、内侍の督と聞こゆとも、限りあれば、これにはいかゞまさり給はんとする、すぐれたる名は高けれど、いとかくは思はざりしを、まことにいみじうありけるかなと思ふに、又魂一つはこの人の袖の中に入ぬる心地して、見捨ててたち帰るべき心地もせず。うつくし心もなくなりにければ、さば、今宵入りなんと思ふ

おいおい夜這いしようとしてるよ。

 忘られぬ心や月にかよふらん心づくしの影と見けるはけはひのあらぬに、あさましとあきれて、顔をひき入れ給を、かき抱きて、丁
の内に率て入りぬ。「やゝ」
とおびゆるやうにし給を

悶々とする中、宮の宰相は中納言の邸宅で四の君を見初め、なんと強姦(平安時代はそもそもあまり強姦という観念がない。)してしまいます。
訳もわからずに強姦された四の君は御乳母子の左衛門の手を借りて急場をしのぎます。
宮の宰相は泣く泣く邸宅を後にしました。
ゆうつな宮の宰相が邸に籠って参内しません。それを聞いた中納言が見舞いにゆきます。
大変気まずい宰相そりゃそだろ。
なのに好色なたちは治らず、四の君との関係はアバンチュールでますますのめりこむ。中納言との結婚に冷たいと感じていた左衛門は熱心な宮の宰相に四の君との手引きをします。


始めこそ泣き戸惑っていましたが、初めて男性を知り性に目覚め後ろめたさを持ちつつ宮の宰相に愛まで感じついに妊娠してしまいます。

中納言の君は、宰相のいとありしやうにはあらず、いみじく物を思ひ入れたるけしき、もとより心ざし深しと聞きしに、この人ばかりこそあらめ

ああぁ女の感大当たり~~~~四の君と宮の宰相の中
悶々とする中納言はどう対処すればいいのか?悩みぬき人をかいして聖という吉野の宮という先先帝の皇子で唐へゆき学問の究めた予知能力もある人物をある人を仲介して訪問します。
吉野の宮は娘2人の縁ある人と中納言と接し厚遇して接待します。
「しか御心ならずおぼすべき事なれど、それしばしの事也。いかなるにもこの世の事ならず、前の世の物の報ひなれば、ともかくも人のおぼすべき。この世に、世を嘆き人を恨むるなん、いと心幼く、むげに悟りなきことに侍べき。さらにおぼしいとふべき御事にも侍らず。つゐには思ひのごと、上を極め給べき契り、いと高くものし給めり。くはしく聞こえさせずとも、をのづからさ言ひきかしとおぼしあはするやうもあらん。うたて、相人めかしく聞こえ続けじ」との給を

とにかく前世からの宿命ですから激しく嘆き悲しまずに人臣の最高位にいずれおつきになるという予言までしている。


その姿に感銘を受けて、娘2人とも近しくなり、心を慰められるも都に戻る
「世にあらん程は、なを朝夕の隔てなく見え給へ」とて、涙ぐみ給。

ようやく戻った女君にたいそう涙して、戻ったからには毎日顔を見せてねと涙ぐむ。
パパ優しい~~~~

中納言と四の君は何事もなかったように表上夫婦を演じています。

そして四の君出産姫君誕生

この世には人のかたみの面影をわが身に添へてあはれとや見ん
中納言姫の顔を見て宮の宰相にそっくりでやっぱりで詠んだ和歌

七日の夜、大将殿の御産養にて、上達部・殿上人、残りなく参りづどひたるに、宮の宰相のみぞ、いたはる事有て参らぬ。

中くさもありぬべきまぎれかなと見て、御殿油などとかくまぎらはして入れてけり。女君、いとおり悪しとおぼしながら、あながちなりける契りのあはれにのがるべくもあらざりつるに、いと暗くはあらぬ火影に

、深くあはれと心にしめられんと尽くし給ふ言の葉・けしき、何の岩木もなびきつべきに、女君も心強からずうち泣きて、いみじうあはれげなるけしきに、いとゞたち別るべき空もなし。

