舞少納言の「香取神宮・行啓お供」

今回黒田装束店さん来店と早稲田の待賢殿勉強会を予定していましたが予定ができて急遽中止延期に
でも装束熱は冷めやらず・・・・関東へ別件で訪問することになったので!
抽選にあたるかどうか?でしたが、千葉の博物館のイベントに申し込みました。


申し込み多数時は抽選ですが無事に当選

千葉県立中央博物館大利根分室での平安装束体験
衣紋者の方々は東京成徳大学の装束班さんです。


関空からジェットスターで成田空港へ。
成田からは近いので助かります。
成田へ成田山新勝寺に出かけてから再び列車へ。
電車で一本バスの乗り換えで到着です。


佐原は利根川を水路として利用し、古くから水郷の町として知られた関東の観光名所だそうです。

「小江戸」と呼ばれるそうです。
佐原駅から路線バスに乗って潮来あやめパーク入り口で下車徒歩5分で「千葉県立中央博物館大利根分室」へ。

「利根川の自然と歴史」「千葉県の農業」を常設展示の全体テーマとし、千葉県の北西部にあたる香取・海匝など東下総地域の自然と歴史について学べる博物館
今回も無理をいい、直衣ネ包袴体験します。

青柳先生と装束班の学生さんにご挨拶
今回は時間内に4組同時着付けの為に女房装束は3着しかなく争奪戦の模様ですが、舞は男子装束だったのでオンリーワン
先生に無理をいい

直衣ネ包袴
しかもせっかくなのだからとご厚意で出し衣付きに!!

ありがとうございます。

貴族の私的な行事(結婚儀・私的な宴)、神社への参拝少しあらたまった時に着る装束です。
いわゆる晴れと褻の間の装束です。

源氏物語 御幸 内大臣(頭の中将)の装束
葡萄染の御指貫、桜の下襲、 いと長うは裾引きて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし、 あなきらきらしと見えたまへるに

ネ包の色の記述がありませんが、太政大臣に母の私邸とはいえ会うのですから位ネ包か白の直衣???
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これが直衣ネ包袴

あと定説ですが、源氏の姿のそうだとしています。

源氏物語 花宴
桜の唐の綺の御直衣、葡萄染の下襲、裾いと長く引きて。皆人は表の衣なるに、 あざれたる大君姿のなまめきたるにて、いつかれ入りたまへる御さま、げにいと異なり。花の匂ひもけおされて、なかなかことざましになむ。

訳:桜の色の支那錦の直衣、赤紫の下襲の裾すそを長く引いて、ほかの人は皆正装の袍ほうを着て出ている席へ、艶えんな宮様姿をした源氏が、多数の人に敬意を表されながらはいって行った。桜の花の美がこの時にわかに減じてしまったように思われた。

源氏物語 行幸より
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六条殿は、桜の唐の綺の御直衣、今様色の御衣ひき重ねて、しどけなき大君姿、いよいよたとへむものなし。光こそまさりたまへ、 かうしたたかにひきつくろひたまへる御ありさまに、 なずらへても見えたまはざりけり

訳:
六条の太政大臣は桜の色の支那錦の直衣の下に淡色の小袖を幾つも重ねたくつろいだ姿でいて、これはこの上の端麗なものはないと思われるのであった。自然に美しい光というようなものが添っていて、内大臣の引き繕った姿などと比べる性質の美ではなかった。

失敗!!髪の毛をくくるゴムわすれてしまった!!大失敗でございます

→ただ一つ気になるのは内大臣の直衣ネ包袴姿はOKとしても問題は源氏です。


ただ大君姿しかもしとげなく???
指貫の記述もありません・・・・・。これはどう解釈すればいいのか???

そもそも大君とは?

おおきみ・おおぎみは日本における天皇、皇子、皇女に対する尊称


この場合は皇子ということになります。
でもここで確認
源氏は確かに天皇の第二皇子でしたが、元服後に臣下になっています。

つまり皇子ではなくなっています。
大君姿をする行為はNGなはず、まあ物語なんである程度は黙認?
でも明らかに当時の認識と秩序を逸脱するとバッシングされかねない。
なんたって身分がすべてを支配する社会です。

この姿を大君姿というと同席している内大臣も直衣ネ包袴姿=大君姿ならその姿なはずですよね。
でもそうは記述していません。

ん~~~~~百歩ゆずって源氏だけ上半身のネ包の紐をほどいていたとしても???わざわざ大君姿と記述する?

そもそも大君姿=直衣ネ包袴 再検証がいるかも??????

