武蔵国「衣紋道への道 第九段」

前日にいつものように天王寺から一路武蔵国へ夜行バス
このおかげで前回のフランス旅行の12時間フライトが意外と楽だった!!

仕事を終えて天王寺で用事を済ませて今回はまだ時間があったのでネットカフェでお茶
割引クーポンもあったので、フリードリンク飲みまくりで久しぶりになつかしい漫画を読みまくって。

「あさきゆめみし大和和紀」「とりかえばや さいとうちほ 」「火宵の月これは鎌倉時代陰陽師の御話」昔がみやびやかな歴史ものに~~~~と思って物語として読んでいたが、有職故実をかじりはじめると・・・冠して髪の毛はそのまま伸ばしたまま描いているし・・源氏が水干着ているし、狩衣なのに石帯してるし。殿上しているのに童は水干だし・・・・・・・あなたの事を「ぬし」とか。このあたりだと「あが君」だと思うけど。まぁ言葉より装束のとんでもない描き方に・・・・・・・
細かい所ももっとあるけど・・・・・。あえて記述しない。
まあ・・・・・陰陽師は黒田さんところがほめていたのでかなり正確に描いているよう。


ではしばし関西を離れて

7時に新宿到着朝の身支度をしてからいつもの果実園新宿リーベル店へ。朝のモーニングもうド鉄板のコース。
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フレンチトースト

でいつもの事前お勉強
ってか早く装束手にしないと家で練習が出来ないよ!!!
不器用さがたまに傷知識が出来てもだめ~~~~~。

今日は浅草久々の行列「亀十」と浅草寺の北側にある「千葉や」で切芋GET
そしてパンのペリカンで予約済みの食パンGET!バターにはパンデしょ!!美味しいパンでしょ。
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三越本店へ予約の升本で弁当GET屋上でいただきます。
おやつつき~~~!
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もう季節は夏
さつきと紫陽花と菖蒲がきれいにさいていました。


さて待賢殿へ。
みっちり5時間このために来ているのだからしっかり勉強しないとね!!!
今回は比較的ましに仕上がってる。
でもまだあと一。二頑張り必要!!
まだまだ遠い衣紋道の道

なせばなる
なさねばなるぬ何事も
ならぬは人のなさぬなりける。


BY上杉鷹山

そして東京駅からいつもの夜行バスで!!いざ関西へ。



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装束本の集大成 発刊「有職装束大全」

舞の通っている待賢殿の主催で、お師匠さまの八條先生が新しく有職装束本をだされます。

大手出版社「平凡社」 有職装束大全

6月15日発売予定


300ページを超える家宝物の大作で舞はまだ新人でお手伝いを出来ななかったのが残念ですが、どなたも知っていただきたいと報告させていただきます。

先生の前作は十数年まえで今や2万台のプレミアム本。
舞も図書館でしか見た事がなく・・・・・・・。
残念と思っていた矢先に通い始めてしばらくしてそんな話をラッキーにも!!!本当に早稲田まで通っているかいがあるものです。


辞典式でいろいろな有職の話を写真やイラストで解説され、しかも引用までのっているというから本当にまちどうしい。



是非に「ご予約」くださいませ。

本を入手した際に詳しくご紹介します。

楽天ブック

アマゾン

とりかへばや物語 最終章 

ほどなく年月も過ぎかはりて、中宮、二、三の宮・姫宮などさへ産み奉り給へるを、かゝりける人の御宿世となべての世にも罪ゆるし聞えて、かたへの御方く ゛ も、我身をのみぞ恨み給べき

月日は流れ中宮んはその後、二の宮、三の宮や姫宮を御生みになられた。帝はこうなる運命だったのであの罪をお許しになってその他の方にお子が出来なかった事を恨むしかない。

さて女御で右大臣の女御は一番に入内したので私こそはと思っておられたが、帝の寵愛がないのに内裏にいてもと里へ下がられる。中宮は四の君と二人宮の権大納言の愛情を二分して恨んだが両家の浅からぬ運命を思っている。
右大将と四の君には男君三人。東宮腹の若君は殿上童され吉野の姫君の養子になられた。(ということはこの若君が右大将の後を継ぐ)生母の女院の御所にも参内して簾の中にも入って、打ち明けられない親子関係であるけでども、対面されている。
大納言と吉野の妹姫には二人の姫君と一人の若君がお生まれ、中の姫君を吉野の姉姫君の養子とされて愛されている。



大納言の人知れぬ宇治の若君も、今はいとおよすげ給にたれば、殿上し給て、大将殿の若君同じやうにてあまりき給ふを、中宮は、御覧ずるにいとかなしう、春宮・宮くの御事にも劣らず、見る度ごとにあはれにかなしうおぼさるゝに、