まだ事も果てぬに、中納言、衣どもを人に脱ぎかけて、いと寒かりければ、忍びて衣着かふとてまぎれ入り給へるに、丁の内にあきれ惑ひ騒ぐけしきのあやしさに、さしのぞき給えれば、起きかける人は丁より外に出でたるべし。いたく騒ぎて、扇・畳紙など落したなり。女君、いみじとおぼし入りて、隠さんの御心もなきに、やをら寄りて、扇の枕上に落ちたるを火のもとに寄りて見れば、赤き紙に竹に雪の降りたるなど描きたるが塗骨に張りたるに、裏の方に心ばへある事ども手習ひすさびたる、その人のなりけり。さればよと思ふに、かくまぎれんとて来ぬにこそありけれと思ふに、いみじうねたかるべき事のさまなれど、さしもおぼえず。男はさこそあらぬ、女はしもいと深くはおはせぬ折といひながら、今はじめたる事ならねば、仲立ちの人も知らぬやうもなかりつらん、かうなど消息しけん物を、かゝるほどうひとけ人給ひつらんは、おぼろけにおぼすにはあらぬなめり、かの人の、心ざしにまかせて嬉しとは思ひながら、なま心劣りせぬやうはあらじかし、いと恥ずかしき人をかつはうち思ふらんかし、のどかに我なきひまくも多かるものを、かばかりうちとけ給へるほどの、いみじう騒がしうのゝしりたる折しも、見る人もありつらん、人目こそ我ため人のいみじういとをしけれ、なをいかにすべき世にかあらん、さりとて、このあたりにかき絶えなんも、人聞きいと軽く ゛し、さりとて、かくの
みかたみに人目もつゝむましかめるに、知らず顔にて過ぐさん事も、いと心なきことと思ひ乱れて、遊びや何やかやとあれど、いたうももてはやさず。

祝いに衣を渡して寒くなった中納言は衣をきようとして四の君の寝室に入ると、さっきまでいた宮の宰相はその場を立ち去り、下に扇と帖紙落ちていたのを拾うと宮の宰相の筆つかいで和歌をしるしている。
やはりそうなのだと確証する。だからこないのだ!四の君と宮の宰相の逢引きを目撃浮気相手を知ってっしまいます。
まだ前半クライマックスの第二章に続きます。

さて物語では処女でない尚侍が天皇の寵愛を受けてその後中宮までに登りつめるのですが、史実にそのような事はあったのか?
ふと調べてみた。

桓武天皇の宮人 藤原北家、大納言・藤原真楯の三男の妻
百済永継- 飛鳥部奈止麻呂女、藤原内麻呂室、冬嗣母(平安時代繁栄を極めた北家の長)

その後桓武天皇の後宮に女官として仕え桓武天皇の間に良岑 安世という息子も生んだ。

あくまでも女官でありいわば愛人扱い

平城天皇の尚侍
藤原薬子 中納言藤原縄主の妻で三男二女の母
幼少の長女が桓武天皇の皇太子安殿親王(平城天皇)の宮女として宮仕えに上がり、東宮への宣旨(口宣を蔵人に伝える女官)
に後宮に入ったが自身が皇太子安殿親王の寵愛を得て桓武天皇に後宮を追放された。
その後平城天皇は薬子を後宮に呼び戻し内侍にして寵愛します。
後に平城天皇と嵯峨天皇の皇位争いに巻き込まれ自殺します。

内侍という立場で正式な妃ではなく愛人扱い

しかし当然正妃でもなく、有力貴族の娘でもないためあくまでも愛人という地位



藤原褒子京極御息所 藤原時平の娘
当初醍醐天皇に入内する予定をその父の宇多法皇に見初め、関係回復を模索していた時平もそのまま法皇御所へ出仕して尚侍になった。
親王を生んだのですがやはり正式な妃ではなく京極御息所と呼ばれています。
なんと宇多法皇の寵愛を受けていた亭子院に住んでいた頃に陽成天皇の皇子元良親王と密通していたというのです。
元良親王の歌「わびぬれば今はたおなじ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ」は、後撰集の詞書に「事いできてのちに京極御息所につかはしけるという一文が根拠とこと

一条 頊子 摂政関白・一条実経の娘 
後二条天皇の後宮に入り尚侍に。17歳下の天皇に仕えたからか天皇の叔父や父上皇にもお手付きになったという記述も


(後二条天皇)堀川の大臣の家に渡らせ給ひし頃、上臈に十六にて参り給ひて、はじめつ方は、基俊の大納言、疎からぬ御仲にておはせしかど、かの大納言の東下の後、院に参り給ひしほどに、事の外にめでたくて、内侍のかみになり給へる、昔思えて面白し
増鏡

しかし当然正妃でもなく、有力貴族の娘でもあくまでも愛人

女御で入内するも処女ではない可能性もある女性

藤原高子 藤原長良娘 清和天皇女御・陽成天皇生母
正式に星和天皇の女御で入内、親王まで生むも同母兄である摂政藤原基経や、異母姉でかつ源定省(のちの宇多天皇)の養母だった尚侍藤原淑子といさかいが多く対立して高子の産んだ子は皇統から外れてしまう。
伊勢物語、大和物語などを事実とすると入内する以前に在原業平と恋愛関係があったという説もあるが、傷物の娘を入内させるか?とい点物語を事実とするかという点?あいまい。