先生・装束班の生徒さん達ありがとうございました

観光の情報は【こちら】


観光も終えて東京都内へ向かいます。
東京駅から今日は池袋サンシャインから夜行バスが出発します。いつもは東京駅か新宿でも今回はバス代が高くつくのでこちらがまだましだった・・・・・・・。
さくっと社内で休息後熟睡~~~~梅田へ。

楽し詣で終了です。
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褻ぎぬにとて、ひとえ重ねて着たりき。

普段着になぁ~~~裏地のないアンダーウェアーを二枚に重ねてきてんねん。

今回は枕草子からではなく、「たまきはる」から引用しました。
たまきはるとは
平安時代末期後白河上皇の妃建春門院(高倉天皇の生母)、八條院(鳥羽上皇と美福門院の長女)の女房藤原定家の同母姉であった健寿御前(建春門院中納言)が書いた日記
八條院に出仕していた院御所で若い女房達に建春門院の御所の様子を聞かれた経験から書に残そうと書いたと言われています。


時代や京都さんで散々先月遊びまくったのに、こりもせずに「典侍キャンペーン」にそそられてlineで予約してしまった・・・・・。

「典侍」とは?
内裏に出仕する高級女官内侍司の次官NO2の役職
天皇の近くで仕え、天皇が別殿に渡御する際には剣璽を捧持するのが職掌、また新帝に譲位の場合、剣璽を近衛次将に送るのも典侍の務め。
本来は内侍司のTOPは内侍ですが。
その職を離れ天皇の女御候補として内裏へ上がる為、または愛人的な役割を担うようになると、典侍は実質的な事務官TOPになります。
従四位の地位ですが、実際には女叙位を受けて二、三位に登った女性もいたそうです。

平安後期には天皇のお手付きになる者も出始め、中にはその子が天皇に即位した六条天皇、後鳥羽天皇の例もありました。
その後公家が弱体化すると中宮を立てられなくなり、替わりに典侍が女御や中宮的な役割を兼ねるようになってゆきます。
江戸時代から実質的な事務方のTOPをお清の女官と称し、それ以外の女官は天皇の妻妾ということが多かったようです。
そんな典侍も昭和27年1月1日貞明皇太后の崩御後、皇太后職の廃止に向けた残務処理がすむと、廃止されます。

源氏物語で出てくる色魔の老女の源典侍、五節舞の際に夕霧に見初められた妻藤典侍がその地位に、実在した典侍は近年では後水尾天皇の典侍で四辻与津子(和子入宮の際に問題になったお与津御寮人事件)、後光明天皇の生母園光子、後西天皇の生母櫛笥隆子、霊元天皇生母園国子最後の大正天皇の生母柳原愛子です。(たくさんおられるので有名な天皇の生母を記述しています)

今回のイメージは

設定は平安時代末期の内裏が火災にあって新築の内裏に入る典侍
てっいう細かい設定になりました。

時代や京都 キャンペーン典侍より

こうちぎ 薄色 二倍織物 雲立湧文地・季節の花草紋


注釈:季節の花草紋は勝手につけた文様の名称。ちなみに平安時代にこのような文様はありません。
    有職故実的には×でも豪華さからついつい選んでしまいました・・・・・。



単重ね 
重ねの色目 樺桜 蘇芳色赤色 幸菱・波文様


平安時代後期鳥羽上皇と源有仁は装束に革新的な要素を与えてゆきます。
それまでなだらかだった曲線的な装束に糊をきかせて線を強く出した強装束が出始め、同時に一人では着付けることが困難になりここに衣紋道が誕生します。

糊をきかせるとごわついてはだが露出しすぎますよね。なので小袖を着付け、時に何枚の重ね着ていました。
今回は時代やさんのご厚意で三ツ小袖を再現していただけました。


単の役割は色で色彩を調節し、上着を汚さない為の汚れ防止役に。
白小袖を着る事で褻(日常)の装束時に表着にも昇格したそうです。

今回単を重ねるお願いを時代やさんへ依頼しましが、色目決めるのに一苦労。
時代やさんでは、緑系(萌黄薄青青)、山吹朱鷺色蘇芳色の5色

このうち概ね先の赤緑系は非常に多い。
これはどこの装束体験所でもいえますが、やはり表着、五衣と合わせやすい、まさすけ装束抄で単の色目でセオリーだったという理由からだと思われます。

さて今回まずは重ね色目にこだわりたい。

そんな理由から始めは裏山吹かはじ紅葉、朽葉、蕾菊、椿、二ツ色、紅の匂い・・・・・・赤黄色系で考えたものの。

決められず過去の体験写真を確認していた所、やはり緑系が圧倒的に多くこれは排除、あと赤も多い、意外と黄色、紫系も多く。

蘇芳一回の色目が少なく重ねの色目でもありましたので決めました。

この時代おそらく衣は絹の特性上現在の物よりはかなりすけ感があり、表裏に縫い合わせると綺麗に色が重なり合い美しいグラデーションを見せていたでしょう。
当時の重ね単を再現しようというとシフォンの単になります。
そうなると自作しないといけないので、通常の単を二枚重ねていただきます。
絹は当時現在の物よりも40%程度しかなく、重量感がまったく違うと考えないといけません。