中宮が生んだ大納言の若君も殿上童で中宮の目にとまり悲しい限り見るたびに可哀そうだと嘆いている。

春のつれく ゛のどやかなる昼つ方、二の宮と若君と遊びつゝこの御方に渡らせ給へるが、いとよくうちかよひて、かれはいますこしにほひやかに愛行ずきたるさまさへこよなく見ゆるも、めざましくあはれに忍びがたく、御前に人あまたもあらぬほどなれば心やすくて、御簾の内に呼び入れ給へば、宮は入らせ給ぬれど入らぬを、「猶入り給へ。くるしかなう事ぞ」との給へば、縁にやをらうちかこまりて御簾をひき着てさぶらふが、いみじううつくしきを御覧づるに、今はと引離れて乳母にゆづり取らせて忍び出し宵の事おぼしめし出づに、今の心地せさせ給てかなしければ、あやしとや思はんと、しいてもて隠給へど、御涙こぼれていと堪へがたきを、をしのごひ隠して、「君の御母と聞えけん人は知り給へりや。大納言はいかゞの給」と問はせ給へば、
つれずれの春のある日、のどかな昼間二宮とこの若君が中宮の御所に遊びにきている。二人はとても良く似ていて、若君は愛嬌があたりこぼれすほどでしみじみと愛しくてやるせない思いを隠しけれそうにない。
まわりに女房がいない時間であったので、「おはいりなさい」と二人に話しかけた二宮はすぐに簾の中へと入ったが若君はおそれおおいと入ろうとはしなかった。「おはいりなさい。迷惑はありません」そういうと頭の上に簾が乗るくらいに体を半分いれている。
その姿があまりにかわいいので乳母に手渡して別れたあの夜を思い出して中宮はせつなくなる。悲しくてしかたなく変だと思われないか。と無理に涙が耐え難いが無理にふいておかくしになる。

「あなたのお母様という人を知っていますか?大納言殿はなんていってますか?」と問いかける。

やうく物の心知り給まゝに、いかに成給ひけんとおぼつかなく、大納言も乳母も明暮れ言ひ出て恋ひ泣き給めれど、行方も知らぬ人の御事を、見る目・有様はいとうつくしう若くて、うち泣きていとあはれとおぼしての給ふが、もしこれやそれに物し給ふらんと思ひ寄るより、いみじくあはれなれど、これはさやうなるべき人の御有様かは、行方なく〔人に思ひまがへられ給ふべき〕人にも物し給はずと、いとおよすげておぼし続けられて、うちまめだちて物もの給はぬを、いかにおぼすにかとあはれにて、つくく ゛とうちまもりて、御袖を顔に押しあてていみじう泣かせ給へば、この君もうちうつぶして涙のこぼるゝけしきなるがいとかなしければ

物心つくと父も乳母もあけくれなく恋しがって泣いている母の姿をこの美しくて若い中宮が泣いている様子を見て、この方が母上か?いやいやこのお方は姿を消して行方不明で他人に間違わられる方ではいらっしゃらない。とにこりともされずにだまっている。
「どうおもっているのか?」とあわれで中宮はじっと見守っては涙を袖でおふきになる。
若君を頭を下げて泣いている。

少し近く居寄りて、髪などかきなでて、「君の御母、さるべくゆかり有人なれば、御ことをいと忘れがたく恋ひ聞ゆめるを見るが心苦しければ、かく聞えつるぞよ。大納言などは、今世になき人とぞ知り給へらん。さこそありしかとまねび給なよ。たゞ御心ひとつに、さる人は世にある物とおぼしてと語らひ給へば、いとあはれと思たるけしきにてうちうなづきて居たるが、いみじううつくしう離れがたき心地せさせ給へど、二の宮走りおはして、「いざ」とて引き立てておはしぬるなごりも飽かずかなしければ、端に猶涙をこぼしつゝ見をくりて臥し給へる。十一にや成給ふらん、髪は脛のほどにゆるくとかゝりてうつくしげにて、宮くにうちかしこまりたるなど、いとあはれなれば、


中宮は少し近寄って髪をなでながら、「あなたのお母様は私の縁の方でした。あなたの事を忘れた事がなくいつも恋しいと嘆き悲しんでいるので、あまりにおきのどくでこうしてお話しているのです。父上はこの世にはおいでではないとお考えでしょう。こういう話でしたと御話してはいけません。あなたの心の中で母上はいきているとお考えください。しかるべく時にはこ辺においでなさい。こっそりお見せしましょう」とおっしゃると若君は大変悲しい事だという表情をしてうなずかれる。あまりにかわいいので離れがたくいるところに二宮がきて「さあ!いくぞ」といって若君の手をとり、いってしまった。
きゅうな別れだったので、端近い所で涙ながらに見送って泣き崩れておられる。
若君は11歳におなりで下げ髪が膝あたりで、ほかの宮にたいそう礼をつくしておられるのがいじらしい。

  
同じ巣にかへるとならば田鶴の子のなどて雲居のよそになりけん
同じ母から生まれた子が何故に内裏の外で離れて暮らしているのか?


とて、いみじく泣かせ給を、帝渡らせ給て、やをら物のはさまより御覧じけるに、此若君に向ひゐて泣くく語らひ給を、あやしとおぼしめして、音なくていつとなく御覧じけるに、かゝる事どもあり。

たいそうっ中宮が泣いている様子を「あやしい」と最初から見ていた帝は納得した。

さればよ、有やうあらんと思ひつかし、此若君は、さはこの宮の御腹也、あやしく母なん誰とも聞えで、明け暮れ涙の川に浮き沈み、これをかたはらさけず生ほし立てけると聞くは、むべなりけり、ひとゝせ、いとひさしく悩み給とて、春宮へも参らず年なかばばかり絶え籠りたりしも、此程の事なめりとおぼすに、やがてこの君の年の程などおぼすに、疑ひなく心得はて給に、年ごろなをおぼつかなく、誰とだに知らぬいぶせさをさりげなくておぼしわたりつるを、御覧じあらはしつるもいとうれしかりけり。大臣の知りながら許さずなりにけるも、いかばかりあさはかなる人にかとなま心劣りしつるを、これはしも、帝と聞ゆとも、少くかたほならんは何にかはせん、人柄・かたち・有様をはじめていとめづらかなめる人なれば、さまで思ひ寄るまじきほどの御仲らひにはあらざりけんを、せめて上なく思ひをごりけん心ざしの違はん本意なさ、また人柄のせめてあだに頼みがたく、右の大臣わたりになどめづらしげなきやうならんなどを、深く思ひはゞかりて、許さず成にけるならんかし、いかに男も女もかたみに心の中物思はしからんと、いとほしう推し量られさせ給。