尚侍ではない正式の女御だが入内前に処女か処女でないかは不明


女御の身分で不倫してその男の子を妊娠した人あり

藤原 綏子 摂政太政大臣藤原兼家の三女 三条天皇の皇太子時代の妃
14歳で尚侍となり麗景殿を局とし東宮に寵愛されたものの、「夏の日、東宮は綏子に「私を愛するならば、私が良いというまで持っていなさい」と言って、氷を手に持たせた。綏子は従順に手が紫色に変わるまで持っていたので、却って興ざめした東宮の心証を悪くして寵愛を失ったといいます。
その後土御門西洞院の里第に籠もっていた頃、弾正大弼・源頼定と密通事件が発覚。
その是非を異母兄道長に実検させると、道長は綏子の衣を荒っぽく開いて乳房を捻り、母乳が迸ったのを確認して帰参して事実をを啓上したといいます。一条天皇のころには正二位に登ってますから、そんなに大問題にはならなかったでしょうね。
三条天皇も言った相手が悪かった東宮時代でも道長は心良く思ってなかったですからね三条天皇に。

この人は噂の域 
藤原璋子藤原公実の娘 鳥羽天皇の中宮 崇徳天皇と後白河天皇の生母 白河天皇の養女
これも噂ですが白河院と祇園女御の養女となり、そのもとで育った大納言の娘
とかく噂では白河院の女であった可能性が当時からありました。同じ几帳の中で寝起きしてそこそこの年まで院の胸の中に足を入れて寝ていたと女官の証言もあり、摂関家の嫡男・藤原忠通との縁談もあるも璋子の素行の悪さを理由に断った。
大変に美貌な持ち主と白河院の後見で院が尊命中は押しも押されぬ中宮。
しかし院がなくなると最後は剃髪して出家します。

なしですね~~~~

 
では第二章お楽しみに

春から夏へ 京都上生菓子「岩根の躑躅」

いつも美味しい京都の和菓子をテーマにアップします。

和菓子は日本の四季を表現した食品にして芸術です。
特に上生菓子は茶席で出されるほどの上質な材料と職人の手を経て私たちの元に届けられます。

菓子の歴史は案外古くて縄文時代には木の実、果物特に栗と柿が元祖と言われています。
まだ農耕がおこなわれていない頃はそれらの食料を加工をほどこし団子として食していました。
その後農耕が始まるともち米が栽培されると「餅」が作られます。
しかし甘味料はまだ知られず、果実の甘みしか知しませんでした。

奈良前期には米もやしの水飴、甘葛などの植物から出来る糖が精製され、これらは皇室や一部の貴族達への献上品として大変高価で希少価値の高い物でした。

今風の加工菓子は奈良時代中期に遣唐使により唐菓子と呼ばれる五穀を中に入れて揚げた菓子が初かもしれません。
しかしやはり同じ理由で庶民には伝わわず、神様のお供え物もしくは宮中や貴族の饗宴でしか食されていませんでした。

さて京都で最古と呼ばれる菓子屋はどちらでしょうか?とらやか川端道喜か?
いえいえ平安時代中期、一条天皇が国内で流行り病を鎮めようと今宮神社を建立した時に移り住みあぶり餅屋を営んだ「一和」と言われています。
いわゆる門前茶屋で、あぶり餅はあぶった餅に味噌をつけた素朴な味わい、無病息災を願う縁起物の菓子で現在も子孫が商いに励んでおられます。

その後室町時代前後に「亀屋陸奥」「川端道喜」「虎屋」など京都を中心に現在も経営をされています。

この菓子が広まるきっかけが鎌倉時代前期に栄西禅師が大陸から持ち帰って伝えた喫茶茶の湯の流行です。
抹茶と菓子の組み合わせが確立します。

始め菓子は汁で羊肉のスープが本来のレシピでした。
しかし仏教を尊ぶ者には殺生嫌いこの汁を小豆などを象ったものを入れたので字だけ羊羹をあてがい茶の湯の菓子として始まります。
その後羊羹は持ち帰り用にして変化して、小豆を煮て砂糖を加えた生菓子が主流をしめていきました。
生菓子はその一瞬しか美味しさを維持できませんから「一期一会」の茶席にふさわしい物と言えますね。