三ツ小袖
小袖を三枚重ねると重さや窮屈さが出るので、時代やさんのご厚意で襟元だけ着付けているように着せていただけました。
時に五枚も重ねられていたそうです。

④白長袴
通常長袴は緋か濃きです。
裳着を終えた女性は緋、童女は濃き
しかし例外がありました。萱草色とそして白色
白色は新築された寝殿造りの邸宅に初めて入る時に着用されていました。
なぜならその字の通り緋と火は同音なのです。
新しい邸宅が火災にならないようにゲン担ぎに緋色の袴を着けなかったのです。
さて萱草色は「喪中用」あの強烈なオレンジ色が喪中の色とは???それは萱草の花の別名忘れ草からだそうです。
ちなみにこの萱草色はどこにも揃えておられません。


持参の小物

造花

折敷に赤の紙を敷いて亥の子餅に笹を張り付けてみました。


葉っぱやもみじ紅葉・躑躅や椿

ボタンの造花




まずは時代やさんでお借りした「巻物」「漆箱」「机」
書物を巻き散らかして、春の草花も散りばめて
事務的作業におわれる典侍が春嵐に見舞われる様子を再現

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典侍が春嵐に見舞われる様子


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二枚目の襟元三枚に小袖を着こんでるの見えますか?

このアングルにはこだわりました。

第二場面 秋になり再び内裏が焼けて、新内裏へ入る典侍
亥の子の日
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亥の子の日に公卿へ配る衣の子餅の下賜をいただく典侍
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打ち解けた様子で野分で部屋に入る紅葉に、こっそり酒を飲み下賜された亥の子餅をいただく様子。
野分の後のひと時の休息

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秋の花をめでる典侍
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実は文がついている
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まつぼっくりを眺めてみる。
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誰かに呼ばれてどっきり
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これ綺麗でしょ。青と赤のグラデーション紅葉
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今回の設定時代やさんのオーナー様、スタッフの皆さん、そしてお手製の小物を時代やさんへ御貸しになられている常連のお客様があってこそ成立した物語。
本当に皆様に感謝です。
ありがとうございました。

うつくしきもの 大きにはあらぬ殿上童の、装束きたてられて歩くも、うつくし。

訳:美しいもん!
大柄違うのに殿上童(宮中で出仕する公家の子供)の装束がきせられてなぁ~~~て(体の方が小さくて衣装が大きい様子)感じで歩いてんのも美しいやん

禁裏には成人男女のみならず、子供達も出仕し、帝の近くにはべって昼夜とわず奉仕していました。
子供とはいえ、出仕する童子達は殿上童と呼ばれ親も殿上人として従事する公卿の子達です。

その子供達はどんな姿だったんでしょうか?
以前童女の姿は紹介しましたね。
成人女性の装束とは少し違う汗衫姿でした。

では殿上童はどういう装束を着ていたのか???

その答えは平安時代末期に記述された「満佐須計装束抄(雅亮装束抄)(まさすけしょうぞくしょう)」にヒントがあります。
この書物は「後期の貴族、有職家源雅亮」が書き残した貴重な装束有職故実書です。
それによると

童殿上のこと。
 闕腋の装束物具常の如し。袍赤色なり。常の五位の袍の赤みたる様なり。文に葵常の事なり。下襲常の躑躅表綾。裏単。文瑩して打ちたり。中倍あり。半臂は黒半臂襴緒などは羅と云ふものなり。夏は薄物。常の袙の色心にあるべし。但し濃装束ならば。蘇芳の袙青き単にて。濃打衣着るべし。表袴織物上達部の装束の体なり。これは濃装束。裏は濃し。大口も濃かるべし。取り重ねて円座の上に置きて取り出すべし。着るべき次第に置くべし。帯。角の丸鞆。五位の笏。引帯。襪。絲鞋。扇を具すべし。淡絵あり。夏の下襲赤色。黒半臂なり。色を聴りたる故なり。表袴の裏。大口赤くとも苦しかるまじけれども。幼なければ打ち任せては濃装束なり。装束をすることは常の闕腋なり。但し半臂の緒結ふべし。本を見るべし。装束して後。円座にこの稚児を据へて。びんづらを結ふべし。

童子では無位です。
でも帝の清涼殿で殿上するなら位がいります。
だって猫にも位を与えないと帝の傍にいれないんですから、さすがに子供に官位は無理がありますからでも官位もあたえられません。
なんせ元服前の子供ですから。
なので五位扱いだったようですね。
宮中行事ではなんと女装もさせていたのだそうです。