そうなのだ何かわけがあるのだと思った。
あの若君は中宮の腹の子供なのだ大納言が母を誰とも聞かれずにたいそう悲しんでは愛情傾けて育てたと聞いている。
中宮が病気を理由に長く内裏から離れていたのは出産の為であったのか。と思われ若君の年齢とも合点がいったので、長い間中宮の相手が気になっていたのでその理由がとけたのも大変嬉しくお思いでした。
「父左大臣が許さなかった相手が身分違いの人だと失望したが、相手が大納言ならなんの不足があろう。しかし左大臣としては后にとお思いであったから許されなかったのだろう。しかも大納言は浮気性で右大臣の姫にも通っていたようだから二人の仲をお許しでなかったのだろう。やるせないお気持ちだったろう。」

なをけしきもゆかしければ、今おはしますやうにてたち出でさせ給へるにぞ、をしのごひ隠して起き上がり給へる御さま、日ごろは何ともおぼしめしさだめざりけるを、宮くと交りて遊ぶめるさまのいとよくうちかよひたるも、今まで見さだめざりける心遅さも、おかしうおぼしめさるべし。

様子を知りたいので今きた風に中宮の元においでになり、中宮が涙をふいてお立ちになる姿が日頃はなんとも思わなかったが宮たちと遊んでいる若君によく似ているのを、どうしてきずかなかったのかとあきれてしまう。

帝超寛大

「大将の朝臣・源大納言など、今は老上達部になりはてて、かたち人なき心地するに、この末く ゛ 多くなりて、さらに劣るまじきかたち有様なめるこそ、なかく世の末、さるべからん折はこのわたりにつねに物し給へ。忍びて見せ聞えんにしも有職多かりぬべかなるかな。此君、大将の四の君腹の太郎などこそ、今よりさまことなめれ。大将の大若君、この君との母、誰とも聞えぬこそあやしけれど、大将のは、女院の御あたりのことにやと世人さゝめくめりし、げに、なをさなるべしとしるき人ざま、けはひけだかく、なまめかしさ、さばかりにこそあらんかし。これこそは、いかにも言ひ出る事なかめれ。いさや、人は知たらめども、まろにまねぶ人のなきにや」と、うちほゝ笑ませ給ふ御けしき、

「大将や大納言は今は老人の上達部になってしまって、内裏に美貌の若人がいなくなった気もするが、あなたの血縁者が増えていずれいとなる容貌の若君たちがかえって私の世の最後に優れた殿上人が多くなった気がする。特にあの若君(中宮の子)、右大将の四の君腹の太郎君などとくによい。それにしても右大将の大若君と大納言の若君の母は誰も知られてないが?大若君は女院さま(元東宮)がご出産されたと皆がいっている。なるほどそうなのでしょう・明らかな顔や姿、風貌はそういう雰囲気を持っている。あの若君の方は噂されることがない。どなたか私に教えてくれる人はいないかな?」
と微笑まれる。

もし、わがありつるけしきを、あやしとは御覧じけるにやと心得らるゝぞ、わびしけりける。「いさ、これは知らず。大将の若君のことは、うたて、女院の御ためあはくしきやうなる事をの給はするかな。異人の事や侍らん。この御事ばかりは、まろ知らではいかでかさる事の侍らん」との給へば、「されば、まろ知り給へる事とこそ人く言ふなりしか。げに、さまで誰がためもかたはなるまじきほどの事なれば、いとよしや。さは、此事は知り給はざなり。いまひとつは知り給へりや。それこそまた知らまほしけれ」とおほせらるゝに、聞えん方なければ、御顔いと赤くなりてうちそむき給ぬるうつくしげさぞ、たぐひなき。いみじきとが・あやまちありとも、うち見ん人ばかりだに何のとがも消え失せぬべき御有様を、まして年月かさなるまゝに梨原にのみなり行く御心は、いかなるにつけても、いよく御心ざし深くのみこそなりまさらせ給めれ。

「もしやさきほどの私の姿をみておかしいと思われたのか?」
思われたのが中宮にはひどく苦しい。

「さあ若君の事は存じません。いやですわ。女院さまに軽々しい事を別人でしょう。そんな事になったら私が知らないですむでしょうか?」

「なのであなたも知っていう事だと皆いっているのですよ。実際あなたにとっても他にとっても不都合なことではありません。よしではこのことはご存じないのでですね。ではもうひとつの事はそちらを知りたいのです。誰か私に教えてくれる人はいないかな」と帝がおっしゃるので、中宮はお顔を真っ赤にして、そっぽを向かれた愛らしさを格別
どんな過ちも失敗もこの姿を見たらたちまち、怒りも消え去る様子だ。しかも年を重ねこの方ばかりに宮がお生まれなので帝の愛情は増すばかり。

何事にかは御心劣りせさせ給はん。うちかさねて御殿籠りぬ。


この夜も二人寝所で抱き合ってお眠りになる。


若君は、ありつるなごり、何となく物あはれにて、まかで給て、御乳母にぞ忍びて、「まろが親にやとおぼゆる人をこそ見奉りつれ。「殿にな申そ」とありつれば、申まじ」とて、いとあはれにかなしくなりて、

内裏から戻った若君はしんみりと悲しくてたまらず乳母にこっそり「僕の母上と思われる方と出会ったよ。父上には知らせないで言わないと。」と涙を目にいっぱい浮かべてお話すしになる。

「いかにく。いづくに物せさせ給へるぞ。いかでさは知り給へる。御かたち有様はいかゞおはしつる」と言へば、

まあどうして!どこにおわれたのですか?どういうご様子でしたか?