さて15世紀中頃に砂糖が貿易によりもたらされます。
室町、安土桃山時代にはキリスト経の伝道師・貿易商のポルトガル人やスペイン人の伝来により、ボーロ、カステイラ(カステラ)、金平糖(こんぺいとう)、ビスカウト(ビスケット)、パン、有平糖、鶏卵素麺など砂糖を使用したお菓子として発展してゆきます。
この頃には茶の菓子はこういった新しい菓子、いわば洋菓子でした。

最も和菓子が発展するのは江戸時代ようやく戦乱の世が終わり天下泰平をおおかし、経済が発展すると菓子職人達は皇室、公家、武家、豪商、豪農といった経済力のある人々の依頼を受けて華やかで優美な和菓子が文化として人々から愛されます。

その後明治から昭和にかけて西洋文化が入った事でその地位をあやぶまれますが、戦後京都のブランド力と抹茶の洋菓子を広める事で再評価されています。

上生菓子は茶席で出される事が多いのでやはり茶道ありて大きく発展していきます。
京の和菓子

京の和菓子といえば切っても切り離せないのは「御所」いわゆる「禁裏御用達」の老舗菓子店達です。

江戸中期
「棹菓子二口屋・数菓子虎屋・餅菓子川端道喜」が三大和菓子御用達店でしょう。
では御用達はそれは名声と巨万の富を得ていたのでしょか?
いえその逆かもしれません。
昔は代金の支払いは夏と冬に限られていました。掛け売りだったわけです。
しかもその相手の財政によっては支払いすらされず、負債をかけなくてはなりませんでした。しかも武家に政権を奪われてからの朝廷は権利も財源も極端に制限され、特に室町後期戦国時代の間は天皇は食事も満足に出来ないほどだったといわれています。

ここで奥の手献上となるわけです。
この時代この献上の嵐となったそうです。出入り業者はなくなく従ったといいます。
しかしそんな不遇の時代でも「御買物始め」の代金はしっかり払ったのだそうです。
事初め宮中行事がいかに大切だったかと言えます。

上記の三大菓子屋はそんな時でも天皇家へ半ば献上ありきで御所へ菓子を納めていたのです。

ではでは本題へ。
本当は櫻からテーマを始めたいのですが、思いついたのが染井吉野櫻散る頃、和菓子は季節が早い時期に創作されるのですでに遅し・・・・で。

①アップは春・秋を中心にたまにそれ以外の季節の限定的な菓子を紹介
②京都老舗の和菓子店
③お題は一から三で同じものもしくは数種、季節に合わせた題材で数種類の上生菓子を比べ食べ
をコンセプトにしていざ開演~~~~~
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本日の上生菓子
左から右に→鶴屋吉信・本家玉寿軒・とらや・二条若狭屋・上の粽が仙太郎


4月中旬から5月初旬

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岩根の躑躅

昔の人は岩の根もとに咲いた躑躅を岩根の躑躅と呼び好んで古歌に詠みました。

竜田川いはねのつつじ影みえてなほ水くくる春のくれなゐ
藤原定家


岩躑躅折りもてぞせこが着しくれない染めの色に似たれば
和泉式部

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「岩根の錦」
とても綺麗でしたので躑躅つながりで
とらや
室町時代後期の京都で創業
後陽成天皇の御在位中より御所の御用達として、明治天皇の遷都の機に本社を東京へ移転し現在に至ります。
ようかんといえばとらやとらやといえばようかんというように生菓子よりもようかんで全国っ区なメジャー老舗店
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羊羹製白餡入

「岩根の躑躅」
鶴屋吉信
1803年初代鶴屋伊兵衛が京に創業の和菓子店四代目の稲田儀三郎の時に誕生した京観世の菓子が有名な老舗店
全国展開に成功したメジャーな老舗店

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「岩根の躑躅」

本家玉寿軒
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岩根躑躅
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きんとん

5月の節句
5月も季節が春から秋へ変わる季節の変わり目です。
その変わり目に体調を崩しやすい「平安時代の邪気を祓う」必要があります。
その行事が粽を食べ、家の軒先に菖蒲を飾りその香りで邪気を祓う行事でした。
今日では男の子のまつりとして知られていますが、実は昔から老若男女問わず行われていた重要行事だったのです。



菖蒲

ほととぎす待てど来鳴かず菖蒲草玉に貫く日をいまだ遠みか

大伴家持


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二条若狭屋
総本家若狭屋で修行した初代がのれん分けを受け、大正6年に創業した名店

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練り物・こしあん

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「粽」一枚笹
仙太郎
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今回の抹茶は岩根躑躅でアップした躑躅は建仁寺正伝永源院で撮影したものです。
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ので抹茶は建仁寺御用達「建久の白」を

塔頭の抹茶席で出されている抹茶です。
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うま味と苦みのバランスOK
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