当然宿直姿もあり
闕腋の装束に狩衣のあて帯をして差貫をはいて下げみずらに頭を結っていたそうです。


殿上童の髪型
みづらを結ふこと。
 まづ解櫛にて稚児の髪を解き廻して平髪掻にて分目の筋より項を分け下して。まづ右の髪を紙捻して結ひて。左の髪をよく梳りて。油綿つけ撫でなどして。髻をとる様に梳り寄せて。ひ□□□□先の糸を一筋取りて。そのみづらの所。上がり下がりの程。目と眉とのあはひに当たるほど。前後ろのよりの際。稚児の顔の広さ細さに依りて結ふべし。顔広きは前に寄せ。細くは後ろに寄すべし。但しいかさまにも耳よりは前なり。髪の元を五から巻ばかり詰め結ひて。髪より下交に真結びに結ふべし。まづ下結びをして。髪掻の先をゆする坏の水に濡らして。結び目を濡らして真結びにすべし。糸を延べじ料なり。糸を切らで髪の裾をよく解き下して後。耳の後ろの髪を耳の後ろ隠るる程に鬢幅をふくらかに清らに引きて。耳を隠すべし。次に髪の末を稚児の肩の前によくよく撫で付けて。稚児の胸に押し当てて。乳の程に当たる程を捉へて。また赤糸して三纏ひばかりして。真結びに強く結ひて。小刀して結び目の際より糸を切るべし。さてその結ひたる下の髪をよくよく撫でて後。三つに分けて。三つ組に裾まで組下して。その裾の組は手を髪へ引き返して。元結いたる糸の切らで置きたるして。この組は手の元を元結ひたる所に真結びにして後。際より糸を切るべし。いづくをも結はんには結び目を濡らせ。糸のくつろがぬなり。髪の末をば耳の上より越して。鬢幅の内に挟むべし。猶末出でば。首紙の内に押し入るべし。稚児幼くて髪短くば。別に付髪と云ふものを元結ひたる上に結ひ付けて結ふなり。その髪などをよく結ひ直しておとしなどすまじきなり。次に挟形を取りて。この元を結ひたる上に当てて。稚児の後ろにて押して挟形に結ぶ。その結ひ様書くべきにあらねば。左右の本を結ひて具したり。まづ左を結ひて後。円座ながら引き廻して右を結ふべし。我が回るもこちなければ。この料に円座には据うれども。君の御みづらなどに参りたらんには便なし。我回るべし。
満佐須計装束抄より

成人公家と違うのは髪形を「美豆良」していたところですね。
成人前は他人に頭を見せて、成人後は烏帽子や冠で隠していたんです。
勿論眠る時でも着けていました。髷を見せる事は大変恥ずかしい事だったようで、殿上で喧嘩が起こりかけた時は相手の冠に手をかけて奪い取ったと文献にでるほど失礼な行動で大事件になったようです。

さて正式な殿上人の装束体験をしたいのはやまやまですが、完コピ装束がありません。

9月には髪を短くするので、美豆良風を体験出来るのは今の時期だけ~~~
って訳で殿上童の夏の直衣

いざゆかん「殿上童と殿上人夏の装束体験」!!!


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早朝にママちゃりで最寄り駅ここから橿原神宮前駅のリトルマーメイドというパン屋&ファミマで昼食用もGET

お店の情報は【こちら】

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途中の駅でモーニングです。

体験場所は関西圏内かつ夏物装束でCPの良い「いつきの宮歴史体験館」にゆきますので斎宮へ。
近鉄線で4度乗り換えて斎宮駅着
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午後は中止で午前の部で予約しました。

前回は衣冠冬の装束だったので今回は夏の衣冠を体験します。

こちらの装束は京都の黒田装束店さんの物~~~もう間違いなし!!!
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下に白小袖 単(濃紅遠菱紋)  指貫 紫地七宝花菱裏紫袷(あわせ)仕立て
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夏の直衣を着ます。
直衣二藍色花菱三重だすき紋単(裏生地のない)仕立て
下は指貫を裸足ではきます。
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あぐら当時は足の裏を両側をつけて座ります。
出来上がり
二藍の下から紅の単がうっすらと見えて素敵~~~ちらりズム満載

頭が美豆良で童子なのに、直衣の色が壮年の色目
しかも色も殿上童は幼い子供二藍が赤紫色なんですが・・・・・・。
しかも指貫の文様が大きすぎ・・・・・もともと大人用ですからね。
有職故事的には間違っています。そこはお許しを~~~