御かたち有様はいと若くうつくしげにて、この母上よりもいま少し愛行づきけだかく物し給へる。さぞとの給ひ知らする事はなかりつれど、たゞ、「母といふ物は世には有とばかり思ひ出よ」とて、いみじう泣き給へる」とて、いとあはれにおぼしたる御けしきにて、なをいづくに物し給へるとはの給ひ出ぬを、

姿かたちはとてもお若くて美しく、今の母上よりも少し愛嬌がおわりになる。そうだとおっしゃりはしなかったが、母はこの世においでになると思ってください。とたいそう泣いておっしゃった。としんみりお話になる。

いとおぼつかなくて、「殿の、さばかり寝てもさめても恋ひかなしみ奉り給に、さは世におはしましけりと、いみじく聞かせ奉らまほしきを、いかなればさは忍び給にか。いかで君をば見給し」と言へば、「「殿にはかくとな聞えそ」とこその給ひしに、いま又逢ひたらんに申て、「殿にも申せ」とあらん折こそ申さめ。たゞ今はな聞こえそ」と口がため給も、幼き人ともなく、いとうつくしういはけなからず物し給ふと見奉る。

どこにいらしたとおっしゃらないので気になり。「父君様がひとえに恋しいとおっしゃっているのに。何故かくしておっしゃらないのか?どこでお見掛けしたのか?」と乳母が効くと「父君にはいうてくれるな。またお逢いした時にお聞きしていいとおっしゃればお話しする。だまっていて」と口止めされる。幼くてもたいそう幼稚ではいらっしゃらぬと拝見する。


えらい!!!若君 作者あっぱれ!!

まことや、大将殿は、麗景殿の人は、さすがに行く手にはおぼし捨ててやみ給はんも心苦しかるべき人ざまなれば、さりぬべきおりくは忍びに語らひ給ふほどに、いとうつくしき姫君一人生まれ給しを、四の君腹の姫君たちはなちては女も物し給はねば、いと心苦しうおぼして、殿へ迎へ聞えんとおぼしたるを、麗景殿の、女宮だになどかおはしまさざらんと世とともに嘆き給に、此君のかくうつくしうて生まれ出給へれば、いみじうかなしうし奉り給てえはなち聞え給はねば、大将殿もいとよしとおぼして、女御の御事をもさるべきさまに後見聞え給へば、中宮の御有様のかたはら苦しげなめるにたち交りたるも、いと人わろき事多くはしたなき心地せしも、こよなく、さる方に心苦しき物に心寄せ仕うまつり給にぞ、何事ももて隠され給ける。

その後右大将は麗景殿の妹君の所に通われているうちにたいそうかわいい女君がお生まれになった。
大将は引き取りたいと要望したが姉君の麗景殿女御が愛して手元に置きたいと切望します。
よき後見と右大将が承知して、麗景殿女御に子がいなかったので肩身が狭いが少しは心が軽くなった。


年月も過ぎかはりて、大殿御髪おろし給、右の大臣太政大臣になり給などして、大将殿左大臣になり給て関白し給。宮の大納言、内大臣にて大将かけ給ふ。若君たちも元服し給て、中将・少将とみな聞ゆめり。帝もおりさせ給ひぬれば、春宮位につかせ給、二の宮坊にゐさせ給。今の関白殿の四の君腹の大姫君、女御に参り給て藤壺にさぶらひ給。うちつゞき、此麗景殿にて生ひ出給し姫君、春宮に女御に参り給ふ。

年月も過ぎ父の左大臣は出家、右大臣は太政大臣となり。右大将は左大臣で関白を兼ねられる。宮の大納言は内大臣で右大将を兼ねられる。若君裁達も元服して中将・少将になられた。
帝の譲位して東宮が即位され二の宮が東宮になられた。
今関白の四の君腹の姉姫君(但実夫今の内大臣)が帝の藤壺女御として入内し、麗景殿の君腹の姫を東宮女御になられる。



さまく ゛ 思ふさまにめでたく御心ゆくなかにも、内の大臣は、年月過ぎかはり世の中のあらたまるにつけても、思ひあはする方だになくてやみにし宇治の河波は、袖にかゝらぬ時の間なく、三位中将のおよすげ給まゝに、人よりことなる御さま・かたち・才のほどなどを見給につけては、いかばかりの心にて、これをかく見ず知らず跡を絶ちてやみなんと思ひ離れけんと思ふに、憂くもつらくも恋しくも、ひとかたならずかなしとや

おもうがまま立派になるなかで内大臣だけが、あの女君のことを忘れられずに若君が三位中将になられ風貌や才能が開花して、りっぱになるにつれこのような者を残して去った女君の事を忘れずにいて涙している。

ということは中宮から言ってもいいよとお許しがでなかったのね。

最後まで馬鹿内大臣~~~ここまで徹底してるとピエロだ~~~~



はあ ~~~~面白かった。この作者凄腕

現代訳かなりかなりおおざっぱにしています
ぜに書籍でお買い求めください。読み応えあります。
話の展開といい、流れといい今でも十分楽しめます。この物語は君の名は・・・・・でインスピレーションを感じて世界で大ヒットしたといので世界的にも十分通用するのでは???

さてこのとりかへばや物語は鎌倉時代の文学評論書というべき、無名草子で源氏物語以降の物語の中でなかなか面白いとある程度評価されている。

げに源氏よる先の物語どもうつぼを始めてあまた見てはべるこそ旨いと見どころ少なくはべれ。
個体にし古めかしきはことわり言葉遣ひ歌などはさせることはくはべるは万葉集などの風情に及びはべぬるし などただ今聞こゆる今とりかへばやなどのもとにまさはべるまよ 何事もものまねびは必ずもとには劣るさざなるをこれはいと憎からず
をかしくこそあめれな。言葉遣い歌なども悪いもなし。おびただしく恐ろしくところもなかめり。

四の君これは憎き
女中納言いとよくこそあれ
尚侍いとよし

宮の宰相こそいと心おくれたれと酷評しています。
今とりかえばやとあるのですが、実はこのころ古とりかえばやと改訂版の今とりかえばやが存在していました。
古とりかへばやの写本は現在存在しません。
内容はふめいですがこの無名草子によると中納言は男姿のままどうやら若君を出産したようで、一度死に蘇生したようです。
なんか変わった道具も使われて????らしい???・・・・・・・。わが身をたどる姫君くらいえげつない話だったかも・・・・・。

さて実はこれもパクリ題で「有明の月の別れ」という話もあります。これは女一人で男になる物語でかなり無茶な設定。
子供の出来ない左大臣家でようやく女の子が誕生神のお告げで男子として出仕、彼女は隠れ蓑の術が使えてある日に公卿の家に入った所養父が義子の寝所に忍んで妊娠させられた子を表向き妻にして若君が誕生、その邸宅に殿上人が夜這いして女の子が誕生。ここで左大臣は後継ぎが出来たと喜んでいたやさきに。
帝によって女にされた右大将、突然死んだことにされ、喪が明けると入内して宮を生む。
右大将の妻は出家して右大臣家で大切にされて幸せ幸せ?????いまいち?????な話

とりかへばや物語のテーマは愛


まずは父と子の愛(大納言と二人の兄妹・吉野の宮・二人の姉妹)
親友の愛 (女中納言と宮の宰相)
兄妹愛女中納言と尚侍)・姉妹愛(吉野の宮姫君)
愛(宮の宰相と四の君・宮の宰相と女中納言・吉野の妹君・帝と尚侍・右大将と東宮・四の君・吉野の姉姫君・麗景殿の君)
母と子の愛(女中納言と若君・吉野の姉君と大若君乙姫君・吉野の妹君・若君・元東宮と大若君)

愛愛愛なのだ!!!  

舞少納言の「カペー王朝フランス詣で観光編・INPARIS」

一日目
ホテルの屋上から見える「モンマルトル」「エッフェル塔」
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サクレモント寺院は白亜色の寺院この辺りは19世紀バーやキャバレー、娼婦の屯していた場所。
現在も治安の悪いばしょです。
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パリのシンボル
パリ万博の際に設計された鉄骨の塔


二日目(でもフランス滞在4日目)
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はずれの運河



マレ地区を散策します。

この地区にはパリ市庁舎、中世の貴族の邸宅があり、またクリエイティブな若者のショップ、雑貨、レストランカフェが立ち並ぶおちゃれなエリアです。マイノリティーやゲイレズビアンの集う地区でも知られます。
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ズービー館
ルイ14世の愛人となった妻と引き換えに多額の金を得たズービー侯爵が手にいれたフランスでは珍しいロココ調の邸宅
かのヴェルサイユも実はロココではなくバロック式の宮殿、ルイ14世はバロック様式の時代の人物バロックとはいがんだ真珠を意味していて、ゴテゴテしているだから個人的にはヴェルサイユ宮殿はいまいち好みではありません。
ロココはルイ15世の時代の美術様式でロカイユ貝という意味です。
軽やかで軽薄な感じがいかにも雅な感じ^^

パリはいま新緑と春の花の季節素晴らしい自然に囲まれています。

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パリの街並みに藤がとっても合います。

モンパルナスに戻り、夕食の買い出しをすませてホテルへ。

三日目(でもフランス滞在4日目)

午前中に「ジヴェルーニ」を観光します。

フランス郊外の田舎町でもここは世界中から観光客の絶えないフランスの巨匠モネの邸宅がある場所です。

印象派の巨匠クロード・モネ(Claude Monet)
クロードモネは画家として大成するまで大変苦労した人物です。

ジヴェルーニに1883年他人の引っ越し援助で移り住み、絵の制作に没頭するも売れず美術評論家の評価も低かった。
しかしアメリカの個展が成功すると、パリでも人気が出始め絵は売れるようになり始め、風景画を得意とする印象派画家で成功します。
晩年の大作「睡蓮」のシリーズはこの庭で描かれたものです。

邸宅はどちらかというと別荘的な可愛らしい外装

内装も同じで家庭的な雰囲気が感じられます。

モネが活躍したパリではジャポニズム文化が流行し多くの画家が日本的な物を題材にまた絵にえがきました。 


さてモネのその家族ですが、不遇の時代からの最初の妻カミーユとその息子2人

カミーユが死去した後はモネのパトロンであり一時期同居家族のエルネスト・オシュデの夫人であったアリスとその連れ子と生活アリスの夫エルンストが死去すると二人は正式に結婚します。

モネのパトロンであったエルネスト・オシュデは破産して、モネの家に家族ごと転がり込んだ過去があります。
そうこうしている内にモネの妻カミーユが死去し、モネの子供の世話をしていたアリスと深い仲になったのでした。
エルネストがパリへ戻った後もモネと同棲していました。