二藍色、顕紋紗三重襷文の袍
源氏物語鈴虫の源氏が着衣していた二藍というので壮年の頃の二藍色です。


今日は平安時代の旧暦で盂蘭盆会にあたります。

先祖の供養として宮中行事の一つで本来は7月15日に行いますが、本年は閏年なので遅いのです。
盂蘭盆にかかわるいろいろ小物を持参していざ変身
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お供え物を運ぶ
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蓮の花を手に
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菓子を食べる

冠直衣
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源氏になる
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邸宅でのんびり、扇をたふたふする。
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和歌を詠む


両肩の表着を肩からはずしてみる。
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夕霧の姿を再現
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名古屋の徳川美術館の開園記念で全源氏物語絵巻が公開された時の冊子
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有名な雲井の雁に一条御息所からの手紙を盗みとられようとしている場面
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宵過ぐるほどにぞ、この御返り持て参れるを、かく例にもあらぬ鳥の跡のやうなれば、とみにも見解きたまはで、大殿油近う取り寄せて見たまふ。

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女君もの隔てたるやうなれど、いと疼く見つけたまうて、はひ寄りて御後ろより取りたまうつ。
後ろで聞き耳をたてている女房達が笑えます。

この後雲居の雁は実家に帰ってしまうのですが、夕霧はお構いなしに落ち葉の宮を妻にします。
母は一条御息所と身分は高くなかったですが、皇女ですから妾とはいかず夕霧はそれぞれ半分ずつを二人と過ごします。
律儀といえば律儀
始めはいやいやながら結婚した落ち葉の宮ですが、その後は安定した生活を送りました。
藤典侍との間に出来た六の君の美貌に期待していずれ高貴な人物に娘をめあわせるために、母が中産階級の出であるハンディを宮の養女にしその養育を託します。
このなかった宮は六の君を我が子として大切に養育します。
この子こそ宇治十帖で匂宮と結婚する六の君です。

満喫しました。
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館内は重陽の節句のディスプレイに変更されています。
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外へ
打球で遊ぶ
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夏萩の花
斎宮駅でランチからの帰宅の途へ。


楽しもうで終了~~~~~

殿の上は、裳の上に小袿をぞ着たまへる

黒田装束店さんで汗衫を体験後、次の装束へ変身

晴れと褻の間の女房装束


重ね袿+裳
今回は袿+裳を体験
この装束で枕草子に登場する人物
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「高階貴子」もしくは高内侍・儀同三司母

平安時代は普段着に女房はこの姿ようだった事が源氏物語絵巻でかいまみえます。
十二単は女房装束で儀式、祝い事などに着用する晴れの装束です。
それとは違い褻の装束という女房の普段の装束かもしくは晴れと褻の間の装束でもありました。
ただ現在では一般的に知られていません。
この褻の装束は枕草子にこの姿で登場する人物がいます。
清少納言の主人だった中宮定子の生母 高階 貴子です。
彼女は円融天皇の後宮で高内侍という名で宮中に出仕していました。
和歌の知識だけでなく漢文にも精通し公卿の注目の中、彼女を見染めた藤原道隆との間に三男四女を生み中関白家の正室として栄耀栄華と没落を見た人物です。
関白道隆法興院積善寺一切経供養の様子
紅の御衣よろしからんや、中に唐綾の柳の御衣、葡萄染の五重の御衣に、赤色の唐の御衣、地摺の唐の羅に、象眼重ねたる御裳など奉りたり。
当日の中宮定子の着姿
女房あるかぎり、裳、唐衣、御匣殿まで著給へり
当日の女房と中宮定子の妹の姿
殿の上は、裳の上に小袿をぞ着たまへる。
「繪に書きたるやうなる御さまどもかな。今いらい今日はと申し給ひそ
三位の君、宮の御裳ぬがせ給へ。この中の主君には、わが君こそおはしませ。御桟敷の前に陣屋据ゑさせ給へる、おぼろけのことかは」
訳:関白様の奥方さんはぁ(三位の君)は裳の上になぁ~小袿だけ着てんねんなぁ(それを目撃した殿さま(関白道隆)は)怒って「まるで~絵に描いたような姿やなぁ~奥さん今日は若返って立派にみえんでぇ~~~(嫌味を言ってます)三位の君!(妻の官位を言ってわざと他人行儀に呼んでいる)中宮さんの御裳をお脱がせあそばさなぁ!ここの主君はこの中宮さんやでぇ~~御桟敷の前、近衛の陣を設ける(この法要の皆の中の主人は中宮さんであって)あんたでないんや!
上記の清少納言の記述はこの道隆の正妻にはああぁ~~~と思ってはいるものの表だっていっちゃもんつけれないが、ちょっとおかしいやんという意味で辛口コメントしています。
それがこんな事しはんねん。という意味で残しているんですね。貴子の方は私が中宮さんを生んだから~~~女房と一緒のかっこうなんか出来ひんわって感じで高飛車女子だったんですね。
「あなたは中宮さまの母上だからってなぁ~えらそぶってるみたいやけど・・・・。偉いのは中宮様だしあなたではないやんかぁ~~~そんなんはおかしんちがうん?」という事ですね。当時上位の者の装束は軽装が常識でした。十二単衣は別名女房装束そう女房が着る仕事着です。
うへは白き御衣ども、紅のはりたる二つばかり女房の裳なめり。引きかけておくによりて、東面におはすれば訳:殿の奥方さまは白色の表着に紅色のなぁ衣を(たった)2つくらい羽織ってなぁ~女房の裳をつけてはんねん。その姿もあんまり他の人に見られんように奥の東面に座ってはんねん。(なにさま???)