アリスもなくなった晩年すでに長男の妻となったアリスの娘がモネの面倒を見て、視力が著しく低下したモネを支えました。
モネは1926年12月5日この家で死去しました。

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邸宅内はブロバンス風のかわいいパステル調の部屋で、壁一面に日本の浮世絵が飾られています。
広重、北斎、春信、歌麿等
幕末明治に西洋へ多くの浮世絵が流失し、名作はアメリカやヨーロッパに行ってしまいました。
まぁ外国人の目に触れる事で、日本を知るきっかかりになればこれはこれでよいかもしれません。

前庭はまさにモネの絵にでてくる風景
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晩年のモネが没頭した睡蓮の庭へいくにはトンネルを抜けて反対側に出ます。
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印象日の出
ひなげし
散歩、日傘をさす女
ラ・ジャポネーズ
オランピア
パラソルを差す女
ジヴェルニーの日本の橋と睡蓮の池

睡蓮
美術に興味がない人でもこの絵は見た事があるのではないでしょうか?のどかなフランスの田舎で好きな絵を描いて過ごした。
そんな余生いいな~~~
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最後に再び前庭

四日目(でもフランス滞在5日目)
パリの春の季節
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午後にヴェルサイユへ。今日はストでも間引き運転ということでラッキー
そしてヴェルサイユ宮殿へ。
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ルイ14世が並々ならぬ情熱で造りあげた宮殿。
ルイ13世がもともと狩猟用の邸宅をル・ヴォーが宮殿をル・ノートルが庭園を増築した。
バロック様式を今に伝え、当時のフランス王政の権威を示すための豪華な宮殿。
チケット売り場から宮殿入り口にいたるまで長蛇の列
日本でEチケットを入手しそこねた私はまよわず自動発券機へ。
しかし!!!ここで発覚庭園見学のみのチケットが発券機にないことを!!!
10ユーロ違い。グランドプチトリアノンパレスも入れるというので1300円ほど高いが無駄な時間は使用したくない。持ち前の関西人気質が発揮!!!そのままカードを差し込んで入手~~~


過去2度訪問し個人的にバロックは興味がない、しかも入場にそうとうまたされるので宮殿はパス。

庭園
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ルイ14世は水にこだわって庭園を造営しました。
セーヌ川に揚水装置を設置し、水道橋によって水のないヴェルサイユまで水を引いていました。
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お菓子タイムとロシューの土曜日限定「フレッシュタブレット」朝にショコラティエがみずから選んだフルーツをチョコでコーティングしたスペシャリエ
朝一で訪問してマダムに勧められた一品~~~~すご~~~~いあまいイチゴ
なめていました。フランスのイチゴ農家にもいるんじゃん!!!
日本産ならびっくりですがうまい~~~
まだまだ続きます。
今日は土曜日
噴水ショーが二時間続きます。
バロック音楽にのせてすべての噴水がバシャバヤ~~~~
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プチトリアノンパレス
元はルイ15世が愛妾ポンパドール侯爵夫人と呼ばれる前にポアソン夫人時代逢引き用に建築された宮殿。
全体的にこじんまりしています。
その後ルイ16世王妃のマリーアントワネットが愛し多くの取り巻きと共に過ごした小宮殿です。
マリーアントワネットは肩ぐるしいエチケットだらけのヴェルサイユを嫌いお気に入りの取り巻きだけをこのプチトリアノンパレスで過ごしていました。
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そのことでここに招待されたい大貴族の不満がパリで王妃を中傷するもとになりました。
ロココ終盤期で全体的に落ち着い内装です。
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愛の殿堂
ここでマリーアントワネットとフェルゼンが逢瀬を過ごしたといわれる場所
本当かは?
この辺りは森に囲まれてる感がすごい新緑が目にいたい。
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まさに「萌黄色のシャワー」
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マリーアントワネットの離宮


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ここでプチスイートよ
美味しい~~~
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マリー・アントワネットの村里
自然に共存する生活に憧れて作った田舎風景と農家達を住まわせた農園
時に農婦の格好をして乳しぼりも楽しんだそうです。
でも農民たちからすると何しとんねん??と怒るのも無理はないかな。当時のフランスは天候不順によって農作物が大不況の時代です。

マリーアントワネットの時代はロココの晩期でネオクラッシックへ向かう過渡期でした。
当時の流行は自然や田舎風が流行しはじめていました。
流行はただの好みの変化ではなく価値観の変化でもあるので、王侯貴族からブルジョア階級へ権力の移行が始まってきたともいえます。
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グランドトリアノンパレス
ルイ14世が当時の愛妾モンテスパン侯爵夫人とあいびきしていた宮殿です。
フランソワーズ・アテナイス・ドゥ・モルトゥマール侯爵令嬢1660年に王妃マリー・テレーズの侍女を経てモンテスパン侯爵と結婚
他に寵姫ヴァリエールがいたが、追い落としに成功して宮廷一の公妾にのし上がった。
夫は妻の不倫を許すわけにいかず、(通常当時は王の寵姫になった夫は完全無視するか。王に金品をねだるか、妻をかいしてそれなりの見返りを要求し黙認するのが普通。)抗議したためヴェルサイユからもパリからも追放され領地に戻り、モンテスパン夫人は離婚を手にする。
以降王の子供を続ぎ続き生み、時に王妃を侮辱するほど宮廷一の傲慢で浪費家になっていった。
1678年王弟のオルレアン公フィリップ1世の後妻エリーザベト・シャルロッテの侍女マリー・アンジェリク・ド・フォンタンジュが王の新たな寵姫になった。すでに美貌はなくなっていて、これに危機感を募らせた彼女はラ・ヴォワザンという怪しい黒ミサを行わせる事件が発覚。
直接審議はされなかったものの王はこの行為で寵姫の座を追われる。
1669年に王とフランソワーズの子供の教育係になったスカロン夫人は献身的に子供たちの教育や世話に尽くしていて、王もしだいにスカロン夫人に好意を持っていた。ようやく1686年に宮廷を出て、サン・ジョゼフ修道院に入って静かに永眠しました。
王はスカロン夫人に、マントノン公爵夫人の称号を与え、最後には密かに結婚までして生涯をおえました。 
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現在は新古典主義の内装でこじんまりしながら生活しやすい内装です。
ここの住人は

ルイ14世モンテスパン侯爵夫人
ルイ14世の王子グランドドーンファン
ルイ14世の弟オルレアン公妃エリザベートシャルロッティ
ルイ14世の孫ブルゴーニュ公と家族
同       ベリー公と家族
ルイ14世の非嫡出子 ルイーズフランソワーズ
ルイ15世 
ナポレオン1世の皇后マリアルイーサ
当時ヨーロッパ一の下げマン
ルイフィリップ皇帝の皇后マリー・アメリー・テレーズ・ド・ブルボン=シシレ
マリーアントワネットの姪当時としては珍しい恋愛結婚でしかが、オルレアン公家がルイの処刑に賛成したため、母のマリアカロリーナが反対していたものの、当時のアメリーがすでに婚期を逃していたためにしぶしぶ条件付きで承諾したいきさつあり。


五日目(でもフランス滞在6日目)

パリジャンの日曜のパリの過ごし方をテーマに

まずは朝市

マルシュラパスパイユ
BIOの専門市場

オペラコミック座でオペラを見てから近所をぶらぶらしてホテルへ。


最終日は時間がないので朝にモンパルナスからCDGから関空へ。
ここでトラブル発生!!!
トランクのチャックが破損、ガムテとロープで補強したもののエールフランスのグランドアテンダントにアウト宣言され
近くにテープ巻屋を発見25ユーロと高かったけど背に腹はかえられない!たのんでOKだ!!!
いざ帰国
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裙帯(くたい)、領巾(ひれ)などの風に吹きやられたる、いとをかし

訳:裙帯(くたい・平安時代物具装束に着付けた絹帯)、領巾(ひれ・平安時代物具装束の際に着装したストール)してたら風に吹きかれてなア~~~~めっちゃ素敵やねん。

今日のテーマ「ザ!天平&平安時代
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時代やさんへ行前に嵐山公園の花
嵐山の時代や京都さんで天平美人キャンペーン&セミオーダー開催予約して訪問です。


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「天平衣装」用小物

代用宝珠2個
白玉粉と青汁の粉で代用
まきまぜてコネコネ&沸騰で制作しました。使用後は土に返して微生物の餌になります。

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木簡も書道サイトで購入
さっそく製作して万葉集でお気に入りの和歌を万葉文字で書いてみた。
持統天皇と額田王と坂上郎女、読人知らず

「平安時代物具装束風」用小物
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裙帯(くたい)、領巾(ひれ)
段々染めの櫨糸炎/目染め (はぜだん)にしたかったけど時間がなかったので、紫裾濃になりました。
領巾はギリギリセーフの櫨糸炎を用意しましたが、丈が足りずに時代やさんでお借りしました。

待賢殿の八條先生からいただいた着綿を置いた菊三本を購入して製作した着せ綿を置いた菊3本と秋の花
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蝙蝠「国宝扇面法華経上繪」
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高杯と小皿

干物をまねたイカの燻製

そをまねた燻製チーズ



籠に秋の花と着せ綿にした菊 


秋の収穫
栗・さといも・柿

さて話戻して
髪型は正倉院にある鳥毛立女屏風をイメージしたとブログに合った通り。
この屏風は宮中で使用され聖武天皇ご愛用とも外国使節を接待する調度品ともいわれ、唐の女性が描かれた当時衣装にキジバトの羽を付けた屏風でした。

その女性の髪形をモチーフにした新作の衣装のキャンペーン

髪は肩までたらして頭の上で一髷で結い、宝髻と釵子風の髪飾りを刺しています。
当時としては最先端のおしろいに花鈿(かでん)眉間および唇の両側に描いてもらいます。
髪型も素敵~~~~髪飾りは当時の物の通りではないけれど、これはこれで素敵です。

五位命婦

内衣(うちい)
紅の衣(い)[大袖]
背子(せこ)(ベスト)
裙(も)[うわも] スカート

錦の襪(持参・しとうず前が2つにわかれていない足袋)
(せきのぐつ)[鼻高沓]時代やさんが常連さんからお借りしているお手製の靴だそうです。
すごい力作~~~

装身具は

紕帯(そえひも)
上着と内衣を結ぶ帯

領巾(ひれ)[比礼]
いわゆるストール

翳(さしば)
鳥の羽などで扇形の長い柄をつけたもの。顔を隠して威儀を正した装身具です。
やはり唐の影響を受けた衣装です。
たびたび時代やさんでは奈良時代の衣装を体験できるキャンペーンをされています。
今回はこの髪型が気に入り奈良時代の衣装体験を予約しました。


「奈良時代初期設定 五位命婦衣装 」
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「鳥毛立ち女屏風第一扇」宝珠を両手に持つ貴婦人風
宝珠は購入すると使いまわしもできないし、意外に高いので撮影用に小麦粉と青汁の元で作ってみた。
最後は土にかえせばいいし、食べ物を粗末にするのは気がひけるけど不燃ごみとして出すよりはいいかな・・・・・。

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造花梅の花
奈良時代は花といえば到来してきたばかりの梅の花のことを挿します。
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木簡を手にして「万葉集」の一句を万葉仮名で書いてみました。
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更衣を改める女官
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舞を踊る
天平美人キャンペーンが終わり、この企画をHPから見ていたらあれ!!!
この髪型「物具装束」の髪あげやん~~~~と思いつき

そうだ「左衛門佐の内侍、御佩刀とる」を再現!!!再現したい!!!