平安時代の宮中装束でよくみかけられるのが十二単衣いわゆる女房装束です。
なんども記述しますが、平安時代には女房(高級召使い)が着る衣装が十二単衣、女主人もしくは身分の高い女性はその場で一番身分の高い女性は軽装で重ね袿か小袿、細長を来ていました。
枕草子に記述されている。高階貴子の装束を出来るだけ再現してみます。


本当は小袿+裳をしたいのでが、本当の小袿は裾が短いのが正式で、それが出来るのは「平安装束体験所」「東京徳成大学伝統文化装束班の出張体験」です今のところ。
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この袿+裳は平安時代には女房の晴れと褻の間の装束でした。
有名な源氏物語竹河に出てくる
中将など立ちたまひてのち、君たちは、打ちさしたまへる碁打ちたまふ。昔より争ひたまふ桜を賭物にて
三番に、数一つ勝ちたまはむ方には、なほ花を寄せてむ
と、戯れ交はし聞こえたまふ。 暗うなれば、端近うて打ち果てたまふ。御簾巻き上げて、人びと皆挑み念じきこゆ。折しも例の少将、侍従の君の御曹司に来たりけるを、 うち連れて出でたまひにければ、おほかた人少ななるに、廊の戸の開きたるに、やをら寄りてのぞきけり。
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原画
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復刻盤

人物図による再現
かう、うれしき折を見つけたるは、仏などの現れたまへらむに参りあひたらむ心地するも、 はかなき心になむ。夕暮の霞の紛れは、さやかならねど、つくづくと見れば、 桜色のあやめも、それと見分きつ。 げに、散りなむ後の形見にも 見まほしく、匂ひ多く見えたまふを、いとど 異ざまになりたまひなむこと、わびしく思ひまさらる。若き人びとのうちとけたる姿ども、夕映えをかしう見ゆ。 右勝たせたまひぬ。「 高麗の乱声、おそしや」など、はやりかに言ふもあり。
君達は、花の争ひをしつつ明かし暮らしたまふに、風荒らかに吹きたる夕つ方、乱れ落つるがいと口惜しうあたらしければ、負け方の姫君
「 桜ゆゑ風に心の騒ぐかな
   思ひぐまなき花と見る見る」
御方の宰相の君
「 咲くと見てかつは散りぬる花なれば
   負くるを深き恨みともせず」
と聞こえ助くれば、右の姫君
「 風に散ることは世の常枝ながら
   移ろふ花をただにしも見じ」
 この御方の大輔の君
「 心ありて池のみぎはに落つる花
   あわとなりてもわが方に寄れ」
勝ち方の童女おりて、花の下にありきて、散りたるをいと多く拾ひて、持て参れり。
 「 大空の風に散れども桜花
   おのがものとぞかきつめて見る」
左のなれき
「 桜花匂ひあまたに散らさじと
   おほふばかりの袖はありやは 」
心せばげにこそ見ゆめれ」など言ひ落とす。

この源氏物語絵巻は平安末期に描いたといわれる平安中期設定の大和絵です。
絵師は不明でおそらくは集団で描かれた物でその中に藤原 隆能がいたといわれている。
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この絵に描かれた姫君は碁を打っています。
この姫君の装束は袿か小袿と思われます。
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そして桜の向かい側に座る二人の女房の姿に注目
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袿+裳ですね。
ここは玉鬘の邸宅です。
今上帝の伯父故髭黒大納言との間に生まれた三男二女特に大君と中の君の結婚に躍起していました。
3月の桜の盛りの夕暮れ時、二人の姫君は御簾をあげ、桜の木を賭け碁を打っています。
蔵人少将(夕霧と雲居の雁の5男)はその姿を垣間見て、大君への思いを募らせたのでした。
という場面を切り取った絵巻です。