と思いたち。
さっそく時代やさんに相談~~~と交渉実現の運びとなりました。
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その日の髪あげうるはしきすがた、唐絵ををかしげにかきたるやうなり
左衛門佐の内侍、御佩刀とる。
紫式部絵日記より


藤原彰子(道長の長女・一条天皇の中宮)の第一子敦成親王(後一条天皇・一条天皇からは第2親王)誕生後、初めての行幸時に後宮の最高女官「内侍」左衛門佐が一条天皇の刀を持った姿を紫式部が書いた日記の一文です。

臣下で帯刀を許されている者は腰に帯刀するのですが、天皇となると女官に持たせていました。
現在も天皇さんが移動の際には草薙の剣(本物は熱田神宮でレプリカです)は侍従が手に持ちます。

内侍とは:内裏の女官の中で高級最高位
平安時代中期には女御として入内する前に、この職で上がることもあり、奈良時代から平安時代初期の頃は天皇のお言葉を伝える役目で、奈良時代称徳天皇に使え、重体に陥った際に唯一面会出来たのは吉備由利(吉備真人の妹とも娘いわれている)もこの内侍でした。
平城上皇の乱(藤原薬子がこの内侍として出仕し上皇への影響力を懸念)平定後、嵯峨天皇の意向で蔵人頭がそれに替わり、その後内侍は天皇の内妻的な名目上の役職になってゆきます。

セミオーダー

「平安時代 中期 物具装束風女房装束」

十二単・奈良時代の女官の鬘を指定してお願いしました。
でもこの髪型正式な髪あげではありません。
本来の髪あげは後ろ髪の中央部分をお団子にして頭の頂点で束ねて、左右の髪も同じように上げ、中央の左右に乗せるのが正式です。
でも鬘を改めて結ってもらうと高額なので〇〇風にしました。
臨機応変です。

時代やさんでは裙帯(くたい)、領巾(ひれ)は用意できないので自前を急遽製作しました。

オリジナルの裙帯(くたい)、領巾(ひれ)を裾村濃に染めたように製作
領巾はまだらの櫨 薄・目染めが正式ですが、製作時間がなかったために村濃にしました。
薄藤色に染めたように見せているために二つとも素人製作なのでまじかで見るとかなりやばい~~~

持ち込みの裙帯と領巾をして
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この姿は平安時代末期宮中年中行事絵巻の内宴妓女の物具装束姿
後白河天皇が書かせた絵巻の写本が今に伝わっています。

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上の2枚は平安時代中期の物具装束姿

内宴の妓女は女房装束に裙帯は裳の付属品となり、比礼をかけて袴は切袴で奈良時代のせきのくつをはいてさらに古式にのっとった衣装を着ています。
平安時代の物具装束は胸下に裙帯を巻いていて、袴は若きは濃き・成人後は紅の長袴を装着していました。

妓女たちは平安時代前期まで内教坊という舞や音楽を女性に教える官庁に在籍していました。
この宮中年中行事絵巻の内宴の舞は柳花苑という演目で妓女の舞う舞台の四方には柳の枝が飾られています。
柳花苑は現在曲だけが伝承し、源氏物語の中で頭の中将が舞ったという記述以外には伝承しませんでした。
女性が舞うなまめかしい舞だったのでしょうか?


当時は女性舞は珍しくなく神社の巫女、五節の舞といった女性による神舞の他に宴会の席で妓女が舞っていたそうです。
五常楽、桃花苑などの現在男子舞は元元女性舞だったそうです。
平安時代中期儒教の影響を受けて女性が舞を踊る事はみだらなことという風潮が出て廃止になり、平安時代でも五節舞、女踏歌内宴の妓女のみで踊られなくなりました。


今回は通常とは違う着付けだったのでオーナーさんに着付けていただけました。東映太秦で時代劇スターの着付け、時代考証等ステージ衣装や小物を担当されていた方、4度目にして初体験!!!
さすがに着付けがお上手~~~絞めるところは絞めてぬくとこは抜くさすが~~~~

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「内宴の妓女物具装束」を再現
出来るだけ同じような着付けでお願いしました。
裳をつけてから唐衣をつけ、唐衣もかたはずしぎみで表着をはっきりと見せます。

「ゆるし色ずくし」

単 蘇芳色(もしくは)えび茶色

唐衣 「紅躑躅」 二倍織物 地三重襷紋・白撫子文様

 表蘇芳(やや葡萄茶よりか?) 裏淡紅


五衣 「紅梅」

表着 朱殷?(まったく同じ色目なし・現在の染色技術か?) 銀 鳳凰文様  


内宴妓女 晴れの物具装束姿

撮影用の写真
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1)左衛門佐の内侍、御佩刀とる。
本当の飾り刀はもっと豪華ですが、何せ・・・・・・刀は高額なので時代やさんの束帯用の刀をお借りしました。
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2)内宴の妓女舞う
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3)舞終わり疲れはてて一休みする妓女
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4)籠に秋の花と重陽の節句の着綿をした菊の花を手に
胸にポンポンして長寿を願ってみる。
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秋の収穫物の献上品を手に持つ
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秋の花を手に
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衣を改める

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