櫻の汗衫、萌黄紅梅などいみじく、汗衫長く裾引きて、取り次ぎまゐらす、いとなまめかし。


(1)平安時代童女の宿直装束「汗衫」

訳:桜色(表が白・裏が赤色)の汗衫(童女用の装束)になぁ~~~萌黄色(黄緑色)や紅梅色(濃い紅)なんかの着物がめっちゃ素晴らしくってなぁ~~~、汗衫の裾を後ろに長く引いてえ~お清めの道具を手から手に渡していく様子はなぁ、と~~ても綺麗で面白い。やんかぁ~~~

汗衫とは元来は汗取りとしての肌着だったものが上着となり高級化した子供用装束です。
特に宮中儀式に伺候する童女が着装する装束を「公家童女の晴れの装束」、同じく宮中の夜勤の際には表袴、石帯をはずした姿は「汗衫 宿直装束」と称されていました。

形は武官の袍と同様で裾が長く、襟を内側に折って垂領に着るので正面から見たところは袿に似ています。
脇の部分が縫われていないので胸元を寛げて着付け、身頃二巾仕立て後身長さ一丈五尺、前身一丈二尺という長い衣装
着方は襟元を拡げ、裾を左右に後ろに長く引く濃色の長袴の上に表袴を履き、行動的機能的に着用していました。

汗衫 晴れの装束
着用者が未成年者なので丈の短い女児用上着の衵を重ねて、通常布1・5幅分の袖を三分の一ほど裏に折り返して着装します。
単と長袴は未成年であるので濃色(紫)で束帯装束のように白い表袴を女性用の長袴の上に履く独特の着装方をしています。

これは、衣装が国風化する以前は宮廷に仕える女子も男子同様に下袴の上に表袴を身につけていた名残であり、 高貴な女児の宮廷出仕用の装いとしての格式を表現するものだそうです。

成立初期には男子の束帯のように石帯をしたり、髪型も「あげまき」という男児風に結われて中性的な装いだったそうです。
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これはすでに八千代市立郷土博物館で体験済みですね。

中期以降髪型は「垂髪」、帯も汗袗と同生地で仕立てられた当て帯に変わりより成人女性の装いに近い装束になったそうです。
成人男子の宿直装束に相対するものとして、表袴と帯を略す「汗袗の宿直装束」を体験します。

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枕草子絵図で見られる様に行事で折敷に乗せた薬玉、食事、日常調度品を手に扇で顔を隠しながら歩行し奉仕していました。
これの再現を黒田装束店さんにお願いしました。

まず事前に予約したい旨の連絡をして、黒田さんの都合等時期をある程度聞いてから、体験したい季節を自分なりに決めました。
「体験時期は出来れば祭事のない6月~9月頃がよい」との事、なかなか人気の様なので早め予約がいいかと思います。

勿論黒田装束店さんが受けてくれるかどうかが問題ですが。

体験日ですが、前年に出来れば「亀末廣」さんの乞巧奠を購入したいと考えていたので「七夕の日」をだめもとで問い合わせてみました。

「出来れば7月7日に訪問したい」と伝えた所快く承諾していただき詳細は後日メールでいたしますと伝言しました。

「ちょうど吉日でよろしい日です。」と言っていただけてほっとしました。

後用意する小物は下記
高杯
御膳やお茶などを置く盆

折敷
献上品の数数を置いてお渡しする器

乞巧奠は元々裁縫の上達を願った宮中行事が七夕の伝説と結びつき7月7日に裁縫、音楽、和歌、書などの芸事の上達を祝う行事です。宮中では前日の夜からお供えの準備をして、和歌や舞をしてひこぼし、おりひめの星を眺めて饗宴していました。

蓮の葉と花
丁度旧暦は8月蓮の季節です。
お供えものとして添えられていました。旧暦なのでシーズンですが、今はまだ早いんですね。だから造花

梶の葉
樽に水を入れ梶の葉を浮かべてその中に星を映したといいます。
室町時代から和歌を梶の葉に書いて楽しみました。
しかし平安時代頃は梶の葉ではなく赤芽柏を使用したといいます。なのですが体験前にすぐ傍の京都御苑で赤芽柏GTEできなかったので梶の葉にしました。
赤芽柏は植物ですが、雑草なので空き地にわさわさあるそうです。

唐菓子(4月に用意していた賞味期限は過ぎているのであくまでも撮影用)

さて黒田装束店さんで用意頂けるものは

白小袖・長袴

重ね衣と表着

汗衫一式
袴は通常濃色の長袴のままなので宿直装束です。汗衫も本来の物とは少し違いますが、宿直装束ではこの形が完全コピーに近いのでかえってよかったです。

裳一枚

檜扇

さて丸太町の駅構内で化粧と髪の毛に物忌を付けていざゆかん黒田装束店さんへ。

まさに老舗という古い京町屋の旧店舗の右に洋風なおうちが黒田装束店さんです。
1階の一間を体験の間にされています。

黒田装束店さんの装束は平安時代古来の「なえ装束」で製作されています。
なえ装束は糊などで固めず、柔らかな流動的なシルエットを作りさせる風流な都人が愛したのもうなずけます。
今体験出来る装束のほとんどが強装束(こわしょうぞく)といわれる。平安時代末期に誕生した糊ずけさせた装束でその名の通りがちっとした装束を言います。
平安時代に特化した場合はやはり黒田装束店さんのなえ装束が最高~~~絵巻物に出てきそうなあの流線的な風情が体験出来ます。


「汗袗の宿直装束」


宿直装束とは天皇や中宮の御殿で午後から夕刻・夜に当直する際に過ごす装束をいいます。
衣冠はまさに男子装束の宿直装束から始まる装束でした。
体をしめつけない着つけがほどこされていました。
今回は完コピするために出来るだけ再現をお願いしました。

童に宿直装束と云ふことあり。常に人知らず。打衣一つ重ねたる五つ袙に張袴常の如し。その上に汗衫を着るなり。首の折り様端袖の返し様常の如くして。帯をせで唐衣の様に着せて後ろの脇のもとうら上。前の脇のもとうら上を袙に綴ぢつくるなり。常に人綴じ所知らず。秘すべし。表袴を着ず。帯せぬ故に宿直装束と云ふなり。聟取の所顕などせざらん先に着るべきなり。

「満佐須計装束抄」から
著者源雅亮は平安時代後期近衛天皇から高倉天皇に仕えた有職家が書き興した装束儀式記録本

白小袖
(平安末期鳥羽院と源有仁が強装束を生み出した後、白小袖を着るようになりました。平安時代白小袖は装着していませんでした・・・・現在素肌に単は自前でないかぎり無理・・・・・・・・)

濃き長袴(紫色)
濃きは未婚・年若い女児の色
汗衫は童女の装束なので濃き
ちなみに平安時代に新居に移る際には緋袴は火を連想させるので、火をさける緋をさけるというゲン担ぎで「白長袴」が存在してました。


元々は下着で素肌の上に着て表着が汚れない為に肥大化していったそうです。
小袖をきるようになってからは単に約束事として着ているか表着が汚れないために着ていました。

五衣
本来は袙を五枚重ねるのですが、黒田装束店にはないので袿を4枚重ねます。

打衣
平安時代衣に糊のほどこされていた強装束ではありませんでした。
なので装束を整える役割の打衣を装着します。
今装束店さんで作られているのはほぼほぼ強装束、糊で堅く着た感じもごわっとしています。
この強装束は鳥羽天皇と源有仁(御三条天皇の孫)から始められたとされています。
黒田装束店さんはめずらしく強装束ではなくなえ装束です。
なだらかな曲線は優雅さまさに平安絵巻物の絵の様~~~~いとをかし


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単は鮮やかな萌木色
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重ねは黒田風紅葉重ね
でも時期が?ですよね。でもこれがきてみたかったんです。


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あてなるもの 薄色に白襲の汗衫

訳:めっちゃ素敵なもん 薄い紫色の袙に白の重ねた汗衫やん

汗衫は、春は躑躅、桜、夏は青朽葉
訳:汗衫の色はなぁ~~春はあぁ躑躅色~桜色やん 夏は青朽葉色はやん~~~


汗衫は。尻長と言へかし
訳;汗衫はなぁ~~~見た感じ尻長っていうたらいいやんかぁ~~~

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中宮さまへお菓子をお運びする伺候する童女
お菓子は亀屋清水さんの「清浄歓喜団」唐菓子
奈良時代、遣唐使が仏教の伝来と共に日本へ渡来したお菓子は神社の祭礼に供えられた神饌果
宮中や貴族の間でも食されていました。
両店舗さんとも昔奈良時代に作られていた唐菓子の復刻盤を現在も造られています。
亀屋清水さんは江戸時代初期、水田さんは室町時代中期に創業された老舗和菓子店です。
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乞巧奠のお供えを準備する宮中儀式に伺候する童女
五色の紙を手に持つ

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お供えする途中で宿直装束の後ろがほどけて大わらわ
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お供えの蓮の花と葉を手に持つ
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梶の葉を手に持つ乞巧奠の和歌を読み梶の葉に書いてみる。
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中宮さまからの下賜の唐菓子をいただく童女
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今回の体験も無理をいい・・・申し訳ない限り・・・・・・・・。
大変堪能しましたとご主人と奥さまにお礼を述べて失礼しました。

まだ時期は未定ですが、セミ装束卒業後も黒田装束店さまには度々訪問するかも・・・・・・・

その足で、バスに乗り、京都市立図書館内にある「アスニー京都」へ。
京都で無料平安装束が出来る場所です。
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今回は「狩衣」と「大腰袴緋袴編」をお勉強しにきました。


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